Double
- Second contact -















 何をどう考えればいいのか判らなかった。
 馬鹿みたいにぐるぐると同じ言葉が快斗の頭の中に浮かんでは消えていく。
 言葉としてそれを処理することができても感情が追いつかなかった。

 ――新一が親父を殺した。

 とても信じられない。
 だが、そもそも信じられるものとは何なのだろうか。

 組織の男が黒羽盗一を殺したと言った。
 そして快斗はそれを信じた。
 否、信じたのではなく、ただその事実を突きつけられた時、真実として怒りと共に受け入れたのだ。
 疑う必要などなかった。
 快斗の手元には何ひとつ手がかりとなるべきものがなかったのだから。
 ただ赦せないと、私怨を抱いた。

 なのに今度は新一が盗一を殺したのだと言う。
 そして快斗はそれを受け入れることができなかった。
 新一との付き合いは決して長くないけれど、まだまだ快斗の知らない一面もあるのだろうけど。
 それでも、その少ない手がかりの中から見つけた新一は盗一を――人を殺せるような人間ではなかった。
 だから、信じられない。どう考えればいいのか判らない。

 ぐるぐると同じことばかり考える思考に容赦なく時は過ぎていった。
 だが時計の針がいくら回ろうと、まるでこの空間だけが切り離されてしまったかのように、誰ひとりとして口を開こうとする者も動こうとする者もいなかった。

 けれど、新一がいなくなってどれほど経ったろうか、空気の流れすら止まっていた空間に急に風が吹き込んだ。


「…情けないわね、怪盗キッド。」


 艶やかな声が容赦のない言葉を紡ぐ。
 彼女の出現で漸く時が流れ出したように、快斗は声のした方向へと顔を向けた。
 白馬と志保も顔を上げる。
 新一が眠っていた簡易ベッドの向こう、快斗の向かい側には、赤魔女の正装を纏った紅子が立っていた。


「でも、私も人のことは言えないわね。…蒼さまをお守りできなかったんだもの。」


 紅子はテーブルに置かれているサングラスを手に取ると、それを痛ましそうに眺めた。
 新一にとって紅子よりずっと長い付き合いのそれ。
 それを置いて行くなんて、きっと新一は持って帰ろうと考える余裕すらなかったのだろう。
 紅子はそれを両手で包み込むとお守りのようにそっと胸に押し当てた。
 まるで祈りのようだと、呆然とその様子を眺めながら快斗は思った。

 けれど伏せていた目をきっと快斗に据えると、紅子は固い声で告げた。


「真実を知る勇気はある?」


 ぴく、と快斗の肩が揺れる。
 一応尋ねる形を取っているが、見つめ返してくる目は快斗に選択肢を与えていなかった。
 拒むことは赦さないと、その目が言っている。
 けれどもとより快斗に拒むつもりなどないのだ。
 瞬きもせずにじっと見据える、夜空よりも深い藍色の瞳。
 答えは言うまでもない。

 紅子の口許がふっと綻んだ。
 それは普段の不適なものではなく、稀にしか見ることのない少女らしいあどけない笑みだった。


「私も命懸けなの。私が語ることで未来がどう転ぶのか、彼の未来をどう変えてしまうのか、判らないから恐れてる。
 でも、あなたに聞くだけの勇気があるなら話してあげるわ。
 …勇気は、ある?」

「――ある。」


 その声に、躊躇いはなかった。





「怪盗RのR≠フ意味を考えたことはあるかしら?」


 志保の入れたコーヒーで一息つき、紅子は早速そう切り出した。
 快斗はベッドに腰掛け、白馬はデスクから椅子を引っ張り出して座り、志保は相変わらず壁にもたれ掛かっている。
 紅子の問いかけに答えられる者は誰も居ない。
 三人の真ん中に座っていた紅子はそれぞれの顔をぐるりと見た結果、その答えを否≠ニ受け取った。


「蒼さま――工藤君は、Rの意味をReturnerと称したわ。宝石を正当なる持ち主へ返すReturner、つまり返還者とね。」

「…てことは、怪盗Rは義賊なのか?」

「いいえ、そうじゃないわ。順を追って話すから焦らないで。」


 紅子は視線だけで快斗を制した。


「なぜ返還者という存在が生まれたのか。それは工藤君が――いえ、工藤君の一族が、ある特殊な能力を持っていたからよ。」

「特殊な能力…?」


 おうむ返しに快斗が口ずさむ。
 紅子はこくりと頷いた。


「宝石の声≠聞くことができるの。」


 それを聞き、快斗はふと初めて怪盗Rと接触した日のことを思い出した。

 ――声≠ェ聞こえない。それだけだ。

 あの時、確かにRはそう言った。
 おそらく展示されていたのが偽物の宝石だったため、聞こえるはずの声が聞こえず、新一はそれが偽物だと気付いたのだろう。
 あの時は何のことか全く判らなかったけれど、あれはこういうことだったのだ。


「…なるほどね。」


 と、壁に腕を組んだまま凭れていた志保が口を挟んだ。


「何がなるほどなんですか?」

「あら、判らない?彼は宝石の声を聞けるんでしょ?なら、あなたたちのお目当てのものが宝石である限り、それの声も聞けるってことよ。」

「あ…!」


 心得たように声を上げる白馬の奧で、快斗がすっと目を細めた。


「そうか…だから連中は新一を喉から手が出るほど欲しがるわけか。」


 パンドラの声を聞くことができるならパンドラがどこにあるのかも判るのだろう。
 闇雲にビッグジュエルを探し回るより、確実な情報が得られるRを捕まえた方が話は早い。
 組織がRの特殊能力についての情報を有していればRが狙われるのは当然のことだ。

 だが、紅子はきっぱりとそれを否定した。


「彼が狙われるのは宝石の声を聞けるからじゃないわ。」


 三人の視線が再び紅子へと集まる。
 紅子はほんの少しだけその目に昏い翳りを浮かべながら言った。


「Rの本当の意味はReleaser。つまり、解放者よ。」


 快斗がはっと顔を上げた。
 それは全く聞き覚えのないものだが、確かにRを付け狙っていたあの男が言っていた言葉だった。
 そして、志保がまだ組織にいた頃に耳にした、組織が何より求めている存在だという……


「解放者って…一体何なんだ…?」


 まさか、と思う。
 だがそれと同時にその予想が正しいことも快斗は直感していた。

 解放者と呼ばれるからには何かを解放≠キるために存在するのだろう。
 そして組織の連中に狙われるからにはもちろんパンドラに関係してくるに違いない。
 パンドラと解放者、そのふたつが揃わなければならない何らかの理由がある。

 そしてやはり、そのまさかで。


「解放者は灰姫の――パンドラの封印を解くために存在する一族よ。」


 快斗はくそっ、と悪態を吐いた。


「工藤君が言ってたでしょう?パンドラは宿主の精神を乗っ取るって。つまり、パンドラの意識に耐えられる器でなければ、その器はすぐに朽ちてしまうの。
 だから解放者はパンドラの器となるに相応しい人間を選ばなければならない。」


 つまり、言ってしまえば怪盗Rとはパンドラを解放するための贄を選ぶ一族なのだ。


「でも工藤君はパンドラを解放することを拒んだわ。あれは世に出すべきものではないと言ってね。」

「では、やはり彼の目的もパンドラを破壊することですか?」

「…いいえ、それも違う。工藤君に望みなんてないわ。強いて言うなら黒羽君、あなたを守ることだけよ。」


 ふと、紅子が泣きそうな顔を見せた。
 けれど赤魔女の意志で頑なにそれを拒む。
 涙を流せば力を失ってしまうのだ。
 そうなれば新一を助けることができなくなってしまう。
 涙なんて一生知らなくていいからと、紅子は新一と共に生きる道を選んだ。

 ……その命が尽きる、最後の瞬間まで。


「工藤君はね。…もうすぐ、死ぬのよ。」


 眉を寄せて黙り込んでいた快斗が顔を上げた。
 その目が驚愕に見開かれている。
 何かを言おうとして、けれど言うべき言葉を見つけられなかった唇が虚しく閉じられる。

 紅子にも覚えのあることだった。
 初めてその事実を知った時、紅子も苦しさと悔しさで頭の中がぐちゃぐちゃになった。


「解放者は器を選ぶためだけに存在する。その彼が器を選ばなければ、いずれ暴走したパンドラの意識に彼の精神は食い破られるわ。」


 もとより、パンドラは容赦なく解放者の脳に語りかけることでじわじわと解放者の精神を削っているのだ。
 それに耐えきれなくなる者も多い。
 紅子は新一がそうなってしまわないようにと、赤魔術を駆使して新一の脳にリミットをかけていた。

 だがそれも新一がRとして仕事に出る時だけの話だ。
 パンドラの意識はあまりに強すぎて、いくら紅子の魔術を持ってしても対抗できるものではなかった。
 新一が仕事に出る時、紅子はパンドラの意識と正面から衝突することになる。
 とても四六時中耐えきれるものではなかった。
 けれど、新一はそれにずっと耐えているのだ。
 それは果たしてどれほどの苦痛だろうか。


「そんな…っ、それじゃあ新一が死んじまうじゃねぇかっ」


 快斗が噛みつくように言う。
 けれど紅子はあくまで冷静に答えた。


「そうよ。このまま彼が器を選ばず、子供も作らないならね。」

「…子供?」

「解放者にはパンドラの戒めから解放される道がふたつだけ与えられてるの。
 器を選ぶか、子をもうけるか。器を選べば解放者は使命を果たしたことになるし、子供を作れば使命をその子供へと受け継がせたことになる。」

「だから怪盗Rは何世紀も存在したのか。」

「ええ。工藤君もそうして先代R、母親である有希子さんから生まれたの。」

「え?じゃあ、先代は女性なのか?」

「そうよ。Rに性別は関係ないわ。解放者として生まれた者は幼少時から知能も身体能力も目覚ましく発達しているの。
 有希子さんが優作さんと出逢った切っ掛けは知らないけど、彼女もかなり辛い目に遭われたわ。なんせ…」

 ――有希子さんの選んだ器が、優作さんだったんだもの。


 快斗が再び目を瞠った。
 工藤優作と言えば工藤財閥の現当主だ。
 財界になくてはならない存在だとまで言われている。
 その男が器に選ばれたというのだから、頷いてしまう反面、やはり驚愕してしまうのも仕方ないだろう。


「すみません、ひとついいですか?それは一体どういう基準で選んでるんです?」


 遠慮がちに口を開いた白馬を振り返り、紅子は目を細めながら言った。


「解放者が選んだ$l間よ。」

「…え?」

「判らない?大勢いる人間の中でたったひとりを選ぶとしたら、あなたなら自分にとってどんな存在の人を選ぶ?」

「――少なくとも、好意を持った相手ってことかしらね。」


 紅子の後を引き継いで志保が答えた。
 それに紅子は無言で頷き、そして付け足すように言った。


「選ばれるのは、必然的に、解放者が愛した者よ。」


 それゆえ解放者は苦しめられる。
 器を選びたくない。けれど、選ばなければ死んでしまう。
 だから子孫を残してその苦しみから逃れる。

 或いは器と選ばれてしまった者を救うため、子孫を残すこともあった。
 器に選ばれてしまった者はパンドラの化身となってしまうが、解放者との間に子を成せば全てはその子へと受け継がれ、リセットされるのだ。
 だから先代Rである有希子は優作との間に子供を成した。
 優作を救うために。

 まるで果てのない輪の中をぐるぐると走らされているかのようだった。


「だから工藤君は自らに孤独を強いた。そうすればパンドラの犠牲となる者もいないし、パンドラを解放することもない。」

「けど、それじゃ新一は…っ」

「――あなたには自分の子供に同じ苦しみを味わわせることができる?」


 紅子の声は言葉ほど厳しいものではなかった。
 それでも、なぜかその言葉に快斗は強い衝撃を受けた。

 別に新一はこんな使命を背負わせて産み落とした有希子を恨んでなどいない。
 有希子と優作を助けられたのが己だということに安堵こそすれ、彼らが運命から逃げ出したのだと罵るつもりなど毛頭なかった。
 ただ、いざ自分がその立場に立たされた時、やはりこんな苦しみはこれ以上繰り返して欲しくないと思ったのだ。

 パンドラはもちろん解放できるわけがない。
 こんな不自然な存在を解き放てばどこに歪みが生じるか判らないではないか。
 しかし、だからといって同じ苦しみを次代へと繋ぐこともできなかった。

 だから、パンドラに食い殺されるまで自分にできる精一杯のことをしよう、と。
 まるでただひとつの使命のように、怪盗Rとして還りたい≠ニ縋り付く宝石たちを正当な持ち主のもとへ返す義賊となった。


「そんな時初代怪盗キッド――あなたの父、盗一さんが現れた。」





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ありがち。でも、ありがちが好き。
私の歪んだ愛情のせいで新一さんにはいつも苦労かけます…笑。