「此処に住みたい。」


 キョトンとした顔で小首を傾げ、その言葉を反芻して…
 新一の目元に、サッと赤みが差した。
 それを拒絶はされてないと受け取って、快斗は新一の瞳を見つめたまま、きゅっと手を握りしめる。


「もう、ちょっとでも新一と離れたくない。一緒にいたい。」


 その、真剣としか言いようのない顔で見つめられ。
 もとよりキッドとの生活に慣れてしまい、ひとりの生活が寂しかった新一には。
 少しも断わる理由などはなかった。


「良い、かな。…新一。」


 縋るような瞳で見つめ、快斗は新一の返事を待つ。
 新一は嬉しそうに笑って……


「俺も、一緒にいたい。」










K.I.D.










「いい加減にしてくれないかしら、そこのバカップル。」


 朝の挨拶をそんな冷ややかな台詞に変えて、隣の住人宮野志保は、目の前で見るに耐えない光景を繰り広げているふたりに声をかけた。
 手に黒のビニール袋が携えられているところを見ると、朝のゴミ出しにでも出てきたのだろう。
 そこで、予定外にもアテられてしまったようだ。

 新一と快斗はそっくりの顔を志保に向け、それから向かい合うと。
 慌てて握りしめていた手をぱっと離した。
 ……その様子がまた、志保の溜息を誘うのは言うまでもない。


「お、おはよっ、志保ちゃんっ」

「…おはよう。」

「…はよ、宮野。」

「…おはよう。」


 それでも一応挨拶を返してから、やってられないわとばかりにさっさと阿笠邸に帰っていく。
 その顔は笑んでいたけれど、当然ふたりにはわかるはずもなく。
 互いに赤らめた顔でチラリと視線を交わすと、ばつが悪そうに苦笑した。


「……行こっか。」

「……おう。」


 スッと差し出された手を取って、ふたり並んで歩き出した。










 ここのところ毎朝工藤邸で繰り広げられるその光景は。
 まさにバカップルの下らない理由から来る、甘々な光景だった。

 快斗も新一も副業をそれぞれ持ってたりするが、本分は一応学生。
 朝起きれば週に五回は学校に行かなくちゃならないし、別々の制服を着て別々の学校へ登校しなければならない。
 …それは、わかっているけれど。

 冒頭で快斗が言っていたように、少しも新一と離れていたくない快斗は。
 朝のこの、別れなくちゃならない時間が一番嫌いだった。

 新一の副業である探偵として警察にとられるならまだ仕方ない…と思うようにしてる。
 謎が好物の名探偵に、謎に大して嫉妬してたら、さすがに体が持ちそうにないし。
 けれど、だからこそ、たかが学校なんかに新一を取られるのは嫌で嫌で仕方ない快斗は。
 それでも口にはせずに、新一の手を握る、という行動に出たのだった。


「快斗、そろそろ行かなきゃ。」

「……うん。」

「うんって…手、握ったままなんだけど…」


 この、捨てられた子犬みたいな顔に弱いんだよな、と新一は思う。
 天下の怪盗キッドが形無しもイイトコロだが。
 そんなところも愛しく思ってしまう辺り、ただのらぶらぶばかっぷるなのだった。


「…快斗。俺ってそんなに信用ない?」

「え?」

「心配しなくても、もうどこにも消えたりしないぜ?」


 快斗の一連の行動をどう推理したのか、自分が一度姿を消した所為だと思っている新一。
 やっと帰ってきたのはほんの数日前。
 だから、快斗がまだ心配しているのだと思ったのだ。

 快斗は困ったように苦笑して、それから握った手に指を絡めて…


「そうじゃない。信じてるし、わかってる。これは俺の我侭だから…」

 ごめんね。


 すっかり下がってしまっている眉で謝られて、新一は一層困惑した。
 我侭とはなんだろう。
 なんでこんな顔をさせてしまっているんだろう…?

 そう思うと。
 新一は居ても立っても居られずに、快斗の手を引いて歩き出した。
 ……学校とは別方向へ。


「新一?どうしたの?」


 指を絡ませたまま、ずんずんと歩いていく。
 何か機嫌を損ねるようなことをしただろうかと考えて、快斗は新一の返事を待ったが…


「今日はサボろーぜ!」


 振り返った新一は、笑顔で。
 満面の、ふんわりした笑顔で。

 快斗は一瞬息を呑んで、それから急いで引き寄せて…
 抱き締めた。

 …一緒に、いられる。

 学校なんて、どうでも良かった。










* * *


 仮にも二大有名人である名探偵と大怪盗が補導されるのは具合が悪い。
 そんなわけで今時のデートスポットのようなメジャーな場所には行かず、こっそりとふたりが向かったのは……

 河原。


「新一、マジで学校サボッて平気だったのか?」

「良いよ、たまにはさ。事件の呼び出し以外じゃマジメに行ってんだから。」


 笑って平気だと言う新一に、快斗は申し訳なく思いつつも。
 やはり嬉しさをこらえることは出来ない。

 平気なはずがないのだ、本当は。
 江戸川コナンとして休学を続けた日々のツケは、補習という形でまわってきて。
 それをなんとかこなして復帰した高校生活。
 なのにキッドとのアレコレで3週間ほど学校を明けてしまったのだから。
 本当は、ちっとも平気なんかじゃないとわかってる。

 けど。


「新一と一緒に居れるんなら、すごく嬉しい。」


 二人して河原の草の上に、カバンを枕に寝ころんで。
 快斗は新一に微笑んだ。

 今日だけは、彼の優しさに、甘えたい。

 と、急に真剣な顔になった新一が、快斗の瞳をじっと射抜いて言った。


「……我侭って、なに?」

「え?」

「さっき言ってただろ?俺の我侭だって……」


 寂しそうな顔で笑いながら、そんなことを言うから。
 気になって気になって、仕方がないのだ。


「気にしないでよ…新一を困らせたいわけじゃないんだ。」


 なのに快斗がそんなことを言うから。
 打ち明けることも出来ないのかと、新一はムッと唇を尖らせた。


「俺、お前のこと我侭だなんて思ったことない。てゆうかむしろ、全然何も言ってこないし。」

「……そんなことないよ。」


 必要なことはちゃんと言ってる。
 だってほら、こうして一緒にいれるのも…好きだと伝えたから。

 けれど新一は納得しなかった。


「言いたいことがあるんなら……やりたいことがあるんなら、ちゃんと言えば良いんだ。そうしたら俺はちゃんと聞くし、出来る限りのことはやる。」

「だけど…新一を、困らせたくない。」

「困らせたら良いだろ。お前のことで困るのなんか、俺は全然苦痛じゃない。そういうもんだろ?それとも…俺には何も言えないか?」

 お前ひとりに抱え込ませなきゃならないほど、俺は頼りないか?


 新一は寝ころんでいた体を起こすと、覗き込むようにして隣にいる快斗を見つめる。
 怒ってるような、寂しがってるような瞳に、快斗は慌てて否定する。


「違うよ、そうじゃない。ただ、…だって……こんなの、子供の我侭だし……。」

「良いから言えよ。」


 快斗は新一を見上げたまま、くしゃりと顔を歪ませた。
 …ほんとに、子供みたいだけど……


「新一と一緒にいたい。ずっとずっと一緒にいたいんだ。でも、そんなの、無理だろ…」


 お前は探偵なんてものをしてるし、俺は怪盗なんてものをしてる。
 学校も別々。

 学校も、友達も、世間も、パンドラも。
 みんななくても良いから、何より新一が欲しい。
 新一とずっと一緒にいる時間が、欲しい。


「それは、無理だ。」


 新一はまじめにそう答えた。
 快斗は苦笑して、当たり前の言葉を当たり前だと受け止めた。

 けれど。


「でも、俺も。お前とずっと一緒にいたい。」

「え……」

「学校も何もかもどうでもいいぐらい、一緒にいたい。」

 お前しかいらないと、本気でそう思うんだ。


 新一の言葉に、快斗は信じられないと目を瞠った。
 こんな狂いそうな気持ち。
 抱えているのは、自分だけだと思っていたのに…


「だから、お前ひとりで抱え込んでる必要はないんだ。無理でも…言葉にして伝えれば…気持ちは届くだろ?」

 同じ気持ちなんだって、わかっただろう?


 そう言った新一の顔は、かなり赤くて。
 夕日の所為ばかりではなく、赤くて。
 恥ずかしがりの新一にはなかなか言えないような、そんな甘い言葉を聞かせてくれてる。

 快斗はたまらなくなって、愛しい人の首に手を伸ばすと。
 遠慮も何もなしに、力一杯引き寄せた。
 重力に従って、胸の中に堕ちてくる大好きな人。

 背中に腕をまわし、抱き締めて、力を込めて。
 胸に顔を埋めて、目を閉じて、体を預けて。


「新一、愛してる、新一…っ」

「………俺も…。」

 ……愛してる。





 それから他愛もない会話を交わして、じゃれ合って。
 最後には勢い余って、ふたりして子供みたいに川の中を走り回った。
 制服はビシャビシャ、髪も顔もびしょ濡れだったけど。
 久しぶりにはしゃいで、馬鹿笑いで楽しんで。

 いい加減日も暮れだしたころ、風邪をひくからと早々に家に帰った。
 新一を先に風呂へと入れて、その後に快斗が入って。
 一緒に入っても良かったのだけれど、同居してからこっち、実に清い関係を保ってたりするふたり。
 新一のふたりでさっさと入ろうという申し出を、色々考えて辞退した快斗だった。

 快斗もスッカリ暖まって風呂から出てきたとき、そこに新一の姿はなく。


「新一?」


 声をかけても返事はなくて…テーブルの上を見て、がっくりと肩を落とした。
 そこにはメモが一枚。
 走り書きで、けれど綺麗な文字で一言。


“ちょっと出てくる”


 つまり、警部からの呼び出しということ。
 快斗はせっかくの新一の楽しい時間を奪われて溜息をついたけど。
 それでも今は、お互いの気持ちを良くわかってるから…まだ、平気。
 ……いつまで我慢がきくか自信はないが。

 けれどそれから30分もしないうちに新一は帰宅して、ソファでうたた寝しかけていた快斗は飛び起きたのだった。


「…れ、新一、呼び出しじゃなかったの?」

「いや、違う。こいつを取りに行ってただけ。」


 なにやらポケットの中をごそごそあさって。
 ぽん、と無造作になげられたそれを、条件反射でうけとる。

 弧を描いて快斗の手の中へと落ちてきたそれは、銀色の光を弾いて。
 冷たい、金属の重み。
 快斗はぎょっとして、次になんとも言えない表情で新一を凝視した。
 泣きそうな、笑っているような。
 そんな顔で。


「前に注文してさ。今日出来るって言われてて…明日でも良いかと思ったんだけど。……すぐのが良いと思って。」


 はにかんだような顔でそう言った新一の言葉を聞き終える前に。
 快斗はソファから飛び起きて、突っ立ったままの新一に飛びついた。
 そのままの勢いで背後に倒れて、けれどクッションに守られて、少しも痛くなんかなくて。


「しんいち〜〜!!!」

 もう一生離さねぇ!!!


 半泣き状態でそう叫んだ快斗に、新一もこれ以上ないほど幸せそうな顔をして。
 見た目より幾分しっかりとした背中にぎゅぅっと腕をまわして。


「捕まえたのは俺の方だぜ?」

 もう、逃げられねぇからな?

「絶対こっから出てかない!!」


 世間を騒がす怪盗が、最強の檻に捕らえられた瞬間だった。





BACK TOP

これで〔 K.I.D. 〕は終了となります。
実に三ヶ月のご愛読、有り難う御座いました。
番外編を、という嬉しいお声を頂いたので、皆様の期待に答えられるかわかりませんが。
その他のものが落ち着きましたら、また続編のようなモノを書けたらなぁと思ってます。
その時はぜひともふたりを(ついでに私も)応援してやってくださいv
では。