Double - Second contact - |
子供であるということはあらゆる面に置いて不利な点が多かった。 何をするにも保護者の監視下でなければならないし、背の低さや力のなさも煩わしかった。 だがそれはあくまで一般的な見識だ。 R≠ニして生を受けた新一は知能も身体能力もずば抜けて高かった。 保護者の監視などもちろん必要ないし、背の低さも力のなさも、頭脳を駆使して解決してきた。 宝石の不法所持者やしつこく付け狙ってくる組織の追手にしても、己の身ひとつで全て回避してきた。 それでもやはり、ひとつも失敗しないというわけにはいかなくて。 その日、新一は左の脇腹に銃弾を受けた。 見たところ重要な臓器は傷付いていないし、弾も貫通している。 特に問題はなかった。 あるとすれば被弾による痛みと発熱だが、怪我に慣れた体では特に苦労することもなく追手を振り払った。 そんな時、初代怪盗キッドである盗一と出逢った。 「――とにかく、やせ我慢はやめなさい。こっちへおいで。…手当を、しよう。」 初めて両親以外の人間から純粋な好意を向けられ、新一はひどく動揺した。 工藤財閥の跡取りとして生まれた新一だ。 私生活でも純粋な好意を向けてくれる人などいなかった。 怪盗Rとして駆け回る時もそうだった。 Rを捕まえようとする警察も組織の連中も、お世辞にも好意的だとは思えなかった。 境遇が境遇なだけに仕方ないことだと判っていたし、だからこそ新一も彼らに何も期待などしなかった。 なのに、目の前の彼は、出逢ったばかりの子供にそんな風に声を掛けるのだ。 ――揺れずには、いられなかった。 だから新一は盗一の手を取ってしまったのだ。 「どうしておれに優しくしてくれるんですか?」 盗一に連れてこられた隠れ家で麻酔なしの縫合をシーツ一枚握りしめるだけでやり過ごした新一は、心底不思議そうにそう尋ねた。 知り合ったばかりだというのに、盗一はトップシークレットであるはずの素顔を惜しげもなく晒していた。 やはり、己がR≠セからだろうか。 コップに注いだミネラルウォーターをぐいと呷る様子をじっと見つめ、新一は盗一の答えを待った。 けれど、困ったように笑う盗一の答えはその予想からは大幅にはずれていて。 「君が私の息子と似てるからだな。」 その答えにはなぜかひどく驚かされたものだった。 それから新一は色んなことを盗一と話した。 マジックのこと、怪盗キッドのこと、盗一の息子のこと、組織のこと。 工藤という家柄のこと、両親のこと、パンドラのこと、そして己の心の内まで。 初めは己のことは話したがらなかった新一だが、盗一があまりに包み隠さず自身のことを話してくれるものだから、いつの間にか新一も誰にも打ち明けたことのない秘密まで語るようになった。 そしてそれは新一に今まで感じたことのない幸福感を与えた。 ずっと心の内に秘め続けてきた想い。 それは敬愛する両親にすら話したことはなかった。 そしてこれから先もずっと誰にも話すつもりはなかった。 それなのに、新一のその決心を盗一はいとも容易く壊してしまったのだ。 最も優しく、最も新一を傷付けない方法で。 惹かれずにはいられなかった。 凝り固まっていた感情が傾いていくのを止めることなどできなかった。 自然、両者がそう望むに比例して共に過ごす時間も増していった。 それがどれほど危険な行為か、判っていても新一は盗一の側に居たかったのだ…… 「怪盗キッドがRと接触していることを知った組織は、キッドの始末よりもRの捕獲を優先させたの。」 組織が欲して止まないRがすぐそこにいれば、触手がそちらへと向いてしまうのは当然のことだった。 怪盗キッドの犯行予告のあった日、狙い通りに現れた新一を組織は容赦なく襲った。 けれど今まで散々逃げ延びてきた盗一と新一がそう簡単に捕まるはずもなく、ふたりは組織の追手を振りきって逃げおおせた。 ただひとつの問題は、盗一が新一を弾丸から庇い、盗一の顔を隠していたモノクルを吹き飛ばしたことだった。 それが原因で、正体不明の怪盗の素性が知れてしまったのだ。 素性が知れてしまえば狡猾な連中のことだからきっと何か仕掛けてくる。 それを知っていながらステージへ上がろうとする盗一を、新一は必死に引き留めた。 持てる限りの言葉を尽くして、後にも先にもあんなにみっともなく叫き散らしたのはその一度きりだというほどに我侭を言った。 死ぬなら一緒に死ぬと、新一はそうまで言ったのに。 それでも盗一は行ってしまった。 そして――二度と帰ってこなかった。 「工藤君は自分自身を深く呪ったわ。」 紅子の表情はまるで新一の悼みを代弁しているかのように痛々しいものだった。 「彼に惹かれなければ、彼に出逢わなければ。…彼が死ぬことはなかった。全ては自分が運命に逆らったゆえの犠牲だと、工藤君は思ったのよ。」 もとより独りで生きていくつもりだったのだ。 他者の温もりを求めればどうなるかなど判っていたはずだった。 それなのに己以外の誰かの存在を求めてしまった。 間違いを、犯してしまったのだ。 その間違いは取り返しのつかない大きな犠牲を生み、新一の心を深く深く抉った。 他の誰が赦しても、新一自身が己を赦すことができなかった。 「だから工藤君は自分にとって最も辛い道を選んだ。黒羽盗一の息子、黒羽快斗を組織から守ること。それは彼の贖罪なのよ。」 憎まれるべき相手を守り続けること。 そんな決して報われない誓いを新一はずっと貫いてきた。 罪を精算するためではなく、ただ生涯その罪を償っていくために。 何でもできる男の、なんとも不器用で痛いくらい真っ直ぐな想い。 ただ、そんな生き方しかできなくて…… 「――馬鹿ね。」 そう言ったのは志保だったけれど、その場にいた誰もが感じたことだった。 「どこをどう間違えばそういうことなるんだよ…!」 確かに怪盗キッドの正体が晒されてしまう切っ掛けを与えたのは新一かも知れない。 その事実を少しも気に掛けずにいられるほど快斗は大人ではないかも知れない。 新一と出逢わずに彼がどういう人間かも知っていなければ、確かに逆恨みのように憎んでいたかも知れない。 けれど、快斗は新一と出逢ってしまった。 出逢って、話をして、工藤新一という人間を知ってしまった。 新一がなぜRでなければならないのか、なぜ快斗を拒むのか、そしてなぜ守ろうとするのか。 それを知っていながら新一を憎むことなど、今の快斗にできるはずもなくて。 「…一発殴ってやる。」 言うなり、快斗は立ち上がった。 驚いたのは話していた紅子で、そのまま出て行こうとした快斗の前に慌てて立ち塞がった。 「ちょっと…っ、どういうつもり?」 「どうもこうもあるか。」 「今言ったでしょう!あなたのお父様を殺したのは工藤君じゃ…」 「――俺は自分の体を顧みない新一に怒ってんだ!」 それは眠っていた博士ですら飛び起きてしまいそうな怒鳴り声だった。 「償いだって?んなもんただの自己満足だ。勝手に無茶して勝手に怪我して、そんな死ぬための理由に親父を引っ張り出すんじゃねぇ。」 これ以上失うのは嫌なのに。 大事な誰かを、側にあった温もりを、失いたくなどないのに。 まるで自分の命などどうでもいいとばかりに無茶をする新一に腹を立てても仕方ないではないか。 だって、快斗にとって新一は既に失えない存在となってしまったのだから。 「そんなに独りがいいなら、一生独りになんかしてやるもんか!」 快斗は立ち塞がっていた紅子を押しのけると、ばたばたと工藤邸へと駆け込んでいった。 その様子があまりにも普段の冷静な快斗からかけ離れていて、残された紅子は呆然と呟いた。 「あんなに怒った黒羽君、初めて見た…」 けれどその場に留まったままの志保と白馬は呆れたように視線を交わして肩を竦めただけで、特に驚いた様子はなかった。 「彼、意外と熱血タイプよ。知らなかった?」 「ああいう黒羽君には関わらない方が身のためです。」 高校生の黒羽快斗だけでなく怪盗キッドである黒羽快斗とも深く関わってきた二人には、あまり珍しい光景ではなかったのだ。 普段の快斗はお祭り好きのエンターテイナーで、誰に聞いても明るい馬鹿だというような返事が返ってくるが、怪盗キッドである時の快斗はひどく激情家な一面を持っていた。 どれほどの危険が付きまとおうとキッドの仕事に干渉されることをひどく嫌うし、例え危険な場面で助けられようと逆に怒鳴ってしまうこともしばしばあった。 けれど白馬も志保も快斗に負けない頑固者だったから、決して快斗に従おうとはしなかったのだけれど。 「……くれる、かしら…」 紅子が未だ呆然としたまま呟く。 「私では駄目だったけど。黒羽君なら、…彼の孤独を癒してくれるかしら…!」 取り返しのつかない過ちを犯しそうだった己を引き留めてくれた。 その恩返しをしたいとずっと思っていた。 どんなに拒まれても、しつこく何度でも彼に会いに行って。 いつも浮かない顔をしていた彼の笑顔が見たくて魔術まで使ったのに、それでも笑ってはくれなかった。 なのに、ある日を境に彼に笑顔が浮かぶようになった。 それは日を増す事に増えていって。 初めは自分以外の誰かが彼を変えたことに哀しくもなったけれど、ただ彼が笑ってくれるだけで嬉しいと思えるようになった。 それなのに彼は再び笑顔を忘れてしまった。 何が起きたのか、魔力の強くなった紅子は水晶玉を通して過去を見ることによって知ることができた。 その時思わず零れそうになった涙を、下唇を噛み締めて耐えたことを今でも覚えている。 あれから何度となく紅子は新一へと笑いかけた。 すぐには無理でもいつか気付いてくれるように。 あなたの周りにはあなたの力になりたいと思っている人が大勢いるのだと、決して独りではないのだと。 頑なな新一の心を容易に動かすことはできなかったけれど。 それでも、いつかは気付いてくれるだろうと信じていたかった。 その時が、もしかしたらもうすぐ側まで迫っているののだろうか。 「そんなこと判らないけど、これだけは言えるわね。」 ふと顔を上げれば口端を持ち上げた志保の顔が映る。 真っ直ぐ見つめてくる悪戯な目はどことなく快斗と似ている気がする。 そうして実に楽しげに言うのだ。 「彼は黒羽快斗≠セってことよ。」 何の飾り気もないそんな言葉がなぜか妙な説得力を持っている気がして、紅子は漸くいつものように笑うことができた。 BACK TOP NEXT |
私は殊更「ギャップ」が好き。 普段おちゃらけて見せてるクセに、その反面で激情家な快斗。 これは新一にも言えることですが。 そんなところが好き。 |