■ Second kiss...
















 静まりかえる館内。
 あと数分もすれば時計の針が怪盗の犯行時刻を指し示そうという時間だった。
 予告時刻の直前はいつもこうして静まりかえる。
 そして痛いほどの緊張と警戒が、館内を取り巻くようにして張りつめていくのだ。
 普段は熱血振りを披露する中森も、この瞬間ばかりは押し黙って両目を鋭く煌めかせている。


 カチ、という秒針の音がやけにはっきりと聞こえたような気がした。
 そしてその次の瞬間、館内にはけたたましい警報の音が鳴り響いたのだった。



「報告しろ!どこの警報が鳴ってる?奴はどこに現われた!」



 中森が無線に向かって怒鳴る。
 耳に直接イヤホンを嵌め込む形で聞いている警官たちにはたまったものではないが、これも毎度のことで、いい加減彼らも慣れているのか。
 警備室にて監視カメラをチェックしていた警官から直ぐさま連絡が入った。



『西側の非常口に設置したセンサーが点滅しています!』

「よし、奴はそこから侵入したんだな!」



 それを聞いて中森は得意げに拳を握った。
 西側の非常口と言えば、中森が怪しいと踏んでいた場所だ。
 標的のある展示室からは遠いが、司令本部ともまた遠いため侵入しやすいだろうと考えていた。
 今回はあの高校生探偵たちの予想を自分の予想が上回ったのだ。
 そう思い、中森は早速新たな指示を出そうとしたのだが……



『そ、それが、警部!キッドの姿がどこにも見あたりません!』

「……なにぃ!?」

『監視カメラにキッドの姿が映らないんです!』

「何だと、じゃあキッドの奴はどこに居ると言うんだ!」



 監視カメラは館内の至るところに設置されている。
 それは、この美術館が海外からの貴重な美術品などを借りて展示できるほど大きな美術館だからであり、つまり警備システムも常に最先端を保持しているのだ。
 だと言うのに、そのカメラに姿が映り込まないとは
――――――


 が、頭を悩ませる中森を更に困惑に突き落とす報告が入った。



『け、警部!新たに東非常口と南渡り廊下、3カ所の通風口でセンサーが反応してます!…あぁ、またもう一カ所…!』

「なにぃ!?」

『カメラ、異常ありません!』

「ええい、カメラなどあてになるか!反応のあった所からそれぞれ報告しろ!」



 警備室との遣り取りを聞いていた警官たちは直ぐさま警部に連絡を入れるが、どれも使い物にならなかった。
 センサーが反応した各所に配置された警官は素早く的確に辺りを調べるが、怪盗が入り込んだ形跡はおろか蟻の子一匹見つからない。
 監視カメラに映し出された映像と同様に、異常はまったくなかったのだ。
 やがて慌て出す警官たち。
 けれど、一瞬で動揺を静める凛とした声が聞こえた。



『慌てずに。彼は既に檻の中にいるのですから。』



 それは、日本警察であるなら二課も一課も関係なく“救世主”であるらしい、工藤探偵の声。
 警官たちは、まるで魔法にでもかけられたかのように焦燥が消えていくのを感じた。
 この人の言葉は間違いない。
 不思議とそんな気持ちにさせられ、だからこそ出来る限りの力をもって彼に応えようとそれぞれが気を引き締める。
 いつの間にか、無線からひっきりなしに聞こえていた喧騒はなくなっていた。



『全員、配置を動かないで下さい。動揺は隙を与える……
 大丈夫、こちらは大勢いるんですから。それぞれの場所をしっかり護れば、奴に潜り込める穴はない。』



 不適な言葉も、彼が口にするとまるで劇の中の台詞のようだ。
 警官たちは見えない場所で暫し心酔し、そして与えられた区間をきっちり警備しようと拳を握った。
 もちろんそんなことは露ほども知らない新一は、ニヤリと口端を持ち上げる。
 怪盗顔負けのそのシニカルな笑みを見れば、警官たちの工藤新一像は崩れてしまうだろう。……崩れない可能性も高いが。



『では、警部、後の指示は頼みます。』



 現場にいるあなたの方が的確な判断を下せるでしょうから、と言えば、頼もしい返事が返ってくる。
 新一はすっと立ち上がると、月を見上げた。


 穴は全て塞いだ。
 配置された警官は全て2人以上で組ませ、催眠スプレー等に対抗するための特殊マスクも全員に行き渡っている。
 ひとりに異常があればすぐに別のひとりが連絡を入れるよう、事前に連絡はしてある。
 後の全ては中森が巧く指示を振ってくれるだろう。
 怪盗キッドの入り込む隙はない。


 となれば、キッドの侵入など至ってシンプルな方法しかなく――――――


 ガシャン、と聞こえてきた騒音に、新一は駆け出した。
 屋上の扉を潜り、階段へと駆け出す。
 向かう先は、先にバイクを用意しているだろう服部のところだった。






* * *






 ガシャン、と騒音を響かせながらガラスが割れた。
 展示室にある3つの大きな窓のうちの真ん中のひとつだ。
 そこから大胆にも堂々と入り込んだ白い影は、言うまでもなく怪盗キッドである。


 シルクハットの鍔に指を掛け、マントの端を抓んでさりげなく純白の衣装をカバーする。
 ステンドグラスを意識した色鮮やかなガラスは無惨にも砕け散り、赤や緑の破片がキラキラと舞った。
 思わず、なんて勿体ないことを!と叫んでしまいそうだが、芸術を愛する怪盗に抜かりはない。
 老朽化して安全性に問題の出てきていたこのステンドグラスが近々新しくされることなど、とっくにリサーチ済みである。
 だからこそこんな強硬手段を取ったのだ。


 誰よりも愛して止まない名探偵による警備により、こっそり侵入することは難しくなった。
 とは言えこのIQ400をちょっと捻れば打開策など幾らでも出てくるだろうし、そうして名探偵と頭脳戦を楽しむのも悪くないが……
 たまには彼からの招待を受けるのも良いだろう。
 穴は全て塞いだのだからステージに直接乗り込め、という招待状を。



「今晩は。警部殿、白馬探偵、警察の方々。」



 ふわりと音もなく直地しながら、キッドは優雅に腰を折る。
 突然張りつめられた罠のど真ん中へと自ら飛び込んできた怪盗に、中森は目を見開いていた。
 まさか堂々と乗り込んでくるなんて信じられない、とその顔には書いてある。
 毎回飽きもせず度肝を抜いてくれるキッドに、中森は内心の高揚を抑えて怒声を上げた。



「キッドを捕まえろォ――――――!!」



 わっ、と警官がキッドへと向かって押し寄せてくる。
 そこで動かしたらいつもと一緒だろ、と突っ込みながらも、そんなところがキッドのお気に入りだとは中森はつゆ知らず。
 キッドはニヤリと口端を持ち上げると、警官たちの足下へ黒い小さな玉をばらまいた。
 けれど急に止まることの出来ない彼らはその玉を踏んでしまう。
 途端、パン!と言うけたたましい音があちこちから響き、煙が吹き出した。
 催眠剤の類か!と大慌てでマスクを着用する。
 辺りには白い煙が充満した。



「くそ、見えない!どこだ、怪盗キッド!」



 中森のくぐもった声が聞こえ、近くにいた白馬はどうやら持ち場を離れてしまったらしい中森に慌てて叫んだ。



「警部、動いてはいけない!見えなくともジュエルを護るのが役目でしょう!」

「あ、そ、そうだな…!」



 中森は慌てて足を戻すと展示ケースの側に立った。
 同じくケースの側に立っていた白馬は、煙の向こうにうっすらと中森のスーツを見つけ、ほっと息を吐く。
 白い煙が充満しているとは言え、視界がゼロという訳ではない。
 2、30センチ先くらいまでならなんとか視界が利く。
 けれど、この奪われた視界の中で何かを仕掛けてくるのだろうと思った白馬は神経を研ぎ澄ませたが、予想外に怪盗の動く気配は感じられなかった。



(どうした、キッド…怖じ気づいた訳でもないでしょう!)



 やがて視界を埋め尽くしていた白い煙が晴れていく。
 侵入のために割られた窓から風が入り込み、煙を追い出すのを手伝ってくれたのだろう。
 そうしてぼんやりと周りの景色が入り込んできた時――――――

 誰もが目を剥いた。


 割れた窓以外に異常はない。
 警官たちは指示をしっかりと護り、それぞれの場所をガッチリと護っていた。
 キッドが侵入した窓も含め、逃走出来ないようにと穴という穴を塞いでいる。
 ただ違っていたのは、空になったガラスケースとその隣に立つ中森、そして同じく床に倒れている中森の姿だった。


 ケースの側に立っていた中森がニヤリと笑う。
 人をくったようなそのシニカルな笑みは、たとえ被った皮が別物であろうと、それが怪盗であることは一目瞭然であった。



「な…っ、キッド!いつの間に…!」



 自分のすぐ隣に立っていた中森がその後動いた様子がないことは、白馬が一番よく判っている。
 つまり、一瞬持ち場を離れかけた彼が戻ったとき、既にそれは怪盗だったのだ。
 数秒にも満たない一瞬のうちに警部を昏倒させ、彼に変装したというのか。



「宝石を確かに頂きましたよ、白馬探偵。」



 中森の姿をしたままの怪盗は、そう言って自分の胸ポケットをポン、と叩いてみせた。



「では、これで…」


――――――待ちなさい!」



 軽く礼をして退出の辞儀をしようとした怪盗に、白馬は切羽詰まった声を上げた。
 必死さが伝わったのか、なんだ、と言うように視線を向けてくる怪盗。
 白馬は乾いた喉に無理矢理唾を飲み込むと、用意していた言葉を言った。
 ゆっくりと、けれど強く。



「君は、なぜ怪盗キッドなんですか?」



 なぜ、キッドなくてはならなかったのか。
 盗みを行う理由が知りたいのではない。
 なぜ、怪盗キッドという仮面を被らなければならないのか。
 知りたいのは、その理由。


 似たような質問をされたことがあるが、以前とはまるで意味の違うその問いに、キッドは不意に口許を緩めた。
 冷涼だった気配がその刹那暖かみを帯びる。
 が、それも一瞬のことで、すぐさまかき消された気配に白馬は更に言い募ろうとしたが……



「…その答えが聞きたければ、白馬探偵。……私を追いかければ良い。」

「え…」



 以前とは少し違った答え。
 白馬は僅かに目を瞠った。
 その一瞬の隙をついて、キッドは閃光弾を床に叩きつける。
 途端に今度は光がその場を包んだ。
 一瞬で再び闇を取り戻したが、すでにそこに怪盗の姿はなく。
 逃走経路を全て経っていたはずだというのに、相変わらず鮮やかに姿を消して見せたのだ。


 消えた怪盗の姿に慌てふためく警官たちを余所に、白馬はそっと吐息を吐く。
 やはり答えてはもらえなかった、という哀しみがあった。
 かわされても問いつめるつもりだったと言うのに、怪盗はその猶予さえ与えずにこの場から消えてしまったのだ。
 追いかけるにも、どうして追いかけろと言うのか。


 キッドであるだろう黒羽快斗を問いつめるのは、なぜか卑怯な気がした。



 麻酔によって眠らされていた中森が起こされ、悔しがっている姿を横目に捉える。
 外に待機していた警官がキッドの姿を見留めていないことからキッドがまだ館内にいるかも知れないと、中森は直ぐさま捜索の指揮を始めた。
 打たれてもへこたれないその姿を強いな、と思っていると、不意に自分の右ポケットに違和感を感じた。
 なんだと思って探ってみると、小さな紙切れが出てくる。



(……杯戸…シティホテル、R…?)



 よれよれの紙切れ。
 およそ怪盗の遺留品とは思えない、大慌てで書かれたちょっと形の崩れた文字。
 完璧主義の彼にしては珍しい、それ。


 白馬は弾かれたように顔を上げた。
 そう言えば、中森が言っていたではないか。
 工藤新一はいつも怪盗キッドを追い、奪われても宝石を取り返してくるのだ、と。
 一旦宝石を盗んだ怪盗と新一はここに向かっているのだと、白馬は何の根拠もなく確信した。
 すぐに中森にそれを伝えようと口を開きかけ……何も言わずに閉ざす。



(……すみません。)



 白馬は心の中でだけ小さく謝罪し、素早く現場を後にした。





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新一、アイドルv