大慌てで、取るモノ取らずで駆け出して。 気付いたらまだ制服のままだったけど、今更気にすることでもなかった。 彼は知らないだろうけど、教えたのは紛れもない本当の名前で。 晒していたのも本当の素顔で。 今更、そんなものはどうでも良かった。 怪盗だとか、探偵だとか。 自分が怪盗である前に、俺は黒羽快斗で。 彼が探偵である前に、彼は工藤新一で。 ただ、顔が見たかった。 顔を見て、声を聞いて、出来るのなら触れたかった。 失っても消えることのなかった熱を、この腕の中に感じたかった。 思い切り抱き締めて。 そして伝えたいのは…… 「…新一っ…」 呆然と佇む彼を、溢れてくる気持ちのままめちゃくちゃに抱き締めた。 |
K.I.D. |
ドアを開けたら、そこには居るはずの男が居なくて、居ないはずの怪盗が立ってた。 絶対に逢いたくないと思いながら、凄く逢いたくて仕方なかったから。 幻でも見たのかと…真剣に思った。 でも、その幻は視界に入った途端抱きついてきて。 抱きついてきたその衝撃を堪えることが出来なくて、ふたりはそのまま玄関先で倒れ込んでしまった。 それでもなお骨も軋む勢いで、ぎゅうっと抱き締めてきて。 その腕の強さが…幻じゃないんだって証拠。 「…新一っ…」 耳に気持ちいい低めの声は、聞きたくて仕方なかった大好きなあの声。 抱き締めてくる、夜空を舞う白い魔術師の腕も。 頬に掛かる癖のある髪も。 何もかも。 哀しいぐらい、知っていて。 「新一、新一、新一…っ」 何度も何度も繰り返し呟かれるのは、自分の名前。 まるでそれしか知らない子供のように、譫言のように繰り返される。 秘められた、激しく揺れる感情の渦を忠実に伝えてくる、熱っぽい声音。 「…キッド……」 新一はまわされた腕を払うことも出来ずに、ただ呆然と名前を呼ぶしかなかった。 どれぐらいそうしていただろうか、多分時間にしたらさほど長くもない時間。 一分にも満たない、短い数秒間。 でも、ふたりにとっては…永遠にも近い時間。 先に口火を切ったのは快斗の方だった。 「…新一……ごめんね。」 抱き締めていた腕を解いて、ゆっくりと体を離す。 上体を起こした快斗を見て。 新一は言葉を失った。 「…キ…、ッド……」 頬を伝うのが涙で、快斗が泣いているのだと知って。 新一は理由の解らない衝撃を受けた。 自分が泣いていると気付いているのかいないのか、快斗はまるで頓着してない様子で続ける。 「ごめんね。ずっと謝りたかった。ほんとに、ごめん…。」 「何、言ってんだ、よ…」 何も、快斗に謝られなければならないようなことはないのに。 悪いのは自分なのに。 勝手に約束を破ったのも、勝手に現実から逃げたのも、…勝手に、好きになったのも。 全ては、己が招いたことなのに。 「新一を追いつめたのは俺だ。あんなに生き生きしてたのに…お前の瞳を曇らせたのは、俺の所為だから、だから…ごめんなさい。」 流れ落ちる涙がまるでスローモーションのようだ。 なんでこいつはこんなに綺麗に泣くんだろう。 彼は悪くないのに。 泣く必要は、ないのに。 「違うっ!お前は何も悪くない、謝ることはないんだっ」 必死の声で否定した新一に、快斗はただ泣いたままにこりと穏やかに微笑んで。 ふわりと両手で新一の頬を挟み込んだ。 「…この一週間、必死で新一の行方を捜してた。」 「ごめん…約束破って…」 「…なにがなんでも絶対に新一を見つけてやるって思ってた。見つけて、逢って、抱き締めて、謝って。」 「キッド…」 「でも、キスしたことは謝らない。だって後悔なんか少しもしてないんだ。」 「……え?」 新一の瞳が見開かれるのを、快斗はは断罪を責められる心地で見つめていた。 ここで止めてしまえば楽だろう。 でも。 もう戻れないところまで来ているのだ。 この気持ちは、もうこの胸のうちだけでは収まらない。 「新一は…俺のことなんて、嫌いかも知れないけど…。」 自分で呟いた言葉が突き刺さる。 こんなことで、面と向かって彼に“嫌い”だと言われたら。 自分はどうなってしまうのだろう。 「怪我して、なんの義理もないのに転がり込んで…勝手な思いで傷つけて…泣かせちゃったし…」 嫌われたっておかしくない、むしろ好かれる方が難しいほど。 「俺は怪盗で、新一にとっては敵でしかないのかも知れない、けど…それでも… …新一のことが、…好き、だ……。」 この世界の、誰よりも。 居ないとばかり思っていた神様は、居るのかも知れないと、思った。 「それ、本気、かよ…っ」 知らず冷たいモノが頬を伝った。 新一もまた、涙を流していたのだった。 願ったものが、あまりに突然に、手の中に舞い込んできた。 都合の良い夢を見ているのかも知れない。 そう思ってしまうのも無理はないだろう? だって、それほどまでに焦がれたのだ。 夢を紡ぎ出す魔法の指先も。 幸せを囁く優しい声も。 意志を秘めた強い双眸も。 全部、全部。 焦がれて、仕方がなかった… 快斗は返事の変わりに、新一の体を再び抱き締めた。 拒絶される恐怖と、受け入れられる願望をない交ぜにした気持ちのまま。 ただ、疑われることだけはないようにと。 「新一が大好きだ。ずっと…愛してた。今も、これからも…嫌われても…この気持ちだけは偽れない…ッ」 めちゃくちゃに抱き締めたい気持ちを、腕に込める力で伝えた。 「受け入れてくれなくても…この気持ちを認めてくれたら、それで…」 それで、構わない。 続けたかった言葉は、新一の両手が奪ってしまった。 それまで腕の中でじっとしていた彼の両手が伸びて、交差するように快斗の口を覆った。 それ以上は言うな、と。 快斗はそれを拒絶と受け取って、哀しさと切なさを織り交ぜた色を瞳に浮かべたが。 「俺、も……。」 新一が微かな呟きを嗚咽に混ぜて吐いた。 俺も? …俺も、なに? 新一……! 口を押さえられているため、快斗は目で必死に訴えた。 その先の言葉を、どうしても聞きたい…! 「…俺も……お前、が……」 吐息も触れんばかりの距離で、新一が囁く。 小さな小さな声で。 この世の誰にも、目の前の男以外には聞き取れない声で。 ………スキ。 BACK TOP NEXT |