『わからない』んじゃなくて『わかりたくない』だけなんだ。
 本当は多分気付いてる。
 俺は多分、キッドに嫌われてるんだ。
 『探偵』というだけであいつに嫌われる理由には充分。

 怪我したあいつを無理に呼び止めて。
 宮野に治療をして貰って。
 治るまでは此処にいろと言った。

 多分、うんざりしたんだろう。
 一緒にいれば、近くにいれば。
 知らなくて良かったことまで知ってしまって。

 本当はわかりたくないだけなんだ…………。

 だから、これは涙なんかじゃない。
 悲しいなんて思うはずがない。
 もともと交わるはずのない道が、すれ違っただけ。
 どこまで伸びても、平行線は交わらない。


 だけど。
 それでも。

 たった一度の傾きで。
 二本の線は、いつかは交わるから。










K.I.D.










「黒羽君!!」


 バタバタと駆け込んできた志保に、うっすらと額に汗を浮かばせながらキッドは微笑んだ。


「志保ちゃん……ありがと………」

「バカ。自分から動くなんて、ほんとバカね」

「新一が倒れちゃって……傷のことなんて、忘れてた……」


 呆れたと呟いて志保は、キッドの抱えていた新一の腕を自分の肩にまわすと、力をこめて立ち上がる。
 けれど、同年代の男をひとり女が担ぐのは力的にどうしても無理がある。
 なかなかうまく動けずに四苦八苦しながら二階へ連れて行こうとすると、キッドが立ち上がって新一の体をひょいと抱き上げる。


「ちょっと…っ。何してるの、あなただって重症人よ!」

「レディにこんな重労働……させらんないよ」

「だけどっ」

「それに。運んでやりたいんだ、新一は俺が……」


 痛々しく巻かれた包帯には、赤い血がじんわりと滲んでいる。
 それでも切なげに笑うキッドに、志保はそれ以上何も言えなくなる。
 キッドは志保が何も言わなくなると、深く息を吸って、一気に部屋まで運び通した。
 どさりと倒れ込むように、今まで二人で使っていたベッドに倒れ込む。
 すぐさま後ろからついてきた志保が、二人をベッドに横たえた。


「せっかく閉じていた傷がまた開いたわ」

「ごめん……。」

「………正直、あなたがああしてくれなかったら二人なんてとても運べなかったわ。だからこれ以上は何も言わないわよ」


 一旦阿笠邸に引き返し、すぐさま治療用の道具を持って志保は戻ってきた。
 ぱっくりと傷口を開かせてしまったキッドを先に手当しようとしたけれど、どうしても新一を先に、というキッドに負けて、新一の額の傷を手当てする。


「睡眠不足、栄養失調、極度の疲労、心労……。状況から見て、貧血で階段から落ちたってところかしら。出血はあるけど大したこと無いわ」

「良かった……」

「良くないわよ。睡眠も食事もとらずに事件ばかり追ってるからこんなことになるんだわ」

「無理すんなって……言ったんだけど………」

「あなたにも原因はあるのよ。……まさか、わからないなんて言わないでしょう?」


 キッドは思わず苦笑する。
 鋭いことは知ってるけれど、どこまでバレているのか…。


「……こいつなんか言ってた?」

「いいえ。そんなこと、様子を見てれば誰にだってわかるわ。あなたが回復するに連れて彼も元気になっていたのに、最近の彼の落ち込みようは普通じゃなかったもの」


 無言になる。
 ここのところの新一の元気のなさはキッドにもわかっていた。
 そしてその原因のひとつに自分も加わるだろうことも。
 意識して彼を遠ざけようとしていたのだから。


「………俺さぁ、こいつのこと………すっごい好きなんだよね。多分言葉には出来ないくらい、誰にも理解できないくらい……すごく。」

「そんなの見てればわかるわよ。」

「はは…。だから、近くに居れて…少しでも新一の生活に加わることが出来て、すごく嬉しかったんだ。でも、近くにいればいるほどわかってしまう……自分が『怪盗』で、新一が『探偵』で……絶対求めちゃ駄目な人なんだって、改めて……実感させられる。一緒にいればどんどん好きになった。いつもこれ以上ないぐらいに好きだと思うのに、それでもどんどん惹かれていくんだ。でも、この生活にもいつか終わりが来て、彼とは離れなくちゃいけない。だから、彼に近づかないように……」


 キッドは新一の隣りに横たわり、伏し目がちに心痛な気持ちを喋っていた。
 けれどその先を奪うように、志保の両手がキッドの両頬をばちんと挟み込むように叩く。


「底なしのバカね。そんなこと、彼はとっくに気付いてるのよ。探偵だから?怪盗だから?どうやら逃げたのはあなたの方みたいね。」

「志保ちゃん……?」

「彼は探偵でありながら、怪盗のあなたをここに引き入れたのよ。受け入れたの。そんなこと、わからないような人だと思っているの…?彼は初めからわかってるわ。そのうえであなたを受け入れたのに、あなたはそんな彼から逃げるつもりなの?」

「ぁ……。」

「わかったらもうバカなことしないのね。あなたに避けられるだけで、どんなに事件に振り回されてもへこたれない彼が追いつめられているのよ」


 辛辣な言葉とは裏腹に、志保は優しい手つきでキッドの傷を治療していく。
 消毒するたびに体が揺れて、震えた声でキッドは言った。


「ありがと、志保ちゃん……」

「前にも言ったでしょ。お礼なら私じゃなくて、彼に言ってあげなさいって」

「うん……でも今は君に言いたいんだ……気付かせてくれてありがとう」


 震える声が、泣いているのかも知れない、と思わせた。
 けれど何も言わず何も訊かず、ただ苦笑しながら治療した。

 全く、二人ともバカみたいに頭が良くて、バカみたいに不器用なんだから。










 志保が博士のために昼食を作ると言って、阿笠邸に戻って数分した頃。


「…ぅ……ん……」


 隣から聞こえた声で、新一の目覚めを知る。
 キッドは優しく声をかけた。


「新一……起きた?」

「…キッド……?」

「違う、快斗だよ。」

「ぁ…快斗…」


 だんだんと覚醒してきたのか、蒼い瞳が見開かれる。
 驚いて起きあがろうとして、額の鈍痛に顔をしかめる。
 そういえば、体中あちこちが痛い。


「階段から落ちたんだよ。志保ちゃんに手当してもらったからもう大丈夫。二人してまたベッドに逆戻りだ」


 そういってふわりと笑ったキッドに、新一は泣きそうになった。
 実際、涙は流れた。
 キッドが、また……笑ってくれている……。


「どこか痛いのか……?」

「違う……」


 そのままひとしきり泣いて、その間優しく髪を撫でてくれたキッドにまた泣いた。


「ごめん。嫌な思いさせてごめん。新一」

「俺…何かしたかと、思った……」

「新一は何も悪くないから。もう……大丈夫」


 もう避けたりしないから。
 冷たい態度で、お前を遠ざけようとはしないから。
 言葉にはしなかったけれど、ただ髪をなでていた。
 そしてはっとしたように新一はキッドに向き直り、言う。


「ベッドに逆戻りって、お前……」

「ちょっと傷口開いちゃってさぁ〜」

「ちょっとって……血ィ滲んでんじゃねえかっ」

「当たり前よ。彼がここまで運んだんだもの。怒鳴る前にまず感謝なさい。」


 戸口に寄りかかった志保が、突然二人に話しかけた。
 驚いたのは新一だけで、志保の存在に気付いていたキッドはただ無言で笑っている。


「お前、その傷で歩いたのかよ…」

「うん。気にしないでよ?これは俺がバカなことした罰だと思ってるから」

「罰って……」


 訝しげに眉をひそめて、それでも新一はぽつりと言った。
 ありがとう、と。
 聞こえるか聞こえないか際どい声で。
 けれどキッドにはちゃんと届いていた。


「じゃ、私は台所借りて御飯作ってくるから……あなたたちは大人しく寝てなさい」


 くす、と笑みを残して志保は階下へと消えた。
 新一はキッドを仰ぐ。


「その……結局また同じベッドでごめん…」

「ああそんなの、あれはもう忘れてよ。正直、全然気にしてないから」

「………だけど。」


 キッドは新一の体を包み込むようにぎゅっと抱き締める。
 突然のことに驚いて、新一の手が所在なさげに彷徨う。
 抱き締めたまま、耳元に囁いた。


「大丈夫だから。もう離れろなんて言わないから。だから、今日ぐらい大人しく寝ろよ」

「………うん」


 胸の中でこくりと頷いたかと思うと、すぐに浅い呼吸が聞こえてきた。
 眠ると言って数秒で眠りに落ちるなんて、と苦笑がもれる。
 そして、それほどまでに彼の疲労が溜まっていたのだと思い、ごめんと心の中で謝った。



 相変わらず先への不安はこの胸の中にあったけれど。
 同じように胸の中で眠るこの人のおかげで随分と和らいだ。
 流した涙は戻らないし、傷つけた事実は消えないけれど。
 もう迷うことはない、と。
 迷わずこの人に向かっていけるだろうと、そう思う。

 そうして新一の寝息に誘われるように、キッドもまた眠りに就いた。



「……昼食、必要なかったわね。せっかくだからこのまま寝かせておこうかしら」


 ベッドの中でくっついて眠る二人に、志保は暖かい笑みを浮かべた。





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