ばたばたばた……ガチャ、ばたんっ


 聞いてるこっちが冷や冷やするような、そんな危なっかしい足取りで。
 猪突猛進で阿笠邸を後にした快斗を、志保は呆れ半分、といった表情で眺めていた。
 そう、まだ話はこれで終わっては居ないのに。

 心はすでに工藤君のところってわけね。

 ふぅ、と短く息を吐く。
 多分向こうもこちらからの連絡を待っていることだろう。
 探偵並ではないが、こと工藤新一のことにかけてはそれすら凌駕する直感力を持つ志保。
 良すぎる頭脳を持った怪盗は彼のことで頭が一杯で、現在他のことに使える頭脳は残ってない様子。

 志保は再び受話器を取ると、ゆっくりとリダイヤルボタンを押した。
 案の定、相手は大したコールも待たずに出てくれる。


『姉ちゃんやったらかけてくるやろ思たわ。』

「えぇ、ちょっと彼は工藤君のことでいっぱいいっぱいみたいだから、仕方なく、ね。」

『素直やないなぁ。ほんまは姉ちゃんも気になっとるんやろ?』

「気にならなくはないわよ。でも、自分から消えたんなら自分で帰ってきなさい、というところね。」

『はは、ほんまキッツイなぁ。まぁええわ。』


 …ほな、本題に入ろか?










K.I.D.










『単刀直入に言うわよ。貴方、彼の正体に気付いてるんでしょ?』


 志保の質問に、ほんま直球やなぁと苦笑をもらす。
 やはり彼女は侮れないなと思い直して。


「まぁな、予想はつけとるけど。けど、“正体”っちゅーとこからして、あながちハズレとらんみたいやな。」

『当たってるわよ、その予想。』

「ふぅん。」


 あの、確保不能の犯罪者が、工藤をねぇ…。

 現在平次は携帯を横手に、部室で休憩をとりながらの会話だ。
 たまたま休憩(サボリとも言う)をしに部室に居た時にかかってきた電話。
 表示が見知らぬ番号だったが、なんとなく直感を感じて出てみたのだが。
 大当たりだったわけで。


『それでどうするのかしら?彼を捕まえる?』


 目下の処、彼女が聞きたかったのはこれだろう。
 なんだかんだ言っても新一と快斗に甘い志保だ、ここまで関わっておきながら放っておくことは出来ないのだ。

 平次は答えに間をおいた。

 確保不能の大怪盗、警察を手玉にして手口鮮やかに獲物を盗む、怪盗キッド。
 探偵なら喉から手が出るほど捕まえたい犯罪者、それはそうに違いない。
 が。


「冗談、俺には手ぇ出されへんわ。確かに魅力的な話やけどな。」

『あらどうして?捕まえたけれど捕まえれば良いのに。』


 心にもないことを、と顔をしかめる。


「ほんなら、姉ちゃんやったら捕まえられるんか?捕まえて欲しないから、こうやって電話して来てんやろ?」

『…………。』

「今あいつをどないかしてもうたら、それこそ工藤の奴…どないするかわからんやん。」


 あんな追いつめられた顔で、自分の現実を放り投げて逃げ出してきた新一。
 そんな彼は、今まで幾度となく共に事件を追ってきて、一度として見たことがなかった。
 探偵としての工藤新一は強い。
 信念を持ち、曲がったことは、例えそれが危険であったとしても、彼が探偵である限り見て見ぬ振りは出来ないのだ。
 それが愚かな行為だとしても。
 だが、探偵ではない工藤新一は、ひどく脆い部分も抱えている。
 自分の気持ちを認識するのが下手だったり、相手の自分に向けられる気持ちを認識出来なかったり。
 つまり、そういう理由で逃げてきているのだろう。


『それで良いの?』


 不意にかけられた言葉。
 まるで自分の思考を読み透かしたような台詞に、平次は出てくる苦笑を堪えることが出来なかった。


『貴方、工藤君のこと好きなんでしょ?』

「……なぁ。あいつと関わって、ちょっとでも付き合って…あいつに惹かれへん奴なんかおらんやろ?」

『…ええ、そうね。』


 何を隠そう、あんたもそのひとりやろ?


「せやけど、あいつが惹かれる奴は少ないんや。もちろんまわりを大事にはしとる、せやけど…な。」


 この『好き』は、恋愛感情ではないのだ。
 ただ無条件に、守ってやりたい、一緒に闘いたい、力になりたい。
 そういった思いなのだから。

 望まれたのは、自分ではない。


『…そう。ごめんなさい、忘れて。』

「ああ、こんだけ聞いたら安心やろ?多分今日、明日中には帰って来るんちゃうか。大人しぃ待っとり。」

『当たり前よ、わざわざ大阪まで遠征なんて冗談じゃないわ。私は彼みたいに、それこそ、飛んでいくことなんて出来ないし。』

「そらそうや。帰ってきたらしっかり叱ったってや。」

『任せて頂戴。それなら慣れてるわ。』

「ああ、ほな、宜しく頼むわ。」

『ええ。有り難う。』


 笑いながら、平次は電話を切った。
 おそらく彼女と自分とは似た思考の持ち主なのだろう、と思った。
 恋愛感情以上の特別さを彼に感じ、何を置いても彼を優先してやりたい。
 そんな、まるで家族のような、兄弟のような…無条件で力をかしてやりたくなる、気持ち。

 そういう関係を望んだわけではなかった。
 別に恋愛関係であっても良かったはずだ、彼の側に居れたのなら。
 ただ彼が選んだのは自分じゃなく、彼女でもなく。
 たったひとり。
 おそらく、この世で唯一の、最高の好敵手である、あの男。
 怪盗キッドだけなのだろう…。

 なんだか久しぶりにしみじみしそうになった気持ちを切り替えて、布石とばかりに浮かれながら電話をかけるのだった。










* * *


 平次からの電話が来たのが3時間ちょっと前。
 今夜は部活でちょっと遅くなるから、御飯はちょっと待っててくれ、とのこと。
 新一は外に出る気はなかったし、別段食欲もなかったので、いつも通り家の中で暇を潰していた。
 テレビもニュースも面白いものはやってないし、この家にある本ときたら漫画ばかり。
 …と言っても、今の状況では“面白いこと”なんて見出せないのかも知れないが。

 時刻はそろそろ9時をまわりきって、10時になろうとしている。
 こんな時間まで部活なんて熱心だなぁ、と思いながら新一はただぼーっと時間を過ごしていた。

 と、そこで漸くインターホンが鳴る。
 新一はなんの躊躇いもなく、そこに誰が立っているのか確かめもせずに扉を開いた。

 いつもここに尋ねてくるのは平次ひとりなのだ。
 それも当然で、ここの住人は本来なら海外に留学中で、まだもう少ししないと帰ってこないはずなのだから。
 勿論平次は誰にも言うはずがないと信用してる。
 だから、安心しきって扉を開けたのだが。

 そのまま、固まってしまった。



 立っていたのは平次ではなく……変装を解いたキッドだったのだから。





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