空を見てた。
燃えるような真っ赤な太陽。
沈みゆく太陽。
染まった空。
綺麗すぎて、眩しすぎて。
片時も視線を離さないように。
ずっと空を見上げて歩いてた。
[ 可視光線 ]
ドン、と肩がぶつかった。
「あ…、すんません」
「いや、俺の方こそ」
空を見上げながら歩いていた所為で、前方不注意。
前から歩いてきた少年とぶつかってしまったらしい。
それまで見上げていた視線を少年に向けて、不覚にも体が硬直してしまった。
目の前にいたのは、『高校生探偵』の『工藤新一』その人だった。
怪盗稼業なんてものをやってるために彼を知ることになって。
その頭脳の明晰さからかなり厄介な相手となった。
出逢ったのは、時計台。
良くも悪くも、あそこは俺の人生にとって重要な人との出会いの場になっているらしい。
何の言葉も交わさなかったけれど、彼の探偵としての能力の高さは思い知らされた。
こんなところで逢うとは思わなかったけど、さっさとこの場を離れた方が得策だろう。
勘の良い名探偵殿に何を勘付かれるかわかったものじゃない。
そう思った時。
「……どうした?」
「え?」
「あ。いや…何でもない。これ、使えよ」
そう言って、スッとハンカチが渡された。
初めは訳がわからなかったけど、自分が泣いていたことを思い出してはっとする。
涙が流れないように、空を見上げながら歩いていたんだった……。
彼はハンカチを渡すと、すでに歩き出していた。
これ……俺のために?
泣いてたから、何も言わずにこれだけ渡して?
考えるより先に体が動いていた。
「あっ、ちょっと待って…ッ」
先を歩くその人の肩を掴む。
工藤新一は振り向くと、困惑した表情で聞いた。
「なに?」
「その……ありがと。」
「気にすんなよ」
止めたは良いけど、大して理由もなかっただけにお礼しか言えなくて。
そんな俺の様子に、彼はにっこりと笑顔で返してくれた。
なんだか少し印象が違うかも…。
『探偵』としての彼は厄介な敵でしかないけど、こうやって見ると印象が変わる。
なんとなく、彼と話してみたくなって。
「あの、さ。良かったら少し付き合ってくんない?これも何かの縁だし」
「あー………別に良いぜ」
工藤新一は少し考え込んだ後、今日は何もないか、とぼそりと呟いて快諾してくれた。
名探偵なだけにやっぱ忙しいのかな。
「あんた、名探偵の工藤新一サンでしょ?よく新聞で見かけるけど」
「名探偵かどうかは知らねーけど、その工藤新一だよ」
「やっぱ忙しいの?」
「うん、結構な…」
「ふーん。でも、推理好きなら忙しい方が良いのか」
「んなことねえよ。事件がないならそれが一番だろ。俺の専門は殺人だからな…」
過去の事件を思い出したのか、目に憂鬱な色が滲む。
時計台の時の生き生きした彼とは異なったその様子に少し驚いて、それからすぐにゴメンと謝った。
彼がそんな顔をするとは思わなかった。
なんだか悪いことを言ってしまったな、と少し後悔する。
けれど彼はまた、気にすんなよ、と言って笑った。
工藤新一はすごく晴れやかに笑う。
その笑みに吸い込まれてしまいそうだと思えるほど。
「ハンカチ、ありがとな。……みっともないとこ見られた」
「そんなことないだろ?誰にでもあることだ」
彼の真剣な目が、その言葉に偽りがないのだと言っていた。
泣いていた理由を聞こうと思えば聞けるのに、彼は聞こうとしない。
案外に気の利く、良い奴なんだな、と思った。
「今日さ……親父の命日だったんだ」
「……そっか。それならさ、尚更泣いた方が良いんじゃね?」
「なんで?」
「親父さんにとっても、残ったアンタにとっても大事な日だろ。一年のこの日だけ思い切り悲しんで、あとは幸せを祈って。毎日泣いてちゃ心配されちまうからな。この日だけは思い切り泣いても良いんじゃねえの?」
工藤新一の言葉に、少し呆気にとられる。
しばらく沈黙があって、何か変なこと言った?と聞いてきたのでぽつりと答えた。
「なんかちょっと……吃驚した。そんなこと言われたの初めてだったから」
「……気ィ悪くしたら悪かった」
「違う、違う。みんなさ、元気だしてね、とか。当たり障りのないことばっかでさ。いや、それはそれで有り難いんだけど。心配してくれてる訳だし。でも、お前が言うように考えたらさ……なんか素直に泣けるかな、と思って」
わざわざ上を向いて歩かなくても。
痛む心を空に癒してもらわなくても。
素直に、親父のためだけに、思い切り涙を流して悲しんでやれる。
そんであとは、あんたの冥福を祈るんだ。
俺も母さんも寺井ちゃんも、みんな元気だから、と。
自然と笑みが浮かぶ。
手の中にあるハンカチが、少しだけ元気をくれたような気がした。
「サンキュ。なんか、気分良くなってきた」
「別に礼言われるようなことしてねーよ」
「いやいや。俺のマイナス思考を見事、プラスに変えてくれましたからv」
彼は肩をすくめて照れ笑いをしている。
名探偵も照れるんだ、なんて思って。
聞かれなかったし言うつもりもなかったけれど、なんとなく覚えてもらいたくなって、言った。
探偵に教えるには厄介なはずの、俺の名前。
「そーいやさ、俺まだ名前言ってない。アンタのは知ってたけど」
「そうだな。何て言うんだ?」
「黒羽快斗ってんだ。これでもマジシャン」
「へぇ、マジックなんて出来るんだ?」
「しかも腕前もかなりのもんだぜv」
ぽん、と一輪の花を取り出して。
彼は驚いて、しげしげと俺の手をしばらく眺めたり触ったりした。
「どうぞお受け取り下さいv」
「バーロ、こういう花は女にあげろよ」
くすくす笑って、それでも有り難うと言って受け取ってくれた。
そりゃ女の子にあげれば喜ぶだろうけどね。
今はお前の喜ぶ顔が見たかったんだよ。
純粋に、ただあんたの笑顔が……太陽みたいに眩しい笑顔が見たかったんだ。
見てるそばからこっちまで嬉しくなってしまいそうで。
「なんかさ……あんたって新聞で見るのと随分印象が違うんだな」
「あん?そっか?」
「うん。なんか、新聞の写真とかだと、こう……自信満々っていうか、そんな感じなんだけど、こうやって話してみるとすげぇ話しやすくて良い奴v」
「……そっか?」
今度こそ彼は照れた。
『良い奴』ってのが効いたのかも。
照れると意外に可愛いんだって気付いた。
彼の中で『キッド』の存在とはどんなものなんだろう。
俺の中の工藤新一は、厄介で面倒で……だけど、すごく良い奴で。
お前の目に怪盗キッドは、ライバルに値する人間に映ったのか?
どうしても気になって聞いてみた。
「マジックって言えばさ、怪盗キッドも相当マジックの腕が良いんだぜ」
「怪盗キッド?」
困惑している彼の様子にあれ?と思いながら、次の言葉を待った。
だけどいつまで待っても何も言わない。
もしかして……いや、もしかしなくても。
「……………知らないの?」
「………うん」
マジですか。
あんなに印象的な出逢いを果たしておきながら、記憶に留めていたのは俺だけだなんて。
あんたの存在が気になって記事を通してあんたを知って、過去の記事にまで手を付けたってのに。
当の本人は名前すら知らないとは………
「そのキッドってのは怪盗なのか?」
「あーうん、そーだよー。予告したもんはなんでも盗んでいくすげー奴だよー」
「なんだ、そのやる気のない話し方は」
だって仕方ないだろ。
これでも結構ショック受けてんだぜ?
ご自慢のポーカーフェイスでなんとか繕ってるわけだけど。
「怪盗ってのは泥棒だろ?あんま興味ねぇな…」
その言葉にトドメをさされた気分になった。
ああそう、興味ないとまで言われちゃう訳ですか、俺は。
くそぅ、とか思いながらも笑顔。
「あ、でもさ、泥棒って言えば……お前、この間の時計台の事件知ってる?」
「うん?知ってるけど」
知ってるも何も、それが俺、怪盗キッドなんだってば。
「俺たまたまその時現場に居たんだけど、あの泥棒はすげぇと思ったな」
「えっ」
「みんなは知らないけど、見事奪われちまってさ。結構悔しかった…。泥棒には興味ねぇけど、そいつは別かな」
一旦地底まで沈んだ気持ちが一気に上昇した。
怪盗キッドは、特別?
すごいと思った?
素直に嬉しくなって、俺は思わず満面の笑みになる。
「……何笑ってんだぁ?」
「いやいや。なんでもアリマセンv」
名前すら知らなかったんじゃなくて、名前だけ知らなかったことに気付いた。
それ以外では、ちゃんと彼の記憶に残っているらしい。
俺だけじゃなく、この名探偵の中でもちゃんと気になる存在として。
でもその怪盗本人とこうして話してるなんて、夢にも思ってないだろうな…。
「偶然だけど、今日こうしてアンタと話せて良かったな」
「大袈裟な奴。」
「俺、大マジだけど?だってさ、あんたのこと誤解してたし。直接話してみるとなんか可愛いなって」
「バ…ッッ、可愛いなんて言われて嬉しい訳ないだろ!」
「あはは、だってホラ、そうやって赤くなったり、絶対可愛いよv」
「…からかってんな、黒羽っ!」
怒って眉間にしわを刻んで、だけどその顔は赤くなってて。
あのヘリコプターから見下ろしてた、自信に満ちた余裕の笑みからは想像できないくらい、可愛い。
そして、呼ばれた自分の名前に笑みがこぼれる。
「あ、覚えてくれたんだ?俺の名前v」
「うるさい、忘れてやるっ」
笑いが止まらない。
なんでこんなにくすぐったい気持ちで心がいっぱいなんだろう。
あんたと喋ってると、たまらなく楽しいよ。
工藤新一サン?
「忘れないでよ。覚えてて?そしたらきっと、あんたにとって退屈はしないぜ」
「どういう意味だ?」
今はまだ内緒。
いつかばれるまでの、俺だけの秘密。
彼の質問には答えずに、笑みだけを返した。
すると彼も悪戯な笑みで答える。
「………退屈させないってんなら、覚えててやるよ」
「うんv」
きっと忘れないでよ、俺の名前。
黒羽快斗は怪盗キッドなんだって、いつかあんたが知るまで。
一人のマジシャンの名前を、どこかに記憶してて。
偽物の名前なんて覚えてなくても良い。
ただ本物を覚えていてくれたら、それで良い。
このハンカチを返しに行くとき。
その時は、上を見上げたりしないで、真っ直ぐにあんたの瞳を見れるように。
真っ直ぐ、あんたの笑顔を見れるように。
太陽みたいに眩しい、暖かい笑顔を。
BACK
|