自覚のない溜め息は重症だと、新一は自覚のある溜め息を吐いた。
「俺、そんなに溜め息吐いてた?」
「ええ。体中の空気がなくなるんじゃないかと心配なほど」
本当に心配しているのか疑いたくなるほど冷めた口調で、志保が頷く。志保の指摘により、新一は自分が朝から何度も溜め息を吐いていたらしいと知った。
聡い幼馴染みは溜め息の理由をきっと知っているだろうと思うと、彼女の顔を正視できなくて、新一は窓の外の風景に目を移す。
学食は省エネのため、採光を考えて窓が多い。そこから見ることのできるキャンパスは、この学校の自慢の一つである。小さいが英国式のシンメトリーに剪定された庭園や、歩く者たちにに良い具合に影を落とす木立。ガラス越しでも勢いを増す初夏の緑は目にまぶしい。
この季節はもともと好きだった。一番空の青が綺麗だし、青さを増す緑と、爽やかな風。すべてが気持ちいい。
そして、1年前からは特別な意味を持つ季節。
だが、その「特別」こそ、今新一を悩ましているのだ。
新一は顔は動かさず、ちろりと目だけで志保を見る。志保はもう新一の溜め息から興味が失せたように、今月号のネイチャーを目で追っている。
溜め息の原因がばれているなら、いっそ相談してみようか。
しかし、知られていると推測するのと、自分から打ち明けるのとでは話は別だ。自分から口にするのは、新一の性格上困難なことなのだ。
殊、恋愛関係はに非常に奥手で、なおかつ自分の感情を表すことに多大な照れを伴ってしまうから。
だが、このまま一人でぐずぐずしていたのでは埒があかない。やはりここは思い切って……。
何気ない様子を装うため、新一は首を固定し、窓の外を眺めたまま口を開いた。
……が、半端ではない照れが邪魔をして声を出すことができない。目的を達成することができず、敢え無く口は閉ざされてしまった。
それでも、ここで志保に助言を仰げなければ、時間を無駄に消費するだけだ。
もう一度、新一は気合を入れなおし口を開く。
が、やはり最初の一言を音にするための莫大な勇気には、決意が少し足りなかったようだ。
再び口が閉じてしまう。
でも、でもこのままでは……
口をぱくぱくと閉じたり開いたり、真剣な顔でしている新一を雑誌を読むフリをして志保は観察していた。
新一のその容貌が整っていて、文句のつけようがなく美しいため、頬を染めながらするその仕草と美貌とのギャップが笑いを誘う。
容姿は「美しい」「綺麗」「美人」と評される彼だが、その中身は「かわいい」の一言に尽きるというのは、新一を見守る者たちの一致した意見だ。そう、彼は見守らずにはおれない。
ちなみに見守る者というのは、ようするに、彼の周囲全体である。
彼の恋人は周囲が彼をかまうことを、心の中では苦々しく思っている。このため、彼をその腕の中に収めた報復として、周りのものは余計ムキになって新一にかまっている。
志保は新一のかわいい仕草を堪能すると、漸く助けを出してやる。
「そういえば、もうすぐ1年ね。
彼に何かしてあげるの?」
新一は瞬間、顔全体を染めたかと思うと、ほっとした顔に照れやふがいなさを滲ませたなんとも複雑な表情をしたが、すかさず志保の差し向けた舟に乗ることにした。
「それなんだけど……、実は」
こうして新一はここ数日悩んだ問題の解決に至った。
「ただいま」
「おかえり」
快斗が新一と暮らす部屋に戻ると、滅多にないことに新一が玄関まで出迎えに来た。しかも笑顔つき。その笑顔たるや、世界中の花という花も白旗を振る可憐さ。
快斗はとっさに手で口元を覆って横を向く。
――――鼻血出そ
それを首を傾げて不思議そうに見る新一の凶暴なまでの可愛さに、快斗はダウン寸前(いや、実際すでにT.K.O.だけどね)。
立ち直ろうと必死の快斗は、ばくばくと鳴る心臓を敢えて無視し、話題を探す。
「あれ、いい匂い」
「あ……。うん」
快斗の発言に、新一は照れながら頷いた。その可憐さはいまや絶滅寸前の乙女である。
快斗を促し、新一はダイニングに入る。
新一の後に続いて入った快斗はその光景に目を見張る。なぜなら、ダイニングテーブルの上にはすでにディナーの準備が整っていたからだ。
シーザーサラダとペペロンチーノ、それにコンソメスープ。
ディナーと呼ぶには些か力不足な気もするが、りっぱな食卓となっていた。
今日は快斗と新一が「恋人」とくくられる関係になって1年目の記念日。
普段素直になれないことを申し訳なく思っている新一は、恥ずかしくても今日だけは我慢して、快斗に対して素直になりたいと考えたのだった。何か、気持ちを伝える方法はないものかと。
そこで考えたのが手料理。
同棲し始めて半年。実は一度も新一がキッチンに立ったことはない。(厳密に言えば、コーヒーを淹れるとき意外は、である) 毎朝毎晩の食事は相談するまでもなく快斗の担当となっていた。
これは快斗が新一に炊事をさせて新一の手が荒れる懸念のもと、そうなるように仕組んだことだと知らない新一は、「快斗に手料理を作ってあげる」という母の日的発想に思い至ったのだった。
だが、実は生まれてこのかた、料理など一度もしたことがない。悩んでいたところ、志保のアドヴァイスにより、今日のメニューが決定された。パスタなら簡単だろうと。
快斗は得意そうに笑う新一への想いが抑えられなくて、その場で新一を抱きしめる。
いつもなら顔を真っ赤にして抵抗する新一だが、今日は抵抗しない。それどころか、おずおずとではあるが、腕を上げ、自らも快斗の背中に手を回した。
――――今日は記念日だから……
そんな想いが新一を素直にさせる。意地っ張りな新一だから、素直になるにも理由が要る。
快斗はいつだって知っている。いつもの抵抗だって、本当は本気でないことくらい。そのうち諦めたフリで快斗のしたいようにさせてくれるけど、偶にはこんな風に最初から抱き合うのもいい。
結局、快斗はどんな新一だって新一である限り愛しいことにかわりない。
快斗は少し体を離して、新一の左手を持ち上げた。
白い甲には小さな赤い跡があった。それはスパゲッティの湯切りの際、はねたお湯で負った火傷。
まるで自分の傷であるかのように快斗は痛そうに顔をしかめた跡、優しく唇をつけた。そうすることでその傷が癒えるとでもいうように。
そして、両手で新一の手を包んで放したとき、新一の左手薬指には指輪がはまっていた。
白金の輝くそれは、若者のするようなファッションリングではなく、繊細な細工の入った細いもの。
快斗が翳した快斗の左手薬指にも、同じデザインの指輪がされていた。
「……それって」
吃驚して言葉のでない新一に、快斗は口角をあげて笑って見せた。いたずらっ子のように。
「これからも、毎年こうやってお祝いしようね」
嬉しいときも、哀しいときも。
笑うときも、泣くときも。
喧嘩して、凹んだときだって。
いつも君がそばにいてくれる夢のような日々。
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たまきさまのコメント▼
改めまして、1周年おめでとうございます。
クロキさまのサイトB104を知ってからは皆勤賞でも取れるのではないかというほど通わせていただいております。
いつも楽しませていただいているお礼がしたいと思ったのですが……
いきなりこんなヘタレ小説を贈ってはたしてお礼になっているのでしょうか(なってないですね、はい)
1周年に絡めて書いてみたんですが……惨敗!!
最近、もどかしい恋愛を書くのに嵌っているため、久しぶりに書いた「出来上がっている二人」で、
私的には書いてて楽しかったのですが、私が楽しくってどうするよ(泣)
お気に召されない場合はつき返すなり、廃棄されるなりお好きになさってvv(←爆)
ということで、大好きなクロキさまとB104への奉納小説でした。
これからもがんばってください。
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▼管理人のコメント
[ AAA ]のたまきさまより頂いてしまいました、素敵小説です!!
1周年祝いということで、本当にどうも有り難う御座いましたv(>_<)v
まさかこんな風に祝って頂けるとは思っていなかったので、すっごくすっごく嬉しいです!
このお話で何が素敵って、志保ちゃんと新一さんです。もう、志保ちゃん大好きvv
ていうかなんでそんなに可愛いんだ、新一ったらもうvv
何かを口にしようとして、言葉に出来ずに閉じてしまう。そのパクパクする仕草って可愛くて、大好き!
そして新一の心の葛藤を知っていながらちょっと遊んでみる志保ちゃん…v
でも、結局は助け船を出してあげちゃうあたり、新一大好きなお姉さまですね(笑)
快斗の「鼻血でそ」のひと言に大爆笑&ノックダウンでしたvv
(何より笑わせて頂いたのは「絶滅寸前の乙女」です/笑)
日常の些細な幸せ、というのが大好きな私には生唾ものでした。
たまきさん、本当にどうも有り難う御座いましたーvv
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