気付いたときには遅かった。
 こうなって初めて気付くとは、怪盗キッドともあろう男がなんとも間抜けだった。


 ここに彼が居ようとは……
 いや、少し考えればわかったはずだろう。


 キッドは自分を呪った。
 要は、自分は浮き足立っていたのだ。
 後少し、もう少しで愛しい人に逢えると、そう思っていたせいで。
 ほんの小さな、僅かな思考ミス。
 けれど……それは命を奪うほどの、最大級のミスだった。


 どすんと地面に転がり落ちる。
 背中に広げていたはずの人工の翼も、衝撃で骨組みが折れてしまった。
 もう、飛べない。
 ……飛べたところで、この男から逃げられるかは謎だが。



「銀髪……ジン、だったか?」

「ふん…お前を狙ってる奴らとは配属が違うってのに、随分調べてるようじゃねーか?」

「そりゃどーも。」



 別に調べていた訳ではない。
 自分の最愛の人を狙った男だから記憶していたのだ。
 顔を合わせるのは初めてだった。



「とにかく、泥棒風情が調子に乗りすぎたようだな。」



 パシュ、と嫌な音が響く。
 直後に感じた激痛に、キッドは低く声をもらした。
 左肩を銃弾が貫通したのだ。
 ごぷ…と勢いよく血が流れ出る。
 更に構えた銃が、再びキッドを襲った。
 足を狙われていると気付いたが、避けることは出来なかった。
 大腿に弾が撃ち込まれる。
 小さく呻いて、その場に崩れた。


 墜落した衝撃で鎖骨も折れている。
 全身擦過に銜え、銃傷が二カ所。
 ……否、倒れ込んだキッドに向かってもう一弾打ち込まれ、三カ所になった。


 見ていて驚くほどの速さで地が溢れていく。
 キッドの衣装はみるみる血に染まり、じわりじわりと血の池が広がっていく。



「……く、そ…っ」



 四肢には全く力が入らず、体を起こすことすら出来ない。
 指先の方からだんだんと感覚も消えていき、寒くもないのに体が震える。
 銃撃のせいで、キッドの体は燃えるように熱かった。



「せめて、捕まった奴らの無念のために苦しんで死ね。」

「へ…趣味……悪ぃ…ぜ……」



 仲間が捕まろうが何とも思ってないくせに、との雑言は、口に出す気力もなかった。


 血が流れていく。
 死が近づいてる。
 ジンが何事もなかったかのように歩き去る。


 見上げた空には、星が瞬いているのに。
 まだ霞まずに、この眼に捉えられるのに。


 彼の人の姿だけが見えない。
 温もりが、声が、笑顔が、瞳が……見えない。
 願ったのはひとつだけなのに。



(一年に一度……いや、一生に一度の願いも…届かない、のか……)



 自分は死ぬ。
 それはもう決まっている。
 だから、今逢えなければ、もう二度と逢えないのに。


 それすらも、叶わないなんて。


 キッドは目を閉じた。
 星なんか見たくもなかった。
 見たいのはそんなものじゃなく、たったひとりだけだから。


 もうそれも、叶わないだろうけれど……そう思ったとき。



「………キッドォ!!!」



 聞こえた声に、信じられないと瞳を開けた。















堕天















 いきなり現場に現われた細身の少年を、刑事たちは胡散臭そうな視線で眺めた。
 どこからどう見ても成人には見えない。
 東洋人は幼く見えると言っても、あまりにも幼すぎた。
 彼が、全指揮権を委任されたシンイチ・クドウなのだと言う。
 誰もが信じられないという目で眺めている。


 けれど彼はその視線に物怖じすることもなく、はっきりと言ってみせた。



『今回の作戦がどういうものか、すでに皆さんは知っていると思います。目的は人命救助です。放っておけば、住処を奪われた獣のように何をするかわからない。疑っている暇はありません。僕を信じて下さる方だけで結構です。時間がない、動いて下さい。』



 はっきりと言うだけ言って、少年は無線機を取り出した。
 その無線機はどうやらハフマン警部に繋がっているらしい。



『警部。東部、南部に配置した動員を半数、回して下さい。その際充分注意するように。おそらく最も危険視される人物が付近にいます。指示があるまで誰も発砲しないで下さい。』



 わかった、と低く応じる警部の声音。
 あの鬼警部は認めているのだ、と誰もが思った。
 実際、現場で的確な指示を仰ぎ、みるみるうちに組織の残党が確保されていく。
 まるで透視能力でもあるかのように見つけていく様は、目を瞠らずには居られない。


 数十分後には、誰もが彼を認めていた。



『ミスタークドウ!例の場所への警備網はどうするんだ?』

『では、ミスタークレマン率いる8名で向かって下さい。数名居ると思いますが、充分捕えられます。』

『了解!』



 指示を出しながら、新一は一台のパトカーに乗り込む。
 運転席に座るのは、新一の相棒として配されたニコラ氏だ。
 苦笑を噛み殺している。



『君は、ほんとに不思議な人だね。』

『…そうですか?』

『ああ。本部にいるときより、現場にいて指示を出している方が生き生きしてる。』

『……僕は、探偵ですからね。』



 現場に出て証拠を掴み、全体を見ることの出来る広い視野がなければならない。
 時にはその場の空気を奪う威圧感を求められる。
 おどおどした探偵などに、犯人は挙げられない。



『……すみません、そこを曲がって頂けますか。』



 首を捻りながら、ニコラがハンドルを切る。
 警備に向かうなら、ここは真っ直ぐ向かわなければならないはずだった。



『どこに行くんだ?』

『…………。』



 新一は答えなかった。
 ニコラもひょいと肩をすくめたきり、それ以上は聞かなかった。
 端的に行き先を指示する新一に従って車を走らせる。
 時々入る無線には朗々と返事を返しながら、その表情はどんどん影に沈んでいく。
 ニコラは横目で伺いながら、眉をひそめた。


 暫く走らせ、どこかの路地に差し掛かった時。
 新一が車を止めさせた。



『少しここで待っていてもらえますか?』

『なぜ?』

『……お願いします。』



 ニコラの瞳を、真摯な瞳が見返してくる。
 暫く無言で見つめた後、溜息を吐いてニコラは言った。



『わかったから、そんな死にそうな顔するなよ。ホラ、なんならロドルフのおっさんにも黙っててやるから、行って来いよ。』



 新一が困ったように苦笑をもらす。
 今までの堅く冷たい印象の少年が嘘のように、花も恥じらうなんたらのような笑みを浮かべる。
 ニコラは一瞬呆気にとられ、ついで言われた言葉に首を傾げた。



『有り難う御座います。でも、警部はもうご存知ですから。』



 それだけ言うと、新一は走り出してしまった。
 残されたニコラは手持ちぶさたで、胸ポケットにいつも常備してあるタバコを銜える。



『おっさん公認の、バレちゃ拙いこと、ねぇ。』



 数分後、担ぎ込まれた怪盗に、ニコラは全てを納得した。




















* * *


「キッドォ!!!」



 漸く見つけた怪盗に、新一は転がるように駆け寄った。
 暗闇の中に浮かび上がる、横たわる白い影……広がる血。


 新一は体中に血が付くのも構わず、怪盗の流した血の中に足を踏み入れ、横たわる体を抱き寄せた。



「キッド、キッド…!!」



 外傷を確かめる。
 銃創が三カ所もある。
 誰が見ても、怪盗キッドは瀕死の重傷だった。


 閉じられていた瞼が開く。
 祈るような気持ちで、新一はキッドを見つめた。



「…め……たん…て……?」

「そうだ、俺だよ、このばかやろう!!勝手にこんなとこでくたばってんじゃねーよ!!」

「う…そだぁ……」

「嘘じゃねえ!!ちゃんと見やがれ!!」



 新一が肩に開けられた穴にぐっと手を押し当てる。
 服を裂いて、大腿の穴も塞がれる。
 脇腹に掠った弾は、大した傷ではないようだった。


 新一の顔が近づき、キッドは目を閉じた。
 覆い被さった顔を横に向けられ、新一が口内にたまるキッドの血を吸い取る。
 顔を離し、べっ、と横に吐いた。
 布で綺麗に拭かれ、いくらか呼吸がマシになる。
 新一の口は、キッドの血で真っ赤に染め上がっていた。



「信じらんねぇ…なんでこんなとこに、名探偵がいるわけ…?」



 声を出すのも随分楽になる。



「ばーろ。あんだけここでお前が活躍してるって新聞が騒ぎ立ててんのに、俺が来ないわけないだろ?お前の力になりたくて…ICPOに、親父使って入り込んだんだよ。」

「そっかぁ…なんか妙に、警察の動きが良いと思ったんだよね…」



 へら、と笑うキッドに、新一は心底腹が立ってくる。
 どれだけ心配したと思ってるんだ、とか。
 あんな紙切れ一枚で出て行きやがって、とか。
 言いたいことはたくさんあるけど、今はそれを言うべきじゃない。
 今は……一刻も早く、病院に連れて行かなければならない。



「……めーたんてー…」

「ンだよっ」



 新一は止血を行っている。
 折れた鎖骨を固定するため、布を丁度良い形に縛っている。



「今日って七夕でしょ?」

「それがどうした。」

「だからさ…俺、お前に逢いたいって、ずぅーっと祈ってた。」

「…ばかやろ。逢いたかったら、こんな怪我してんじゃねーよ。」

「うん…」



 キッドの目が虚ろになってきている。
 新一は慌てた。
 頬を叩いて、覚醒しているように促す。



「おい、キッド、寝るんじゃねえ。」

「届かないと、思ったんだ……」

「おい、こらっ」

「でも…やっぱり、七夕だからかなぁ………」



 七夕だから、一番の望みを、叶えてくれたのかな…?



「…最後に……お前の…顔……見れ……て………」



 キッドの目が閉じる。
 新一は自分の目を疑った。
 頬を何度も叩くが、今度は反応を示さない。
 新一は目を瞠った。



「キッド?…おい、冗談やめろって…」



 呟く新一の声にも力がない。
 力の抜けた体が、新一の腕の中でどっしりと重たい。
 体はまだ暖かいのに。
 目が、開かない。
 新一を見ない。
 いつも新一を見つめてた、あの、大好きな紫紺の瞳が……今は、見えない。



「……いや、だ……」



 声が震える。
 声だけじゃない、体も震えている。
 心が、震えていた。


 魂が叫びをあげる。
 耳を塞ぎたくなるような声だった。
 その声はやがて脳に行き渡り、体を通して、咽に達した。
 咽も張り裂けんばかりの、叫び声。
 血も凍るほどの、絶叫。



「やだ、いやだ、キッド、いやだああああああああああ!!!!」



 ぐったりした体を抱え上げる。
 普段、細いだの何だの言われる体で、キッドを抱え上げた。
 一歩を踏み出す。
 重たい一歩だった。
 けれど、止めることの出来ない一歩。


 転げそうになるからだを踏ん張って、車へと歩いた。


 空には星が輝いてる。
 新一の空は、雨で濡れている。
 頬を流れ落ちる雨が、星を隠して何も見えない。
 空も、雲も……キッドを加護する月も。


 雨は止まずに勢いを増すばかりだ。
 それでも前方をにらみ据えて、一歩一歩を踏み出している。


 諦められるはずのない命だった。
 ちっぽけな国の、ちっぽけな街の、ちっぽけなビルの上で出逢った、ちっぽけな人間がふたり。
 ふたりはタンテイとカイトウで、相容れないはずの存在だった。
 それでもお互い引かれ合って、誰にも祝福されない感情を、大事に大事にふたりで育てた。


 ふたりで、育てた。


 片方がいなくなれば、涸れてしまう、命だ。



「キッド…!呼ばせろよ…!俺に、快斗って、呼ばせろよ…!」



 知らないと思ってたろ?
 ほんとはずっとずっと、知ってたんだぜ?
 愛想が良くて、スケベで、マジシャン希望の、みんなの人気者。
 いつもいつも明るくて……いつもいつも、愛されてた。
 そんなお前の、「愛してる」をもらえたのが俺なんて、なんだか勿体ないと思ったことも、ある。
 怪盗が正体を晒してくれるのを、心待ちにしてた。


 でもそれは、こんな形じゃない…!



「死ぬなよ…死んだら、お前がキッドだってバレちまうだろ…」



 キッドと快斗の消失が重なったりしたら…検死になんかまわされたら…お前の体に残った、この英雄の証が……俺以外にも見られちまうだろ…?


 雨は止まない。
 星は見えない。
 七夕なんか、くそくらえだ。



「何が七夕だ…!こんなに星があったって、何の役にも立ちやがらねぇ…!」



 全て堕ちたって構わない。
 目に見える星、この銀河系全てが堕ちって、構うものか。
 俺の、この、たったひとつの願いも叶わないなら…



「全部全部堕ちたら良いんだ…!」



 だから。
 こいつは。
 こいつだけは。
 他は、何も、望まないから。



「俺から、奪わないで……!」



 空には星がたくさん輝いてる。
 どれもこれも、堕ちては来ない。


 天の川はまた来年も……この季節に輝くのだろう。




































































































* * *


「しぃ〜んいちっ!!」



 突然背後からがばりと抱きつかれて、新一は前にのめりかけた体を必死に堪えた。
 キッと向き直って怒鳴ろうとしたが、見えたギプスに戦意を奪われる。



「ンのバ快斗!鎖骨折ってる奴がウロウロしてんじゃねーよ!」

「だって新一、俺ほったらかしてどっか行っちまうんだもん。」

「事件なんだからしゃーねーだろっ」



 ムッと唇を尖らせて抗議する。
 さすがに病人をほったらかしにしてしまったのには、罪悪感があった。
 その可愛らしく突き出た唇に、快斗がちゅっとキスをする。
 途端に真っ赤になって、今度は別の意味で新一は怒った。



「ここがどこだと思ってんだよっ」



 新一はべりっと貼り付いていた体を外すと、快斗をベッドに押し込んだ。
 快斗はやたらニコニコしたまま、新一を見つめている。
 倒れ込んだ勢いで新一までベッドに乗り上がってしまったのだ。
 丁度良いとばかりに快斗の手が腰に回る。
 新一はそのまま快斗に抱きつかれてしまった。



「フランス。んでもって病院。」

「…灰原の監視カメラがあるの、忘れてんじゃねーだろーな?」

「勿論覚えてるけどね。こんなの、いつもやってんじゃん?」



 確かに、家では一晩中…一晩明けてもくっついていることはしょっちゅうあったが。
 その際のアレコレを思い出して、新一は思わず赤面する。
 赤くなって、そのまま快斗の腕の中に逃げ込んだ。
 角度的にカメラに映りそうだったので。


 相変わらず照れ屋な恋人に、快斗は優しく優しくキスをして。



「それにね…?一年、離れてたんだから。せめて一年は、ずっとくっついてたいだろ?」

「快斗……。」



 結局慣れさせられている新一は、ろくな抵抗もせずに快斗の腕の中におさまったまま、気持ちよさそうに瞳を閉じた。










「…どこに居てもお構いなしね…。」



 隣に監視者が居るときぐらいは、せめて押えて欲しいものだ。
 哀は苦笑しながら呟いた。


 その背後で、何やら納得気味にうんうん頷きながら、ニコラはタバコをふかしている。



「なーるほど?彼らはそーゆー仲なわけね。」

「あら、偏見するタイプかしら?」

「いやー、俺も両刀だしね。ただ、ちょっと勿体ないくらいは思うかな。」



 ほら、シンイチは美人だから。


 そうのたまった男に、哀は呆れた視線を投げる。
 快斗の異様なスキントップは、どうやら牽制も兼ねているらしい。
 あの事件以来すっかり、ICPO内に留まらず市警察にまで顔を知られてしまった新一。
 その頭脳のすばらしさは勿論、容姿の抜群さからも人気はダントツである。


 病院から抜け出ることの出来ない快斗は、牽制する場としてはここしかないのだろう。
 ……ただ単にくっついていたい、というのもあるのだろうが。



「あん時のシンイチの動揺っぷりは尋常じゃなかったからなぁ。」



 痛々しい記憶を思い出し、哀はひそかに眉をひそめた。






 あの時。
 哀は、優作に連れられフランスに来ていた。
 いつか君の力も必要になるだろう、との言葉通り、その時はついて数日と経たずに訪れた。


 兼ねてから約していたのだろう、新一が現場に飛び出したと同時に、ハフマン警部は優作に連絡を取った。
 すぐさま哀とともに本部へ向かい、それからヘリを飛ばして現場へと向かった。
 丁度ニコラが、現われた血まみれの怪盗と探偵に驚きながらも対応しようとしているところだった。


 そのまま快斗はヘリに乗せられ、そこで哀に緊急処置をされ。
 見た目が小学生である哀がいきなり医療器具を的確に使い出したことに、ニコラもハフマンも驚いていたが。
 その場で衣装を替えられ、キッドは快斗として病院に収容された。
 そのあたりの細かい情報操作は、全て優作が受け持ってくれたのだ。






 警察関係者の中で、快斗がキッドだと知っているのは警部はニコラだけである。
 それは今後も変わらず、そしてキッドが捕まえられることもない。


 幸せそうに笑いながら、ひとつのベッドでじゃれあっているふたりを見て、哀は思う。
 助かって、本当に良かった、と。


 あの時の新一の様子を、普段の新一を知る者なら信じられないだろう。
 まるで触れるもの全てを切り刻み殺してしまいそうな空気を纏い、全身全霊で泣き叫んでいた。


 心が、血を流していた。
 流れ続ければ死んでしまう。
 …怪盗のあとを追って。


 彼らはふたりでひとつなのだ。
 まるで片翼の天使だ。
 否…片翼の、戦士。




 今はまるで嘘のように、穏やかな表情。
 哀は知らずと微笑んだ。



「おやすみなさい、工藤君、黒羽君。」



 戦いは、完全に終わったわけではないけれど。
 片翼の戦士たちに、束の間の休息を。





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七夕ネタでK新!
ところどころ快斗って書いてるかも…?
見逃してーん。
一気に前後でアップ。
読んで下さった方、どーもですv