けたたましいサイレンが夜の静寂をうち破る。
 ――深夜零時。
 東京の明かりは消えることなく、煌々と照っている。
 眠らない街を猛スピードで駆け抜ける数台のパトカーが、キーッという耳障りな音を奏でながら、とある豪邸の前で急停止した。
 ばたばたと慌ただしい足音が豪勢な回廊に木霊する。

「毛利君、また君か!」
「はっ、警部殿、お待ちしておりました!」

 現場に駆けつけた警視庁の目暮警部は、数人の刑事を連れて豪邸に上がり込むと、金庫室の前で待機していた毛利小五郎を怒鳴りつけた。
 君の行くところ行くところ……とお決まりの台詞を一通り吐き終えると、いよいよ捜査に取り掛かる。
 目の前に転がっているのは一人の男の死体。
 既に事切れているのは小五郎が確認済みだった。
 彼はこの豪邸の主に雇われて金庫室の警備に充てられた警備員だったが、金庫がこじ開けられていることと中身がないことから、どうやら強盗に遭って殺されてしまったものと思われた。

「で、今回も殺しかね?」
「ええ、胸を銃で吹き飛ばされていますから、明らかに他殺でしょうな」
「それで君はどうしてここに?」
「実はこの豪邸のご主人である森川氏とは以前からの知り合いでして……」

 小五郎の後を当たり前のようについてきていたコナンは、彼の話に耳を傾けながら、こっそりと現場を見渡した。
 当時の状況を正確に思い出そうと、手を顎にかけ思案顔になる。



 この豪邸の主人である森川泰蔵氏は、以前小五郎の探偵事務所を訪れたことのある依頼人だった。
 ちなみにその依頼とは至極単純なもので、娘の素行に不審を抱いた父親が娘について調べて欲しいというものだったのだが、結局それは今回婚約までに至った夫との交際を隠してのことだった。
 それ以来森川とは社交的な付き合いを続けており、今日も彼の娘の婚約パーティーへと招かれたため、小五郎たちは揃ってパーティーーへと繰り出した。
 小五郎の調査をきっかけに婚約まで発展したのだから、小五郎がこの席に呼ばれたのは当然のことである。
 そしてパーティーは森川邸ではなく別所で行われた。
 ホテルのフロアを貸しきりにしての立食形式の豪勢なパーティーを、小五郎もコナンも蘭も楽しんでいたのだ、けれど。

 実は最近気になることがあるんですよ、という森川の言葉から今回の事件は始まった。
 聞けば、最近自宅に何者かが侵入しているらしい、ということだった。
 その侵入者はとても注意深く、形跡などひとつも残してはいなかったのだが、夜中に人が数人歩き回る音を聞いたのだと言う。
 丁度その頃、別所に預けていた彼ご自慢の宝石を自宅に引き取ったため、頑丈な金庫室に保管しているものの取られやしないかと心配なんです、と森川は言った。
 これはその宝石を狙う泥棒ではないかと、話を聞く内にすっかりその気になってしまった小五郎は、酔いも醒めぬまま蘭とコナン、それに森川を伴って彼の自宅へと向かった。
 けれど。
 家の外はいつもとなんら変わらない様子だったのだが、問題の金庫室へ案内されて来てみれば、警備員がうつ伏せの状態で血を流して倒れていたのだ。
 すぐさま小五郎の指示によって警察と救急車が呼ばれたが、その時警備員は既に息を引き取ってからおよそ一時間が経過していた、というのが今回の事件の詳細だった。

「では犯行当時この家には被害者以外誰もいなかった、ということで宜しいですか、森川さん?」
「え、ええ。もともと警備員なんて雇っていなかったのですが、宝石を自宅の金庫室に保管する際に雇いまして……」
「失礼ですが、奥さんは?」
「妻とは別居中なんですよ」
「そうですか……。そして問題の宝石もなくなっている、と」
「はい。帰ってきた時には既に金庫は空でした」

 悔しそうに拳を握る森川を遠目に眺めながら、コナンはここ数日起きている連続宝石強盗事件との関連性を考えていた。

 それは最近の新聞やニュースで頻繁に取り上げられている、現在最も注目されている事件だ。
 と言うのも、同一犯と思われる事件がこれまでに三件起きており、狙われたのがどれも有名で高価な代物ばかりだったからだ。
 そして今回の宝石も、森川が自慢するだけあってかなり高価で貴重な代物である。
 犯行の手口や標的が酷似していることから、警察はこれらが全て同一犯によるものだろうと睨んでいた。
 同時に、三件の犯行の間隔があまりに狭いこと、そしてその割に綿密な計画に基づく犯行であることなどから、コナンはなにか組織的なものを感じていた。
 これだけ大それた犯行を行っていながら未だ犯人像すら浮かんでこないと言うことは、事前の下調べもかなり綿密に行われているはずである。
 それなのにその犯行の間隔は極めて短い。
 つまり、同時に数人のグループが犯行を行っていると考えるのが妥当だった。

「ねぇ警部さん、これってもしかして例の連続宝石強盗事件と同じ人の仕業じゃないのかな?」
「ああ、我々もそう睨んでおるよ、コナン君」
「四件目にして初めて殺し、ですな……」
「そうだ。これよりこの件を、連続宝石強盗殺人事件として再び捜査を行う!」

 まずは現場検証だ、という目暮の命令で、鑑識の人たちが金庫室へと押し入った。
 コナンは邪魔にならないようにと気を配りながら、自分でもなにか犯人の手がかりになる物はないかと探し回った。
 しかし、犯人の決め手となるようなものはなにも見つからなかった。
 そしてそれは鑑識による必死の現場検証でも結果は同じだった。

「コナン君たら、またうろうろして……」
「あ、ごめんなさい、蘭ねーちゃん」
「警察の人の邪魔しちゃだめよ。ほら、あっち行ってよう」

 これ以上現場で証拠を探しても何も見つからないだろう。
 コナンは素直に蘭の後について金庫室を出た。

 現状において、決定的に手がかりが少なかった。
 だが犯人は殺人という大罪を犯している。
 これ以上放っておくわけにはいかない。

 今はまだ暗闇に覆われた真実を見抜こうとするコナンの脳裏には、二つの存在が見え隠れしていた。
 ひとつは黒ずくめの男たちとその組織。
 痕跡を全く残さず、霧のように掴み所のない完全犯罪を目論む犯罪組織と言う点では確かに合致する。
 しかし、彼らは今までコンピュータ関係の人物や世界的に力を持った人物との接触はあっても、宝石を盗むなどということはしなかった。

 そしてもうひとつ。
 世界中の宝石を標的に、その不適な笑みと鮮やかなマジックで警察を翻弄する、犯罪の芸術家。
 シルクハットに白いマント、そしてずば抜けた頭脳を持った、あの怪盗キッドである。
 けれど彼は今までの犯行で誰一人として意図して傷を負わせたことがないし、まして殺人など以ての外だ。
 それに、極限られた仲間と思しき人物を除き、基本的に単独行動を好むキッドが誰かと手を組むということも考えにくい。

 元より、どちらもこの事件とは関係ないのかも知れない。
 けれど、どちらも切り離して考えることはできそうになかった。

 結局この日は事件の手がかりもなにも得られず、深夜を大幅に回っていたこともあり、ひとまず全ての捜査を明日に持ち越すこととなって終わりを迎えた。
 全ては、ただの始まりに過ぎなかったのだけれど。





 翌日、あまり睡眠をとることができなかったコナンだが、事件のことが気になって眠るどころではなかったため、朝早くから起き出して例の事件に関する新聞記事を整理していた。
 これまでに起きた四つの事件をまとめるとこうだ。

 一件目、四月二十日。
 二件目、四月二十五日。
 三件目、四月二十八日。
 そして昨夜の四件目が、四月三十日。

 間隔は極めて短い。
 最初に感じた通り、この犯行は組織的な、或いはグループによるものだと確信する。

 その時、ガチャ、という扉が開く音がした。
 上の階で眠っていた蘭が起きてきたのだろうと、コナンは散らかしていた新聞を急いで片づけた。
 続いて階段を下りる音がして、程なくして蘭が姿を現した。

「あら、コナン君もう起きてたの? 昨日遅かったのに元気だね」
「う、うん、おはよう蘭ねーちゃん」
「おはよう。待っててね、すぐにご飯の準備しちゃうから」
「はーい」

 そのまま台所に向かう蘭の背中を見送って、コナンは安堵の息を吐いた。
 どうやら朝っぱらから新聞紙を床一面に広げている小学生、というおかしな光景を見られずに済んだようだ。

 コナンは昨夜の事件がもう報道されているだろうかと、テレビの電源を入れた。
 しかしやっていたのは昨夜のニュースではなかった。

 ――明後日の五月三日、資産家の泉澤卓氏は、これまでドイツに構える別宅に保管していたビッグジュエル、蒼光のダイアを日本に持ち帰り、泉澤近代美術館で一週間だけ展示されることとなりました――

 泉澤近代美術館? と、コナンはついさっき片づけたばかりの新聞紙を再びガサガサと広げ始めた。
 台所で朝食の支度をする蘭に不審がられるのも気にせず、できる限り素早く関連した記事を取り出してゆく。

「……やっぱり」

 これまで四つの事件の共通点は標的が宝石であることにのみ注目していたが、一件目から四件目まで、全てある区域内で事件が起きていた。
 こんなことに気付かないなんてと、コナンは小さく悪態を吐く。
 けれどお陰で次の標的の見当がついた。

「蘭ねーちゃん、おじさんを起こしてきてくれない?」
「え? どうしたの、急に」
「大事な話があるからって。お願い」
「う、うん、わかった」

 ぱたぱたと部屋を出ていく蘭を見送ってから、コナンは工藤新一用の携帯電話で目暮警部に電話をかけた。
 手元にはもちろん、自分の声に合わせた蝶ネクタイ型変声器。
 電話はすぐに繋がった。

「もしもし、警部ですか? 工藤ですが……はい、実は今度の事件で気付いたことがありまして、お知らせしようと電話したんですが……ええ、連続宝石強盗殺人事件のことです」

 蘭が戻ってきてはいけないからと、コナンは手短に用件のみを伝えた。

『なにっ、それは本当かね、工藤君!』
「ええ、まず間違いないと思います」
『では次に狙われるのは泉澤近代美術館、ということだね』
「はい。そこに展示予定の蒼光のダイアが、おそらく次の標的となるでしょう。ですが、残念ながら犯行がいつ行われるかまでは……」
『いやいや、場所が分かっただけでも有り難い。それで君は警備に来るのかね?』
「いえ……ご協力したいのは山々なんですが、少し厄介な事件を抱えてまして。ですが僕の変わりに毛利探偵に向かってもらうよう、コナンからお願いしますので」
『では毛利君が来てくれるんだね。わかった、ありがとう工藤君』
「いえ、力になれなくて申し訳有りません」

 気にするなと屈託なく返してくれる相手に礼を言い、コナンは電話を切った。
 それからしばらくして、欠伸まじりの小五郎を連れた蘭が戻ってきた。

「ごめんねコナン君、お父さんがなかなか起きなくて。それで、話ってなんなの?」
「うん、実はね、新一にーちゃんから連絡があって、例の宝石強殺事件の次の標的が分かったから、おじさんに警備に当たって欲しいって頼まれて……」

 コナンの言葉に、二人は同時に素っ頓狂な声を上げた。

「新一から電話が来たのっ?」
「なに、次の犯行現場がわかっただとっ?」

 滅多に連絡を寄越さない幼馴染みからの電話に思わず食いついた蘭だったが、「おい蘭、今はそんなことはどうでもいい!」と真剣な顔で小五郎に怒鳴られ、それ以上はなにも言えなくなってしまった。

「それであの探偵坊主、次の現場はどこだって?」
「泉澤近代美術館っていうところだよ。ここからそう遠くないよね」
「近代美術館って言やぁ、バスでちょっと行ったところじゃねえか」
「うん。それで、問題の宝石は五月三日から展示予定なんだって」
「五月三日……あと二日しかねえじゃねえか!」

 警部殿に連絡を! と慌て出す小五郎に、それはもう新一にーちゃんがしたからとコナンが宥める。
 そして再び、あと二日……と小五郎は唸り出した。

 そう、あと二日。
 たったの二日しか時間はない。
 が、どうにかしてこの二日で万全の準備を整え、犯行を阻止し、被害を抑え、犯人たちを捕まえなくてはならないのだ。

 とにかくこの場でうんうん唸っていても仕方がない、という小五郎の言葉を皮切りに、三人は警視庁へと足を向けることにした。





「おお、毛利君! 待っておったぞ!」
「警部殿、その後の捜査の方は……?」

 この事件に関する捜査になにかしら進展はあったかと尋ねる小五郎に、けれど無言で首を横に振る目暮は、お手上げだと低く漏らすだけだった。

「警部さん、それでこれからどうするの?」
「コナン、お前は黙ってろ! ガキが首をつっこむことじゃねえ。蘭、しっかりこいつを見張っとけ!」
「う、うん。コナン君、お父さんたちの邪魔しちゃ駄目じゃない」

 蘭に手を引かれ、コナンは仕方なく後ろに下がった。
 けれど、大人しく手を引くつもりはない。

「……コナン君?」

 厳しい表情を顔にこびりつかせたまま、この先警察とともにどのように行動を取ろうかと思考に耽るコナンの様子に、蘭が心配そうに声をかける。
 けれどコナンはすぐ側でかけられる声にも気付けないほど自らの思考に沈んでいた。
 痛いほどの緊張が伝わるのか、蘭もそれ以上はなにも言おうとしない。

「それで、警部殿?」
「ん、ああ……既に泉澤氏には連絡を取り、美術館の警備の許可はおりている。当日は警察官を百名近く待機させるつもりだ」
「ものものしいですな……」
「ああ。このまま奴に犯行を続けさせるわけにはいかん。今度こそ捕まえなければならんからな」

「――奴じゃない。奴ら、だ」

 その時突然会話に押し入ったコナンの台詞に、その場にいた者はみんな注目した。
 視線に気づいているのかいないのか、コナンは独り言のように先を続ける。

「奴らは複数の人数で幾つかのグループを組んでいる。少なくとも三、あるいは四……」
「コナン、またお前はっ!」
「待て、毛利君。もう少し聞こうじゃないか」
「ですが警部殿っ、」
「それで、それはどういう理由でだね?」

 喚き立てる小五郎は無視し、目暮はコナンに先を話すよう促した。
 子供の戯言を真に受けるわけではないが、この子供の何気ないひと言がヒントになることは少なくない。
 コナンは相変わらず顎に手をあて視線を床に伏せたまま言った。

「最初の犯行が四月二十日、それから五日後、三日後、二日後と、立て続けに事件は起きている。犯行の間隔が短い割に、現場には証拠がひとつも残っていない。つまりこれは突発的に行われたとは考えにくい、非常に綿密な計画に基づく、計画的犯行ということ……」
「コ、コナン君……? いったいどうしちゃったの?」

 窺うような蘭の声で我に返ったコナンは、自分が今、『江戸川コナン』としてではなく『工藤新一』として推理をしていたことに気付いた。
 しまったと思ってももう遅い。
 意識を集中させていたばかりにとんだミスを犯してしまった。
 コナンはあははと笑って誤魔化しながら、

「つ、つまりね、それだけの犯行をこんな短期間でたくさんしようと思ったら、どうしても仲間がいっぱい必要になるでしょ?」

 実は今朝新一にーちゃんから聞いたんだ! と、自分の名前を出してなんとかその場を凌いだ。
 なんだ工藤君かね、と納得したように目暮が溜息をこぼす。

「それから警部さん、新一にーちゃん、こんなことも言ってたよ……」
「なんだね?」

 言おうか言うまいか、コナンは束の間逡巡する。
 まだ確信がなさすぎる。
 今その名前を出すのは些か早すぎる気もする。
 けれど、備えあればこその警察だ。
 もし犯人が彼だったとしても、自分は躊躇うことなく追わなければならない。
 人が人を作ることを傲慢とするように、人が人を殺すこともまた傲慢。
 相手が誰であれ、殺人というペナルティを犯した者は、絶対に裁かれなければならないのだから。

 コナンはぐっと顔を上げると、目暮の顔を真っ直ぐ見つめながら言った。

「宝石と聞いてなにを連想しますか、って」
「宝石と聞いて……?」
「多分それ、あいつのことだと思うよ。今まで誰も顔を見たことがない、あの正体不明の気障な怪盗さん……」
「か、怪盗キッドかねっ?」
「怪盗キッドは宝石を狙う神出鬼没な大怪盗……今回の標的も宝石なんだから、一応思慮に入れておくべきじゃないかって、新一にーちゃんは言いたかったんだと思うよ」
「う、うむ。確かにその通りだ」

 目暮は頻りに頷いている。
 しかしもうひとつの闇でうごめく存在については、さすがに教えることはできなかった。
 用意周到な奴らのこと、警察に尻尾を掴まれるような真似はしないだろう。
 おそらく警察はその存在すら知らないのだから。

「とにかく警部殿、当日の警備には私もぜひ立ち会わせて下さい」
「わしもそのつもりだ。期待しとるよ、毛利君」

 それからは残りの時間を惜しむように、緊急対策本部で美術館のセキュリティや設計図と睨めっこしながら警備体制について試行錯誤を重ねた。
 犯人たちの進入経路や脱走経路を予測し、それらの全てを封じて、宝石を展示するショーケースには厳重な防犯システムを導入し、更に当日は百名もの警察官を駆り出して警備を行うことを決める。
 その警備の中に小五郎も混じることになった。

 その傍らで全ての警備体制を頭に叩き込んだコナンの脳裏を、黒い影と白い幻影が過ぎる。
 何度もちらつくその影はまるで、今回の事件に彼らが深く関わっているのだと、自分の本能が告げているかのようだった。





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