Double
- Third contact -















 銃声とともに弾け飛んだのは、快斗の手にあった拳銃だった。



 僅かに掠った弾が指を焼き、快斗は咄嗟に手を振り上げる。
 右手の親指と人差し指の間が火傷していた。
 いったい誰の放った弾なのか、顔を巡らせる快斗の視界に入ったのはひとりの見知った男だった。

 黒い帽子に黒い服、腰ほどに長い銀髪の男。


「…あんた、見覚えがある。あの時、新一を襲ってた男だ」

「ほう…てことは、おまえがキッドか」

「なっ、キッドだと!?」


 肯定もしないが否定もしない快斗に、その男――ジンは楽しげに口角を吊り上げた。

 ジンは快斗と老人の間に立ち塞がるように佇んでいる。
 おそらく手に持った小型銃で快斗の拳銃を弾いたのだ。
 ジンほどの男ならそんな小型の銃でも正確に的を狙えるだろう。
 忌々しげに舌打ちする快斗へ、ジンの背中に隠れた老人は気が狂ったように叫んだ。


「ジン!キッドを殺せ!キッドを殺して、解放者を奪うんだ!」

「ここで殺しても?」

「構わん!証拠など後でいくらでもでっち上げられる!」


 煩く喚く老人にジンは鬱陶しそうに眉をひそめるが、はいはい、と返事をして快斗を向き直った。
 温度のない無感動な視線が快斗の視線とかち合い、次いでその腕の中にいる新一へと向けられる。
 気のせいだろうか、その目が僅かに細められたような気がしたのも束の間、唐突に発砲された弾が今度は快斗の頬を浅く抉った。
 すぐに血が玉になって流れ出す。
 ジンが言った。


「大人しくそいつを寄越せばおまえの命は奪らない、と言ったら?」


 快斗が鼻で嗤う。
 新一の背に回した右手を前に突き出し、中指を立てた。


「くそ食らえ。」


 こんな場面でよくもそんな命知らずな啖呵がきれるものだと、ジンは怒るどころか楽しそうに唇を歪めた。

 勝算はない。
 けれど、大人しくやられてやるつもりもない。
 せっかく手に入れたのだ。
 あの、頑なに快斗の侵入を拒んでいた新一が、漸く自分から手を取ってくれたのだ。
 やっと、やっと。
 永く苦しい呪われた輪を壊すことができたのだ。

 あの時ジンが現れていなければ、快斗は手にした拳銃で確実に男たちの息の根を止めていただろう。
 その覚悟を甘く見るなと、笑みすら浮かべて見返す快斗に、ジンはクツクツと喉の奥で笑うと――



「…上等だ」



 快斗に向けて構えていた銃をくるりと反転させた。
 向こうに背を向けたまま、右脇下から立て続けに三発、銃弾を撃ち込む。
 突然のそれにすぐに対処できなかった快斗は、老人を囲っていた三人の黒スーツの男たちが崩れていくのを呆然と見遣った。
 転がった彼らを中心に血の池ができる。
 仰向けに倒れた男の眉間にはぽっかりと昏い穴が空いていた。


「ジ、ン…何を……」


 身動きひとつできなかった老人が掠れた声で囁く。


「悪いが、ある怪盗小僧からの依頼でな。依頼主が生きてる限り、怪盗キッドは殺さない契約だ」

「な…っ、まさか!」


 怪盗Rは自らの意志でジンの前に現れ、自らの意志で老人のもとへやってきたのだ。
 その時にでも契約を交わしたに違いない。
 だが、何千万という金を積んで漸く手元に引き寄せた凄腕の殺し屋を、Rはどうやって頷かせたと言うのか。
 よほどの金を積んだのか、或いは……

 今や四人いたボディーガードは一人は気絶、残りの三人は物言わぬ死体となってしまった。
 自分を外敵から守ってくれる者は誰もいない。
 老人は気を失ったまま死んだように動かない新一を見遣り、唇を噛みしめた。


「くそ…、くそっ!あと少しで永遠が手に入ったのに!」

「…それは違うな」


 子供のように悪態を吐き散らす老人に快斗は静かに言った。


「この世界に永遠なんてもとから存在しねえんだよ」


 その言葉が聞こえていたのか聞こえていなかったのか、老人は力なく床に崩れ落ちた。

 遠くの方からパトカーのサイレンが近づいてくる。
 銃声に気付いた客か従業員が警察に通報でもしたのだろう。
 消音装置も何もついていない拳銃を何度も撃てば、異常にも気付かれるのは当たり前。
 まさかこの男がそんなことに頭がまわらなかったとも思えず、快斗が怪訝な視線でジンを見遣れば、


「こいつに死んでもらっちゃ困るんでな」


 ニッ、と唇の端を持ち上げ、ジンは懐から取り出した別の銃を老人へと突き付けた。
 そしてパシュッという微かな音がしたかと思うと、老人の体は完全に床に転がった。
 おそらく麻酔銃の類だろう。
 強制的に眠りに落ちた老人を見下ろし、彼は手にしていた銃を懐へしまった。
 新一を抱く快斗の腕に力が籠もる。


「…あんたが、親父を殺したのか」

「八年前の怪盗キッドが黒羽盗一で、おまえが黒羽盗一の息子ならそういうことになるな」


 ジンはまるで無感動な瞳で淡々と告げた。
 目の前にいるのが誰だろうと――彼に私怨を抱く復讐者だろうと構わないと、その目が言っている。
 快斗は渦巻く激情をなけなしの理性でねじ伏せた。


「なぜ、殺した」

「それが依頼で、それが仕事だからだ」

「じゃあなぜ、俺を助けるような真似をするんだ?」


 ある怪盗小僧――
 それは間違いなく、この新一のことだろう。
 彼は最後の最後まで、組織に身を売るその瞬間まで、快斗を守るために体を張ったのだ。
 新一が生きてる限り怪盗キッドは殺さない。
 いったいどうやってそんな契約を取り付けたのかはわからない。
 けれどそれが契約内容なら、ジンが快斗を殺さないというだけで、快斗を守れという契約ではないはずだ。

 ジンの無感動な瞳には何も映らない。
 けれどジンはひどく楽しげに言った。


「俺は俺のために人を殺す。俺が生きるために人を殺す。
 それを悪と呼びたければ呼べばいい。他人の定義なんざどうでもいい。俺には俺のルールがある。それを否定しようが肯定しようが、そんなのは個々で判断すればいいことだ。
 俺を人殺しと罵りたければ罵ればいい。それでも殺さなきゃ手に入らないものがあるなら、俺はためらわず引き金を引く。

 そしてこいつも、ためらわず引き金を引ける男だってだけだ」


 キッドに手を出す奴は俺が全部始末する。
 そう言ったのは新一だ。
 その言葉が口先だけか真実なのか、それが見抜けないほどジンは馬鹿じゃない。

 新一を支配するのは善悪の意識ではないのだ。
 信念を貫き通す、想いの強さ。
 その想いが強ければ、たとえどれほどの罪に濡れようと、躊躇わず大事なものをつかみ取れる。

 そしてその想いが、ジンにとっての覚悟なのだ。


「おまえの親父は死んでおまえを守った。こいつはおまえを、俺を殺してでも守ると言った。
 結果が同じなら、俺はこいつと同じ道を選ぶ。
 俺がおまえを生かした理由は、強いて言うならそんなところだ」


 死んで誰かを守ること。
 殺して誰かを守ること。
 前者を善とするなら、後者は悪となるだろう。
 けれどどちらも正しくはないのだ。
 それなら無理に善悪に固執せず、自分の本能に従えばいい。感情に従えばいい。

 ただ、気に入ったから。
 理由などそれだけで充分だ。

 ジンは無防備な背をこちらへ向け、長い銀髪を揺らしながら扉へ向かった。


「おまえもそいつを連れてさっさと立ち去るんだな。サツに捕まっても、もう誰も助けちゃくれないぞ」

「…あんたはいいのか。警察はいずれこの男と繋がっていたあんたを洗い出すぞ」


 快斗は俯せに転がった老人を見下ろした。

 指示を出していたのがこの男だろうが、実際に手を下したのはジンだ。
 警察は血眼になってジンの行方を追うだろう。

 けれどジンは、ふんっ、と鼻で嗤った。


「今更、何の不都合がある?」


 もとから国際的に指名手配された第一級犯罪者だ。
 何人もの人の命をこの手にかけて来た。
 殺した相手は忘れるのがルール。
 数などいちいち数えちゃいない。
 今更三人の殺害容疑をかけられたところで痛くも痒くもないのだ。
 昨日と何ら変わることのない、非日常な日常が過ぎてゆくだけ……
 そしてそれはこれからも変わらないだろう。

 黒い帽子を目深に被り、口元だけを覗かせたジンは、扉に手を掛けると今一度快斗を振り返った。


「…そいつに言っとけ。
 おまえとの契約は、キッドを助けてやったことで帳消しだとな。次に俺に狙われた時は、殺られる前に殺るんだな」


 黒い影がするりと扉を抜けてゆく。
 カチャリと微かに鳴った錠と、音もなく遠ざかっていく怜悧な気配。
 血に濡れた獣は姿を消した。

 快斗は詰めていた息を吐くと、近づいてくるサイレンに意識を集中させながら、魔術師さながら音も気配もなくその場から消え去った。





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前話に比べて随分と短い;;
でも区切りがいいので一旦ここで区切ります。
新一の為なら微笑って人を殺せるような、危うい快斗が好きv
その逆も然り。
でもやっぱり二人のファンとして、この一線は踏み越えさせたくない、というのが本音です。
ジンの兄貴も愛してますvv