−逆さ吊りの神−




















 込み入った話をするからと席を外してもらっていた、基本的にWGOに関わることにはノータッチであるらしい有希子の提案で、快斗は彼らと夕食をともにすることになった。
 難しい話は抜きで、ただ今は亡き故人の思い出を共有しようということらしい。
 それは快斗にとっても嬉しい提案だった。
 父のことをよく知るのは年輩の能力者ばかりで、それも上司と部下の関係に過ぎない。
 快斗の上司である萩原は盗一の死後にWGOに所属したため父を知らなかったし、姉弟のように育った志保はたった二年しか盗一と過ごせなかった。
 唯一、寺井だけは、当時長官だった盗一の副官を務めると同時にプライベートでも親しくしていたらしいが、しかしそれも友人と呼べる関係ではなかった。
 そうなると、快斗の知る父の友人は優作だけだった。
 極秘組織の長官ではなく、父親でもない黒羽盗一はどういう人物だったのか。
 有希子が手ずから作ってくれた料理を食べながら、優作は盗一との思い出を話してくれた。

「私が盗一と知り合ったのは、私たちがハイスクールに通っていた時だ」
「同じ学校だったんですか?」
「ああ。アメリカのハイスクールで知り合った。これが無名の学校で、日本人なんて私と盗一くらいしかいなかったから、友人たちが面白がって私たちを引き合わせたんだ」
「それはまた……ものすごい偶然ですね」

 アメリカで生まれたらしい優作はまだしも、わざわざ留学してまで無名の高校に通った父はいったい何を考えていたのか。
 しかし優作は口の端を吊り上げてにやりと笑ったかと思うと。

「それが、偶然じゃなかったんだ」
「どういうことですか?」
「あいつは、私と初めて会った時にはもう能力者だった」

 そんな馬鹿な。
 能力者は発覚次第すぐにWGOに引き渡される決まりだ。地上の学校になど通えるはずがない。
 疑問をそのまま口にすれば、優作は丁寧に説明してくれた。

「実は当時のアメリカは、今の日本ほど能力者の管理が厳しくなかったんだ。本部がアメリカに移ってからはそんなこともなくなったけどね」

 というのも、それまでWGOの本部は日本にあり、長官は本部のトップ――つまり日本の本部長が担ってきた。
 そのため日本が最も能力者の管理に厳しく、支部の管理は日本の基準に準じて行われてきた。
 本部がアメリカに移った今でこそアメリカにおける能力者の管理は日本の水準に達したが、他支部の現状は今尚以前のアメリカと大差なかった。

「じゃあわざわざ無名の高校を選んだのは、WGOに気づかれないために?」
「その通り。盗一は日本から逃げてきたんだ」
「でも、普通の人はWGOの存在を知りませんよね? なんで父さんは知っていたんですか?」
「ああ、それはね。WGOに見つけられた能力者は、世間的には存在を抹殺するために死亡届を出さないといけないだろう? それで、盗一とは生まれた時からの付き合いだったらしい寺井さんがWGOに目をつけられて強制送還されたんだが、寺井さんの突然の訃報を不自然に思った盗一は、いろんな場所に忍び込んだりハッキングしたりしてる内にWGOの存在を知ったらしいよ」

 それがジュニアハイの学生だった頃だと言うんだから、末恐ろしい子供だよねえ。
 などとしみじみ一人ごちる優作に、快斗はおそるおそる尋ねた。

「あの……それって、違法じゃ……?」
「もちろん。言っただろう? 私も盗一も、悪巧みばかりしている悪戯小僧だったって」

 あっさりと頷かれ、快斗は今まで抱いてきた父親像が音を立てて崩れていくのを感じた。
 謹厳実直、公明正大なWGOの長官。
 それが快斗の父だったはずなのに、むしろそれでどうして長官になれたのか不思議なくらいである。
 気を取り直し、快斗は別に疑問に思っていたことを尋ねた。

「じゃあ、優作さんはなんでまたそんな無名の高校に通ってたんですか?」

 一人息子だったらしい優作なら、工藤家の跡取りとして申し分のない教育を受けさせられたはずだ。
 頭の回転が速く機知に富んでいることも、これまでの会話でよく分かった。
 彼なら、さぞ華々しい経歴を持っているものとばかり思っていたのだが。
 すると優作はにっこり笑いながら爆弾発言をかました。

「それはもちろん、私も能力者だったからだよ」

 ――ぽろり。
 突き刺したはずの肉がフォークから転がり落ちる。
 あらあら大変、と大して慌てた様子もなくキッチンへナプキンを取りに行ってくれた有希子は、汚れたテーブルクロスを拭いながら、ふふ、と楽しそうに笑った。

「驚いたでしょ? みんなには内緒なのよ」
「とは言っても、今の日本支部の支部長を除いて、他の支部長たちや長官はみんな知っているけどね」
「あら、日本の支部長さんだけ知らないの?」
「今の支部長はとても若い方だから。あの当時は寺井さんが支部長を代行してくれていたし、私が能力者だと知るのは、日本では彼だけだよ」
「そうだったわ! 優作ったら、あんないい人に仕事を押しつけて!」
「仕方ないだろう。工藤家の当主とWGOの長官を両立させるなんて、いくら私でも難しかったんだから」

 目の前でぽんぽんと交わされる会話についていけない。
 快斗は軽く混乱していた。
 優作が能力者であったことにも驚きだが、彼らの話を聞いていれば、その事実は志保を除く支部長全員が知っているらしい。
 つまり優作は、WGOの首脳とも呼ぶべき者たちが承知した上で、堂々と地上で暮らしているということだ。
 しかも今の話の流れでいくと――WGOの長官に優作が推薦されていたことになる。

「優作さんが……長官……?」

 呆然と呟けば、優作はようやくひとり取り残されていた快斗に気づいてくれた。

「ああ、君はまだ幼かったから、知らないのも無理はないか。実は盗一の後釜を誰にするかでかなり揉めてね。代々長官を日本の本部長が務めてきたのはさっき話した通りだが、当時はなかなか適任者がいなかったんだ」

 優作によれば、丁度各班の班長が代替わりしたばかりで、能力者としての経験値が豊富でしかも指導力や統率力に長けた者がいなかったらしい。
 今でこそベテランに数えられる警衛班班長の鬼の平蔵も、当時はまだ班長でさえなかった。
 そこで他支部の支部長が全員一致で名指しで指名したのが優作だった。
 実は優作は能力者としての経験が盗一よりも長かった上に、彼の能力や性質が組織の統率に非常に適していたのだ。

 しかし、優作は仮にも工藤家の当主である。
 他に当主を任せられるような親族もなく、後継者となるべき一人息子はまだたったの七歳とあっては、当主を退き極秘組織に属するわけにもいかなかった。
 WGOとしても、大事な資金源である工藤家に潰れられては大いに困る。
 そこで、長年副官として盗一を支えてきた寺井が、一時的に本部長を代行することになったのだ。

「だが、彼はあくまで正式に本部長に就任することは拒んだ。まあご高齢だったし、盗一の下で働くことを生き甲斐と感じている人だったから、人の上に立つ器量ではないと思っていたのかも知れないね」

 結果的に、今の日本に本部を置くことはできないと判断し、本部はアメリカに移った。
 そしてアメリカ支部の支部長だったジェームズが長官を就任したのだ。

「じゃあ優作さんはずっと昔から能力者だったんですか?」
「ああ、確かエレメンタリースクールに通っている時だったかな。力に気づいたのは。その時には既に母は他界していたし、父にも再婚する気など更々なかったから、父は早々に私をアメリカの片田舎に隠したんだ。そうすれば後々事実が発覚しても、WGOは私に工藤家を継がせる他ないと考えたんだろう」

 アメリカの片田舎に移り住んでも、優作の父は息子の教育に一切の手を抜かなかった。
 通う学校こそ無名の平凡なところだったが、日毎各分野の権威と呼ばれる教授や研究者を呼んでは息子に講義を聴かせ、自身も高学歴である父自らあらゆる知識を伝授した。
 そして優作はその特異な能力も手伝って、見る間にそれらを吸収していったのだ。

「だから私と盗一があの無名の学校で知り合ったのは、偶然というより必然と言った方が正しい、というわけさ」

 快斗は驚きながらも、ようやく事情を理解した。
 ともにWGOの存在を知る能力者の若者が二人、地下に閉じ込められないためにWGOから逃げ、遠いアメリカの地で出会ったということだ。

「でも、じゃあ、親父はなんでWGOの長官になったんですか?」

 わざわざアメリカまで逃げるくらいだ。余程関わりたくないと思っていたに違いない。
 それなのに、関わるどころか最高責任者にまで上り詰めることになったのは、いったいどういう心境の変化なのか。

「まあ理由はいろいろあるだろうけど、最大の原因はおそらく、私と知り合ったことだろうね」

 優作は当時を思い出すように目を瞑った。
 あの時、二人はまだ十六歳だった。
 若い二人には無限の未来と可能性があるはずだった。
 けれど彼らは知っていたのだ。
 今こうして過ごす時がまやかしに過ぎないことを。
 仮初めの平穏はいずれ終焉を迎え、どうしようもない現実を突き付けられるだろうことを。

「いずれ工藤の家督を継ぐ者として、私はWGOの実態を父から詳しく聞かされていた。その秘密を、私と盗一は共有していた」

 ――俺たちのこの力には、どんな意味があると思う?

 そう言い出したのは、盗一だった。

 ――最初の終焉を機に現れた能力者にはどんな意味がある? そもそも能力者とはなんだ? この力はなんのためにある?

 それは、誰一人として未だ答えを見つけられずにいる疑問だ。
 けれど、彼らはひとつの結論に達した。
 即ち――この世に無駄なものはなく、無意味なものもない。能力者だからといって、まるで存在しないもののように扱うのはおかしい。だから、能力者と非能力者が分け隔てられることなく生きられる世界を創る――と。
 そのために、盗一はWGOに入る決意をした。

「高校を卒業してすぐ、私たちはWGOに自首したよ。盗一はWGOという組織を根本から作り替えるために職員としてWGOに入り、私は外部から彼の手助けをするために地上に残った。もちろん、工藤家の跡取りであることを理由に、地上での生活権をもぎ取ってね」

 当時のあれこれを思い出しているのか、知的な顔に不釣り合いな、けれど妙に様になっている意地の悪い笑みを浮かべる優作に、彼の言う「悪巧み」とやらがどういうものか分かる気がして、快斗は苦笑った。
 いったいどんな手段で「もぎ取った」のか、知りもしない相手にこっそり同情してしまう。

「親父も優作さんも、随分やんちゃだったんですね」
「はは。私の聞くところによると、その点では君も引けを取らないようだけれどね?」
「う……。なにを聞かれたんですか」
「特務捜査官になってからの武勇伝はいろいろと、寺井さんから聞いているよ」
「寺井ちゃんか……!」

 うう、と頭を抱える快斗を見て、工藤夫妻が楽しそうにくすくすと笑みを零す。
 いろいろとやらかした自覚があるだけに居たたまれない。
 特に父の後を継いで長官となったジェームズに食ってかかった件は、日本支部どころか他支部にまで知れ渡っているらしいので、優作が知らないはずはないだろう。
 まさに蛙の子は蛙、である。

「――いろいろとね。心配していたんだよ」

 ふと口調を改められ、快斗はどきりとした。
 久しく見ていない「父親」の顔を浮かべた優作が、まるで自分の息子を見るように見つめてくる。

「君はまだ七歳だった。宮野さんがいてくれたのは救いだったが、盗一との別れは、幼い君にはとても辛いことだったろう」

 優作の言葉がじわりと胸に染みる。
 父の友人だからだろうか、彼の言葉はまるで父のそれのようにするりと快斗の心に入り込み、やんわりと心の琴線に触れていく。
 見る間に涙腺が綻びかけて、快斗は慌てて堪えた。

 辛くないはずがなかった。
 どこにもぶつけようのない怒りと、どうしようもない喪失感と、全てを覆い尽くすかのような絶望と。それらに抗う術もなく、ひどく泣き喚いて暴れ回った。
 それでも、本当の苦痛は時間が経つほど大きく、激しくなって快斗を襲った。
 あまりの衝撃に直視することができず、遂には父の死から目を逸らすようにして生きてきた。十年もの間、ずっと。
 その現実をようやく受け止められるようになったのは最近のことだ。
 死は哀しくて、苦しくて、恐ろしくて。けれどとても尊いものであることを知った。
 哀しみも苦しみも、それさえその人が残してくれたものなのだと思えば愛おしいものに変わるのだと、思えるようになった。
 哀しんでも、恐れてもいいのだと教えられた。
 彼が――コナンが――生きていてくれて本当によかったと、心から思う。

「俺は……大丈夫です。寺井ちゃんからどんな話を聞いたのかは分かりませんが、もう大丈夫です」

 いろいろと。そのたった一言に凝縮された気持ちを、快斗は真摯に受け止めた。
 コナンに会うまでの快斗は、本当に無茶ばかりしてきた。
 武勇伝などと面白おかしく茶化しているが、実際は生きるか死ぬかの綱渡りを繰り返しているような毎日だった。
 それでも死ななかったのは、ひとえに快斗の能力によるものだ。
 そうでなければ疾うに快斗はこの世にいなかっただろう。
 それほどに、父のいない世界に快斗は全く未練というものを感じていなかった。

 だが、今は違う。
 今はコナンがいる。
 彼を守り、彼とともに生きていくことが快斗の望みだ。

「大事なものができたんです。すごく、すごく大事なんです。それを守るためにも、俺は絶対に死ぬわけにはいかない。
 だから、もう大丈夫なんです。……心配してくださって、有り難う御座いました」

 そう言って頭を下げれば、優作は少し驚いた顔をしていた。
 けれどすぐに笑みを浮かべると、どことなく困ったように言った。

「本当に、君はとてもいい子だね」





 玄関先まで快斗を見送ったその足で書斎に戻った優作は、革張りの椅子に深く腰を預けると、何ごとかを考え込むようにしばし瞑目した。
 脳裏に浮かぶのは懐かしい友人の姿。
 記憶に残る彼は優しげな顔に似合わず、派手で、過激で、突拍子もないことをしでかすとんでもない男だった。
 そんな男に育てられたとは思えないほど真っ直ぐに育った少年。
 息子を――新一を守ってみせると言った眼差しのなんと強く、澄んでいたことか。

「ふふ。いい子すぎて、困ってしまうね、盗一」

 口元に浮かぶのは、苦い笑み。
 優作には話せない秘密を快斗が持っていたように、優作にもまた快斗に明かしていない秘密があった。
 けれど、優作や新一のために口を噤んだだろうあの子供に対して、己の秘密はなんと利己的で浅ましいものだろう。
 それでも。
 これは、盗一との最後の「悪巧み」なのだ。
 そのためなら、たとえ友人の息子だろうと、笑って欺く。

「ちゃんと教えてあげただろう? 私たちはいつも悪巧みばかりしていた、とね」

 その言葉の意味に気づくときにはもう遅い。
 賽を投げたのは誰か、いつか――それはただ、神のみぞ知ること。










B / /

優作パパ怪しさ大爆発!
快斗なんて小指の先でちょちょいのちょいですw
快斗だって別にそんなイイコじゃないのに、優作パパと並べるとチョーイイコに見えるから不思議。
次回はお久しぶりねのコナンさんを登場させますよv
10.03.31.