たくさん涙を流して、泣きたいだけ泣いて。
 気がついたら喉もカラカラで、潤すためにキッチンへ向かった。
 冷蔵庫を開いて、動きが止まる。
 そこにおさまった小さな箱。
 乗せられた小さなメモ。
 見間違えるはずもなく、キッドの筆跡で書かれたメモ。
 一瞬躊躇ってそれを手に取る。



『 朝飯は食え。コーヒーをブラックで飲むな。

  夜はちゃんと寝ろ。無理はするな。


       それから、夜、ひとりで泣くな。 』



 涙がこぼれた。
 もうこれ以上泣けないくらい泣いたはずなのに。


「お前……気付いてたんだな…キッド。」


 その理由までは知らなくても。


「ごめん…約束、守れねぇよ……」


 だって。
 どんな顔をすればいい。
 無自覚のうちはまだ良かった。
 だけど、気付いてしまったから。
 この気持ちがなんなのか、胸を苛む痛みがなんなのか。

 好きと言えば良いのか?
 みっともなく泣いてみせれば良いのか?

 怪盗のお前を探偵の俺が。

 好きになって。



 良いわけ、ないだろう……。










K.I.D.










 しんと静まりかえった家を目前に、キッドの予感はいよいよ強まる。
 灯りの点いていない家。
 人の気配のない家。


「新一……」


 自分の口からこぼれた名前に後押しされるように、鍵を解く。
 キィと鳴って開く窓、差し込む月光、浮かび上がった白いシーツ。
 二人でともに眠ったベッド。
 綺麗に整ったさまから眠った様子はない。
 触れても何の暖かさも示さない。
 高まる鼓動を押しやって、滲む焦りを追いやって、慎重に家の中を見て回る。

 客間、リビング、ダイニング、風呂場……
 至る所を探してみても誰もいない。
 キッドは、自分の第六感がすでにここには自分以外人は居ないのだと告げていることを無視する。
 解っていても探さずには居られない。
 何よりも愛しい、求めて止まないあの温もりを。


「新一…ッ。……いないのか?」


 キッチンへと入り、灯りを付ける。
 人影はなく、けれどキッドの視線は床に置かれているものに注がれる。
 小さな皿とフォーク、開かれた箱。
 側には自分が書き置いていったメモがある。


「あ……食べた、のか……」


 張りつめていた息を吐き、それに近寄った。
 新一は、食事や健康管理にこそ疎かったけれど、決して片づけを怠ったりはしなかった。
 けれど放置された皿やフォーク。
 やはり、何かあったのだろうか……。
 これらに手をつける暇もないほどの、火急の用事が。

 今一度新一の寝室へと戻り、何か手がかりがないかと探る。
 そこは、人が生活していたのかどうかさえ危ぶまれるほど閑としていた。
 枕元を探って、ドキリとする。


「携帯……置いて、ある」


 それは警視庁からの連絡線であり、新一にとっては常に肌身離さず持ち歩いているもので。
 それがここにあるということは、彼らからの呼び出しではないのだ。
 キッドは戦慄する。
 急いで引き出しという引き出し、置いてありそうな場所を残らず探る。
 目当てのものは見つからない。


「財布がないってことは……自分で出て行ったのか…?」


 携帯は丁寧に電源まで切ってある。
 連絡が取れないように…?
 そして見つからない財布。


「…っかんねぇ……わかんねぇよ、新一。俺は探偵じゃねぇんだぞ……」


 苦い言葉が誰もいない部屋にこだました。





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