逃亡者 --------------------------------------------------------------------------------------------------------- |
謎の逃亡者と奇妙な同居生活をはじめてすでに1ヶ月が過ぎた。 はじめのうち、快斗は感情をすべて笑顔の仮面の下に隠しているように思えた。1日中変わらぬ笑みを浮かべて、けれどそれが作り物であることに新一は気づいていた。
「快斗〜。飯できたぞ」 呼べばすぐに隣の部屋の扉が開いて、嬉しそうに快斗がやってくる。 テーブルの上に並んだ新一お手製の夕食を見て、椅子に座ってニコニコしている。 ホント、犬だな…… 話さないだけになおさらそう思えてしまう。 快斗が待っているテーブルに一通りの片づけを終えた新一もついて、一緒に食事が始まった。 「?」 突然笑う新一に快斗はフォークをくわえたまま首をかしげた。自分を見て笑われたのだから訝しく思うのも無理はないだろう。文字にしなくても思いは伝わってくる。 "どうしたの?" いつも持ち歩いているメモ帳に快斗がそう書いてきた。 「いや…なんかでかい犬見てるみたいで、おかしかったんだ」 正直に応えれば、俺?と自分を指さす。そうだ、と頷けば、拗ねたように唇を尖らせた。自分と同い年らしいのに、こんな快斗はひどく幼く見えた。 「!」 次に見えたのはぺろりと舌を出す快斗が元の位置に遠ざかっていく姿。 「おま…っ、なにするんだよ!」 快斗は身を乗り出して、向かいがわに座る新一の唇の端をなめたのだ。 "食べカスがついてたから" 「だったら言うか普通に取るかしろよ…」 "犬ですからv" 悪びれるふうもなく、新一の反応を楽しんでいるらしい快斗に新一はむぅと唸って睨みつける。 楽しいよな…そう思えた。 そして同時に、いつか消えてしまうかもしれない不安が、そう遠くないその瞬間が、怖いと感じた。
"なんで俺を、受け入れてくれるの?" 2人でベットに横になったとき、何度目かわからない質問を快斗がしてきた。今までも言葉は違えど似たようなことを聞かれたことがあった。 「お前…ときどき思い出したように同じようなこと訊くよな」 "突然、気になってくるから。やっぱり俺って、得体の知れない人間だし。新一はなにも訊かないし。訊かないけれど、優しくしてくれるし" 「なんだよ。別に俺は見返りなんて求めてねぇぞ?」 "わかってるよ。わかってるけど、気になるんだ" こんなとき、いつも快斗の表情は暗くなる。 その質問に、新一も大体同じような応えを返していた。今までは。医者を志すものとして怪我人を放っておけないとかそんな類の応え。 だから、この日の応えは違っていた。 「淋しかった、のかもしれない…」 新一の口から出された応えに、快斗は驚いたらしい。 「俺さ、今まで色々なことがあって…大切な人を巻き込んだり傷つけたり。それでもなにもできないこともあって。医者になろうと決めたとき、できるかぎり自分の力でやってみようと決めて独りで突っ走ってきたんだ。 「……」 自分でも変なことを言っているなという自覚はあった。これじゃあ愚痴みたいなものだ。 「だからお前がいてくれて、嬉しいよ。変、かもしれないけどな…ずっとこのままでいたいと思っている自分がいる」 いつか出て行くことはわかっている。快斗にはなにか、やるべきことがあるのだと、曲げられない信念があるのだと気づいていたから。 わりぃ、忘れてくれ… 小さく呟いてシーツに顔を埋める新一を、快斗は抱きしめてくれた。 すぐそばで快斗の鼓動が聞こえる。
覚悟を、決めなければいけない…… ベットの上、ぼんやりとしながらも快斗はそう思っていた。 新一… 昨日、思わぬ新一の本音を聞いてしまった気がした。 離れたくない、このままでいたい。
ドンドンドン! 突然ベット脇の壁が大きくなった。というよりも叩かれた、と言ったほうが正しい。 「ベットの下に隠れてろ。絶対に、出てくるんじゃねぇぞ?」 小さいけれども、有無を言わせない力がそこにあった。 「いいか、絶対に出てくるなよ」 最後にもう一度念を押してから、新一はベットから遠ざかっていった。 まさか…!? わずかの音でも聞き逃すまいと耳をすませた。小さな音だけれども、新一が玄関でいきなりの訪問者に応対しているのが聞こえてくる。
――こんな時間に申し訳ない。現在逃走中の容疑者を捜しておりまして…
相手はどうやら警察を名乗っているらしい。
――…という感じの男ですが、ご存知ありませんか? ――さぁ…東洋人ならばすぐにわかりますけどね。このあたりでは見てませんよ。俺くらいじゃないですか?ここら辺にいる東洋人なんて。
だが快斗の心配をよそに、新一は完璧な演技で相手に応えている。動揺なんてまったく感じられない。完璧に『なにも知らない一般人』を装っているのだ。
――……そうですか。ご協力、ありがとうございます。
それに相手もすっかりと騙されて、あっさりと引いた。 扉が閉まってからしばらくして、新一が部屋に戻ってくる。快斗はすでにベットの下から出て腰かけていた。じっと新一を見つめる。 「サラねぇさんに頼んどいたんだ。怪しいやつが来たら…快斗を捜しているような、そんなやつらが来たら、知らせてくれって。ねぇさんの方が外に近いからな。事情はなにも知らないのに、ねぇさんは快く引き受けてくれた」 礼を言わないと… 会話が途切れる。沈黙が包み込む。それは快斗にとっても、新一にとっても、とても重苦しいものだった。
"ここを出るよ。これ以上、迷惑はかけられない" 「そ、っか……」 "今までありがとう。とても、楽しかったよ" 「俺も…楽しかったよ…」
新一は、止めなかった。ただ俯いて、無理やり笑っていた。 ダメだ。すぐに出て行かなければいけないのに。迷惑をかけるのに…。 快斗もまた、心と体はバラバラだった。
約束はできない。 "いつかまた会いに来る。それまで待ってて" そんなこと、言えはしない。言いたいけれど、できないのだ。そんな、無責任な約束なんて。 新一には未来がある。輝かしい未来が。同時に彼を必要とする人々は、これから先でも多く出てくるだろう。
己がただ1人認めた名探偵。
今だけ、一度だけこの温もりを感じさせて。
与えられる快楽に怯えながらもおぼれて。必死に腕を伸ばす新一を抱きしめる。拒絶せずに受け入れてくれた。その悲鳴さえも呑みこんだ。 出ない声。けれどずっと心の中では呼んでいた。その名前を繰り返し繰り返し、呼んでいた。それが届けば良いのに、と思っていた。 そして何度目かの精を放ったとき。
「しん、いち…」
低い声が、口からこぼれた。
× × ×
新一が目を覚ましたとき、隣には誰もいなかった。わかっていたことだけれど、心に大きな穴が開いてしまったような、そんな気持ちになる。 わずかに顔をあげた新一は、枕に快斗が使っていたメモ帳が乗っかっているのに気がついた。 最後のページ、おそらくは出て行く前に書いたのだろう言葉があった。
"忘れても良いよ。俺は、忘れないから"
思わず、笑ってしまった。 「絶対に、忘れてやらねぇ」 だるい体に鞭打って起こすと、タオルケットを肩から羽織って窓まで歩み寄った。すでに太陽が顔を出して、まぶしい。青空も広がっている。
しん、いち…
意識を失う前、確かに自分の名前を呼ぶ声を聞いた。幻聴なんかじゃない。低い、熱のこもった…あれは確かに、快斗の声だった。 俺は医者になる。お前が信念を曲げないように、俺もこの夢を諦めない。
「また会おうな…"怪盗キッド"」
fin.
03/6/8 BACK * TOP -------------------------------------------------------- [ Mond Licht ] の友華さまから、20万打記念のフリー小説を頂いて来ましたvv もうもう、かなり素敵で、有り難う御座います!そしておめでとうございます! じゃれあってるふたりは犬のような猫のような可愛らしさでv 新一は快斗=キッドと気付いてるようで、それでも好きになっちゃって。 最後の瞬間にしか快斗の声を聞けなかった、というのがまた切なくて。 この後のふたりがどうなったのか明確ではありませんが、幸福でありますように…。 素敵な小説をゴチソウサマデシタvv 今後もますますのご活躍を期待しております。 |