Double - Third contact - |
シルクハットの中から飛び出す鳩と、柔らかい笑みを浮かべたタキシード姿の紳士。 快斗の指紋だけを認知して開く仕掛けになっているそのパネルを潜れば、向こう側には父親のもうひとつの姿が隠れている。 怪盗キッド。 それは快斗が生み出したものではなく、父親から受け継いだものだ。 闇夜に映える純白の衣装、風に靡くマント、シルクハット、そして片眼鏡。 彼が何を思ってこの衣装を纏ったのか、快斗は知らない。 けれどこの衣装を纏った世界的な大怪盗と新一が繋がっていたのは事実だ。 新一が消えて三日が経つ。 相変わらず紅子の魔法でも行方が掴めず、白馬の情報ルートや快斗の情報網をもってしても足取りが掴めない。 さすがは新一だ。 生まれた瞬間からひとりで生き抜いてきただけあって、足跡ひとつ残していない。 だが感心している場合ではなかった。 紅子の言葉が確かなら、急がなければ新一の命に関わる。 ごちゃごちゃと、マジックの道具やらガラクタやらが床一面に転がっている。 ここに何が隠されているのか、快斗は未だ全てを把握しているわけではなかった。 だから、もしかしたらここに新一へと繋がる手がかりが隠されているかも知れない。 鈍った頭でようやくそのことに気付き、快斗は急いで三日ぶりに帰宅したのだった。 ――それにしても。 「汚ぇ部屋…」 人の良さそうな顔に似合わず、彼は身の回りの整理整頓というものが非常に苦手だった。 この部屋がこんなにも散らかっているのは間違いなくそのせいだろう。 苦笑しながら母に怒られていた父。 懐かしい、遠い昔の記憶。 そんな場合でもないのにほんの少し懐かしんでいると、不意に視線を向けた先に見慣れないマークがあった。 「あれは、月…?」 微かに、ぼんやりと、壁に浮かび上がった三日月。 なんだろうと思い近寄ってみると、それまでそこにあったはずの月が消えてしまった。 「なんだ…?」 不思議に思ってその壁を調べてみても何も変わったものはない。 けれど消えたはずの月が再び浮かび上がり、快斗はわけがわからずその月をじっと見つめた。 目を凝らせば漸く見える程度のそれ。 するとその月はまるで規則性のない間隔で、何度も消えたり現れたりを繰り返した。 これにはどんな意味があるのだろうか。 それとも何も意味はないのか。 この月が何なのか、快斗はその頭脳を目まぐるしく稼動させた。 月。ムーン。ルナ。アルテミス。セレネ。 古くから神話の題材とされてきた存在。 それとも、地球を巡る衛生としての存在だろうか。 或いは…… 拉致のあかないことを延々と考えていると、視界の端に白いタキシードが映った。 マントやシルクハットとともに掛けられたそれ。 盗一が何を思ってこの衣装を纏ったのか、快斗は知らない。 けれどこれを纏っていたのは世界的な大怪盗なのだ。 それは――怪盗キッドを象徴する衣装。 (象徴…?) そうだ。 月はキッドを加護する存在。 月下の奇術師とまで言われた怪盗は、いつだって月に守られていた。 キッドとは切っても切れない存在だ。 それが、この部屋にはどこにもない。 ――否。 ひとつだけある。 それは、この微かに浮かび上がる心許ない光だけ。 「…光?」 光。そうだ、光だ。 光だから消えるし、現れもする。 ただの幻だから壁には何の後も残らない。 では、どこからこの光は届いているのだろう? なぜ、今まで見つけられなかったのだろう? 快斗は再び頭をフル回転で稼動させた。 今日は普段とは違うことばかりしている。 いつもは母のいない時間を見計らっているからこんな時間にこの部屋にいることも、証拠を何ひとつ残さないよう細心の注意を払っているからこんなに長い間この部屋にいることも滅多にない。 「時間か?関係してるのは時間なのか?」 だが、それだけではまだ不十分だ。 あくまで頻度が少ないと言うだけで、過去に一度もしたことがないかと言えばそんなことはない。 では何が普段と違うのか。 (くそ…っ、よく考えろ、もう少しでわかりそうなんだ!) 母に無断でこんなに長い間家を空けていたのは初めてだ。 いつもは手伝う夕食の準備もほったらかしだし、それどころかろくに「ただいま」の挨拶すらしていない。 他の何もかもを放り出してこの隠し部屋に直行してしまった。 もう夜だというのに部屋の電気もつけていなければ、カーテンだって開けっ放しだ。 まあ灯りが消えていれば部屋の中は真っ暗で見えないけれど、一歩間違えれば自分がこの隠し部屋に入っていく姿を外から目撃されてしまうかも知れない。 今更になって、新一のことで頭が一杯になっていた自分のとんでもない失態に冷や汗を掻きそうになったが。 ふと、気付く。 夜。 灯りのついていない部屋。 開けっ放しのカーテン。 遮るもののない窓。 そして―― 浮かび上がった、月。 「まさか…」 ドクンと鼓動が高鳴る。 唯一、己の部屋と通じる部分。 この隠し部屋の入り口であり出口である、父親のパネル。 そっと手で押してみる。 快斗の指紋を感知したパネルは容易に動き、父親のもうひとつの顔が現れた。 その背後に背負うのは――壁に浮かび上がるそれと同じ、三日月。 「こんなところに…」 パネルを潜らずに隠し部屋に留まると、それまで黒いタキシードで鳩に囲まれていたマジシャンが、白いタキシードに月を背負った怪盗に成り代わった。 三日月の部分を指でなぞってみる。 ここにはパネルを開閉する装置がないのか、触れてもパネルが回ることはなかった。 けれど、いつもとは違う機械音が微かに聞こえてくる。 古めかしい歯車仕掛けのカタカタという音とともにパネルの中の写真が下に下がっていく。 そして、八年前のものとは思えないほど高度な機械が姿を現した。 パソコンのディスプレイのような電光板に文字が刻まれていく。 それは、盗一から快斗へのもうひとつのメッセージだった。 ――快斗へ よくこのメッセージを見つけたね。 それとも偶然に見つけてしまったのかな。 どちらにしろ、おめでとうと言っておこう。 そして、久しぶりだね。元気にしてたかい? おまえのことだから私がいなくてもしっかり母さんを支えてくれてるとは思うけれど、それは私の役目だから少し灼けるな。 だけど、有り難う。 母さんはあの通り強くて格好いい人だから弱いところなんて見せないだろうけど、だからって弱さを持っていないわけじゃない。 これからもしっかり母さんを笑わせてあげて欲しい。 おまえは私を越えるマジシャンになれるのだから、きっと素晴らしい笑顔を咲かせられるだろう―― 感情のない機械が淡々と刻んでいく文字に、あの、大好きだった柔らかい笑みが浮かんで見える。 どんなに時が経とうとも少しも薄れることのない記憶。 まるで写真のように細部まで鮮明に思い出せる。 快斗は思わず浮かぶ微笑を隠すことなく口許に刻みながら、刻まれていく文字を追った。 ――さて。 当たり前のことだが、おまえがこれを読む頃には私はもうこの世にいないだろう。 そしておまえはすでにいない私を探すために私の衣装を纏っただろう。 だが、悪いな。 私の衣装を纏ったところで私に辿り着きはしない。 なぜなら、私はもうこの世にいないのだ。 どこにも私の思いは残っていない。 死んだ者の心はどこにも残らない。 その衣装にもなんの思いも残っていないのだ。 だが、生きてる者の思いは、その人が生きている限りそこに存在している。 私が死んでもおまえたちが私を忘れない限り、私はそこに存在しているんだ。 そして、その衣装を私が残したのは、今もひとりで生きているある少年の思いが残っているからだ。 おまえと同じ年の、まだあどけない少年。 その衣装を受け継いだのなら、おまえももう会ったね? できれば二人が出逢わないことを願っていたけれど、おまえなら絶対にこの道を選ぶだろうとも思っていた。 だから、私が今言えることはひとつだけ。 彼と関わってはいけない。 おまえが関われば彼の身を滅ぼすことになる。 それどころか、おまえ自分の身をも滅ぼすことになるだろう。 もし彼と出逢ってしまったなら、すぐにその関わりを断ち切ってしまいなさい。 まだ出逢っていないと言うなら、関わらないためにもその衣装を捨てなさい。 そして二度とパンドラに関わるな。 私はかつて彼をひどく傷つけた。 私が関わったことで、流さなくていい涙を流させてしまった。 彼を救うことも守ることもできないまま、ただ、泣くことも知らなかった真っ白な心に哀しみという感情を教え、苦しませた。 彼を救うことはできる。笑わせることはできる。 だがそれは至極限られた人にしかできない。 それでも、絶対どこかにその誰かが存在すると信じている。 私はその限られた人になれなかった。 なることもできただろう。 だが敢えてならなかったんだ。 神ではなく、私自身に誓った信念を曲げることができなかったから。 だから、おまえは私と同じ道を歩んではいけない。 彼を傷つけることは私が許さない。 けれど。 もしも真に彼を救いたいと思うなら。 もしもおまえが限られた人になれるなら。 この先を読みなさい。 おまえにとって大事なものも全て、日常も、夢も、友人も、母でさえ、おまえの命すら。 彼以外のもの全てを捨ててもいいというのなら。 彼から教わったある一族の秘密を、おまえだけに教えよう―― BACK TOP NEXT |
なんだかシーンがぽんぽんと飛んで申し訳ないのですが、これは快斗が三章の一話で新一に会う前の話です。 盗一さんのキャラっていまいち掴めてないので嘘くさいと感じられましたら御免なさい(T_T) |