脳 内










 快斗は、眉間に皺を寄せたしかめっ面で目を閉じている、近すぎて焦点の合わない目の前の顔をぼんやりと眺めた。
 その顔はどことなく自分と似たつくりをしている。
 血の繋がりなど一切ないのに、なんの因果か、十人いれば十人が「双子ですか?」と口にするこの相手は、世界に名を馳せる大怪盗たる快斗にとってはまさに天敵とも呼ぶべき好敵手――高校生探偵、工藤新一。
 その探偵と、こうして顔を突き合わせ、なぜか口と口をくっつけている。それどころか、舌と舌までもが絡み合っている。
 もう、五分も。
 なぜこんなことになったんだったか――。
 快斗は半ば投げ遣りな気持ちで、ここまでくればもう意地だとばかりに舌を絡ませながら、ほんの数分前の出来事を思い出していた。



 快斗はその日、工藤邸に遊びに来ていた。いや、その日も、と言った方が正しいだろう。有り体に言えば、快斗は工藤邸に入り浸っていた。
 怪盗と探偵という対極の存在でありながらなぜそんなことになっているかと言えば、二人は宿命の好敵手でありながら、秘密を共有する共犯者でもあるからだ。
 と言っても、別にお手々繋いで仲良く悪に立ち向かおう、なんてウツクシイ友情物語があったわけではなく。単にそれぞれ人には到底話せないネタを掴まれているという、どちらかと言えば非生産的な関係でしかなかったのだが。
 そもそも快斗に工藤新一が江戸川コナンであったことを言い触らす気がないように、新一にも快斗がキッドであることを警察にたれ込む気はないらしく、二人はこの気楽なお友達ごっこを楽しんでいた。
 なにせ、お互いの弱点を既に晒してしまっているものだから、二人には遠慮というものがまるでない。その上互いに高すぎる能力を持つ二人なので、なにをしようとされようと簡単にヘコたれることもない。
 だから、なにも飾らずありのままの自分でいられるこの関係を、口にせずとも二人とも気に入っていた。
 そしてこの日、二人はちょっとしたことで口論になった。
 きっかけは快斗の下らない一言だ。
「新一、まだ蘭ちゃんに告ってねーの?」
 一緒に登下校はしているのにどこにも寄らず、彼女を家まで送ることもなく真っ直ぐ家に帰ってくる新一。
 小学生だった頃はあんなにも独占欲を露わにしていたくせに、いざ工藤新一に戻ればこれかと、ちょっとしたからかいも込めての言葉だった。
 すると新一は不機嫌そうに眉を寄せ、それでもうっすらと頬を染めながら。
「……オメーには関係ねーだろ」
 と突っ慳貪に返した。
 その反応があまりにも予想通りで、新一が奥手で恋愛音痴であることを知っていた快斗は、止せばいいのにそこでいらぬ一言を放ってしまったのだ。
「ま、奥手の新一君はキスもしたことなさそうだもんな♪」
 その言葉が新一の闘争心に火を点けた。
「ほーォ。まるで自分は百戦錬磨みたいな言い方じゃねーか。オメーの方こそ、中森さんとキスのひとつもできねーくせに」
「……できねーんじゃなくて、してねーだけだっつの。青子みたいなお子ちゃまには、キスなんてまだまだ早すぎるんだよ」
「はっ、どうだか。んなこと言って、ほんとはしたことねーからできねーんだろ」
「それは新一だろ」
「俺はしたことある」
「俺だってあるぜ」
 むむむ……と睨み合うこと、暫し。
 先に口火を切ったのは快斗だ。挑発するように口角をつりあげ、相手を見下ろすようにくいと顎を持ち上げる。
「どうせ、キスっつっても人工呼吸とかそんなオチじゃねーの?」
 すると新一も口端を持ち上げ、下から睨みつけるように目を細めた。
「オメーこそ、気障ったらしく手だの頬だのにするのをキスだなんて言うんじゃねーだろうな?」
「けっ、キスって言うからには舌をべろべろに絡めたヤツに決まってんだろ」
「ふんっ、俺だってそのつもりだ」
「上等じゃねーか」
「上等だ」
 バチバチ、と火花を散らす二人は、この時にはもうカッカと脳みそが沸騰していたのだ。
 でなければ、常の冷静な二人の口から、よもやこんな言葉が飛び出るはずもなく。

「どっちの方がキスがうまいか、それで決着をつけてやる!」

 ――そうして今に至るわけだ。
 快斗は自分の馬鹿さ加減に本気で呆れてしまったが、今更後には退けなかった。ここはひとつ勝負に勝って、せめて勝利をもぎ取らなければ割に合わない。
 快斗は逸れていた意識を集中させ、目の前の探偵の攻略へと本腰を入れることにした。
 それにしても、新一は、意外なことにキスが巧かった。初心者のように呼吸困難に陥ることもなく上手に鼻で息をしているし、絡んでくる舌もピンポイントで性感帯を刺激してくる。
 それでも快斗を籠絡するほどではなかった。なんというか、ヘタではないのだが、テクニシャンと呼ぶにはほど遠いと言うか。もしかしたら彼が言うように本当にキスをしたことはあるのかも知れないが、頭でっかちで器用な彼のことだから、知識だけでもある程度はこなせるだろうとも思う。
 どちらにしても、百戦錬磨とは言わないけれど、量より質でテクニックを磨いてきた快斗の敵ではなかった。
 快斗は絡まってきた新一の舌を根本から絡め取ると、きゅう、と吸い上げた。その途端、新一の体がビクリと震えた。
 なにも舌を絡ませるだけがキスではない。極端な話、キスだけでオーガズムに達することだってできるのだ。
 快斗がそのまま角度を変えて二度、三度と吸い上げると、新一は小さく戦いた。じわりと口内に滲み出てくる唾液は彼が感じている証拠だ。わざと水音を立てるように舌を絡ませれば、新一の頬が恥ずかしげに薄く染まる。
 分かってはいたけれど、やはり彼の経験値は低かった。幼馴染みの少女にあれだけ真っ直ぐな恋心を抱いている男だ、単なる生理現象とは言え、ただ性欲を処理するためだけに女を抱いたことがあるとも思えない。その証拠に、ほんの少しリードするだけで彼は追い上げるどころかついてくるのさえ必死の様子で快斗のキスに応えている。
 不意に楽しくなって、快斗は更なる攻撃を仕掛けることにした。
 学校帰りの新一は制服のブレザーを脱いだだけの格好なので、今はスラックスにカッターシャツといった出で立ちだ。そのカッターシャツの上から、胸へとそっと手を忍ばせた。
 女のような膨らみなどもちろんないが、お世辞にも筋肉質とは言えない新一の胸には不思議な弾力がある。その感触を楽しむように軽く撫でさすり、すぐに力を込めて親指の腹で胸の中心を刺激するように押し潰した。
 慣れない感触に新一がふるりと肩を震わせる。普段ならなんということもないその感覚も、舐めるようなキスで感覚の鋭敏になった今の新一には快感として認識されたらしい。
 快斗の意図を察した新一は目を開けると、きつく眉を吊り上げながら睨みつけてきた。熱に浮かされ潤んだ瞳と紅潮した顔ではいつもの鋭さも半減だったが、それでも何が言いたいのかは分かった。
 ――キスをするとは言ったが、そんなことまでするとは言っていない。
 その訴えを、けれど快斗は無視した。二度とこのネタで舐められないためにも、彼には快斗の方が上手なのだと思い知ってもらわなければならないのだから。
 快斗は新一が逃れられないように左手でガッチリと後頭部を抱え込むと、右手で丹念に胸を愛撫した。揉み込むように掌で撫で上げたり、指で挟んで摘んでみたり。爪の先で押し潰すように刺激してやれば、堪えきれないとばかりに新一は声を漏らした。
「……ふ、……ん……っ」
 快斗の肩を押し返そうと掴んでいた指に力が籠もる。その指先でさえ小刻みに震えている。
 新一は明らかに快感に打ち震えていた。
(スゲー、こいつ、めちゃめちゃ感じやすい体してんだな)
 思わずと抵抗の緩んだ隙に、快斗はスラックスからシャツの裾を引っ張り出すと、その隙間から右手を差し入れ、既に勃ち上がりかけている胸の先端をキュッと摘み上げた。
「ふあっ……!」
 焦れったいような布越しの攻撃から一転、直接の刺激に脊椎を電撃が走り抜け、新一は堪らず喉を逸らして嬌声を上げた。ずっと合わせていた唇も離れ、舌と舌とを繋ぐ唾液が細く光る。
「快斗、テメ……っ、いい加減にしろよ!」
 真っ赤な顔で睨みつけてくる新一を、快斗はニヤニヤと笑いながら覗き込んだ。
「じゃあ俺のがウマイって認める?」
「それとこれとは話が別だろ!」
「んじゃ、やめない」
 言うが早いか、快斗は新一の体を押し倒した。慌てた新一が体を起こす前にのし掛かり、邪魔な腕は左手ひとつで頭上に縫い止める。
 ちなみにここはリビングだ。カーペットこそ敷かれているけれど、ベッドもなければシーツもない。
 そんなところでこんな時間からなにをやっているのかと思わなくもないけれど、快斗は予想外にこの展開を自分が楽しんでいることに気づいていた。いつもは全く可愛げのない探偵が焦る様は見ていて楽しいし、焦る探偵の顔が思ったよりも可愛いことも理由のひとつだろう。
 それでも、この時の快斗にとってはまだ『遊び』でしかなかった。
 クラスメートや友人たちとの猥談の延長上にあるような戯れでしかなかった。
「なっ、にを……ヒァッ」
 拘束から逃れようと体を捻る新一に覆い被さり、その耳へと舌を這わせる。
 思った通りそこも弱いらしい新一は悲鳴を上げた。
「あ、あ……っ、この、……やめろって!」
「なんで? 新一、気持ちよさそうじゃん」
「気持ち、ワリ……んああっ」
 ぬぐりと奥まで舌を差し込んでやれば、新一は全身を震わせながら背中をしならせた。足の間にねじ込んでいた体をぎゅっと締め付けられる。
 そんなにも気持ちよかったのならと、快斗はしつこく耳を甚振った。縁を辿るように舐め、柔らかいところに歯を立てて甘噛みし、奥の奥まで舌を差し込んで。それでいて胸への攻撃の手も緩めずに。
「ヤッ、かいっ、もうやめ……っ」
「だめ」
「ふあっ、アッ、ヤァッ」
 ひっきりなしに上がる嬌声が楽しくて、快斗はすっかり調子に乗っていた。普段は悪態ばかり吐く口が、快斗の与える愛撫で上擦った声を上げているのだ。楽しくないわけがない。
 快斗は片手だけで器用にシャツのボタンを外すと、露わになった素肌へと今度は舌を這わせていった。
 すっかり体温の上がった新一の体はうっすらと汗ばんでいたけれど、不思議と抵抗は感じない。ほんのりしょっぱいのに、どことなく甘くも感じる。むしろもっと味わいたいとさえ思って、快斗は胸から腹筋、脇腹と丹念に舐め上げ、臍の窪みにまで舌を差し込んだ。その度に新一は悲鳴を上げ、腹筋をヒクヒクと震わせ、最早解放されたところで抵抗する力もない手で快斗の髪を無意味にただ引っ張って。
 快斗がその変化に気づいたのは、唾液をまぶすように臍を舐め尽くした時だった。
 汗ではない体液で濡れそぼった腹を満足げに見下ろした、その更に下で、ひっそりと存在を主張する下肢の膨らみ。
 当然のことだった。セックスの前戯とも呼ぶべき愛撫を仕掛けていたのだから、快感と直結しているそこが反応を示すのは当たり前。
 それよりも、そこが反応してしまうほど感じていた新一がどんな顔をしているのかと、したり顔で見遣った快斗は――息を飲んだ。

 はだけられて肘の辺りでくしゃくしゃになっているシャツ、そうしてなにものにも遮られることなく晒された、薄桃色に染め上げられた柔肌。
 既に力の入らないらしい四肢はだらりと投げ出され、それでいて時折跳ねる足が、彼がまだ快感の余韻の中にいることを知らしめていて。
 は、は、と短い息を吐く、無防備に開かれた口、そこから覗く瑞々しいほど紅く熟れた舌。
 そして極めつけは、紅潮した顔と、視点の定まらない、熱に潤んで蕩けきった蒼い瞳。

 ずぐりと、腰にきた。
 それまで感じていなかった熱が一気に駆けめぐり、急激に下肢を熱くする。
(なんだ、これ)
 眼下に横たわる艶めかしいイキモノに、快斗の喉がゴクリと鳴った。
 確かに新一なのに、自分と同じ男なのに。どうしてこんなにも淫靡なのか。
 まるで見たこともない官能的な表情で横たわっている新一に、快斗の下肢は間違いなく反応していた。
 そしてそんな自分に快斗は激しく戸惑った。
 新一が蘭を好きなように、快斗は青子が好きだった。今はまだ怪盗キッドという危険な副業を抱える身なので幼馴染みとしての関係を抜け出すつもりはないけれど、いずれは彼女と恋人になる未来を夢見ていた。
 つまり、快斗の性的嗜好は至ってノーマルだったはずなのだ。
 それなのに。
 何度見ても、見る度に、口の中には生唾が溢れてくる。脳髄が掻き回されたように混濁し、沸騰し、体が熱くなる。
 誤魔化しようもなく、快斗は欲情していた――工藤新一に。





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