その日――

 俺の世界は静かに幕を閉じた。















禁じられた















「工藤君」

 控え目なノックとともに声を掛けられ、俺は窓の外へと向けていた顔を戻した。
 声の主は灰原――もとい、宮野志保だ。彼女は組織の壊滅とともに元の姿に戻っていた。そしてもともと教育課程を修了していた彼女は、医師免許を取得。現在は俺の主治医なんてものを請け負ってくれている。

「どうした?」
「FBIの人が、貴方に聞きたいことがあるって」
「分かった。通してくれ」

 僅かに戸惑う気配を見せながらも宮野は素直に頷く。
 一旦彼らを呼びに行った宮野は、FBIの捜査官を数名引き連れてすぐに戻ってきた。

「こんにちは、ミスター・ブラック。このような格好で失礼します」
「え? ああ…それは構わないが…」
「どうかされましたか?」

 様子のおかしいジェイムズに首を傾げれば、彼は言い辛そうにしながらも、遠慮がちに口を開いた。

「いや、その…なぜ私だと分かったのか、と…」

 ああ、と俺は納得した。
 そりゃあ不思議に思って当然だろう。
 なぜなら俺は、全盲という、明暗すら全く判別できない、視力障害の中でも最も重度の失明に陥っているのだから。



 ――一年前。
 俺は、因縁の組織との決着の日を迎えた。
 元の体を取り戻し、自分の体と頭に刻み込まれた情報を武器にあらゆる機関を利用し、奴らの一斉検挙に踏み出した。
 そしてそれは成功したと言っていいだろう。
 ただ、何の犠牲もなくそれを成し遂げられたわけもなく、十数名の尊い命と数多の負傷者、そして俺の両目を奪って漸く事件は解決した。

 その日以来、俺は暗闇の世界で生きている。
 おかげでもともと鋭かった五感は視力を除いて更に鋭さを増した。そして何より、第六感が恐ろしく鋭敏になった。
 足音だけで歩いている人数が分かるし、面識のある人ならその歩き方だけで誰であるか判別できる。肌に感じる空気の流れで物理的な状況は克明に理解できるし、微妙な気配の変化で相手の感情も読みとれる。

「人間はひとつの器官を失うと、その代わりを果たそうと他の器官が発達するとよく言うでしょう? 僕も同じです。たとえこの目を失っても、僕の推理力が失われたわけではありません」

 その説明で納得してくれたのか、ジェイムズが頷いたのが分かった。

「それは、我々にとっても朗報だ」
「…と言いますと?」
「是非にも、今一度君の力を借りたいのだ」

 ジェイムズが言うには、例の組織の残党が怪しい動きを見せているのだと言う。
 当然だろう、と俺は思った。
 あれだけ巨大な組織だ。一度の掃除でこびり付いた錆を根こそぎ洗い流すことはできないだろう。それが再び勢力を持とうと再結成を計ることはもとより予想していたことだ。組織瓦解からたった一年という、随分早い時期ではあるが。
 そしてその情報を手に入れたFBIは、何とか組織の再結成を阻むために新たに対組織チームを編成したらしい。
 新たに、と言ってもメンバーは当時の信頼のおける優秀な捜査官ばかりらしいが、何でもチームのブレインとして、俺にもプロジェクトに加わって欲しいのだとか。

「それは、僕の目が見えないと分かった上での要請ですか?」
「そうだ。それに、目が見えずとも推理力は変わらないと言ったのは君だ」
「…確かに」

 さて、どうしたものか。
 もちろん、俺としては異論はない。
 これまで散々関わってきた組織であるし、その後始末を他人に任せてのんびりできるほど自分が図々しいとは思わない。
 むしろ、そんなふざけた組織は二度と蔓延らせてやるものかとさえ思う。
 ――だが。

「…申し訳ないが、息子をそんな危険に関わらせるわけにはいかない」

 扉を開けて入ってきたのは、父さんだ。
 ジェイムズは彼の突然の登場に驚いているが、既に五分前から彼が廊下にいたことに気付いていた俺は、別段驚くこともなかった。
 ただ、漏れそうになる溜息をすんでのところで我慢する。

「これは…工藤優作さんですか」
「ブラックさん。貴方もご存知の通り、この子は目が見えません。そんな彼をそんな危険なプロジェクトに巻き込んで、もし彼に何かあったらどうするつもりですか?」

 父さんはジェイムズの言葉など無視して、ただ言うべきことだけを告げる。

「息子はここにいるのが一番安全なんです」



 ――あの日。
 俺の世界は静かに幕を閉じた。
 あの日以来、俺は暗闇の世界で生きている。
 暗い、狭い、檻の中で生きている。
 その隅で、夢を見ている。
 光に満ちた世界を夢見ている。

 緩やかな死を迎える、その日まで。





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