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新しい邂逅
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「好きです」
 そう言って手を伸ばしてきた白い鳥。
「オレも、好き」
 伸ばされたその手を取ったのは、誰でもないオレの意思。






「――今晩は、名探偵」
 いつもそう言って新一の部屋に降り立つ、きっとこの世界で1番月が似合う男。
 新一は読んでいた小説をベッドサイドに置き、ベッドから降りながら怪盗に問い掛けた。
「今日は遅かったな。何かあったのか?」
 後ろからKIDがついてくるのは分かっているからドアは開けたまま階段へと歩く。
 これまで彼がやってきた時と同じように、リビングでコーヒーを飲みながら話をするために。
「ちょっとね、黒い人達と遊んできた。大したことないよ」
 部屋から出た途端にシルクハットとマントは消えている。
 それと同時に口調まで砕けたそれに変わるのにももう慣れた。
 しかし「大丈夫か?」と心配させる間もないKID――恋人のセリフには、毎回のこととはいえ不満を感じない訳にはいかない。
 ──大丈夫。
 いつも彼はそう言うけれど、そう言って微笑うけれど。
 それがこれからもずっと続くとは限らないのだから。
 たまたま今までは大丈夫だったけれど、これからも大丈夫だとは決して言えない。
 寧ろ客観的に考えれば、いつか「大丈夫」じゃなくなる日が来る確率の方が高いのだ。
「……どこも怪我してないか?」
 だから結局新一は口にしてしまう。
 聞いても聞かなくても結果は変わらない、ただの自己満足のそれを。
「うん、大丈夫」
 ニッコリ笑った彼の「真実」は見えないままだと分かっていても。






 キッチンでコーヒーを入れるのは新一の役目。
 いつの間にかできてしまった不文律。
 上手に淹れられたコーヒーに小さく口端を持ち上げて、恋人用のにはミルクと砂糖をたっぷり注いだ。
「ほら」
 両手に持ったまま恋人がいるリビングのソファに向かう。
「ありがと」
 白い上着を脱いでソファに放り赤いネクタイを緩めて寛いでいるのも、もう数え切れないくらい見た光景。
 そしてしばらくの間2人コーヒーを啜って。
「――なぁ」
 切り出すのは大抵新一の方。
「ん、何?」
 軽い口調で問い返す彼だって、本当は次に続く言葉を分かっていない筈はないのに。
「今日もハズレ?」
「…うん」
 苦笑した恋人に、「そっか」とだけ呟いて。
 少しだけホッとしてしまう自分に罪悪感を持ちながらも、安心してしまうのを止められなかった。
――大丈夫。まだ彼はここにいる。どこかに飛んで行ってはしまわない。
 呪文のように心で呟いて平穏を計る。
 いつか終わってしまう現実に目を背けるなんて自分らしくないと分かってはいても。












 そして、いつものように。
「……今晩は、名探偵」
 新一の部屋の窓に彼がやって来て。
「……遅かったな」
 いつものように、は、聞けなかった。
 KIDが現れただけでその空間がキンと澄んだ冷涼な空気に変わるのはいつものことだったけれど、今日のそれはもっと頑なだった。
 だから新一には「何かあったのか?」なんて聞けなかった。
 聞いてしまったらこの時間が終わってしまうと解っていたから。
 尤も遅かれ早かれ2人の逢瀬の終焉は今宵KIDによってもたらされるのだろう。
「――コーヒー淹れるな」
 いつもは言わずもがなの言葉を告げて新一は部屋を逃げ出した。
 行動はともかく気持ち的には逃げたと言うのが1番相応しいだろう。
 そう、逃げたのだ。
 彼の言葉から。
 少しでも長くこの時間を引き延ばすために。
 もう分かっているこの後にくるだろう展開を思いつつも泣けない自分に、その代わりとばかりに新一は口端にキュッと力を込めた。




「……ほら」
 コーヒーカップを渡す時になって初めて、今日の彼はいつもと違うことに気づいた。
 いや、雰囲気が違っていることはとうに知れていた。
 けれどいつもならここに来る時には消えているマントはそのままで、上着もネクタイも乱れたところはない。
 辛うじてシルクハットは消えていたが、他の相違点だけで充分だ。
 ああ、と新一は思った。
 このKIDの姿を見るまでは一縷の望みを持っていたのに。
 もしかしたら何か突発的な事項で機嫌が悪いだけなのではないかとか、心の中にほんのひとひらだけ残っていた新一の希望を、KIDは口すら開かずに粉々に砕いたのだ。
「……話があります」
 コーヒーカップを受け取りはしたものの口も付けずにローテーブルに置き、心そのままにKIDは口を開く。
 躊躇えば躊躇うだけ言い出しにくくなることがKIDには分かっていたから。
 だからその瞳は真剣で、桔梗色の双眸から放たれる強い光が新一を貫いた。
「……何だ」
 促したくなかったけれど、そうできない自分を恨めしく思う。
 新一はこんな時でも容赦ない恋人を心の中でだけ罵倒して、一口だけ飲んだカップをKIDと同じようにテーブルに置く。
「……これで、私がこちらにお邪魔するのは最後になるかと思われます」
――ああ、やっぱり……。
 そう思ったけれど表情は変えずに、新一は恋人と視線を合わせた。
 だって少しでも傷ついたり哀しそうだったり、……そんな表情を見せたら目の前の彼はきっと哀しむから。
 その代わり両手を握り締めることだけは許して欲しい。
 きっとそれにも彼は気づくかもしれないけれど、それくらいは許してもらわないと心の箍が外れてしまいそうだから。
 彼を詰ってしまいそうだから。
「……見つかったのか?」
 何が、とは聞かない。
 そんなのは分かりきっているから。
「はい」
 簡潔に答えてKIDはポケットからハンカチに包まれた今日の獲物を取り出す。
 白いハンカチの中から姿を現したのは握りこぶしほどのサファイヤだった。
 これのせいで――彼は自分の前からいなくなる。けれど、それでようやく彼はKIDから解放される。
何処か他人事のように新一は思った。






「見てもいいか?」
 伺うように見つめる新一にKIDは微かに頷いた。
 そして窓へと向かう新一の後姿をぼんやりと見つめる。
 細く華奢な姿態。
 抱き寄せればすっぽりと自分の腕に収まる。
 いつも何も言わずに自分を待っていてくれる彼。
 そんな彼の存在だけで何度自分は救われたことだろう。
 思い出しかけてKIDは軽く頭を振った。
今そんなことを思い出せば、今宵愛しい恋人に別離を告げられなくなりそうだったから。
「ああ……」
 ふと漏らされた声に我に返り窓の方を見遣ると、恋人はいつも自分がやるように月へとジュエルを掲げていた。
 居待月の今夜、それでも充分に明るい月光。
 その中にKIDの探していたものを認めたのだろう、新一は少しそれを見つめた後静かに腕を下ろした。
 ――ゆっくりと戻ってくる彼が一言、赤い光など見えなかったと言えば。
 そう考えたことがなかったといえば嘘になる。
 けれど彼は言わないし、自分もそれを望んではいけないのだ。
「……本当にあったんだな」
 いつの間にかソファの向かい側に座った新一がジュエルを差し出してきているのに気づいて、KIDは慌ててそれを受け取った。
「ええ、私も実際に目にするまでは半信半疑でしたが」
 それでも見つけてしまったのだ、行かなくてはならない。
 分かっているからこそ2人は次の言葉を見つけられなかった。






「新一」
 この空気が壊れるのを恐れるように、静かにKIDは呼びかけた。
「何?」
「・・・・・・貴方を、抱いてもいいですか」
 囁くようにもたらされた言葉に新一はピクリと体を震わせた。
 いつもそんなことを言わないのに。
 本当に最後なのだと、もう会えないのだと言っているように感じて、哀しい以上に無性に悔しい。
「KIDじゃなくて、『オマエ』が抱いてくれるなら」
 だから。
 KIDがこれを最後だというなら、新一だって「最後」の我侭を言う。
 KIDじゃない『オマエ』を教えて欲しいと。












「し、んいちっ」
 腕の中で嬌声を上げる細い姿態を抱き締めて、快斗は恋人を喰らう動きを速くした。
「やっ、もぅ…!」
 涙を流しながら背中に爪を立てる新一を見るのは、きっとこれで最後。
 だから思う存分優しくして、甘やかして。
 自分の存在を埋め込んでいこう。
「あぁっ、かい、とっ…!――っか、しく・・・なるっ!」
 虚ろな視線は何処を彷徨っているのか、快楽の波に飲み込まれた恋人はいつもなら決して口にしないような殺し文句を言う。
 ――言葉で人を殺せるなら。
 そうしたら自分は喜んで今の新一に殉ずるのに。
 泣きたいくらいに愛しい。
 実際に泣けない自分の代わりにと言わんばかりに涙を流す恋人を、今だけはと全てを忘れて快斗は追い詰めていった。








「快斗」
 シャワーを浴びてKIDの衣装を着けていると、掠れた声がベッドからした。
 濃密な情交の後、いつもは何も言わずにKIDを放す新一が恋人に声をかけた。
 もう相手は夜を駆ける怪盗の姿になっていたけれど、敢えて恋人の「名前」を呼んで。
「何、新一?」
 その心の動きが哀しいくらいに解って、KID――快斗は応じるように名を呼んだ。
 すると痛むだろう体をゆっくりと動かして、新一はベッドから身を起こす。
「大丈夫か?」
 慌てて近寄ると「ヘーキ」と小さく呟いて、快斗へと向き直った。
 ベッドに腰掛けて、辛うじて下半身はシーツを引っ掛けている。
 そんな状態なのに新一の瞳の美しさといったら。
 快斗は唐突に笑い出したい気持ちになった。
 先程まであんなに蹂躙した恋人は、それでもこんなに綺麗な眼差しを失わないのだ。
 まるで自分にはオマエの存在は埋め込ませないと宣言するように。
 そう思うととても遣る瀬無い。
「快斗、ひとつだけ言っておく」
 真剣な表情と真剣な声で。
 宣言した名探偵に白き怪盗は声もなく魅入られた。
「オマエにこれを言うのは本当は卑怯なのかもしれない。酷い裏切りかもしれない。でもっ……」
 言うごとに俯いていった顔がパッと上げられて、綺麗な蒼と視線が合った。
「何……?」
 ゴクリと喉を鳴らして快斗は先を促した。
 仮令突き付けられるのが最後通牒であったとしても、自分にはそれを受け止める義務があるのだから、と。
 けれど彼の恋人はそんな快斗の覚悟すらもあっさりと飛び越えてしまうのだ。
 それはもう綺麗な微笑と共に。
「オレは快斗を愛してる。そして、……オマエを待っているから」
 真っ直ぐな視線、真っ直ぐな言葉。そして、真っ直ぐすぎる意思。
 自ら『オマエを刻み込む』と言ってくれる、……愛しい人。
 ――もう駄目だ。
 彼に不可能はない筈の、平成の大怪盗は初めて降伏した。
 ガバリと目の前の恋人を抱き締めると、ギュッと力を込める。
「愛してる、愛している、愛してるっ!……新一を愛してるっ!!」
 想いが迸るように言葉を紡ぐ。
 こんな陳腐な単語でしかこの胸の裡を伝えられないのかと歯噛みしたくなるが、それでもこの気持ちを伝えるのに1番マシな単語で。
 手垢の付いたような言葉だけれど、やはり胸に浮かぶのは「愛してる」の一言だったのだ。






「絶対に、帰ってくるから」
 ――それまで待っていて。
 激情のままに深く溶け合うようなキスを繰り返して。
 それでも名残惜しげに離れた2人は、ひとつの誓約を交わした。
 終わってしまうこの関係を惜しまず、2人の新しい未来を約するために。
 ……今度は陽の光の下で出逢うために。












――――3ヵ月後。
ここ数日で1番という穏やかな晴れた休日の午後。
米花町でも有数のお屋敷である工藤邸の玄関に、その家の若き主と似通った容貌の少年が訪ねてきた。
「――快斗っ!!」
ドアを開けた途端、家主が初対面の筈のその少年に飛びついたことは、2人と遍く人々を照らす太陽だけの秘密なのかもしれない。
……そして2人は、再び新しい出逢いを歩み始めた。
















TOP

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しーのさんのコメント▼

本当は服着てる新一と、KIDにしようと頑張ったのですが、どうにも服を着てくれませんでした(汗)。
どうしてもあの幸せそうな/寂しげな新一をHappyEndingにしてあげたくて、…はちゃめちゃなお話で申し訳ありません。。。
因みにまだHPからリンクさせていませんのでご安心下さい。(そもそも、快新のページも未だないのですが/汗)
とにもかくにも読んで下さってありがとうございました。(←と、読まれたか分かりませんが、書いてみます。)


……ということで、2作目の快新でした。

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▼管理人のコメント

しーのさんから強奪したご好意で頂いた小説で御座います!
なななんと、厚かましくもバックに飾らせて頂いた私のヘタレ絵を見て書いて下さったとのことで…
もともと絵描きさんだった私としては身に余る光栄なのですvv
自分のイラストに文字をつけてもらえるなんて嬉しすぎです!!
ほんとにほんとぉーっに、どうも有り難う御座いましたvvv
無事快斗くんも帰ってくることができたようで、私もホッと一安心です。
やっぱり彼らにはハッピーエンドになって欲しいですから(´∀`)