Double
- Third contact -















 地面に敷き詰められた枯葉を踏みしめ、新一はその石の前に立った。


 もうじき冬がくる。
 吹き抜ける風に、すっかり色を無くしてしまった葉が踊るように散ってゆく。
 その、立ち並ぶ杉の木に守られるように立てられた石は、かつて黒い魔術師と称された偉大なマジシャンの墓石だった。
 管理のされた墓地のような荘厳さはなく、それどころか名前も何も彫られていない墓石はひどく寂しく映る。
 けれど、すっぽりと包み込むように覆う蔦が、慈しむように取り囲む草花が、彼をこの地に溶け込ませている。
 それはむしろ大地から切り離された普通の墓地よりもずっと優しいイメージを、いつだって新一に与えてくれるのだ。

 新一はこの場所が好きだった。
 日本に来た時はいつもここへやって来た。
 その度、手入れは一切されていないのにいつでも花で賑わうこの墓石を見て、思わず頬を緩めてしまった。
 そして新一はいつも四つ葉のクローバーを一本、彼に捧げるのだ。

 今も、手向けの花が捧げられた墓石を眺め新一は相好を崩す。
 そしてやはり一本だけ摘み取った四つ葉のクローバーを、いつものようにその花の中に埋めた。

 四つ葉のクローバーは、それぞれの葉に四つの意味が込められている。
 希望、愛情、信頼、幸運。
 その四つが揃い、初めて真実の愛≠ノなる。
 それを教えてくれたのは、他でもない盗一だった。


「…貴方は俺に言った」

 いつか、この世にただひとつの四つ葉のクローバーを見つけたら、君にもきっと私の心が分かるだろう――と。


 ごめんと言いながら微笑った彼。
 死ぬ直前に微笑った彼。
 そして今、彼は死んでなお新一の記憶の中でも微笑い続けている。

 彼の心が知りたくて、新一はクローバーを探し続けた。
 それでも、どんなに四つ葉のクローバーを集めても、彼の心が分かることはなかった。

 けれど今ならわかる気がする。
 新一はすでに、この世でただひとつの四つ葉のクローバーを見つけたから。


「新一――!」


 軽いエンジン音とともに名前を呼ぶ声が聞こえ、新一は微笑を浮かべた。
 彼の声に応えるように木々がざわめく。
 彼の訪れを喜ぶように枯葉が踊る。
 この地に眠るマジシャンのように、彼もまた大地に愛されているのだろう。


「貴方を尊敬していた。貴方は俺を初めに変えてくれた人だった。貴方を忘れる日なんてきっと一生来ないけど、貴方ではない人を想って俺は生きていく」

 貴方は、すでにひとりの女性の心に生き続けているから。

「快斗はきっと幸せです。俺の希望も、愛情も、信頼も、幸運も、全てあいつに捧げたのだから。
 そして俺も幸せです。あいつが俺の――この世でただひとつの真実の愛≠セから」


 新一はくるりと踵を返すと、墓石を背に歩き出した。
 快斗を筆頭に、車から降りてきたみんなが駆け寄ってくる。
 快斗は飛びつくように新一を抱き締めると、子供のように頬を膨らませながら言った。


「ひでえよ新一!先に行くってひと言メールで送ったっきり、返事も来ねえし!」

「悪いな。でも、仮にも墓前で携帯弄れってのかよ」


 そりゃそうだけど…と唸る快斗の頭を軽く撫で、呆れたように二人を見守る彼らに新一は苦笑を向けた。
 快斗とともに墓参りに来たのは、白馬と志保と紅子だった。
 白馬と志保は快斗に連れられて何度か墓参りに来たことがあるようだが、紅子は初めてである。
 もとより繋がりの薄い自分がこの場にいてもいいのだろうかとやや遠慮がちな顔をしていた。
 それに新一は笑みを浮かべ、快斗を引き剥がすと紅子の手を取って墓前へと戻った。


「工藤君…」

「前に俺がおまえに渡した水晶、覚えてるだろ?」

「え?ええ…」

「あれ、見つけてくれたのは盗一さんなんだぜ」


 突然の告白に紅子は咄嗟に言葉が出ない。
 瞠目する紅子に、新一は柔らかい笑みを浮かべて言う。


「あの人、石の声を聞く力なんか持ってないのに、変なことばっかり言う人でさ。水晶の蒼があんまりにも哀しそうに見えるから、きっと持主の手元を離れちゃったんだろうね、なんて言うんだぜ」


 新一の手が紅子の髪をさらりと撫でる。
 その耳に揺れる蒼い水晶を、懐かしそうに目を細めながら見つめた。


「これ、あの時の水晶なんだろ?自分の声を聞いてくれた彼に、こいつは感謝してるみたいだな」


 水晶は太陽の光を吸い込んで神秘的な光を放っている。
 渦を巻く虹色の光はまるで水晶の意志を表すようにゆらゆらと揺れた。
 それを見て、紅子もゆっくりと笑みを浮かべる。


「見たこともない偉大な魔術師……
 貴方のおかげで私がここにいて、貴方のおかげで彼がここにいます。
 言葉にならない感謝と幸福を、貴方と貴方の愛する者たちに捧げますわ」


 いつの間にか墓の周りに立っていた白馬や志保も、手を合わせ目を瞑っている。
 けれど快斗だけは目を瞑ることなく、まるで睨み付けるような鋭い眼差しで真っ直ぐに墓石を見つめていた。
 その揺るがない瞳でいったい何を語りかけているのか。
 気になったけれど、荘厳で神聖なその空気を破ることができず、新一は口を噤んだ。
 そして快斗は何を呟くでもなくただずっとそこに佇んでいた。










「さっきは何を真剣に考えてたんだ?」


 車に戻り、白馬の運転でドライブを楽しむ中、新一は隣に座る快斗に尋ねた。
 さっきと言うのはもちろん盗一の墓石の前でのことだ。
 けれど、快斗はにやりと口元を歪めると、


「新一は俺が貰ったから、あんたは安心してそこで寝てなってv」

「な…っ」


 新一は絶句した。
 故人、それも仮にも自分の父親の墓前でよくもそんなことを言えたものだ。
 馬鹿だの恩知らずだの、新一はありとあらゆる罵倒を快斗に浴びせるが、本当はわかっていた。
 快斗が本当に考えていたのはそんなことではないことを。

 あの目に滲んでいたのは確かな怒り。
 そしてその怒りをも上回る愛しさ。

 盗一が死ぬと知りながら最期のステージに立った理由を、快斗も新一もなんとなく理解していた。
 けれど、たとえどんな理由があろうと、自分の命をなげうって得られる幸福など快斗も新一も認めない。
 本当に大事なものを幸福にするなら自らも生き抜かなければならないことを二人は知っていた。
 気持ちは消えず記憶は残ろうとも、残された者はこれからの記憶をひとりで背負わなければならないのだ。
 その苦しみを、二人は知っている。
 だから、彼の決断はどうしても納得できなかった。

 けれど、その怒りを上回る愛しさがあるから。


「親父が羨ましがるぐらい、人生満喫してやろうぜ」

「…そうだな」


 微笑を漏らす新一の頬に、快斗は掠めるように口付けた。


「――貴方たち、ここが公共の場だと言うことを忘れないで欲しいわね」


 と、地を這うような志保の声に、快斗がびくりと縮み上がる。
 新一はきょとんと目を瞬いた。


「なんで?なんか拙いことしたか?」

「…自覚ないの?それなら尚更勘弁してもらいたいわ」


 先が思い遣られる…と溜息を吐く志保に、紅子が肩を竦めてフォローした。


「無駄よ。彼、アメリカ育ちだもの。そこで縮み上がってる誰かさんと違って、下心なんて何にもないわ」

「…なるほど…」

「は?下心?」

「なんでもないのよ、気にしないで、工藤君」


 ほほほほ、と紅子の高笑いが車に響く。
 その遣り取りを傍聴していた白馬は苦笑を零し、そう言えば、と話題を変えた。


「組織の息が掛かっていたと思われる要人は、大体確保できたようですよ」

「へえ…随分手回しがいいな」

「あの御老人には、もともとFBIが目を付けていたんです」


 あの後押し込んできた警察によって、老人は逮捕された。
 と言ってもジンによって意識不明状態にされていたため、まず警察病院に運ばれたのだが。
 そして以前から彼をマークしていたFBIは、これ幸いとばかりに組織の一斉検挙に乗り出したのだった。

 当の老人は、いったいジンに何を打たれたのか、未だ意識不明の昏睡状態である。
 あれではジンのことは愚か、素顔を見られた新一や快斗のことも話せない。
 気紛れを起こしたジンが新一たちを庇ったのか、それとも自分のことを語られたくなかったのかはわからないが、これで警察やFBIに怪盗キッドと怪盗ロシアンブルーの正体が割れることはなくなった。
 彼らの懸念の最たるものがそれだっただけに少し拍子抜けした気分である。


「とにかくこれで君たちを狙う組織はほぼ壊滅したわけですが…」

「危険がなくなったわけではないわね」

 これからどうするつもり?


 志保が白馬の後を継ぎ、真剣味を帯びた眼差しをバックミラー越しに新一と快斗に向ける。
 すると彼らは、双子かと見紛う仕草で、シニカルな笑みを浮かべると……


「どうもこうも、俺たちは死ぬまで俺たちだろ?」


 迷いのないその言葉に、三人も似たような笑みを浮かべるのだった。






























「怪盗キッドを捕まえろ――!」



 今日も今日とて、中森警部の怒号が響き渡る。
 中森の指さす方へ、警官がどっと駆け出すが、その後方ではまた別の声が上がった。


「Rだ!ロシアンブルーが出たぞ――!」


 ヘリの照らすサーチライトに、ちらりと浮かぶ蒼い光。
 その光はまるで猫のような俊敏な動きで警官たちを揺動する。
 前方では白い鳥が空を駆け、後方では蒼い猫が地を駆ける。
 どちらを追おうと警官は誰ひとりとして彼らを確保できる者はおらず、次第に混乱してゆく現場に中森は苛立たしげに拳を握った。


「警部、見て下さい!奴らからメッセージカードが…」

「寄越せ!」


 部下から奪い取るようにメッセージカードを受け取ると、中森は大慌てでその文に目を通した。
 冷静さを欠いていた中森の表情にやがて落ち着きが戻ってくる。
 中森はカードを握りしめると、ずかずかと歩きながら言った。


「十名、わしについて来い!残りは引き続き奴らの――ダブルの追跡だ!」










 キュルキュルキュル……と、ワイヤーの巻かれる音とともに地に着いた新一は、ワイヤーもなしに同じく着地した快斗を振り返り、ニッと唇の端を持ち上げた。
 新一は顔の半分を覆う黒のサングラスとアッシュブルーのコート、快斗は白のタキシードにマントにシルクハット、そして右目を隠す片眼鏡。
 その姿は、今まさに日本を騒がす最も有名な犯罪者――
 怪盗ロシアンブルーと怪盗キッドそのものだった。

 足音を殺し並んで走りながら二人は小声で囁く。


「中森警部は気付いてくれるかな」

「大丈夫っしょ。暗号の解読なら普段から俺が鍛えてあげてるしv」


 へへ、と悪びれもなく笑う快斗に新一も笑うしかない。
 あのメッセージカードには今回の標的と、それを持主が不法に所持していたという証拠が保管されてある場所を、怪盗キッドお手製の暗号で記しておいた。
 保管方法には気を配っているし、遅くとも翌日には警察に発見されるだろうから、宝石を傷めることもない。

 パンドラを破壊するという目的を果たした今、快斗は新一とともに宝石たちの返還者として怪盗を続けていた。

 どういうわけか、灰姫の呪いが消えた後も石の声を聞けるという新一の不思議な力は消えなかった。
 それはおそらく新一が解放者の一族の中でも最も石の声に心を傾けていたからだろうと、先代解放者は言っていた。

 灰姫の叫びは解放者を苦しめる。
 しかしそれは、灰姫の叫びが訴えているものが解放への切望ではなく、解放者への警告だからなのだ。
 灰姫の叫びは永遠という苦しみに解放者を繋ぎ止めないための抵抗なのだ。

 けれど、たとえ永遠に囚われても、新一は灰姫とひとつになる道を選ぼうとした。
 永遠の孤独から逃れる術がなかったわけでもないのに、哀しみと憎しみから産まれた彼女を孤独から救うために、自らその術を放棄した。
 そんな新一だから、石たちの哀しい叫びにも魂が共鳴してしまうのだろう、と。

 新一はその能力を生かし不当に宝石を所持する連中を見つけだす。
 快斗は相変わらずのパフォーマンスで警察を誘き出す。
 そして――


「二人とも、早く乗って下さい!」


 キキッ、と回り込んできた車に、二人は停車する間も与えずに乗り込んだ。


「首尾は?」

「上々。うまくダミーに引っ掛かって、こちらには警察車両もヘリも一切来てないわ」

「プロテクトをかけておいたから、警察が見つけてくれるまでは宝石も安全よ」


 情報収集・処理の得意な志保はカタカタと携帯パソコンを弄り、赤魔術を操る紅子は膝の上に置いた何やら怪しげな魔法陣に手を翳している。
 そして相変わらず運転をしている白馬は、工事や検問の情報を書き込んだ地図を頭中に広げ、滞りなくタイヤを転がした。

 後部座席に収まった二人は、仕事着から私服へと着替えた。
 変装の得意な快斗はさすがに素早いが、マジシャンの早業のように一瞬で、とはいかない新一は、着替えと言うよりはサングラスを外しコートを脱いだだけである。
 黒のパンツに黒のハイネックという格好でも、冬も近いこの季節にはそう珍しくない。
 そうしてようやく一息ついた頃、安全運転を励行していた白馬が目的地を確認した。


「それでは仕事も終えたことですし、そろそろ展望レストランに向かいましょうか」


 各々から返される同意の声に、車は進路を米花センタービルへと向ける。
 今夜、その展望レストランは彼らとその共犯者たちの貸し切りだった。



 怪盗キッドと怪盗ロシアンブルー。
 彼らには何も変化はないが、彼らの周りには変化があった。

 志保、白馬、紅子を筆頭に、息子のためなら世界政府を敵に回そうが痛くも痒くもないという工藤夫妻と、志保の保護者であり工藤夫妻とも懇意にしている阿笠博士。
 それからもう一人――
 全てを知りながら全てを受け入れ、そして全てを見守っていてくれた快斗の母、黒羽夫人。

 彼らは今後、二人の怪盗の片棒を担ぐ共犯者として二人を支えてくれるのだと言う。

 永い永い間、新一も快斗もいつだってひとりで闘ってきた。
 けれど今、彼らはかつてのようにひとりではなかった。
 キッドとロシアンブルーは互いに手を取り、それを補佐してくれる仲間もいる。
 そのあまりに頼もしい顔ぶれに、快斗も新一も深く深く感謝した。

 そしてそんな彼らを呼ぶ周囲の呼称も自然と変化した。

 犯行現場に必ず落ちているメッセージカードに記されたマーク。
 まるで蝶のような、縦線を軸に対称になった「R」のマークを見て、マスコミは彼らのことをこう称した。



 二人で一人の怪盗紳士――「ダブル」と。





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このお話で、第三種接近遭遇及び「Double」の本編を終了とさせて頂きます。
……永い道程でした。ふう。
始まりは少なくとも一年以上前(←忘れた;)。
ですが、途中気にくわないところが多々ある割りに、終わりは(あくまで自分的には)すんなり終われたのではないかと思います。
当初予定していたストーリーはもう見る影もありませんが(苦)。
なにはともあれ、ここまでじっくりとお付き合い下さったお嬢さん方!
どうもどうも、本当に有り難う御座いましたvv
あなた方の声援と感想と激励がなければこのお話はありませんでした。
心からの感謝を込めてv

さて。
このお話の中での「灰姫」、つまるところパンドラの正体とは一体何なのか。
肝心のその説明は、欄外「exceptional contact」にて、盗一氏が語ってくれます。
あの、ものすっごくしょぼい上にどうでもいい(というかコナン的要素に少しも掠りもしない、むしろ快新にすら掠らないじゃん!という)話なので、
ちっとも全然期待できたものじゃございませんので!死
その点だけ誤りなきよう、お願いします<(_ _)>