瞬間、世界が一転した。

 落ちる暗闇。ざわめく室内。怒声が飛び交う中に感じる、冷涼な風。トンっという地を突くような音、続いて聞こえる微かな音は、金具が外されるのに似ていて。

 そして、戻った照明は照らし出す。

「キ、キッドっ!!」

 中森警部の叫びに、キッドはクっと口角を持ち上げた。手中に輝く青い光に、唇を近づけ。中森警部の向こう、並んでいる警官らを通り越し。

 奥の一角に、目を細めて笑う。

「姫君は、私が頂いていきますね―――?」







(さて。それはどうかな?)

 キッドが室内から去った後、ゆらりと影が動くように、身体を壁から起こし。

「中森警部」

 壁に控えていた新一が口を開いた。
















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月が沈んで太陽が昇るまで
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 闇夜に浮かぶ真白い光。天空に煌々と輝く月は、今夜も変わらぬ美しさを湛えている。時間帯からして、地上の人工的な光はほんの少し散在しているだけであるから、その美しさは常より素晴らしいかもしれない。

(―――いや、今日は特にか?)

 クツクツと笑いながら、新一はこちらに背を向けて空を仰いでいるキッドに声をかけた。

「なあ、キッド」

 ソレは、お前の望むものか?

「―――――名探偵」

 少し、疲れを滲ませたような声。振り向いたキッドは、ふぅと息を吐いて天に掲げていた腕を下ろし、中を新一に見せるように手を開いた。

「コレは、一体?」

「なかなか上手くできてるだろ? 俺のお手製だ」

 新一は先程から笑みを零し続けている。ゆっくりと、キッドに向かって歩く。近づいてみれば分かる、ポーカーフェイスの得意な怪盗が、憮然とした表情を浮かべていることが。

 ああ、笑いが止まらない。

「今回は、俺の勝ちだな?」

「―――ええ、そのようですね」

 諦めと悔しさを隠そうとしない、キッド。新一は、彼の首に腕を伸ばして絡め。

「本物は、仕方ねぇから後で渡してやるよ。だから―――」

 今は、賭けの景品を。

 甘い吐息混じりの、囁き。キッドは軽く新一を抱き寄せ、薄く開かれた魅惑の唇に、自分のものを重ねた。





 賭けを、しないか――――?

 持ち掛けたのは、新一。度重なる屋上での相対の、何度目かの時に誘いかけた。新一が現場に立ち会う時において、見事宝石を盗み出せたならば、キッドの勝ち。防ぐことができたならば、新一の勝ち。

 そして。

 賭けには、それ相応の景品を。

 キッドが望んだものは『情報』。組織の、またはパンドラの情報。

 新一が望んだものは――――





「…………ッん、ハァ」

 与えられた熱に力が抜けて、足元から崩れ落ちていく。しがみ付けばキッドは抱き留めてくれるが、離れた唇は、もう落ちてくる気配はない。

 妖しく濡れる紅、そのまま視線を彼の目に向けてみれば。

(――――まだ、か)

 落胆せざるを得ない。

 内に秘めた輝きを映し出してはいても、新一の望む色は、微かしか見ることができない。自分はこんなにも彼を欲しているのに、彼の頭にはまだ別のものが占めている。悔しさに、下から睨付けてやると。

「………そんなふうに睨まれましても。可愛いさだけしか感じませんよ、名探偵?」

「言ってろ」

 ふぃと顔を背ければ、キッドから小さな笑いが洩れた。

 キッドの気配は、今は優しさだけしか感じられない。現場にいる時とは全く違うもの。中継先に探が割り込んで来た時も、彼はそんな風に笑わない。これはたぶん、2人きりの時だけ。だから、少なくとも彼にとって、自分は特別な存在ではあるのだろう。

 それを嬉しく思っているのに。

「さて。宝石を、見せて頂けませんか?」

 このオトコには、やはりそれしかないのだ。

 地べたに座っている新一に、キッドは跪いて覗き込むように言う。しかし、新一は全く反応を示さない。キッドが、「名探偵?」と怪訝な声をかけると。

「――――新一」

「………え?」

「『新一』って、呼べよ」

 そしたら、渡してやるから。

「………名探偵」

「新一」

「名探偵、私は―――」

「新一」

「名探偵」

「『新一』って呼べ 、キッド」

 キッドは、小さく息を吐いて。

「お願いですから―――私に、宝石を見せて下さい、名探偵」

 口から出る名前が、変わらず『名探偵』であることに、胸が重くなる。だが、懇願されてしまったら、これ以上我侭は言えない。困らせたいわけではないのだ。新一は、仕方なく宝石を彼に手渡した。

 キッドは新一に礼を言って立ち上がる。数歩離れ、背を向けて空へと宝石を掲げた。

 しばしの沈黙。そして。

 落胆。

 下ろされた腕に、力強さを感じられない。それでも、ピンと伸ばされた背筋は、彼の気高さを表しているようで。

 却ってそれが、酷く、寂しかった。





「…………賭けを―――しないか?」

 ふいに、新一が口を開く。

 キッドは、まだこちらを振り向かない。

「俺が、お前より先に」

 パンドラを手に入れたら。

「お前は、俺の―――」






「新一」

 振り向いたキッド。新一を、鋭い眼光が射抜く。

 ああ、卑怯だ。

 彼は、こんなにも、自分を簡単に屈する術を知っている。新一は、顔が歪むのを抑え切れなかった。

「―――ここから先は、私だけの『領域』です」

 名前を呼ばれたことへの歓喜は、確かにある。

「誰にも。貴方にも、踏み込ませません」

 でも、どこまでも大きな壁は、絶望だけしかなくて。

「お願いです。どうか、分かって下さい」

 分かりたくなんかない。

 お前の気持ちなん―――

「私は―――貴方を、巻き込みたくないのです」

 途端、ふわりと暖かな体温に包まれて。

(……………え?)















 鳥が飛び立ってしまえば、屋上には冷たい静寂しか残らない。何となく、時計を見る。朝刊は、既に配られている頃だろう。

 どうせ、今日は学校も休み。だから、ちゃんと朝が来るまでは、残っているのいいかもしれない。新一はその場に寝転び、腕を組んで頭を乗せた。

 背中が少し痛いのは、まあ、我慢すればいいか。


<巻き込めば、きっと傷付くことを避けられない。私は、それが怖いのです>


「何怖がってんだよ。巻き込んじまえよ」


<もし、貴方に何かあったら………私は、生きる希望を失うことになります>


「それは、俺のセリフだって」


<終わる刻を待っているのは、貴方だけではありません。私も、きっと貴方と同じ想いを抱いている>

<ですから、貴方さえ良ければ>

<私を、待っていて下さいませんか―――?>


「仕方ねぇから。待っていてやるからさ」

 だから、早く俺に堕ちてこいよ? 今はまだ暗い、彼の瞳に似た薄紫色の空に、新一は手をかざした。

 指先を掠める、淡い橙色の光。

 太陽が昇ってくるまで、あと、少し。






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[ 月の織りなす物語 ] の海月さまから地雷品を頂いて来てしまいましたvv
待った甲斐がありましたよぉ〜〜!!(←握り拳/笑)
有り難う御座います!地雷だというのに、こんな素敵な話もらってしまって良いんでしょうか(*´∀`*)
すんごく積極的な新一さんがかなりツボでしたv
もうキッドが好きで好きで…という気持ちが伝わってきました。
キッドにしても、自分の領域への侵入を拒絶してるのに「待ってて欲しい」だなんて…
理想です。こんな風に切な的かつカッコイイふたり。
新一の「巻き込んじまえよ」の台詞が格好良くて切なくて哀しくて…ぐっときました。
海月さま、どうも有り難う御座いました!大事に愛でさせて頂きますねvv



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