「総員、準備は良いな!?」 無線を片手に怒声を飛ばす、二課の熱血警部中森銀三。 耳にかけたインカムで聞いていた部下たちは、その怒声に思わず耳を押さえた。 じんじんと鼓膜に木霊し、恨みったらしく顔を歪めながらの個々の連絡が入ってくる。 全ての準備が整っていた。 目の前には、そびえ立つような豪華な大型客船、アルテミス号がある。 港に停泊し出航するのを今か今かと待っているのだ。 「警部さん。そろそろ乗船を初めても宜しいですかな?」 「構いません。刑事達は既に配置につきました」 黒いスーツを着込み前髪をワックスでびしりと整えた壮年の男性は、頼みますよ、と会釈をして踵を返す。 彼は佐々山孝太郎と言い、一代で巨万の富を築き上げた青年実業家であり、このアルテミス号の持ち主でもあった。 今回、その豪華客船アルテミス号に中森警部が乗り込むことになった理由は、勿論“怪盗キッド”である。 警視庁は丁度一週間前に予告状を受け取った。 標的はアルテミス号のメインホールに飾られたシャンデリアに散りばめられた宝石で、中でも一際大きなビッグジュエル。 その宝石がビッグジュエルだと公になっていなかったにも拘わらず予告状を送りつけてきたことは、流石は怪盗キッドと言ったところである。 直接予告状を送られた佐々山氏は驚き、急ぎ警察へと駆け込んだ。 キッドの約一ヶ月ぶりの犯行に、中森警部は飛びつくように一も二もなく警備を引き受けたのだった。 そして予告日の、今日。 ただでさえ人気のクルージングツアーに、更にキッドの特典もついたとあっては予約はすぐに満杯となった。 アルテミス号のクルージングは決して安くない。 スイートやロイヤルクラスになれば、一般人には到底手が届かない額となってしまう。 ステートクラスならば、と思い切って参加する人もいるが、今回に限ってはロイヤルスイートまでの全室満員となっていた。 さすがは国民アイドル(笑)のキッドである。 だが、正確には予告された期間は今日から10日の間なのだ。 今日この東都の港から出航し、10日をかけて南西諸島の海を巡るクルーズ。 暗号を解けば書かれていたのがそれだけで、何とも大雑把な予告状に呆れていた警部ではあったが、だからと言って警備に隙を作るはずもない。 中止を勧めた警部だったが、これだけ人が集まってはどうすることも出来ず、結局このまま運航することとなったのだった。 総責任者として、アルテミス号の持ち主である佐々山氏も今回に限り乗船する。 その他に乗船するのはスタッフと一般客、警部を含む私服警官数名と制服警官が少数、そして…… 「では、僕達も乗り込むとしましょう!」 自信に満ちた不適な笑みを浮かべる迷探偵もとい白馬探に声を掛けられた警部は、うんざりと眉間に皺を寄せた。 |
月下美人 |
「おかしいですね…」 気でも違ったのかと疑いたくなるようなコスプレ姿の白馬、そして相変わらず渋面を浮かべる警部。 ふたりは同じように顎に指をかけながら、う〜んう〜んと唸っていた。 彼らの前には、少し紅く張れた左頬を痛そうにさすっているスタッフたちがずらりと並んでいる。 中には涙目になっている者もいて、ここで何が行われたのかは一目瞭然だった(笑)。 「僕の推理では、怪盗キッドはスタッフとして潜入すると思ったんですが…」 「確かに、スタッフならかなり動きやすいと思ったんだが」 一般人なら入れないような裏方にも回れるのだから、小細工を仕掛けるにも何かと便利である。 そして当然、単独であるキッドは一般人、それもひとり旅の客として参加するしか方法がない。 けれど、わざわざ疑ってくれと言わんばかりのそんな方法で乗り込むとは考えにくかった。 それならば、単独で乗り込んだところで何ら問題ないスタッフとして乗船するだろうと睨んでいたふたりだったが…… こうしてスタッフ全員の頬を抓りあげてみても、キッドは見つからなかった。 直にアルテミス号は出航する。 一般客乗船ゲートとは別に設けてあるこのスタッフ用ゲートにて乗船する前に頬を抓ねってみたのだが、効果はなし。 とりあえずこれでここからのキッド侵入はないと判断し、警部と白馬は一般ゲートへと向かった。 私服の彼らは、高校生の白馬がいることもあって一見にして刑事とは解らない。 ひっそりとゲート横に立ち、怪しい素振りを見せる客はいないかと目を光らせていたふたりだったが。 ふと、視線を奪われる。 奪われたきり移すことが出来ず、白馬ははっと息を呑み、凝視した。 …否、白馬だけではない。 中森警部や乗客も皆、彼女に目を奪われずにはいられなかった。 長い漆黒の髪を後頭部に高く結い上げ、そこには白い小さな花が散りばめられている。 ゆるりと、顕わになった項から首にかけての細く滑らかなライン。 体のラインに合わせた蒼いワンピースの上に白いショールを掛け、スラリと伸びた白い脚には白のパンプスを履いている。 20代半ばの、こちらも端正な顔立ちをした青年にエスコートされるその女性は、白馬の視線に気付いてふと振り返った。 ぶつかった、視線。 俯いていた顔が顕わになり、白馬は更なる衝撃を受けていた。 蒼い、どこまでも深い、蒼。 ぱっちりとしたその瞳に、まるで吸い込まれそうな錯覚を覚えた。 細く長い睫毛、白く肌理細かい頬、そしてニコリと微笑みかける口元。 まるで鮮やかな蒼い華が咲き誇ったかのような笑みに、フェミニストの白馬が声を出すことも出来なかった。 「…私の顔に、何かついてます?」 「あっ、いえ…っ、何も…!」 慌てふためく白馬に彼女は一瞬不思議そうな表情を浮かべ、ついで微笑を浮かべると、隣の青年を促して船の中へと消えて行ってしまった。 その方向を見つめ、白馬が茫然と立ち尽くす。 今のは一体なんだったのだろうか。 見たこともない美女が、見たこともない笑みを浮かべていた。 クラスメートに、まさに絶世の美女と呼べる女の子がいたが、彼女の隣に並べば色褪せて見えるかも知れない。 何よりあの瞳に隠しきれない魅力が溢れているようで、目を逸らすことが出来なかったのだ。 「あんな…あんな女性が、いるんですね…」 茫然と呟く白馬の声を聞き取って、中森警部も確かに、と唸る。 暫く乗船手続きがストップしてしまったが、乗客もまた呆けていたので問題はなかった(爆)。 * * * ゆったりとした広い部屋にはベッドとソファ、簡易書斎や個人バスルームまでついている。 俗に言うロイヤルスイート、このアルテミス号で最も高級な部屋であった。 ノーブルで静かな雰囲気の中、なんとも似つかわしくない笑い声が響く。 「白馬のヤツ、おもしれぇぐらい騙されてくれるなぁ」 「そりゃあ俺が丹精込めて仕上げたんだから、当たり前でしょ〜♪」 足の痛くなるパンプスはさっさと脱ぎ捨て、ゴロリとベッドに寝転がる。 まだ笑いが収まらないのか、見事なまでに美女に変身した新一はお腹を抱えて笑っていた。 そう、彼らの視線を奪った美女とは、新一の変装である。 そして彼女をエスコートしていた男性は、もちろん快斗の変装だ。 室内に入るなりさっさとマスクを外してしまった快斗は、愉しそうに笑う新一の横にそっと腰掛けた。 「ごめんな、手伝わせちまって」 「うん?気にすんなよ。俺は“旅行”だと思ってるんだからさ」 隣に座った快斗の膝の上に頭をのせ、新一は悪戯げに笑いながら快斗の顔を覗き込む。 額に落ちてきた優しいキスを受けながら、心底嬉しそうな表情を浮かべた。 新一と快斗がこうしてゆっくり逢えたのは久しぶりだった。 快斗はこの一ヶ月近く、フランスにいるマジシャンのところへ行っていたのだ。 父親の代から親切にしてもらった彼は死期が近く、2週間前のステージを最後に引退すると言った。 けれど齢70を越えた老人に大がかりなマジックは難しく、だからと言って生半可なアシスタントを使うのも嫌がったのだと言う。 その世界では有名な彼は客をこよなく愛し、けれどその客を喜ばせるマジシャンにはうるさいこともまた有名だった。 マジシャンはマジックが好きでなければなれない。 けれど、人間が好きでなければ出来ないものだ、と。 そんな彼に認められるマジシャンは少なく、そして黒羽親子は父子ともども気に入られていたらしい。 彼がアシスタントとして指名したのは快斗で、多くの恩もあり彼を尊敬していた快斗は快諾した。 そうして準備やら練習やらで滞在が長引き、つい最近になって帰ってきたばかり。 当然、その間日本にいた新一とは出掛けるどころか逢うことも敵わず、帰ってきた快斗を新一がこのクルーズに誘ったのだった。 「快斗は仕事も兼ねてってことでナンだけど…久々にお前とどっか行きたかったし…」 ただでさえ整った顔は快斗のメイクによって更に彩られ、その上憂いを帯びた表情を浮かべられ…… 引き寄らせられ、唇を重ね合う。 触れるだけの優しいキスを徐々に深いものへと変え、浅く弱く快楽の中へと誘い込んで。 うっすらと瞳を開ければ、閉じられた瞼が切なげに震えていた。 色濃く影を落とす長い睫毛。 寄せられる眉も、薄く上気した頬も。 全部が愛おしかった。 「…寂しかった?」 そっと、唇を重ね合わせたまま囁く。 ねだるように首にまわされた腕に力がこもり、強い光を秘めた瞳が快斗を射抜いた。 「ったりめぇだ、バ快斗。暫くは離してやんねーから覚悟しやがれ」 「…うん」 惜しげもなく嬉しそうな微笑みを浮かべる快斗に、言った新一の方が恥ずかしくなる。 快斗の額をべしっと叩くと、新一はベッドから起きあがった。 「甲板行こうぜ、甲板!」 こちらに背を向けた新一の耳が紅く染まっている。 快斗は満足そうに微笑むと、今にも飛び出て行ってしまいそうな彼の腕を掴んで。 「こら、そのまま行くつもり?寝転がったんだから、髪の毛直さないと」 少し崩れ、うなじやら鎖骨やらにかかる髪がやけに艶っぽい。 こんな姿を他のヤツに見せるのは勿体ないと、快斗はいそいそとセットの直しに取りかかった。 不満げな新一は椅子に腰掛けながら。 「女装じゃなかったらもっと愉しめるのに」 「言いだしたのは新一だろ?直すのはどーせ俺なんだし」 「つってもなぁ…これ、肩凝るんだよなぁ」 「心配しなくても、後で好きなだけ楽にしてあげるよ」 そう言うと項をきつく吸い上げた。 チクリと走った痛みに新一が小さく声を上げる。 直ぐさまキッと向き直ると、ジロリと睨み付けてくる可愛い人。 「てめ、痕つけやがったな!」 「だって、一ヶ月も経ってんだから俺の印も消えちまっただろ?だからこれは虫除け♪」 「だからって…っ」 「新一、すっげー美人になってんだからさ。俺としては心配じゃん?」 「このバ快斗っ」 怒って殴り掛かってくる新一を笑いながら抱き締めて、遠慮のない右足を巧みに避けて。 久々に思い切りはしゃいだ後、新一も快斗も初めから変装をし直さなければならないほどの惨状になっていた。 けど、楽しくて。 笑いながらじゃれて、喧嘩してじゃれて。 |