もうすぐ夜明けも近いといった頃、突然に鳴り響いた携帯のコール音。
 志保は驚きながらもしぶしぶ電話に出た。
 聞こえた声に更に驚く。


『遅くにごめん、志保ちゃん………』

「あなた、黒羽君?こんな時間にどうしたの」

『………どうしよ……俺、どうして良いかわかんなくて……』


 電話越しに聞こえる声に生気がない。
 普段の彼の明るさを知っているだけに、志保の心配は募っていく。


「話が見えないわ。わかるように話してくれる?」


 そして、次の言葉に息を呑んだ。


『新一が……居なくなっちゃった…………』


 電話の向こうで彼は、泣いていたかも知れない。










K.I.D.










 夜中に家を飛び出すようにして出ていった志保に驚く博士を無視して、志保は工藤邸の玄関をくぐった。
 扉を開けた直後に飛び込んできた姿に、言葉を無くす。
 あまりに悄然とした姿。
 怪盗キッドの白装束を纏っている彼に、世間を賑わすような不適な態度は欠片もない。


「志保ちゃん………。」

「黒羽君…。どうしたって言うの?」


 俯いていた彼は、志保の顔を見て儚げに、けれどどこか安心したように微笑んだ。
 けれどそのどこか痛々しい笑顔に、志保は胸を締め付けられるような錯覚を起こす。


「良いわ……とにかくまずは落ち着きなさい。」


 キッドの腕をひいてリビングへと連れ込み、すでに勝手の知る台所を物色し、暖かいお茶を差し出した。
 無言の笑顔でそれを受け取って、一口呑み込む。


「落ち着いたんなら、説明してちょうだい。」


 口調とは裏腹な優しい声に感謝して、キッドは話し出した。


「今日、俺が予告状出したのは知ってるよね。」

「ええ。」


 久々のキッドの犯行予告に、マスコミは喜んでかじりついてきた。
 テレビもニュースも、キッドの復活に驚いたり喜んだり。
 現場に押し掛ける野次馬の数も半端ではなかった。


「志保ちゃんには言ってなかったけど……新一とは犯行現場での真剣勝負の約束があったんだ。まぁ、俺があいつと一緒に居たくて提案したんだけど……それにあいつも乗ってくれて……」

「……それで、最近彼はあなたの現場に顔を出すようになったのね。今まで行こうともしなかったのに、欠かさず出向く理由がわかったわ」

「うん。だけど………今日、新一は来なかった。今まで一度もそんなことなかった。気配すら感じなかった。…顔すら出さなかったんだ……」

「だからここへ来たのね?」

「何かあったのかと思って…心配になってね。だけど、新一の姿はどこにもなくて。事件かと思ったんだ……警部に呼び出しされてるんだと思った」

「……違うってこと?」

「携帯、あったんだ。置いてあった。あいついっつも肌身離さないから……だけど忘れただけかも知れないと思って、待ってた。でも帰ってこないんだ……」


 あと一時間もすれば日が昇るだろうといった時間。
 新一はどんなに事件に追われても、警部や警官達の指示で夜は帰らされている。
 名探偵だと言われても彼は高校生であり、学校や普段の生活がある。

 志保は、台所の床に放置されていた食器を思い起こす。
 小さな箱と、メモ。
 多分にそれは、キッドが新一のために作っておいたという菓子だろう。

 居なくなった。
 多分、それらの状態からして、自分の意志で出ていったのだろうと思う。
 床で食べるなどという普段の新一にはありえない行動からして、問題は彼の精神状態にあるのではないか、と。
 その菓子に何かを思い詰め、思いついたままに行動した結果が、『居なくなる』ということだったのではないか。
 志保にしてみれば、その『何か』という部分まで推測出来たのだけれど。

 こればかりは、私から伝えるべきことじゃないものね……。


「黒羽君。彼は別に事件に巻き込まれたという訳ではないはずよ。だから彼の安全は大丈夫。多分、自分の意志で出ていったのよ」

「自分の意志で?なん、で…?」

「昨日、あの後彼の姿を私は見てないわ。多分、あのお菓子の乾燥状態からしても、昨日のうちに出掛けて行ったんでしょうね」


 理由も、向かった場所も、キッドには皆目わからない。
 けれど消えてしまった人の温もりは愛しすぎて。
 側にいないと、見えないと、不安でたまらなかった。
 いくら『大丈夫』と言われても。


「工藤君が何処にいるのかは私にもわからないわ。……でも、ひとつだけ言っておこうかしら」

「なに?」

「彼が消えた理由を考えなさい。」

「新一が消えた理由……?」


 そうよ、と志保は苦笑して頷く。


「そして必死に探しなさい。はっきり言ってあなたたち、見てて歯痒いのよ。あなたが、私に話したように彼にも話せば良かったのよ。探すつもりはもちろんあるんでしょう?」

「もちろんだ。絶対探し出して、どこだろうと迎えに行く。」

「そう。それを聞けて安心したわ。私も探ってみるから、何かわかれば教えてあげる」


 志保は椅子から立ち上がり、キッドの横を通り抜けて外へ向かおうとする。
 けれど、横に立ってピタリと止まると、


「彼は探して貰いたいはずよ。素直じゃないから、絶対そんなこと言わないでしょうけどね」


 ポンと肩を叩いて、キッドの不安を拭い去るように、優しい笑顔を見せた。
 今度来る時は黒羽快斗としていらっしゃい、と言い残して、志保は阿笠邸へと引き返していった。





 静かに扉を開け、家の中へ入り込む。
 寝室へ戻ろうとすると、心配したのか、阿笠博士が顔を出した。


「何事だったんじゃ?志保くん」

「ああ博士、慌ただしくて御免なさいね。私、これからちょっと調べたいことがあるの」

「寝なくて大丈夫なんか?」

「大丈夫よ。」


 ニッコリ笑った。

 だって、きっと彼は寝る間も惜しんで探すでしょうから。
 そんな彼の為に、彼らの為に。
 私も私なりに……私にしか探れない経路でも使って、探してあげるわ。

 地下室へと降り、パソコンをつける。
 暗く静かなその研究室のモニターは、その日の夜になっても消えることはなかった。












 志保が帰ったその後。
 志保の煎れてくれたお茶を一気にぐいと飲み干して、キッドは不安な気持ちを振り払うために頭を振った。
 そして彼女の言った言葉を心に刻む。


『彼なら大丈夫よ。』

『必死に探しなさい。』


 新一は大丈夫だ。
 少々のことでへこたれないのは俺も良く知ってる。
 何よりあいつは名探偵だ。
 自分の身の安全ぐらい、自分で確保する術を持ってるはず。
 そして絶対に探し出す。
 どこに居ようと絶対見つけだして、迎えに行くんだ。


『彼が消えた理由を考えなさい。』


 新一が俺の前から消えた理由。
 見当がつくといえばつくけれど、わからないと言えば全くわからない。

 出ていく直前に彼にキスをした。
 暖かい彼の笑顔。嬉しすぎる言葉。
 気付いたときには新一は床に座り込んでいて、声をかければか細く返事が返ってきた。
 帰るときには変わらず笑顔を向けてくれた人。

 あの笑顔の裏に、怒りが隠れていてもおかしくない。
 けれどそれなら自分が迎えに行くべきではないのだろうか。


『彼は探して貰いたいはずよ。』


 彼女はそう言っていた。
 その言葉には何も根拠がないのだろうけれど。
 それでもなぜか、安心させてくれる言葉だった。


 けれど。
 自分はもう、迷わず彼に向かっていくと決めたのだ。
 彼への想いから逃げ出さないと決めたのだ。

 罵られることも、怒鳴られることも、今は二の次だ。
 何よりも自分は彼を捜さずにいられない。
 見つけて迎えに行って、怒られたなら御免と謝って。


『彼に話せば良かったのよ』


 そうだ。
 この気持ちを、新一に伝えるためにも、俺は彼を探し出す。
 止まらないために、前に進むために。



 迷わず彼に、向かっていくために。





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