「この寝室、お前に返すよ。今夜から客間借りるぜ、新一」


 キッドの言葉に新一は目を瞠った。
 正直、何故彼が急にそんなことを言い出すのかわからなかった。


「………急だな」

「そうか?」


 新一は、ここのところキッドの態度が素っ気ないことを思い出す。
 出かける前の笑顔が消え、眠るときも背を向けられ、寝ているのかどうかさえわからなかった。

 俺は何かしたんだろうか……。

 困惑が顔に出ていたのか、キッドが素っ気なく言う。


「ここまで順調にきてるんだ、もう心配ないだろ。それに、野郎二人でひとつベッドってのはあんま良い気分じゃねえし」

「あ………そっ、か。そだな……」


 相手がキッドだから、そんな普通のことすら思い浮かばなかった。
 新一は元気のない声でぽつりと零す。


「それなら、俺が移るから……お前、ここ使えよ」










K.I.D.










 その夜。
 久しぶりに一人で眠る寒さを噛みしめながら新一は布団に入った。
 寝慣れないベッドだったからかもしれないけれど、なかなか眠りにつけない。
 けれど月はそんな新一にはお構いなしにどんどんと傾いていく。
 浅い弱い眠りの波に行ったり来たりしながら、夜が明けた。
 手足が冷たくて、気持ちが冷たいと体まで冷たくなるのだと知った。

 一晩中考えて、それでもキッドの態度の理由がわからない。
 笑顔が消えたのはなんでだろう。
 わからない………


「6時30分か………」


 目覚ましが鳴るまでにはまだ30分もあったけれど、それまで布団の中にいるのが嫌で起き出した。
 体力的疲労もかなり限界まで来ている。
 そのうえ睡眠もあまりとれないとなると、いよいよ新一の体はふらついた。
 それでも時間が来ればまた警視庁へと足を伸ばさなければならない。

 軋むベッドを抜け出して、シャワーを浴びるために階下へ降りる。
 シャワーから流れ出る熱いのか冷たいのかさえわからない液体に打たれ、無理矢理意識を覚醒させる。


「キッド………お前が、よく……わかんねえよ……」





 まだ時計の針は7時を指していないのに、扉の開く音が響いた。


「…………新一?」


 もう起きてるのか、と誰もいない部屋の中に呟く。
 自分で突き放して置いて、それでも思考は彼のことばかりを考えていることに頭を振った。
 階段を下りる音がして、しばらくするとシャワーの水の音が聞こえてくる。

 今日も出かけるんだろう………?
 こんなに早く起きて大丈夫なのか。

 けれど、彼に出来るだけ干渉しないようにと決めた決心を揺るがさないために、そこで思考を打ち止めた。





 しばらくすると、階段を上ってくる音がした。
 その気配が扉の前で止まったことに気付き、キッドは扉に背を向けて寝ているフリをする。
 キィ、と古い家特有の音を響かせ扉が開く。
 新一はそこから顔だけのぞかせる。


「快斗……行ってくるから、………宮野に、後頼んどく……」


 返事は返ってこないだろうと思って、すぐさま扉を閉めた。
 むしろ返ってこないかも知れない返事を待っていたくなかった。

 携帯と財布だけをポケットに、高木刑事の迎えを待つために玄関に向かおうとする。
 溜息がこぼれた。

 いつからだろう。なんでだろう。
 すれ違うようになったのは。
 ………否。
 もとから交わってはいなかったのかも知れない。
 自分が『探偵』であり、彼が『怪盗』であるというのなら。
 交わるはずも、ないのだろう…………


 ぐらり、と体が傾ぐ。
 目の前が真っ暗で何も見えない。
 寒くて体が震える。

 ここは、どこだった――?










 ガタン、と階段から響いてきた騒々しい音に、キッドはベッドから飛び起きた。
 反動で痛み出した傷に低いうめきを漏らす。


「今の音…」


 痛む体も気にせず、ベッドから抜け出した。
 家の中には自分と彼しかいない。
 そしてその彼はたった今「出かけてくる」と言い、出ていこうとしていた。
 その矢先に聞こえた騒音。

 久しぶりに動かした体は悲鳴を上げたけれど、それでも扉をくぐり、階段まで辿り着く。
 そこから階下を見下ろし、息が詰まった。


「…新一っ!!!」


 階段の踊り場で横たわり、だらりと四肢を投げ出して、額から血を流している新一が居た。
 声をかけても反応がない。
 キッドは思うように動かない体を叱咤し、倒れる新一の元に走り寄った。


「新一、しっかりしろ!大丈夫か?…新一!!」


 額から流れる血を袖で拭って何度も呼びかける。
 なんの反応も返ってこない。


「…くそっ、だから無茶しすぎだって言ってんだ…!!」


 悪態をついても堅く瞼を閉じた瞳は開けられることなく、キッドは新一のポケットから携帯を探り出す。
 短縮機能に登録されている、隣に住む科学者へと電話をかける。
 2コール目ですぐに相手は出た。


「工藤君?」

「志保ちゃん、俺…ッ。新一が倒れた……看に来てくんないかな……」

「何ですって?良いわ、すぐ行くから待ってなさい。…あなた、呼吸が荒いわよ?大丈夫?」

「ごめ……やっぱ、まだ動くの……無理だったみたい………。」

「起きたの!?バカ…ッッ」


 プツン、と切られた携帯に向かって苦笑し、キッドもその場に倒れ込む。
 傷を負ったカ所がドクドクと激しく脈打ち、触れれば熱くなっている。
 カタカタと小刻みに震える新一の肩を、力の限りぎゅっと抱き込んだ。


「また、震えているのか……?あの時と同じだな、名探偵……」


 でも、もう大丈夫だ、と耳元で呟く。
 俺が側にいる。
 熱は、ここにあるだろう?
 寒いならしがみつけば良い。
 俺の熱を、お前が奪い去ると良い。
 こうやってお前の肩を抱いているから。



 新一の体は次第に震えるのを止めた。
 けれどキッドは握った手を離さずに。
 志保が来るまでの間、キッドはずっとそうしていた。





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