目撃者
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 その日の夜は、やけに風の強い日だった。
 自分以外は誰もいない廃ビルの上を何度も何度も勢いよく駆け抜けていく風の音は、哀しい人のうめき声にも聞こえて結構無気味だ。
 冷たい風を遮ってくれるものもなくて、新一は1人、襟元を合わせながら飛ばされないように耐えていた。
 ビルの後ろは港で、海が広がっている。新一の周りとは裏腹に、海はひどく穏やかな表情を見せていた。さっきまで隠れていた月が顔を出して、水面にも反射する。

「そろそろ、だな」

 片方は変わらず襟を握り締めて、もう片方で腕時計を確認する。
 新一の計算が正しければ、もうすぐここへヤツがやってくるはずだ。この先は海、周りには他に降り立てるような場所はない。ヤツはここへ来るはず。
 そのヤツが、新一が寒い中でも待ち続けている相手だった。
 今日はヤツの、怪盗キッドの予告日。時計の針は予告された時間を通り過ぎている。かすかだが、狙われた博物館の方角から音が聞こえていた。
 順調に盗み出していれば、そろそろ現れるはず。
 順調に――己の考えに新一は苦笑した。
 おそらく今日も、キッドにとっては順調に仕事は済んだだろう。中森警部の苦虫を噛み潰したような顔が浮かんでくるようだ。そしてロンドンから帰ってきたばかりの白馬の顔も。

 複雑な気分だ。立場的には彼らと同じはずなのに。キッドが捕まらないことを、喜んでいる自分がいる。
 捕まえたいと思う。この手で。
 同時に、捕まってほしくはないとも思う。キッドには、この広い空が似合っているから。

「来たな」

 白い影が目の前に降り立つのを見て、新一は立ち上がった。とたんにまた冷たい風が吹き抜けて、身体を縮こませながら顔をしかめた。
 そんな新一の様子が面白いのか、キッドからくすりという笑い声が聞こえてきた。

「寒い中、わざわざ来ていただいて光栄ですね」

「…うるせぇ。さっさと盗んだもの返しやがれ」

「はいはい。少々お待ちくださいね」

 バカにされたようで悔しくて、眉をひそめながらキッドに片手を突き出す。
 その様がなんだか幼く見えてさらにキッドの笑いを誘っているという自覚はないらしい。笑うことを止めることなく、キッドは今日の獲物を取り出すと、わずかに覗いている月にかざした。
 少しの諦め。それでも捨てられない期待。そして覗いたあとに案の定襲いかかってくる絶望。
 小さく息をついて、キッドは笑みに戻り新一を振り返る。新一はまだ片手を差し出した状態のままだった。

「これも俺の目的のものではなかった。このような寒い中で待っていただいた探偵君にお返ししよう」

「いちいちむかつくヤツだな」

 差し出された宝石を、感情に任せてキッドの手から奪い返す。怒っている、というよりも拗ねているように見えてしまう。
 さらに機嫌を損ねることはわかっていたが、思わずこみ上げてくる笑みをとめることはできなかった。

 コイツ、絶対にバカにしてるな…

 遠くからキッドを追うサイレンがわずかだが聞こえてくる。そしてこの場には探偵と1対1で向かい合う怪盗。
 だが焦る様子はまったくない。むしろこの状況を楽しんでいる。
 どんなことがあっても逃げ切れる絶対の自信があるのだろう。たとえば今新一が銃を突きつけても、コイツは涼しい表情を崩さない。そう考えれば、腹立たしいことこの上ない。
 盗まれたものは取り返した。(新一視点だが…)これ以上付き合う義理もないだろう。
 そう思って踵を返そうとしたとき。

「!?」

 港の方からかすかに聞こえてきた音。本当にかすかで、きっと常人の耳には届かない。この手のことには常人じゃない能力を発揮する新一にだからこそ聞こえたそれ。
 それは同時に、もとから常人じゃないキッドの耳にも入ってきた。
 すでに聞きなれてしまったその音に、眉をひそめる。

「銃声…?」

 警察ではないはずだ。まだこんなに近くまできていない。
 嫌な予感がする――と思っていたら。

「工藤!?」

 目の前にいた新一が走り出した。あっという間に屋上から消え、階段を駆け下りていく音が小さくなっていく。止める間もなかった。
 やれやれ、とキッドはため息をついた。
 事件のにおいがすればいつも鉄砲玉だ。止めることなどできない。
 彼にはそれなりに力もあるし、なによりもこの怪盗キッドも恐れる頭脳がある。だから大抵の事件ならば彼1人突っ走ったところで問題はないだろう。
 だが今回はなんだか嫌な予感がするのだ。危険な香りがする。
 再びため息をつくと、キッドは屋上の縁まで移動する。下では今まさに新一がビルから飛び出していったところだった。
 それを確認すると、キッドはなんのためらいもなくビルの上から飛び降りた。







 新一は銃声が聞こえた方向へ走っていた。
 だが港は多くの倉庫が立ち並び、今はしんと静まり返っていて正確な位置がわからない。
 だがまだ銃声の主は近くにいるはずだ。
 きょろきょろとあたりを見渡しながら走り続けていた新一は、突然倉庫と倉庫の間から勢いよく飛び出してきた大きな影と鉢合わせになり、衝突してしまう。
 思わぬことに、双方ともに後ろへと弾き飛ばされしりもちを着く。
 腰をさすりながら起き上がった新一は、自分よりも先に起き上がっていた相手を見上げた。月を背に新一よりも20センチほど背が高い相手は、まさしく壁のようだった。
 顔はほとんど影になってよくわからなかったが、一瞬月明かりに照らされて見えた相手の左頬にあるものに新一は目を見開く。

 コイツは…!

 新一は驚きながらも、相手の手に握られているものを見てとっさに飛び掛っていた。
 それは間違いなく銃。おそらく先ほどの銃声もコイツだろう。新一はコイツの顔を見てしまった。だから新一も消そうとしている。
 勝てるとは思わなかったが、がむしゃらに新一は銃を持った腕に掴みかかっていた。
 そんな新一を引き剥がそうと、相手も動く。振り回したり蹴飛ばしたり。だが新一はしぶとく腕にしがみついていた。
 だが焦れた相手が渾身の力で腕を振り払ったとき、ついに新一の身体は離れた。勢いよく飛ばされた新一は、すぐそばにあった倉庫の壁に打ちつけられ、そのままずるずるとその場に崩れ落ちる。
 頭から飛ばされたため強かに打ち、意識が朦朧とした。
 だがすぐ傍に突きつけられているのだろう銃の音だけは、やけにはっきりと聞こえてくる。

 ここで、死ぬのか…?

 漠然とそう思ったとき。

「名探偵!」

 誰かの叫び声となにかが飛んでくる音、そして目の前の人物がわずかにうめいた声が聞こえた。
 聞こえたと同時に、新一の意識は完全に闇に落ちた。



 銃を突きつけられている新一の姿を見つけて、キッドは思わず叫んでいた。それと同時に、銃を握る長身の影に向けてトランプ銃を向けていた。
 飛び出していった鋭利なカードは、見事相手の腕に突き刺さる。銃が下へ落ちた。
 近づいてくる真っ白な衣装をまとった怪盗の姿、そしてさらにこちらへ確実に近づいているサイレンの音。
 舌打ちして落とした銃を拾い上げると、そのまま影はキッドとは反対方向へと走り去った。

「工藤!おい、しっかりしろっ!」

 逃げた相手を追うことはせず、キッドはぐったりと倒れている新一を抱き起こした。
 どんなに呼んでも頬を叩いてみてもまったく反応がない。脈はあるし呼吸はしているから生きてはいる。だが目をあけない新一に、不安が募る。
 そうしている間にも、パトカーのサイレンはすぐ傍までやってきていた。
 今はまだキッドだ。快斗になったとしても、こんな時間にこんなところにいるのは不自然。新一のことが心配でも、この姿のままずっと一緒にいるわけにはいかない。
 何台もの車が止まり、ばたばたと人が駆ける音が聞こえてくる。
 キッドは新一の身体を抱き上げると、人の気配がする方へとそっと近づいた。パトカーから降りてくる中森警部の姿が見える。

「警部!大変です、ちょっと来て下さい!」

 新一をその場にそっと下ろし、キッドの衣装を解くと、快斗は声色を変えて中森を呼んだ。中森と数人の警官が近づいてくるのを確認して、こっそりとその場を離れる。

「どうした!?キッドがいたのか!」

 呼ばれて走ってはきたものの、そこに警官の姿はない。
 首をかしげていると、一緒に来た警官の1人が何かを見つけて声をあげた。

「警部、人が、人が倒れていますっ!」

「なに!?」

 警官が指差す方向を見れば、そこには確かに誰かが倒れていた。
 驚いて駆け寄り抱き起こす。

「おいあんた!大丈夫か!?…っ、コイツは」

 他の警官が持っていた懐中電灯に照らされた顔を見て中森はさらに驚いた。
 何度か警視庁で見かけたことがある。隣に住む少年にどこか似ていて、警視総監の息子のように自分にとっては腹立たしい存在でもある。

「工藤新一…?コイツが、なぜ…」

 だが今は腹立たしいとか言っている場合じゃなかった。
 新一はぐったりと目を閉じていて、よく見れば頭から血を流している。
 中森は慌てて救急車を呼んだ。

 やがてやってきた救急車で新一は運ばれていく。そのときに少し遅れてきた白馬が付き添いとして一緒に乗った。
 その少しあとに連絡を受けた目暮たち1課の刑事たちがやってきて周辺の捜査を開始する。新一の状態は、明らかに他者から受けたものだ。そうなれば傷害事件ということになる。
 なにか手がかりがあるかもしれないと動く1課と、キッドを追う2課の刑事たちで普段静かな港は一気ににぎやかなものになってしまった。
 そしてやがて、1つの倉庫の中で男の銃殺体が発見されたのである。



 新一が乗った救急車を見送る2つの影があった。
 1つは救急車が見えなくなると、何も言わずに静かにその場を去った。多くの警官たちに見つかることもなく。
 そしてもう1つは―――――

「工藤、どうか無事で……」

 小さい呟きに大きな願いを込めて。
 同じように跡形もなくそこから消えた。







******



 静かだ。とても静かな場所に俺は1人で漂っていた。
 真っ暗で、何も見えない。いや、目を閉じているから光がなにも入ってこないのだろうか。目を閉じているのかどうかさえもわからない。
 感覚すらも麻痺してしまったような状態で、俺はただ漂っていた。

 ここは、どこだ?

 様々な疑問が浮かんでは消える。
 ここはどこか、なぜこんな状態になっているのか。そして――――俺は一体何者か。
 だが考えても考えても、すべての応えは出てこなかった。

 ふと、なにもなかった世界に仄かな光が差し込んだ。
 強いものではない。柔らかい、暖かな印象を受けるものだ。そしてその前になにか大きな黒いものが立っている。なにかははっきりとわからない。
 だが俺はそれが邪魔だと思った。柔らかい光を遮るから。
 だが黒い大きな塊は、どんどんと俺に近づいてくる。まるで俺という存在をすべて呑み込んでしまいそうな勢いで、真っ黒な触手を伸ばしてくる。
 逃げようとしても、俺はその場から動くことができない。

 呑まれる…!?

 そう思ったとき、黒い影の中で一箇所だけ白くなっている部分があった。そこに、なにかがある。
 それがなんであるのか、きちんと確かめようと思った瞬間。





「新一っ!!」





 名前を呼ばれて、俺は目を覚ました。
 見えたものは淡い光でもそれを覆う真っ黒な影でもない。大きな双眸いっぱいに涙をためた、髪の長い少女の顔だった。不安いっぱいだった彼女の顔が、一瞬にして歓喜に変わる。
 嬉しそうに微笑む彼女を綺麗だと思った。思ったけれど―――――

「よかったぁ、新一。目、覚ましてくれて…」

 とうとうこぼれ落ちた涙をぬぐうことなく少女はそう言った。
 だが俺は彼女のように微笑むことはおろか、声を出すことすらできなかった。というよりも、出すべき音が見つからないのだ。なんと言えばいいのかわからない。
 戸惑う俺の様子に、少女もようやくなにかおかしいと気付いたようだ。

「新一?どうしたの?」

 し、ん、い、ち―――――それが俺の名前か?
 でもそれじゃあ意味がない。そのことがわかったところでなにも変わらない。
 だから思い切って彼女に聞いてみることにした。

 それが――――――



「君は、だれ?」



 それが、こうしてまた彼女から笑顔を奪ってしまうだろうことがなんとなくわかっていたけれど。
 それでも、彼女に聞くしか他に方法がないのだ。

 俺は、この少女の名前を知らない。





 その後、白衣を着た人々に混じって色んな人たちがこの部屋へとやってきた。俺の状態を聞いて、皆が皆同じような反応を示す。
 俺は検査といっていろいろと調べられた。
 白衣のおっさん曰く、『日常での基本的なこと』はしっかりと憶えているらしい。ただそれ以外のことはすべて忘れてしまっているのである、と。
 確かに今俺がいる場所が病院であるということは理解できる。白衣のおっさんは医者だ。
 俺は人間だから、食って寝て。そんな俺の年ならば当たり前に知っていることは知っている。
 ただ、さっきから入れ替わり立ち代り俺に話しかけてくる人たちの固有名詞がわからないのだ。そしてなぜここにいるのかも。俺はすべて忘れてしまったのだ。
 恰幅のいい、医者ではないらしいのに白衣を着たじいさんが戸惑いながらもいろいろと教えてくれた。

 俺は、『工藤新一』。
 現在高校3年生。両親が健在で兄弟はいない。なぜ両親がこの場にいないのかといえば、アメリカに住んでいて向かっている途中だから。
 普段は日本で一人暮らしをしていたらしい。なんでも中学生の頃からだとか。
 随分な放任主義なんだなぁと自分のことながら感心した。
 他にもいろいろなことを聞いた。
 教えてくれている白衣のじいさんは阿笠という、新一の隣に住んでいる科学者だという。自分では天才で有名だといっていたが、事実であるかは今は確かめられない。
 もう1人の恰幅のいい帽子を被った男と背の高いどこか気の弱そうな男は警視庁の警部と刑事なのだそうだ。
 俺は高校生探偵として有名で、よく彼らを手伝っていたらしい。
 探偵といえば、背の高い栗色の髪をした少年も、新一と同じ高校生探偵として名を知られているのだと聞いた。名前は、白馬探。

 そして。

 さっきから俺を囲む輪から一歩ひいたところで俯いている少女、目覚めたときに最初に見た彼女は『毛利蘭』。俺の、幼馴染であるらしい。
 小さい頃から一緒で、仲が良かった。
 けれど今はなにも憶えていない。彼女を見ると胸の奥がちくりと痛む。
 きっと彼女は俺にとって大切な人なんだ、とそう思った。胸が痛むのは、忘れてしまったことへの罪悪感なのか。

 結局俺は、様子を見るために今日1日入院ということになってしまった。
 遅い時間なので来てくれた人たちが次々と帰っていく。蘭という少女も、どこか不機嫌そうな父親と一緒に帰っていった。俺は、結局なにも言ってやることはできなかった。
 警護だという警官が2人残ると目暮という警部に言われた。どうやら俺は殺人事件を目撃したかもしれないらしいのだが、やっぱり全然憶えていない。
 人が1人殺されたというので無理やり思い出そうとすればとたんにひどい頭痛が走る。
 そう告げれば、目暮警部はそうかと小さくため息をついて、なにか思い出したらすぐに教えてくれと言われた。
 やがて病室の中は俺1人になり、明かりも落とされる。誰もいない静かな空間。
 それがなんだか淋しいと思った。けれど、哀しげなあの子の顔がちらついて、眠ることもできなかった。







 病院を出たところで、目暮は深々とため息をつく。
 ここへ来たのは、もちろん新一のことが心配であったこともあるのだが、もう1つ目的があったのだ。
 新一が保護された同じ港の倉庫の1つで見つかった銃殺体。顔がつぶされてしまっていたために、身元を洗い出すにはまだ時間がかかる。なにより犯人の手がかりとなるものがまったく見つかっていないのだ。
 もしかして新一は犯人の姿を見たのではないか?だからこそ襲われて負傷した。そう考えて、話を聞けたら、と思ったのだが――――本人は犯人どころか目暮たちのこともわからないという。

「警部…どうします?」

「どうもこうもない。工藤君が早く思い出してくれるのを待つしか……」

 いつ戻るかはわからないと医者は言った。すぐかもしれないし、だいぶ後かもしれない、と。ゆっくりと様子を見ましょうと、そう言われたのだ。
 言われたときの蘭の姿を、目暮は痛々しく見ていた。そして忘れてしまった新一もそのことで苦しんでいるのだろう。
 五分五分の未来だけに頼っているわけにはいかない。今も、殺人鬼はこの町のどこかにいるのだから。

「他にもなにか残っていないか徹底的に捜すんだ。現場に戻るぞ、高木君」

「は、はい!」

 改めて気を引き締めなおして歩き出す目暮のあとを、高木も慌てて追いかけた。
 玄関脇の茂みの中で、そんな2人を見送った男は、病院を見上げると不気味な笑みを浮かべた。







 一定の間隔で扉についている小さな窓から警護の警官たちが覗くのを感じながら、新一はようやくうとうとし始めていた。散々考えたところでなにも浮かんでは来ない。
 今日は諦めて、このまま眠気に身を任せることにした。静かに目を閉じる。
 頬を撫でていく風が、なんだか心地いい―――――

 新一は再び閉じたばかりの目をあけた。

 窓はすべて閉められていたはず。風が入ってくるはずはない。
 目を開けた新一の目に、長身の影が飛び込んできた。それは新一の傍に立っていて何かを振り上げている。風で揺られたカーテンの隙間から入り込んだ月明かりに照らされて、影が持っているものが光を放った。
 ナイフだ…!
 そう思った瞬間、刃はベッドに横になっている新一へと振り下ろされる。
 新一は間一髪でそれをよけたが、その反動でベッドの上から落ちてしまった。一緒にテーブルの上にあったものもばらばらと落ちてきて大きな音を立てる。
 聞きつけた警官たちが飛び込んできた。
 自分がいた方とは反対側に落ちた新一にまた襲いかかろうとした影は、標的を警官たちへと変えた。
 すばやい動きで飛びかかっていく。訓練されたと思われる、非常に慣れた動きだった。
 プロだ、と新一は本能的に悟った。
 だが攻撃を受けた警官は、こちらも慣れた動きで影のナイフを受け止めると、そのまま蹴りを繰り出した。だが直撃はせず、反対側の腕で止められる。
 だがひるむことなく警官はすぐにまた攻撃を仕掛ける。
 手馴れた者たちの格闘が目の前で続いて、新一はただ呆然と見ていることしかできなかった。

「動くなっ!!」

 少しこの場を離れていたらしいもう1人の警官が飛び込んできて、影に向かって銃を向けた。さらに騒ぎを聞きつけたらしい複数の足音が近づいてくる。
 小さな舌打ちが聞こえたかと思うと、影はすばやく窓へと移動した。
 大きさからは考えられないほど軽い身のこなしで窓へと飛び移る。月明かりに照らされたその顔は、真っ黒な覆面で覆われていて、ぎょろっとした目だけが覗いていた。
 そのままソイツは、そのまま外へと飛び出した。
 驚いたのは皆同じだった。なにしろここは7階の部屋なのだから。だが自殺したようにも思えない。
 ヤツと格闘した警官がすぐに下を覗いていたが、どうやらすでに姿を捉えることができなかったらしい。
 もう1人の警官に、警部へ連絡を入れるように指示して新一の元へと駆け寄り倒れたままの新一を抱き起こす。

「大丈夫ですか?」

 問われて、新一はようやく少し腕が痛むことに気がついた。ベッドから落ちたときにどうやら打ってしまったようだ。
 だがこのときの新一にはそんなことはどうでもよかった。

「お前、何者だ…?」

 先ほどの動き、一介の警官にしてはあまりにもおかしいと思った。プロ相手に互角に、いやそれ以上に渡り合える能力。よくわからないけれど、変だと感じたのだ。
 問えば警官がくすりと笑った。だがその笑みは、先ほどとは雰囲気が違う。
 いや、まったく別なモノだ。

「それをお教えしたところで今の『貴方』はいずれは忘れてしまうこと…ならば名乗ってもしょうがない」

「おま…!?」

「ご安心を。貴方の敵ではありませんよ。―――――今は、ね」

 そう言うと、新一を易々と抱き上げベッドへ戻す。そしてなにかを言う隙も与えずに、やってきた医者や看護婦に場所を譲った。
 だが新一は、警官の後ろ姿から目を離すことができなかった。





to be continued......



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