あんまりだ。 そう思っても、誰も文句は言えないと思う。
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あの声で・・・
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【side:新一】
今日も今日とて、事件に呼び出され見事解決した新一は、疲れきって帰ってきた。 誰も応えるものがいないのに「ただいま」というのは億劫で、無言のままリビングへ行こうとして・・・・・・そこで異変に気づいた。 微妙に玄関の物の配置が変わっているのだ。 この程度の移動ならば、普通の人にはわからないだろが・・・・・・新一は職業柄、その手のことには異様に敏感だった。
疲れてどんよりとしていた新一の雰囲気は一変した。 口元には不敵で、そのくせ楽しそうな笑み。
例の組織の残党が忍び込んだのなら、その気配があるはずだが・・・・・・何も感じない。 ということは、要するに・・・・・・泥棒である。
「ふん・・・・・・うちに入り込めるたあ、いい腕してるじゃないか」
確かに。この工藤邸に侵入するとなれば、かなりの技術がいる。 鍵は防犯の最先端・欧米でも有名なドイツの某メイカー特注品の特殊な鍵だし、窓ガラスも防弾ガラスを使用している。 赤外線によるセンサーまで取り付けてあり、解除用パスワード入力しないとセンサーが切れることはない。
――親馬鹿というか、金に糸目をつけない工藤夫妻は、新一が無事に「新一」に戻れた際に、彼に万全のセキュリティーシステムをプレゼントしたのだ。
まあ、多少古臭くともこれほどの豪邸だ。 危険を少々冒しても、いいものにありつけると踏んだのかもしれない。 だが、この家の場合、家自体のセキュリティーを回避してもその住人までも完全に回避するのは、ほぼ不可能のであった。
――なにしろ、「平成のホームズ」のお宅である。
(今日の事件、犯人は情けないしトリックはいまいちだし・・・・・・まあ、被害者が無事だったのは良かったけど・・・・・・はっきり言って事情聴取だけで疲れたようなもんだったし・・・・・・)
結論。いい退屈しのぎ・・・・・・もとい、いいストレス解消・・・・・・もとい、・・・・・・ 結局いい言い訳が出てこなかったらしい。 とにかく楽しめそうだと、新一はるんるん気分で用意を始めた。
じっと息を殺していると、2階で気配が動いているのがわかった。 とりあえず、1階は大丈夫のようだ。念のため、リビングのソファー下に隠してある改良型麻酔銃を取り出す。
これは時計型ではなく、本物の銃とそっくりにできている。モデルガンなどとは違い、重さといい質感といい、本物との見分けは困難である。 たいていの泥棒はこれを見れば、慌てふためいて逃げるだろう。 形は「ワルサーPPK/S」。007のジェームズ・ボンドの愛銃である。
全くの余談だが、この型を薦めたのは有紀子で、本当は新一自身は「ワルサーPKK/S」があまり好きではない。 どうせ同じ小型銃なら「グロック19」の方が好きだし、形そのもので見ればミーハー趣味だが「ベレッタM92」の方が優美だと思う。 それに何より、この「ワルサーPKK/S」は「メモリーズ・エッグ」事件の青蘭が使っていた銃だ。 ・・・・・・あまりいい思い出がないのだ。
あの事件で、唯一いい印象を残している出来事は、あの気障な怪盗とのやり取りだけだろう。 独特の緊張感。 手加減なしの言葉のキャッチボール。 相手の思考を読む快感。
新一はふっと息を吐き出す。 思い出しただけでちょっと背中がぞくぞくする。 できることなら、もう一度渡り合いたいぐらいだが・・・・・・ 無理だろうな。と思う。 正確には、勝負はしたいが邪魔はしたくないのだ。
彼が、何かを懸命に探しているのを知っている。 それが何か解らないが、たった一人で組織を相手にしているその姿は、自分を思い出させる。 新一にはまだ信頼できる仲間がいた。 けれど、彼にはいるのだろうか? いるとしても、たぶん少人数だろう。 新一のように警察を味方につけることもできない。
そうして、必死に何かを――自分の欲のためではなく――成し遂げようとしている人を、邪魔するのは嫌なのだ。
麻酔弾が装填されているのを確認して、足音を殺して2階に上がる。
どうせ泥棒なら、あの怪盗ほどとは行かなくてもある程度楽しませてもらいたいものだ。 そんなことを考えながら、気配を探る。 かなり上手く気配が消えている。これは少し梃子摺るかもしれない。 ・・・・・・追い出すのに、ではなく、相手を無傷で捕まえるのに、だ。
(・・・・・・ふうむ)
新一は安全だと思われる場所で一度足を止め、ある場所に手を伸ばした。
この家のいたるところに隠してある・・・・・・セキュリティーシステムの操作パネルだ。 見た目では全くわからないが、そっと触って横にずらせば何もなかった壁に、最新式の小型モニタが現れる。 それを操作すれば、音も立てずにセキュリティーパターンが変化する。
新一はぺろりと唇を舐めると、ゆっくりと足を進めた。 目指すは・・・・・・2階中央。もっとも大きなスペースをとっている書斎。 たぶん、いるならそこだと、新一は確信していた。
ここまで来ても逃げる気配がないということは、新一の帰宅に気づいていないか、気づいるが逃げないのか、どちらかである。 しかし、ここまで見事に気配を消し、さらには万全のセキュリティーをクリアできるような奴が新一の帰宅に気づかないのもおかしい。 ならば、結論としては後者。 隠れるのなら、私邸としては多すぎる客室に隠れてもいいのだが、明らかに普段使われていない場所だ。下手に忍び込むと、ドアが軋んだり埃が動いたりして、自分がここにいると宣言しているような事態になりかねない。 ならば普段使っている場所に隠れるだろうか? それもしないだろう。普段使っているところなら、いつ住人が入ってきてもおかしくないからだ。
では、どうして泥棒は逃げないのだろう。 ――誘っているのではないか。 新一の結論はそこに至る。 ならば、広く動きやすい書斎を選ぶのは道理だ。
それに・・・・・・
(2階で金目の物がありそうなのは、書斎か母さんの衣裳部屋ぐらいだからな)
両親の寝室は綺麗に片付いてしまっているし、新一の私室にはあまり目ぼしいものはないだろう。 書斎には貴重な本や優作が趣味で集めた資料がある。その中には、時価●千万円というものも平気で置いてあるのだ。 そして、有紀子の衣裳部屋には宝石の類が置いてある。
先程の操作パネルは工藤夫妻の寝室の前に設置されたものだったが、その扉には開閉された形跡はなかった。 有紀子の衣裳部屋に行くには、その寝室に入らなければならないから・・・・・・ 必然的に、泥棒が潜伏しているのは書斎だろうということになる。
ここまで思考するのに、数秒とかからない。 そろり、そろり、と足を進め・・・・・・書斎の扉の前で止まる。
呼吸、ひとつ。
勢いよくその重厚な扉を開けて、横によけて一呼吸の間を空ける。 中からの攻撃がないことを確かめた後、開け放った扉の前で銃を構えた。
「動くな!」
と、叫ぶつもりだったのだが、口からは「う」という音しか出なかった。
扉の真正面。 書斎の大きな机の上に、ちょっと驚いた顔をして・・・・・・怪盗キッドがいた。
こっちを見てる。 当然だ。
キッドは「あ〜」とか何とか、意味不明の声を発してから、てへっと笑った。 新一はその、今までのイメージとは全く合わない仕草に驚く。
「えっと、お久しぶり〜、名探偵♪」
ちょっと手を上げて挨拶した怪盗は、新一には考えらないほど・・・・・・軽かった。
【side:快斗】
そもそも快斗が工藤邸に忍び込もうと思った理由は、工藤優作氏にあった。
例の「秘密基地」をごそごそと整理しているときに、優作が盗一に送ったらしい手紙が出てきたのだ。 そこには、多分盗一がキッドとして狙ったであろう宝石の情報がぎっしりと書かれていた。
この手紙、実は数ヶ月前に見つけてあったのだが、その贈り主が工藤優作であることを突き止めるのに時間かかったのだ。
どうして工藤優作――探偵もやっている推理小説家から、怪盗キッド宛にこんな手紙が届くのか・・・・・・不思議ではあったが、ひとつだけ解ることがある。 工藤優作の持っている情報は、怪盗キッドとしてはかなりオイシイ部類だということ。
あの愚かな女の名前を持つ宝石を見つけるためには、情報が少なすぎる。 喉から手が出るほど情報が欲しいのだ。 ありとあらゆる、広範囲に及ぶ情報が。
新しい情報は比較的簡単に手に入る。 なにしろ、コンピュータネットワークの時代である。ハッキング技術さえあればどうにかなってしまう。 快斗は既にたぶん世界で屈指のハッカーと同等ほどの技術を持って、情報を集めていた。
問題は、もっとローカルでアナログな情報である。 昔から一部地域に伝わる伝説・伝承の類や古文書に刻まれているような情報が、快斗には足りない。 その手の情報を手に入れるには、時間がかかるのだ。
伝承など、その地域に住む人しか知らないし、得てしてそういう極狭い地域の人々は排他的である。 より詳しく聞こうとすれば、「長」などと呼ばれる部類の人に当たらなければならないだろうが、そういう人ほど頑固だったり、偏屈だったりするのだ。
古文書となれば、その古文書を保有している機関――図書館なり研究所なり――へ紹介状を持って行き、手続きを済ませた上で借りなければならない。 盗み出してもいいのだが、最終的に返すものだから傷つけたり壊したりしたくない。 そうなると、運搬や保存に気を使う羽目になり・・・・・・はっきり言って面倒なのだ。
だから、優作が持っているであろう詳細なソースが、喉から手が出るほど欲しかった。
以上の理由で、快斗は工藤邸の前に立っていた。 まるでお化け屋敷のような・・・・・・けれど、快斗の自宅とは比べ物にならない大きさの豪邸に、ほへーっと見とれてしまう。
「金持ちは違うね〜」
などと呟いてはみるが、黒羽家も別に貧しいわけではなく、サラリーマン家庭に比べればかなり裕福な方だ。 ――なにしろ、遺産の額が違う。 その遺産を無駄に使いたくはないと思ったのは母も子も同じだったので、一般家庭と変わらない暮らしをしている。
それが嫌だと思ったことは一度もないが・・・・・・ ちょっぴり世の中の不条理さを感じずにはいられない快斗である。
「さて、いきますか」
まずは在宅チェックである。 この時間――13時ならば、まず間違いなく学校に行っているだろうが、念のために快斗はインターフォンを押してみた。 返事があったら宅配を装えばいい。
返答なし。
快斗は鼻歌など歌いながら、無造作に工藤邸敷地内に足を踏み入れた。 が、すぐに後悔することになる。
ざあっ!
豪快な音とともに、快斗の体は水浸しになった。
「・・・・・・・・・・・・な?」
既に言葉もないようだ。 どうやら、無遠慮に進入しようとする相手に水をかける装置があるようだが・・・・・・それがどこに設置してあるのかわからない。 どう考えても、頭上から水は降ってきたのに、見上げてあるのは青い空ばかりだ。
恐るべき、工藤優作。 「闇の男爵」シリーズの作者紹介に載っている優作の姿を思い出しながら、快斗は思った。 思い出したその姿は、何故かにんまりと笑っているように思えた。
そんなことを考えている頭の別部分では、ぜひこの仕掛けを教えてもらいたいと思う。 マジックに応用できるかも、と思うあたりは職業病かもしれない。
「ふっ」
快斗は不敵に笑った。 ライバルは強ければ強いほど燃える。 手にし難いものなら、その分欲しくなる。
「本気でいきましょうか」
そこには、白いマントを靡かせた気障な怪盗が立っていた。 完全に怪盗モードに切り替わったようである。 ――ただし、先程まで着ていた濡れた服を、コンビニ袋に入れて立っている姿は・・・・・・あまり颯爽とはしていなかった。
怪盗モードに切り替わっても、工藤邸攻略は困難を極めた。 はっきりいって、警察庁に潜り込んで証拠物件を回収してくる方が100倍は簡単だ。 よっぽど中森警部に言ってやりたい。 今度から、予告が出たら獲物はこの家に保管した方がいいと。
「・・・・・・・・・・何なんだ
!? このセキュリティーは !!
」
セキュリティーロックを開けるのに8分少々。 なんだ、短いじゃないかと思われるかもしれないが、玄関の鍵を開けるのにそんなに手間取っていたら、普通は不審に思われる。ほぼ確実に警察が呼ばれるだろう。 だから、空巣はだいたい1分少々で開けられない場合はとっとと逃げ出す。 つまり、キーがなければ「開かない」鍵ではなく、「開けるのに非常に時間がかかる」鍵ならば、空巣には有効なのだ。 一流の開錠技術を持っている快斗ですら8分なら、普通の泥棒は手も足も出ないだろう。
実際快斗も途中であきらめて、窓から侵入しようとしたのだ。 鍵の閉め忘れはなかったので、仕方なく窓の小さな穴を開け、そこから針金を下ろして鍵をあけようとしたのだが・・・・・・・・開かなかった。 鍵が、ではなく、穴が、である。
「何で普通の家なのに防弾強化ガラスなんだっ!」
思わずそう叫びそうになって、快斗は慌てて声を飲み込んだ。 ここで騒いでご近所さんに見つかったら情けなさ過ぎる。
仕方なく工藤邸玄関前に仕掛けを施し、誰かが通りすがっても不審ではないように眼くらましをして、何とか鍵を開けた。
まあ、この鍵は百歩譲ろう。快斗は思う。 最近は日本の安全神話も壊れてきたのか、防犯グッズがブームだし、そうでなくても有名人の家だ。防犯に気を使うのは当然だろう。
だがしかし。 これはやりすぎだろう。
まさかね、という思いで吹き付けたスプレーの白い煙に、くっきりと浮かび上がった赤外線。 そのかず、10や20ではない。 張り巡らされた赤い光の防壁に、快斗は思わず頭を抱えた。
「・・・・・・元を断つか」
快斗はすっかり据わりきった眼で呟き、玄関周りを見回した。 壁に薄い線を見つけると、唇がくっと持ち上がる。 要するに、こんなもの電源を切ってしまえばそれまでなのだ。と、発見した操作パネルをあける。
『第一問 ベイカー・ストリート・イレギュラーズの隊長の名前は?』 「はい?」
思わず目が点になった快斗である。 こういう場合は、とりあえずパスワードを求めてくるものではないのだろうか? パスワードならちょいちょいっと、泥棒必須アイテムとなりつつあるパスワードスキャンで読み取ることもできるのだが・・・・・・クイズ形式?
ふとパネルを見れば、何故か30秒からカウントダウンをしている。 これが0になったら・・・・・・考えたくもない。 快斗は必死に、無駄に容量の多い脳みその中身を漁った。たしか、まだ小学生くらいのときに読んだことがあるはずだ。子供向けホームズ全集。 ルパンの方が好きだったから、そんなに一生懸命読まなかった。 ――ああ、あの頃からすでに探偵よりも怪盗だったのだ・・・・・・などと、一瞬懐かしさに捕らわれてしまった。
「た、たしか・・・・・・『ウィギンズ』?」
恐る恐る押せば、大きな○印がでる。 何とか正解したようだ。ほっと息をついたのは、正しく一瞬のことだった。
『第二問 観察・分析して推理する方法についてホームズが発表した論文の題名は?』 「な?」
何だって、といいたかったのだが、あまりのことに言葉が続かなかった。 第二問。なんだそりゃ。 快斗の頭はそのことで埋め尽くされた。しかし、無情に始まる30秒カウントダウン。
「あ、始まりやがった。ってか、子供向けにそんなこと書いてあったか?あ、違う。たしか『緋色の研究』だけは、なんか大人向けの読んだぞ。なんでだっけ?いや、ま、そんなことはどうでもいいんだ。えっと?論文?覚えてねーよそんなの。名探偵と一緒にすんな」
快斗はすっかり失念しているが、ここはもともと工藤邸である。
「えっと?あれ?なんだっけ?ここまで出てる・・・・・・人生の、とか何とかゆうやつだ。『人生の研究』?なんか違う・・・・・・んじゃ、『人生の書』とか?」
再び恐る恐る入力する。 ここで間違えていたら、どうなるのだろう? なんだかとてつもなく恐ろしいことが起こるような気がする。 いきなり地面に穴が開いて、奈落のそこに突き落とされるとか。炎攻めにあうとか。 警察やら警備会社やらに通報された方がマシだと思うような罠が、盛りだくさんに仕掛けられているような気がするのは・・・・・・気のせいだろうか。
緊張の一瞬。 快斗にはこの一瞬が異様に長く感じられた。
大きく映し出される○に、ほっと息を吐き出し・・・・・・そして始まる第三問に、快斗は半泣きになった。
そんなことを繰り返し、快斗は結局ホームズ問題を10問も答えさせられる羽目になった。 よかった。俺の記憶力は無駄ではなかった・・・・・・ 大量の冷や汗をかいた快斗は、しみじみとそう思ったものである。
――しかし、快斗は知らない。 この問題形式パスワード。じつは約10000問がランダムに10問選ばれることになっているのだ。 新一は毎日それらをほとんど瞬時に答えているのだ。 馬鹿馬鹿しいことこの上ないが、非常に有効な防犯システムである。
ほとんど運動もしていないのに、どっと疲れた快斗はへろへろと2階へ向かった。 書斎が2階中央にあることは既に調査済みである。 足元もおぼつかない、まるで酔っ払いのような足取りだが、本人はいたって真面目である。
丹念に書斎入り口を調べる。 特に何の仕掛けもないようだった。 ――入り口にあれだけ仕掛けてあれば、後は窓からの侵入を防げばいいのだから、当たり前といえば当たり前だ。
かちゃ。 手をかけると、小さな音がして扉が開いた。 思わず、感嘆の声が漏れる。
本、本、本、本・・・・・・ きちんと整理された本棚が部屋の壁になっていた。
「すげぇ・・・・・・つーか、個人のコレクションじゃありえねぇ数だな」
正直、ここから宝石関係の本だけを探すのは骨が折れると思った。 が。 すんなりと見つかった。 というのも、この書斎の本棚は日本十進分類法で整理されていたのだ。 ・・・・・・これだけの数があれば、分類せざるを得ないかもしれない。どこに何があるのか解らなくなる。
梯子を上り、目ぼしい本を手にして下に下りる。 これを数回繰り返すと、数十冊の本が快斗の手の届く範囲に並べられた。
「よし。名探偵が帰ってくるまでに読んじまうぞ」
気合を入れて読み始める。 快斗が集中して読めば、200Pくらいの論文なら30分も掛からない。 しかし、集中力が凄すぎたらしい。 なかなか興味深いことが次々と明らかになり、快斗は夢中で知識を吸収していった。 だから、気づかなかったのだ。
大きな音とともに開け放たれたドア。 銃を構えて立つ名探偵が帰宅したことなど・・・・・・ちっとも。
【side:新一】
「で?」
新一の声は冷たいというより、感情を含まない声だった。 押し殺しているわけはなく、ただ単に呆れ果てているので感情が飽和しているのである。
「何やってんだ?」 「えっと・・・・・・勉強、かな?」 「何の?」 「・・・・・・ほうせき」
じぃっと見つめられたまま答えるのは緊張する。 名探偵に捕まる犯人って、こんな気持ちなんだろうな。と呑気に考えているが、快斗自身が正しく『名探偵に捕まっている犯罪者』である。
名探偵と目があったとき、一瞬すぐに逃げ出そうとしたのだが・・・・・・何故か、知らぬ間に窓にシャッターが下りていた。それを見た瞬間、これは無理だろうとあっさりと諦めてしまった。 逃げることを、ではなく、今逃げることを、である。 ――実は、1階へと続く階段にもシャッターが下りている。新一がセキュリティーのモードを変えたので、『侵入を防ぐ』から『侵入者を捕らえる』ために動いたのだ。
新一は溜息をついた。 銃を下ろして、二度頭を振った。
「あのな。お前は怪盗。俺は探偵。普通、怪盗は探偵の家に情報を漁りになんか来ないんだぞ」
その様子は、聞き分けのない子どもに言い聞かせる親のようである。
「う、うん。解っては、いるんだけど・・・・・・」
そういってうつむく姿は、本当にKID(子ども)のようだ。 新一は眩暈がした。 なんなんだ、この生き物は。本当にこれがあの怪盗か?あの高揚感を返しやがれ。 新一は毒つきながらも、すっかり戦闘態勢を解いた。 この怪盗が自分を傷つけるわけがない、という根拠のない確信が新一にはあった。
新一は再び溜息をついた。 こういうのにぴったりの言葉があったはずだ。
新一は思い出そうとしたが、結局諦めて再び怪盗に向き直った。
「それで、欲しい情報はあったのか?」 「や、山ほどありました」 「まだあるのか?」 「や、山ほどあるみたいです」
怪盗の返事に、それはそうだろうと、新一は思う。 何しろ、アノ工藤優作の書斎である。
「んじゃ、ゆっくり読んでけ」 「は、はい・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・って、え
!?
」 「読みたくねーの?」 「読みたいです。いや、そりゃ読みたいですけど、名探偵。解ってる?俺は怪盗。あなたは探偵」 「オメーにだけは言われたくねえ」 「・・・・・・ご尤もです」
怪盗は恐縮する。 探偵は自分が今まで対面したことのある、自分のイメージ通りの怪盗の像が頭の中でがらがらと崩れていくのを感じた。 今までの新一による怪盗キッドのイメージは「冷涼な気配を持つ気障な怪盗」であり、間違っても「結構可愛い奴」ではないのだ。
「探し物してるんだろ?」
新一は「仕方ねぇな」と笑いながら言った。
「オメーは、その探し物に命をかける覚悟で挑んでるんだろ?」 「・・・・・・はい」
力強く頷いた怪盗に、新一は満足する。 どこまでも強い眼だけは、新一の中で変わることはなかった。
「んじゃ、利用できるもんは利用できるだけすればいいさ。俺もそうしたし」
言外に例の組織のことを臭わせる。 あの組織をつぶす時に、この怪盗は多少の手助けをしてくれた。――情報提供という形で。 だから、それの借りを返すのだと。
「・・・・・・ありがとう」
怪盗はほとんど涙ぐみながら言った。 感動したのかもしれないが、十中八九、「こんなに簡単に受け入れてもらえるなら、はじめから普通に訪問すればよかった。そうしたら、あんなめんどくさいセキュリティーをパスしなくてもよかったのに!」と思っているのだろう。
「ただし、条件がある」 「へ?」
新一はひどく真面目な顔をして言う。 怪盗も思わず居住まいを正した。
「・・・・・・頼むから、その格好では入ってくるな」 「あ」
昼でも夜でも目立つ服装に、怪盗は苦笑した。
【side:快斗】
快斗はキッドの返送を解き、まだ少し湿っている普段着に戻ると、にっこりと笑って挨拶をした。 新一は今度こそ呆れ果てた、という顔をしたが、握手を求めれば手を出してくれた。
「ね、名探偵」 「何だ?」 「新一って呼んでいい?」 「はあ?」 「あ、俺のことは快斗って呼んでね?」
挨拶は済んだから、と、書斎を出て行こうとした新一に快斗はにこやかに声をかける。 新一はしばらく快斗を見て・・・・・・というより、眺めていたが、はふっと溜息をついた。大きい溜息だ。
「駄目だよ、新一。溜息つくと幸せが逃げちゃうって言うじゃん」 「・・・・・・許可した覚えはないが?」 「え〜?ケチだな。そんなんじゃ、大物になれないぞー」 「俺は既に大物だ」 「小柄じゃん」 「うるせっ!」
どうやら新一は自分の華奢な体にコンプレックスを持っているらしい。 覚えておこうと、快斗は脳内メモに素早く書き込んだ。
「ちゃんと食べてるの?食べなきゃ大きくなれないんだよ?」 「だから、うるせーって!」 「今日のお昼、何食べたの?」
何、何、何、と連呼する快斗に、新一は渋々と答える。答えなければいつまでも「何」を繰り返していそうだと考えたのかもしれない。
「カロリーメイトと牛乳」 「・・・・・・・・絶対、大きくなれない」 「仕方ねーだろ。現場だったんだ。時間はねーし、場所もねーし、店もねーんだよ!」 「だ、だからってカロリーメイト・・・・・・」 「普段はもうちょいまともなもん食ってるよ」 「例えば?」 「は?何でそんなこと知りたいんだ?」 「・・・・・・・・参考に」 「盗みの?」 「私生活の。どうやって盗みの参考にするんだよ
!?
」
快斗のツッコミはさらりと流して、新一は天井を見上げて考えた。 そういえば、最近何を食べただろう。
「昨日は・・・・・・」 「昨日は・・・・・・?」 「・・・・・・・・・・・・食ってねえ」 「・・・・・・・・・・・・はい?」 「一昨日は・・・・・・」 「一昨日は・・・・・・?」 「・・・・・・・・・・・・コンビに弁当。季節限定の奴」 「・・・・・・・・・・・・他には?」 「・・・・・・・・・・・・ない」
新一は首をかしげながら考え、最終的にふるふると首を横に振った。 怪盗はゆっくりと立ち上がると、探偵の肩に手をかける。
「あんたさ、死ぬよ。んな生活してると」 「・・・・・・だって、ひとり分作るのって面倒だろ?」
快斗は天を仰いだ。 何か、根本的なところが間違っているような気がする。 多分、気のせいではない。
「名探偵って・・・・・・新一って、こんな人だったんだね」 「ああ?」
返ってくる声は非常にガラが悪かった。
「いっつもキッチリしててさ、規則正しく生活してるような人だと思ってた」
それもそのはずだ。 外では新一は完璧にネコを被っている。 年季が入った、巨大なネコだ。
快斗は溜息をついた。
あの時の・・・・・・時計台や、杯戸シティホテルでの引き絞った糸の上を歩くような緊張感は、どこへ消えたのだろう。 あのすべてを見透かすような慧眼の強さはどこへ行ったのだろうか? 快斗のイメージするところの新一は、「どこまでも強くて真っ直ぐな探偵」であり、「ほっとけない可愛い奴」ではないのだ。
「なんかさ・・・・・・あれだよな。『あの声で蜥蜴食らうか時鳥(ほととぎす)』って感じ」 「あー、それ!」
新一は満面の笑みで快斗の肩を叩いた。
「俺もそれ思ったんだ。けど、どーしても思い出せなくてさ。川柳見たくなってたのは覚えてたんだけど」
あーすっきりした。 なんて言いながら、ニコニコと笑う名探偵を可愛いと思ってしまうのは・・・・・・自分がおかしいのだろうか? 快斗は本気で悩んでしまった。
【after】
そんなこんなで、怪盗は探偵の家にちょくちょく出入りするようになる。 宝石の情報と、探偵の食生活改善が目的だ。
探偵はそんな怪盗を不思議そうにしながらも、出迎えてやっている。 自分が危なっかしいとは露ほどにも思っていない探偵である。
ライバルが友達になる日も近い。 もしかしたら、友達が親友になることもあるかもしれない。 その後は・・・・・・まあ、本人(と、読者)しだいだ。←笑。
とりあえず、彼らにとっての見た目と中身のギャップはいい方向に働きかけたようである。
fin |
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