Double
- First contact -















 アメリカ、ロサンゼルスの中心地であるダウンタウン。
 お世辞にも治安がいいとは言えないこの廃墟の立ち並ぶ街で、珍しくもないサイレンの音が響き渡る。
 けれど駆けつけた警察ができることと言えば、ただの現場検証だけであった。
 既に犯人は逃走した後である。
 否、もっと言えば、事件後に犯行が判明した、と言うべきだろうか。


「猫≠ェ出たって?」

「ああ、間違いないらしいぜ。」


 建物の外で警備をしていた警官に、お前も見て来いよと視線を投げられ、彼は中へと姿を消した。
 そこは別段変わったところのないただの家だ。
 荒らされた形跡もなければ争った形跡もなく、誰かが殺されているわけでもない。

 ただ唯一異様な点を挙げるなら……


 ――夢は現へ幻は消ゆ 真実の名の下に R


 壁一面に描かれたその文字に、彼は溜息を吐いた。

 ここ最近、このロサンゼルス全域を騒がせている謎の人物。
 犯行声明もなく、犯行の証拠と言えばいつも現場に残されているこの文字だけだった。
 けれど今、このR≠知らない者はロスには存在しないと言ってもいい。
 全てが謎に包まれた人物であり、年はもちろん性別ですら判っていなかった。

 犯行は窃盗。
 けれど警察は彼を捕まえることができない。
 窃盗はもちろん許されることではないのだが、盗られた側にそれを訴える権利がないのだ。
 それらは全て不当に彼らの元へ渡ったもので、通報したところで捕まるのは彼らも同じである。
 それが判っているから彼らは自ら通報しようとはしない。
 けれどこうして警察がやってくるのは、Rは犯行後に必ず何らかの形で警察を呼び出すからだった。

 Rの犯行は謎に包まれている。
 盗まれるのはいつも決まって宝石だった。
 大きさや種類には拘りがないらしく、更に言うならその宝石にすら興味がないらしい。
 なぜなら盗まれた宝石はいつも返されてくるのだ。それも、その宝石の正当な持ち主の元へと。

 Rの犯行はたちまち新聞などで報道され、その人気は一気にロサンゼルス全土に広まった。
 Rを義賊と称する者も大勢いるが、結局のところその目的がなんなのかははっきりとしない。
 盗人にしては完璧な犯行、目的の不明さ、解明不可能な人物像……

 警察はRを盗人≠ナはなく、その神出鬼没なところから怪盗≠ニ名付けた。
 怪盗R――怪盗ロシアンブルー、と。

 唯一、犯行後に警察を呼び寄せるため警報装置が鳴らされた時、怪盗Rらしき人物と接触した少年がいた。
 しなる体は猫の如く、暗闇に浮かぶアッシュブルーのコートを見た少年はRをこう称したのだ。
 まるでロシアンブルーのように気高く美しかった、と。


「ロシアンブルーの頭文字もRだからなんて、かなりのコジツケだと思うがな。」


 けれど彼は知っていた。
 その証言が嘘ではないことも、その表現が的確であることも。

 盗られた宝石は今、彼の手元にあるのだ。
 この美しいトパーズはもともと彼の祖母の持ち物だったのだが、幼い頃に遭った空き巣で奪われてしまった。
 祖父から祖母への贈り物だったというこのトパーズを彼は必死で捜したが、祖母が生きてる間に見つけるのは無理だと思っていた。
 それどころか見つけることすら困難だろうと。

 それが還ってきたのだ。つい先日。










 人の往来の激しい道ですれ違った人物。
 どん、と思い切りぶつかってしまい、すぐさま謝った彼にその人は鮮やかに笑った。
 顔の半分を覆い隠してしまうほどの大きなサングラスの下の唇が、不適にニッと持ち上げられる。
 自分の左胸を指し示し、それから彼の同じ場所を指さすと、すぐに人並みの向こうに消えてしまった。

 彼はわけもわからず示された胸に手を当てた。
 そこには胸ポケットがあり、手帳が入っている。
 ところが、先ほどまでは手帳しか入ってなかったそこに宝石が入っていた。
 それは見覚えのあるもので、それが探し求めていたトパーズだということに彼はすぐ気付いた。

 はっとしたように顔を上げるがもうそこには誰も居らず、宝石とともに入っていたカードを見て初めてあの人物がRだと気付いた。


 ――希望は貴方の胸の中に。探し求める真実を R


 警察にはその二日後に通報された。










 おそらくRは彼が警察の人間だから気を遣ったのだろう。
 描かれていた文字はカードと一致しないが、指し示すのはおそらく同じものだ。
 宝石は偽物の持ち主から本物の持ち主の下へと帰り、幻は消えたのだ、と。
 既に偽の持ち主は行方を眩ませてしまったが、宝石が還ってきたことを彼は喜んだ。

 十秒にも満たない瞬間に垣間見たあの姿を、彼は生涯忘れないだろうと思う。
 白い肌に漆黒の髪、顔を隠すサングラス、そしてアッシュブルーのロングコート。
 ぶつかったほんの一瞬触れた体の細さ、そして女ではない体。
 悠然と微笑んだ、あの、美貌。

 まさに気高く美しいロシアンブルーそのものだと、彼は思った。
 そしてその時得た怪盗の情報を、きっと誰にも伝えることはないのだ。
 義賊だからではない。
 美しかったからでも、宝石を取り戻してくれたからでもない。
 なぜか邪魔をしてはいけないのだと感じていたからだ。
 怪盗の犯行は偽善でも娯楽でもなく、それが怪盗の義務なのだと感じていたから。


「怪盗、ロシアンブルー…」


 しなる体は猫の如く。
 闇に浮かぶ姿はロシアンブルーそのもの。

 不思議と憎めないその存在へ、彼はそっと祈りを捧げた。





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一度やってみたかった新一怪盗話。
厳密には怪盗とは名乗ってないんですが、警察側にが勝手にそう分類してしまったのですね。
怪盗R(=ロシアンブルー)、通称“猫”。
次から本編、第一種接近遭遇となりますv