「――なぁ、それってお菓子の本?」 哀の手の中にある世にも珍しいモノを見つけて、新一は興味津々と言った体で話しかけた。 現在午後六時、早いところでは夕食の時間も始まろうという時刻ではあったが、新一は隣の阿笠邸で哀と一緒にコーヒーを飲んでいるところだった。 来客用の大きなソファに腰掛けながら、同じようにコーヒー片手に「楽しいお菓子作り」なる本を読んでいる哀を物珍しげに見遣る。 彼女は決して不器用というわけではないが、半生を組織の中で過ごしたこともあって、あまり自炊に長けているわけではない。 博士との共同生活で料理は上級者レベルにまで成長したとは言え、糖尿病の困った保護者を抱える身である哀がお菓子を作っている姿など、新一は見たことがなかった。 だからこその言葉だったのだが。 「見たら判るようなどうでも良いこと聞かないでくれる?」 随分熱心に読んでいたようで、新一の問いかけにちょっと不機嫌そうな声が返った。 どうしてこんなに熱心なのだろうか。 と、そんな哀に新一の興味が膨れあがってしまったらしく、放っておけば良いものを更に深く突っ込んだ。 「ていうか。なんでそんなもん読んでんだって、聞きたかったんだけど。」 「馬鹿ね。作るからに決まってるじゃない。」 お菓子の本を読むのに、どうして作る以外の目的があるっていうの? そんな毒舌を無言で吐かれ、新一は苦い顔になりながらも言った。 「だから、なんで急にそんなもん作る気になったんだ?」 すると哀はきょとん、と見返して、次いで呆れたように溜息を吐いた。 「貴方、確か探偵じゃなかったかしら。」 「…はぁ?」 「探偵のくせにそんなことも判らないの?」 「そんなことって…お前の心境の変化なんて、知るわけねーだろ…」 「馬鹿ね。」 再度馬鹿扱いされ、新一は拗ねたように唇を尖らせる。 そのあまりに子供っぽい仕草に哀は隠すことなく苦笑した。 そう言えば、この探偵は自分の誕生日ですら忘れる男だった。 今更になって思い出す。 「今日、何日?」 「――へ?」 突然の話題転換に、新一はぱちぱちと瞳を瞬く。 「今日は何月何日かって聞いてるの。」 「…?…二月九日だろ?それがどうしたんだ?」 「なら、その五日後が何の日か判るでしょ?」 考え込み、すぐさま新一はあぁ!と声を上げた。 その顔がさぁーっと蒼くなるのを、本に視線を戻していた哀は気付かない。 新一が食料の買い出しに行くことは滅多にないから、ここぞとばかりに騒いでいるスーパーやらデパートやらの実情を把握してなかったのだろう。 五日後の二月十四日は、カップルも非カップルも、チョコを片手に無条件でらぶらぶになって良い日。 それがバレンタインだ。 未だ幼馴染みの彼女と発展する様子のない――近頃ではすっかり身内扱いになっている新一にとって、その日がさほど特別じゃなかったとしても仕方ない。 が、哀は新一の異常にさほど間をおかずに気付いた。 「や…べぇ、バレンタイン、すっかり忘れてた…」 「え?」 視線を上げれば、なんだか少し震えている新一の顔は真っ青だ。 いったいどうしたのだろう。 哀は眉をひそめて新一に声をかけようとして…… ガシッと肩を掴まれた。 「灰原!俺も一緒に作って良いか!?」 「え、…えぇ??」 困惑に満ちた目で見返すが、新一は余程慌てているのか、そんな哀の様子に少しも気付いていない。 そして更に言うのだ。 「俺、どうしても渡さなきゃいけない奴がいるんだ…っ」 その顔は、リンゴに負けないほど赤かった。 |
ある探偵と怪盗のバレンタイン |
そもそもの始まりは今から一週間前のことだった。 その日、新一は朝から機嫌が悪かった。 実際は悪かったなんて可愛らしいものじゃなく、最低と言ってもいいほどに最悪だった。 朝から警部に呼び出された。 それは良い。 事件がいちいち新一の事情に構ってくれるわけがないし、早期解決が大切だと知っているから、そんなことで文句は言わない。 ただ、被疑者のひとりに同業者――つまり探偵がいて、そいつがまるで目の敵のように新一に突っかかってきたのだ。 方や有名で警察からも信頼を得ている名探偵と、方やしがない無名の探偵。 嫉妬されるには充分すぎる状況だった。 男はことある毎に捜査の邪魔をし、新一の推理に異を唱えた。 なまじ観察眼が人より優れている分、それをいちいち説き伏せていかなければならないとなると面倒だ。 おかげで事件は解決できたものの、馴染みの警部ですら心配するほど新一の機嫌は最低だった。 そんな新一が半ば八つ当たりのように向かった先は――怪盗キッドの現場であった。 キッドは唯一新一が手加減せずに済む相手だったため、彼との真剣勝負で荒れた気持ちを高揚させようと思ったのだ。 自然、いつもより警備の方も手厳しくなる。 そうしてキッドは逃げ切れるかどうか紙一重の、スリル満点の犯行を強いられた。 だと言うのに、キッドが盗みに成功したと知るや、新一は後を追おうともせずに家に帰ってしまったのだ。 いつもなら中継地点まで追いかけてきて宝石を取り戻して行くと言うのに。 これにはキッドの方がご立腹で、筋違いな文句を言いに工藤邸へと奇襲をかけに行ったのだが…… 「……くっせぇ。」 キッドの第一声は、顔を思い切りしかめてのそんな台詞だった。 キィ…と微かな音を立てながら、現在の家主の寝室から邸内へと侵入する。 真っ暗な邸内はリビングだけに光を灯されていた。 深夜も11時を過ぎた時間だが、不規則な生活が大好きという探偵が寝入っているはずがなく、キッドは新一を捜してリビングへと向かった。 ところが、リビングどころか邸内に足を踏み入れた途端に鼻孔を擽った匂いが何であるかを知り、キッドは嫌な予感を感じた。 時に予感とは外れて欲しいものほど当たるものである。 「……めーたんてー…何やってんの…」 ポーカーフェイスのポの字も一瞬忘れて、キッドは肩をガックリ落として脱力した。 その様子を物珍しそうに見る新一は不法侵入者を特に諫めるでもなく、ぱっと破顔する。 「キッドじゃねぇか!なぁなぁ、お前も飲んでく?」 そう言った新一の顔は赤く染まっている。 照れているわけでも運動したわけでもないそれは――単に酔っていた。 テーブルの上には、これを総て飲んだのかと頭を抱えたくなるほどの酒の空き瓶が転がっている。 しかも洋酒から日本酒まで選り取りみどり。 つまりチャンポンだ。 「飲んでくワケないだろ。てか、お前探偵だろ…」 キッドが深々と溜息を吐くのへ、新一はむぅっとしかめっ面になる。 「あぁそうだ、俺ぁ探偵だよ。しかも警察からもお墨付きの名探偵とくらぁ。」 「あぁ?オイオイ、俺に絡むなよ。」 「うるせぇ。」 新一は小さく鼻を鳴らすとぷいとそっぽを向いた 。その後を追うようにキッドの溜息が漏れる。 いつもの新一なら一瞥ぐらいくれようものなのに、今夜に限って新一は振り返ろうともしない。 キッドが不思議に思っているとそっぽを向いたまま新一が言った。 「どーせお前も思ってんだろ。…俺のこと、ただのイキッてるガキだってさ。」 ほんの少し湿った声。 キッドはそこで漸く新一の異常に気付いた。 「…お前泣いてんの?」 「ばーろ、誰が泣くかっ。」 そう言って睨み付けてきた顔は確かに泣いてはいなかったけれど、普段の新一ではないことは一目でわかった。 酒のせいかも知れないがほんの少し目が潤んでいる。 こいつって泣き上戸だったのか。 キッドの悪戯心がひょっこりと顔を出す。 そこでやめとけばいいものを、こういった場合に迷わず手を出してしまうのが彼の短所でもあった。 「へー。名探偵が自棄酒ねぇ。何があったか知んねぇけど珍しいじゃん?もしかしなくてもそれで今夜はあんなに底意地の悪い警備だったんだ?てことは俺、八つ当たりされたってこと?ネチネチ追いかけてきたと思ったら、中継地点にも来ずにすっぱり帰っちまうし。 そりゃ、八つ当たりなんかしてるようじゃお前がガキってのは否定できねぇよなぁ。」 言ってるキッドも随分と子供じみた仕返しをしているわけだが、幸か不幸か当人たちはそれに気付くことはない。 そうして単純に馬鹿にされたと思った新一は、徐にキッドへと手を伸ばすと。 「…の野郎、言いたい放題言いやがって! ――決めた。てめぇ、朝まで付き合いやがれ!」 言った探偵の目は激しく据わっていて、今更になってキッドは墓穴を掘ったことに気が付いたのだが――時既に遅し、である。 それから散々我侭言いたい放題のやりたい放題をしてくれる新一にキッドはなぜかご親切にも付き合ってやったわけだが。 「…あれ、キッド?お前、なんでこんなとこいんの?」 爽やかな早朝、寝起きの探偵のそのひと言にキッドはぶち切れた。 「この野郎、散々人に絡んできといて綺麗サッパリ忘れてるだと!?ふざけんじゃねぇ!」 「えっ、お、落ち着け、」 「俺ぁ飲みすぎて死にかけてるお前を介抱してやった上に、まだ飲みたがるお前が暴れまくるから必死にベッドまで連れてってやったってのに!」 もの凄い剣幕で迫るキッド(朝なのでばっちり顔も見えるのだが気付いてないらしい)に、けれど新一はきょとんと見返して。 「…なんでそこまでしてくれんだ?」 そんなことを言うものだから、キッドの怒りは限界を遙かに超えた。 バロメーターがあるならば軽くぶっ壊れてしまうほどには。 突然静まりかえったキッドに遅まきながらまたも地雷を踏んでしまったらしいことに気付いた新一だが、既に遅い。 それまでポーカーフェイスなど遙か彼方に吹き飛ばしていた怪盗が突然取り戻したかと思うと、寒気のするような微笑を浮かべながら言うのだ。 「――名探偵。今度の十四日、私は予告状を出します。」 急に紳士ぶってみても今までの激昂がなかったことになるはずもなく、逆にそのギャップが新一の恐怖心を更に煽るのだが…… 「そん時に昨夜に見合う何か寄越さなかったら、米花町を女装姿で引きずり回してやる!」 それか半ズボンに蝶ネクタイに眼鏡だ! さぁーっと蒼くなる新一に向かってそれだけ吠えると、キッドはさっさと窓から帰っていく。 あまりのことに新一は反論する暇もなかった。 米花町を女装、もしくはコナンの格好で引きずり回される。 確かにそれは頂けない。 女装なんて必要のない時は決してしたいものではないし(必要に迫られれば別に構わないらしい)、工藤新一が江戸川コナンであることは内輪以外にはトップシークレットだ。 しかしそれよりも新一が蒼くなる理由は。 「…俺、よりによってキッドに何したんだよ!」 「――貴方、あの怪盗さんに惚れてたの?」 話を聞いているうちにだんだんと先の読めていた哀は、最後の一文を聞いて呆れたように言った。 それを聞いた新一の方が驚愕に目を見開いている。 「なっ、なっ、なにっ、」 「…ばれないとでも思ったの?」 「なんでお前っ…………わ、…判ったん、だよ…?」 口許を手で覆い俯きながら新一は上目遣いで見上げてくる。 その眉は情けなくも八の字になっているし、言うまでもなく耳まで真っ赤だ。 果たしてこの男はこんなに可愛かったか。 哀は予想外の新一の反応を興味深そうに眺めるが、そう言えばコナンの時からそんな感じはしていた。 幼馴染みの顔面アップにも耐えきれずに赤面してしまう程度には恋愛に奥手な男だった。 「貴方、自分で言ったじゃないの。“よりによってキッドに”って。それって、怪盗キッドだと拙い理由があるってことでしょ?」 新一は既に見返す気力もないのか、真っ赤な顔のまま俯いてしまった。 「…お前、探偵やれそうだよな。」 「馬鹿言わないで。推理オタクは貴方ひとりで充分よ。」 呆れた声を掛ければ新一は観念したように溜息を吐いた。 そして未だに熱は冷めないようだが何とか顔を上げると、真剣な顔で言うのだ。 「とにかくそういうわけだから、どうしても挽回したいんだ。…一緒に作っても良いか?こんなの他の奴には頼めねぇし。」 「…別に構わないけど。恩返しなら何もチョコじゃなくても良いんじゃないの?」 「…だって、あいつ甘いもの大好きって言ってたから。バレンタインだし丁度良いと思って。」 哀は顎に指をかけると、ふむ、と考えるような仕草を見せた。 新一はあまり料理はしないとはいえ決して料理がへたというわけではない。 確かに一緒に作ってもそう苦労することはないし、逆に珍しい姿を見れるかも知れないという興味もある。 が。 「工藤君。恩返しなら、もっと良い方法があるわよ。」 「良い方法?」 「ええ、そうよ。」 ――やってみる勇気はあるかしら? * * * それからあっという間に五日は過ぎ、いよいよバレンタイン当日がやって来た。 新一は今、キッドの逃走経路と思われるビルの屋上に立っている。 もちろん警察とは関係なく単独行動を取っているのだが、今回ばかりは警察に介入されるわけにはいかない。 なんせ今からとんでもないパフォーマンスをしようと言うのだから。 「…くっそー、灰原の奴っ。簡単に言ってくれるけど、これで巧くいかなかったら馬鹿じゃねぇかっ。」 ぶつぶつと文句を言いながらもきちんと行動しているあたり、日本警察の救世主にあるまじき格好悪さだが、今はそんなことは言っていられない。 今は何よりも先日の己の失態を返上したいのだ。 とは言え、結局新一はこの日のために何の用意もできなかった。 哀がなぜか「絶対大丈夫だから」とわけのわからない太鼓判を押してくれたおかげで、一緒にチョコを作るという話もどこかへ行ってしまった。 チョコがだめならと何か他のそれらしいものを用意してみようかとも思ったのだが、そもそもそういったものに疎い自分に何かを用意することはできなくて。 「結局、あいつがいなきゃだめなんだよなぁ…」 はぁ、と思わず溜息の漏れた背中に、唐突にかけられた声は新一の心臓を飛び跳ねさせた。 「あいつって誰のこと?」 空気さえも揺るがすことなく降り立った怪盗が、何だか不機嫌そうな声で言う。 新一は内心の動揺を必死で押さえ込みながら背後を振り返った。 「キッド…」 「あいつって?」 「――は?」 「だから、あいつって誰のことだよっ」 まるで子供のように――別の意味では確かに子供ではあるのだが――拗ねた声を出すキッドに新一は首を傾げた。 「あいつって、灰原のことだけど。それがどうかしたのか?」 新一がコナンだった頃から何かと関わりのあるキッドのことだ。 もちろん灰原哀の存在も知っていることだろう。 けれどキッドは、不思議そうに首を傾げる新一を更に困惑に陥れるような台詞を吐くのだ。 「お前、彼女のことが好きなのか!?」 「――はぃぃ??」 どこをどう考えたら新一が哀を好きなどという結論に達するのだろうか。 相変わらず意味不明な思考回路だ。 「なんでそういうことになるんだ。」 だから、そう問い返してしまったのだけれど。 「…だって、彼女がいなきゃ駄目なんだろ?」 「なっ、そ、それは…っ」 キッドの言葉に思わずカッと頭に血が上るのを感じた。 確かにそんな台詞を口ずさんだが、それは恋愛沙汰に疎い己ではキッドへの巧い挽回方法が思い浮かばなかったというだけのことだ。 バレンタインデーという象徴的な日に一体何をすればいいのか判らなかった。 だがそうと知られるにはあまりに恥ずかしすぎる事実だった。 だからこそ思わず狼狽えてしまった新一だが、それをキッドは肯定の態度と取ったようで。 「…たかが怪盗の戯言に付き合って、彼女とのバレンタインをふいにするとは。名探偵も随分とお人好しのようだ。」 その嘲るような物言いは、更に新一の頭に血を上らせるには充分すぎる台詞だった。 新一の中で何かが音を立てて切れる。 これが堪忍袋の緒とやらなのか、なんてどこか遠くて思いながら。 新一はつかつかとキッドに歩み寄ると徐に――足払いをかました。 小さな悲鳴を上げてキッドが倒れる。 その体に馬乗りに乗り上げて押さえ込みながら、新一は据わった目で言った。 「馬鹿にすんじゃねぇぞ!俺がお人好しならお前は鈍感野郎だ! 俺が惚れてんのはなぁっ、俺が惚れてやったのはテメェなんだよ、怪盗キッド!」 突然のできごとに声も出せずにいるキッドに新一は声高に宣言する。 「こんなに最高のプレゼントは金輪際ねーぞっ」 ――この俺をくれてやる!! シーン、と沈黙が落ちた。 キッドは新一に乗り上げられたまま、新一はキッドに跨ったまま、数十秒が過ぎる。 タキシードの襟首を掴みあげる新一は見るからに喧嘩腰だが、夜目にもはっきりと判るほど赤く染まった顔ではまるで威力がなかった。 否、威力なら充分にあったのかも知れない。 漸くふたりの硬直が解けた時―― 「――っ」 キッドが新一にも負けぬほどに赤面した。 「な…っ、なに言ってんだ、名探偵っ」 「なにもへったくれもあるか!俺はお前がす、…す、好きだ、っつってんだよ!」 言ってから更に血が昇ったのか、新一の顔からは今にも湯気が立ち上りそうな勢いである。 けれどキッドはそんな新一の様子を呆然と眺めるしかなかった。 まさかこの名探偵から告白される日が来ようとは思いもしなかった、と。 そんなキッドに新一は半ばヤケクソのように喚き立てた。 「何だよ、お前も俺のこと好きじゃねーのかよ!くそっ、灰原の奴、絶対大丈夫とか言ったクセに…っ そりゃそうだよなっ。お前が酔った俺に付き合ってくれたのは俺に気があるからだとか、気落ちしてた俺が気になったからだとか、そんな都合のいいことばっかあるはずねぇんだっ」 そう。 あの時、キッドのためにチョコレートを作ろうとした新一に待ったを掛けた哀は、汚名返上したいなら怪盗に告白しろ、と言ったのだ。 しかも巧くいくはずないと慌てふためく新一に「絶対大丈夫」との太鼓判を押してくれた。 結局何も用意できずにバレンタイン当日を迎えてしまった新一は、直前までどうしようかと悩んではいたものの、当たって砕けろとばかりにぶっちゃけてしまったのだが、やはり人間誰しも砕けたいはずはなくて。 キッドの反応を見て己の告白が失敗に終わったのだと思った新一は、虚しい八つ当たりのように喚くしかなかったのだ。 けれど。 「…当たり、なんだけど。」 キッドが己の口を己の手で押さえ込みながらもごもごと言った。 けれど当然のように聞き取れなかった新一は未だにひとりでわあわあと騒いでおり、取り敢えずキッドはすっかりどこかへ捨ててしまっていたポーカーフェイスを取り戻し、己に跨ったまま騒いでいる新一と己の体とを瞬時に入れ替えた。 あまりに巧妙なそれにすぐに対応しきれなかった新一は、視界がいつの間にか夜空を背負ったキッドの顔面アップであることに気付いて思わず呼吸を止めた。 「男に二言はないよな、名探偵?」 にやり、と嫌な笑みを浮かべるキッドにすら心臓が跳ねる新一はもう末期かも知れない。 「俺のこと、好き?」 今までにない近さで、キッドの紫色に光る不思議な目が覗き込んでいる。 新一は躊躇って、眉間に皺を寄せながらも小さく小さく頷いた。 「お前をくれるって、ほんと?」 今度も新一は、眉間の皺に二、三本皺をプラスしながらも頷いた。 「やった!名探偵はもう俺のもんだ!」 途端に破顔したキッドは怪盗の面影などどこかへ捨て、それはもう年相応の少年らしい笑顔で言った。 俺のもん俺のもん、と連呼するキッドに哀の言葉が間違ってなかったことを悟った新一だが、返事を早まったかと思わず天を仰いだ。 ……まさか天下の怪盗キッドがこんな男だとは。 けれど、惚れた方の負け。 そんな言葉が脳裏を過ぎる。 確かに先に惚れてしまったのは新一で、怪盗の本性を知った今でも嫌いになるどころかこんな屈託もなく笑うキッドに惚れ直してしまっているのだから、新一の負けは確実なのだろう。 けれど惚れたのはキッドも同じなのだ。 もしかしなくても当人が知らないだけで、先に惚れたのはキッドなのだから。 結局は頭にばかがつくカップルを誕生させてしまったことを、隣家の小さな科学者だけがほんのちょっぴり後悔したのだとか。 |