それは突然やって来た。
「よう、怪盗キッド」
両手をズボンのポケットに突っ込み、校門に背を預けながら佇んでいた小学生が、なんとも不敵に笑いながらじっとこちらを見据えている。
学ランに学生鞄を引っ提げた格好の怪盗――黒羽快斗は、突然現れた探偵――江戸川コナンの姿に目を瞬いた。
ここは江古田高校の門前だ。 小学一年生の子供がいるにはかなり不自然な場所である。
中身は立派な高校生とは言え、その事実を知るのはこの世でたったの数名しかいない。 その中に、怪盗である自分も実は入っていたりするのだが。
快斗はちょっと考え込んだあと、まあいいかとコナンの前に屈み込んだ。
「何しに来たの、名探偵」
現在、下校時刻の真っ最中。学生の通りが最も多い時間帯だ。 そんな時にこんな場所に現れた小学生探偵は、ちょっとどころでなくどえらく目立っていた。 顔を近づけ声を潜めてでもなければろくろく話もできない。
するとコナンは不機嫌そうに顔を歪めた。
「テメー、少しは誤魔化そうとか思わねーのかよ」
「今更だろ? お前にはいろいろ聞かれちまったし、いつかは来るだろうと覚悟してたからな。むしろ遅かったくらいだ」
そう言って快斗がちらりと視線を投げた先は、左肩。
完治するのはもう少し先だろうが、半袖から覗く二の腕に包帯がないところを見ると、もうあまり痛みもないのだろう。
この子供が怪盗キッドを凶弾から庇って被弾したのが先月の三日のこと。
以来、愛鳩を使ってこっそり監視していた快斗は、彼が一週間前には既に退院していたことを知っていた。
なぜ監視していたかと言えば、仮にも自分を庇って負った傷だから心配で……というのはあくまで建前で、実際は過日の事件の折りにスネイクが余計なことをべらべらと喋ってくれたおかげで、知られたくない話をこの小さな探偵にすっかり聞かれてしまったからだ。
あれを聞き逃すほど彼は愚かな探偵ではなく、一時的にでも手を組んだ相手だからと見逃すほど甘い探偵でもない。
きっと手に入れた情報をもとに閻魔のごとく秘密を暴き、真実を探り当て、こうして快斗の前に現れるだろうと思っていた。
なぜか予想よりも遅かったが。
「とにかく場所を変えようぜ。お前、目立ちすぎ」
小学生がいるというだけでただでさえ目立つのに、その上江古田の名物男と化している快斗と一緒に校門前でしゃがみ込み、顔を寄せ合って話し込む姿に興味を持たない学生はいない。
聞き耳を立ててくる者こそいないが、突き刺さる視線を無視できるほど快斗は厚顔ではなかった。
立ち上がり、ついてくるよう促せば、言い方が気に障ったのか、ひくりとこめかみを震わせたものの異論はないらしく、コナンは大人しく快斗の後に続いた。
コナンが連れてこられたのは学校のすぐ近くの公園だった。
学校帰りのカップルが数組いるものの、ほとんど人の姿はない。
なるほど、学生のデートスポットであるため、一般人はあまり近寄らないらしい。
カップルはお互いしか目に入っていないし、内緒話をするには悪くない場所だ。
いい具合にベンチや茂みからぽつんと離れた遊具に腰かけた怪盗に合わせ、コナンも同じように腰かけた。
「怪我の方はもういいのか?」
「ああ、傷はとっくに塞がったし、痛みもほとんどねーよ」
「そりゃよかった」
「ただ、蘭のヤツがな……」
幼馴染みの憂い顔を思い出し、コナンの眉が寄る。
大切な少女のことを語るには似つかわしくないその表情に、怪盗は不思議そうに目を瞬いた。
「銃で撃たれるわキッドには攫われるわで、随分心配かけちまったからな。かなり神経質になってて、退院してもなかなか外出許可が下りなくてよ」
「あー……なるほど。それで今日まで来られなかったっつーわけか」
「そーゆーこと。前に撃たれた時も、免疫力が低下してたせいで盛大に風邪引いたこともあって、また風邪引くんじゃねーかって大騒ぎでよ。正直あの過保護っぷりには目も当てられ」
「――ちょっと待て」
妙なところで横やりを入れられ、コナンはあん? と怪盗を見遣る。
すると怪盗は怒っているような呆れているような複雑な表情を浮かべていた。
「前に撃たれた時だって? しかもまた¢蜻宸ャって、もしかしなくてもお前、その姿の時に撃たれたことがあるのか?」
「まあな。前に元太たちを連れてキャンプに行った時に、たまたま入った鍾乳洞で拳銃持った強盗と出会してよ。仲間割れで殺された仲間の死体を遺棄する現場に丁度居合わせちまって、そいつの撃った弾がこう、腹に……」
「にゃにぃ〜っ!?」
怪盗は奇声を上げたかと思うと、いきなりコナンの服をぺろんと捲った。
そこにはまるで潰れた月のクレーターのような、お世辞にも綺麗とは言えない傷跡が残っている。
「んなっ!」
「うわーまじで銃創だよ……しかも射出口が腹ってことは、後ろからやられたな」
「黙れ、離せ、この変態っ!」
コナンは慌てて裾を引き下げると、怒りか羞恥かはたまたその両方か、とにかく顔を赤らめながら突拍子もないことをしでかしてくれた怪盗を怒鳴りつけた。
しかし悪びれるどころかコナンの話を聞いてもいない怪盗は、ふと真剣な目をしたかと思うと。
「名探偵。もう少し気をつけねーと、マジでいつか死ぬぞ」
コナンは言葉に詰まった。
なにをうっかり怪盗に窘められているのか。
しかも困ったことに相手の方が正論なので反論できない。
「お、オメーこそどうなんだよ。妙な奴らに狙われてたじゃねーか」
無理矢理話の矛先を逸らせば、ム、と怪盗の眉が寄った。
「お前には関係ねーことだよ」
不機嫌に言い放ち、それ以上の追及は無駄だと目を逸らす。
コナンは嘆息した。
どうやら触れてはいけない場所だったらしいが、いちいちお伺いを立ててやる謂われなどない。
そもそもコナンは謎の答え合わせをするためにここへ来たのだ。
ピースを与えられたパズルを完成させずにいられないように、鏤められた謎を組み立てずにいられないのは、最早探偵の性である。
それが分からない怪盗ではないだろうし、だからこそ彼も「覚悟」していたのだろう。
ただし、その謎をすっかり暴露するつもりかといえばそれはまた別の話なのだろうし、コナンにしても何が何でも答えを聞き出したいわけではなかった。
いつかの折りに怪盗が言ったように、謎のままにしておいた方がいい謎もあると、コナンも思う。
結局のところ、コナンにはこんな白昼にキッドの正体を暴き立てて監獄へ送り込む気など端からなかった。
「ま、いーけどよ。人の事情に首突っ込んでられるほど、俺も暇じゃねーし」
ちらりと視線を寄越した怪盗は、継いで楽しそうに歯を剥いて笑った。
「やっぱ名探偵はそうじゃねーとな」
「はあ?」
「怪盗相手に尋問するようなナンセンスなヤローは、この俺のライバルとは認めねえってハナシ」
どっかの探偵みてえにな、とは快斗の心中でのみ続けられた言葉である。
どうやら褒められたらしいが素直に喜ぶこともできず、コナンは微妙な顔をした。
そもそも探偵であるコナンには容疑者を尋問する権限などない。それは警察の仕事である。
それでなくとも探偵は自分の言葉に十分に気をつけなければならない。
特に工藤新一のように実績もあり名も売れた探偵なら、その言葉には相応の責任がつきまとう。
間違いでした、すみませんでした、で済ませられない問題だからこそ、探偵は十二分に証拠を並べ立て、絶対に言い逃れができない状況を作らなければならない。
そうして初めて罪を言及することができる。
人ひとりの人生を左右しようというのだから、それぐらいの覚悟で臨むのは当然のことだというのがコナンの――新一の信条だった。
そうしてこの怪盗はコナンのそうした信条を理解しているのだろう。
この男に見透かされているという事実はどうにも悔しいが、ライバルと認められているらしいことにコナンは奇妙な昂揚を感じた。
数いる探偵の中でキッドが「名探偵」と称するのは、実はコナンただ一人だけであるということを、コナンは知らなかった。
「それで? 怪盗の正体を突き止めた名探偵は、どうしたいわけ?」
にやにや笑う怪盗をコナンは嫌そうに睨みつける。
「分かってんだろ、バーロー。俺がお前の正体に辿り着けたのは、あの黒尽くめの奴らの証言があったからだ。しかもそれを聞いたのは俺一人。何かに記録されてるわけでもない。お前が自白するってんならまだしも、白を切られたら、物的証拠が何一つないこの状況で、お前を捕まえられるわけねーだろ」
そうは言うものの、実際に物的証拠を探したわけではなかった。
この怪盗のこと、個人を確定するようなものを残しているとは思えなかったということもあるが、何よりコナンに怪盗を捕まえる気がなかったからだ。
尤もらしくつらつらと言い連ねてみたが、所詮はただの言い訳なのだ。
これがただの義賊や愉快犯であったのなら、遠慮容赦なく監獄にぶち込んでいるところだが、怪盗キッドはそのどちらでもない。
何やらきな臭い連中に狙われていることからもそれは分かる。
そうした連中と連んでいるならまだしも、敵対しているというなら、彼の周囲の者たちの安全のためにも、最早生半可な覚悟で怪盗の正体を暴くことはできなかった。
それでも見つけてしまった真実を見て見ぬふりすることができなかったから、コナンはこうして江古田まで足を運んだのだ。
つまり、コナンの目的は怪盗が怪盗であることを認めた時点で達成されたのだった。
よもやこうもあっさり肯定されるとは思いもしなかったが。
「俺を見逃すのか?」
「んなわけねーだろ。ただ、俺は探偵だからな。今まで通り、依頼があれば相手してやるよ」
「勝負は現場で、か」
「ああ」
そうだ、と小憎たらしく頷けば、怪盗はにやけた笑みを不敵なものに変えた。
それだけで和やかでさえあった空気は霧散し、ぴりりと張り詰めた空気に支配される。
コナンの肌が粟立った。けれど決して嫌な感覚ではない。
「なら、次に会うのは現場だな」
その台詞が合図だった。
怪盗と探偵として向き合った以上、日常の中から抜け出さなければならなかった。
何を示し合わす必要もなく、二人は立ち上がり、背を向ける。
互いに一歩を踏み出したところで振り返り、似たような笑みを浮かべながら口々に交わすのは、挑発という名の戯れだ。
「精々捕まらねーように逃げ回ってくれよ、こそ泥さん?」
「そっちこそ、俺を見失うなよ、探偵君」
持ち上げられた口角に隠しきれない昂揚を滲ませ、二人は今度こそ振り返らずに歩き出した。
次に会う時は、きっと今より心躍っているに違いない――そう信じて疑わずに。
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