目撃者
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「高校生探偵、工藤新一、か…」

 手にした書類を見つめながら、長身の男がにっと笑う。
 昨日は依頼を受けて仕事をこなした。何の問題もなく、いつもどおりに終了した。実にあっけなく。恐怖に彩られた瞳、それが己を見るのを心地よく感じながらその命を奪った。
 だがいつもと違ったのはそのあと。現場から去る際に顔を見られたのだ。1番の特徴である、この『烙印』を。
 見開かれた蒼い瞳、あれは男が何者であるのかを悟ったことを語っていた。
 別に知られたところで大きな問題はない。そうなったところで警察に男を捕まえることはできないだろう。
 だが標的ではなかったにしろ仕留めそこねたということ。プロの殺し屋としてのプライドがその事実を許せずにいた。

 それになにより――一瞬だが見えたあの美しい顔を恐怖に染めたい……
 真っ白な肌を真っ赤に染め上げたい……

 湧き出てくる残酷な欲求を止めることはできない。もともと止めようなどとは露にも思っていないが。
 そうして奪ってきた命も少なくは無い。

「だが予想以上に強い守りがついているようだな」

 言葉ほど落胆する様子も無く、むしろ楽しそうに呟き踵を返す。
 持っていた書類があっという間に灰になり風に飛ばされると、あとにはなにも残らなかった。



* * *





 次の日、またいろいろと検査はしたものの結果は前日と変わらず、記憶がないこと以外は問題ないために退院ということになった。すでに日が高く昇っている時間だ。
 朝からまた来てくれていた阿笠という老人が、もうすぐ帰国したばかりの両親が迎えに来ると言っていた。
 そういえば2人ともアメリカに住んでいると聞いたっけ。自分の両親のことであるのに、まるで他人事のように感じてしまうのは仕方が無いことだろう。
 一体どんな人たちなのか。今の新一には想像もつかない。阿笠博士に尋ねれば、苦笑いして来ればわかるとだけ言われた。
 言葉ではあらわせないような人たちなのだろうか?
 色々想像しながらも悩んでいると、やがてその新一の母親だという女性が現れた。

「新ちゃん!?ママのこと、本当に忘れちゃったの!!?」

「いっ…!?」

 病室の扉が開いて、美人といってもいい女性が入ってきたと思うと、彼女はそう叫んでがばっと新一を抱きしめた。身構える隙もない。
 突然強く抱きしめられて、新一は固まったまま動けなかった。
 そうしている間にも彼女は新一を抱きしめたまま、いろいろなことを口走っていたが、新一は右から左へと流してしまっていた。聞き取っている余裕など無かったのだ。
 頭を抱える形になっているため、新一の顔はちょうど女性の胸にあたる。
 どうやら彼女が母親であるらしいのだが、なにも憶えていない新一にとっては彼女は世話をしてくれる看護婦さんたちと同じように1人の『女性』なのだ。
 薄っすらと頬を染めて困った表情をしている新一に気付いた阿笠が女性を宥めてくれたおかげで、新一はようやく抱擁から開放された。

「え、え〜と…貴女が、俺の母さん…?」

「本当に憶えていないのね」

 涙ぐんで、大げさなほどに哀しいという感情を表現する。いや、本当にそう思っているのかもしれないが、芝居がかっているようにも見えてしまうのだ。
 そういえば、母親はかつて女優であったと阿笠博士が言っていたっけ。

「い、いや…若くて綺麗だから、なんだか信じられなくて……」

「あらvやだ新ちゃん、若くて綺麗なんてぇ」

「………」

 いつもは絶対にそんなこと言ってくれないのにv
 どういえばいいのか困ってしまったので、とりあえず思ったままのことを口に出してみたのだが、それを聞いたとたんころりと態度が変わってしまった。
 先ほどまでの憂い顔はどこへやら、一変して満面の笑顔になる。
 新一はますますこの母であるはずの女性がわからなくなった。

「と、ところで優作君はどうしたのかね?」

 新一の大困惑を感じ取って阿笠が助け舟を出した。実際に気になっていたことでもある。連絡を受けたときは2人一緒に来ると聞いたのだが、今いるのは有希子1人だけである。
 阿笠の質問に、有希子はにっこりと笑って見せた。

「もうすぐ来るわよ。ちょっと細工をするから、別々に来たの」

「細工?」

 有希子の言葉に尋ねたのは新一である。

「そうよ。新ちゃん今危険な状態でしょう?昨夜も襲われたって聞いて…だから目暮警部とも話し合って犯人の目をくらますための細工を施すの」

 そう言われても新一には何のことかわからない。
 有希子が詳しく説明するよりも先に、病室に入ってくる人物がいた。紺のロングコートを着、同じく紺の帽子を目深に被った白いひげの老人だった。
 記憶の無い新一に見覚えの無いのはもっともだったが、阿笠も知らない人物だ。だからこそまた新一を狙う輩かと警戒する。だが老人は、そんな阿笠の反応に小さく笑った。

「博士、僕ですよ」

 老人から発せられた声は、阿笠にも聞き覚えのあるものだ。まさか、と思っているうちに相手が先に被っていた帽子とともに『顔』も剥ぎ取った。
 下から現れたのは、予想通りの人物で。

「優作君!?これは一体…」

 変装して現れた優作に阿笠が戸惑っていると、後ろから目暮警部と他3人ほどの刑事が現れた。そのうちの1人は見たことのない、若い男だ。
 優作は状況がわからずに呆けている新一の傍へ寄ると、包帯が巻かれている頭に手を乗せくしゃりと撫でる。

「次から次へと、本当に事件に巻き込まれやすい子だね」

「………父さん?」

 苦笑いしながらも新一を見つめる目は優しい。
 だから新一はその男が誰であるのか察することができた。新一の呟きに、優作は小さく頷く。
 なにも知らない阿笠と新一に、目暮が説明をはじめた。

「昨夜港で男性の銃殺体が発見されました。身元は現在もはっきりせず、犯人の手がかりもありません。が、工藤君がなにかを目撃した可能性が高い。だから昨夜何者かがここへ侵入し、襲い掛かってきた。おそらく犯人は工藤君が記憶を失ったことを知ったのでしょう。ならば思い出す前にまた襲ってくることが考えられます。そこで」

 目暮に目で促されて、見覚えの無い若い刑事が一歩前に出た。
 背格好が新一とほとんど同じだった。

「彼を工藤君の代わりに仕立てます。工藤君になりすまして有希子さんと家へ行ってもらう――もちろん、警護の警官もつけます。これで犯人の目をくらますのです」

「そして新一、君は僕と一緒に別な場所へ避難する。安全が確認されるまでね」

 なるほど、と阿笠は頷いた。
 だが当事者の新一は納得いかない顔を見せる。

「でもそれじゃあその人が危険じゃないですか。それに安全が確保されるまではって、いつ記憶が戻るのかわからないのに…」

「大丈夫だ。彼は特別な訓練を受けていて腕は確かだし、たとえ君の記憶が戻らなくても必ず犯人は捕まえてみせるから」

 きっぱりと言い切られてしまっては、新一がそれ以上何かを言うことはできなかった。
 そのままどんどんと話は決められていく。記憶をなくした新一が口出しすることはできない。そのことをひどくもどかしく感じていた。
 黙って言われるままに行動する―――そんなのは嫌だと思う。
 だが文句を言うこともできずに母有希子が身代わりの警官と一緒に先に病院を出ることとなった。
 有希子が持ってきた新一のコートを着て大き目の帽子を深く被る。そして傍らには有希子が寄り添う。そして警護の警官も連れ立ってタクシーで病院を後にした。
 背格好がほとんど同じ警官はしっかりと新一に見えるだろう。実際、なにも知らない看護婦たちは、新一として見送ってくれたのだから。
 そしてしばらくしたあとで来たときと同じように老人に扮した優作と、同じく変装させられた新一が病院を出て有希子たちが向かった方向とは逆へ向かう。
 病院を出るとき、新一はふと昨夜の謎の警官のことを思い出した。何人か警官はいたのだが、あの警官の姿はどこにもなかった。新一の身代わりとなった刑事がそうかと思ったのだが、昨夜間近で見た顔とも声とも違っていた。
 本当に、何者だったのだろうか?
 それは新一の中の疑問の1つだった。心に残ったまま、病院を離れる。

 うまく騙せればいいが…見送った目暮は小さく呟いて、部下たちとともに自分の持ち場へと戻っていった。





 新一がやってきたのは郊外にある小さな一軒家だった。周りには他に2,3軒同じようにこじんまりとした家が建っているだけであとは雑木林に囲まれている静かな場所だった。
 ここがしばらく過ごすことになる家だと父に言われる。玄関前でちょっと古ぼけた家を見上げて、新一は父の後に続いて中に入った。外見とは裏腹に中はきちんと掃除されていて綺麗だ。
 新一のだと言われた2階の部屋に入るなり、すぐに変装をとく。
 身を守るためとはいえ、長い鬘も女物のコートも長く着ているのはやはりちょっと抵抗があった。
 すべて脱ぎ捨てるとさっぱりする。きちんと用意されていたジーパンとシャツに着替えると、綺麗に整えられたベッドの上に仰向けに寝転がった。とたんに自覚していなかった疲れが一気に溢れ出してきたように感じた。
 そのとき同じように変装をすでに解いた優作がノックとともに入ってきた。

「いろいろあって疲れただろう?休みなさい」

 起き上がろうとした新一を制してベッドに腰かけると、先ほどと同じようにくしゃりと髪をかきあげる。
 そこから感じられる優しさに思わず甘えそうになって、新一は慌てて起き上がった。

「あの…俺になにかできることってないのか?じっとしているのってなんだか落ち着かなくて…」

「……やれやれ、記憶を失っていてもそういうところは変わらないな」

 苦笑いしていた優作だが、次に真剣な表情で新一を見る。

「いいかい?今君にできることはここで大人しくしていることだ。それが苦痛だと感じてもね」

「でもッ」

「いいね?」

 有無を言わせぬ優作に、新一は渋々頷いた。
 優作はまた最初の柔らかな笑みを浮かべると、ぽんと軽く肩を叩いて部屋を出て行った。
 残された新一はため息をついて再びベッドに横になる。

 なにもわからないことがもどかしい。じっとしていることに苛立つ。
 今の新一にはなにもかもがわからないのだ。
 だがわからないことがあればわかるまで追い求めてみたくなる。誰かに助けてもらうのではなく、自分の力で。そんな気持ちが新一の中に溢れていた。
 きっと記憶を失う前の自分もこんなヤツだったのかもしれない。新一は漠然とそう思った。
 そうしている間に、新一は眠りの中へと入っていった。



 迫ってくる。大きな黒い影が。けれど自分は動けなくて―――。
 前にも同じようなものを見たような気がすると新一は思った。そう、前もこんな風に動けなくて、でも黒いのはどんどんと近づいてきて。でもその存在はひどく曖昧で。
 影が新一を覆い隠し、呑み込もうとする。そんな中で一箇所だけの『白』。
 それがとても重要な気がして、新一は必死に目を凝らした。

 それはなんだ…?なにがある…?なにを、見た……?
 なにかの形がある。ぼんやりと形をなしていく。
 あれは、あれは――――――――――



 そこで新一は目を覚ました。見えるのは、見覚えの無い天井だけ。
 もう少しで見えると思った何かは、あっという間に霧散して欠片さえも残らなかった。残されたのは、相変わらずの謎と、わからないことへの苛立ちだけ。
 頭を掻きながら新一は起き上がった。そこで結構時間が経っていることに気がつく。
 先ほどまで電気なしでも明るかった部屋の中が今は薄暗かった。
 ベッドから下りた新一は廊下に出てみた。薄暗かったが電気のスイッチの場所がわからないので仕方なく手探りで歩く。ところどころにある窓から淡い光が入ってきてくれているから、真っ暗というわけではない。だが注意して歩かなければ躓きそうだった。
 まるで今の自分のようだと自嘲する。
 何もわからず手探りで光を探している。けれど一向に見つからない。

 ちょうど新一の部屋から3つほど隣の部屋に人の気配を感じた。父だろうか、と近づいてみる。
 すると中から小さな話し声が聞こえてきた。1人ではない。

―――……

―――………

 聞き耳を立ててみても内容が聞こえてはこなかった。
 気になって、なんとか聞き取ろうとさらに扉に密着したとき、完全に閉められていなかったらしいそれが新一の重みで開いてしまった。急に支えを無くして、新一は部屋に一歩踏み出してしまうことを止められなかった。
 流れてくる風が新一の髪をなでていく。
 大きく開けられた窓、その前で翻る真っ黒なマントを新一は見た。顔は逆光になっていてよくわからない。新一が声を出す前に、その黒い影は窓の外へと飛び出していった。この、2階の窓から外へ。まるで新一に見られるのを拒むかのように。
 何者だという言葉は呑み込まれて、呆けたままなにも言えなくなる。
 するともう1人の滞在者である優作の小さな笑い声が新一の耳へ入ってきた。

「立ち聞きとは感心しないな」

「父さん…アイツは…?」

「私の協力者だよ。家のことを報告に来てくれた」

 どうやらまだあちらにはなんの動きも無いらしい。続けられた言葉は新一には聞こえなかった。
 協力者ならばあんなふうにこそこそと窓から出入りしたり新一から逃げるように行動しなくてもいいのに――――いや、そんなことよりも。
 月に照らされたのは真っ黒なマントに表情を隠す真っ黒な帽子。
 一瞬見えたときにドキリと胸が鳴った。

「いや違う…アイツは、アイツなら黒じゃなくて……」

「新一?」

 独り言のように呟く新一に優作が眉をひそめる。
 はたと我に返った新一は、自分が口走ったことに首をかしげた。

 アイツ?アイツって誰だ?

 考えてもやっぱりなにもわからない。
 頭痛がして、新一は頭を抱えてその場にうずくまった。優作が慌てて駆け寄ってきてその華奢な身体を支える。

「無理をするな。焦らなくてもいい。ここででもいいから、もう1度休みなさい」

 支えたまま使われていないこの部屋のベッドに寝かせる。
 何か言おうとした口は途中で止まり、そのまま再び閉じられた。父の言うことに黙って頷き、大人しく眠ることにする。静かに目を閉じた。
 とたんに一気に睡魔が襲ってきた。
 優作が椅子にまた腰掛けるのを気配で感じる。

 思ったのだ。あの月に照らされた真っ黒なマントと帽子を見て。
 『アイツ』は黒じゃない。『アイツ』は――――『真っ白』なはずだ、と。

「……そういえば、さっき、夢を、見た…迫ってくる真っ黒な闇の中に、赤い―――なにか花のようなものが、あったんだ………」

 そう呟いた唇は、やがて寝息をたてはじめる。
 小さな声だったがこの静かな部屋の中で優作にはしっかりと聞こえた。口元に手を当てて眠ってしまった新一を見た。

「なるほど、赤い花ね……」

 椅子ごと机に向き合って、用意してあったパソコンを起動させる。慣れた手つきでキーを叩いた。新一が呟いたことで思い当たる人物がいるのだ。
 新一が見た夢は、おそらく忘れてしまった記憶の一欠けらなのだろう。
 もしそれが本当であるのならば厄介なことになるけれども。

「……どうやら本当のようだな」

 ヤツが日本に来ている……

 パソコンの画面を見ながら携帯を取り出した。相手はワンコールですぐに出た。
 先ほど支えるときにちょっと薬を使ったからそう簡単に起きるとは思わなかったが、自然と声は押さえられた。

「……私です」



 パソコンの画面には1人の男についての情報。国際的に手配されている犯罪者の1人。数年前イタリアに現れて以来、世界中で暗躍する暗殺者。
 今回仕事のために日本へ来ているという情報がある。
 部屋の中には先ほど出て行ったはずの黒マントの男がいた。眠る新一の傍らで、2人でパソコンの画面を食い入るように見つめる。

「まさか『ビー・エル』とはな」

「まだそうだと決まったわけではありませんが…可能性としては高いでしょう。工藤は顔を見たはずだ。そこにその人物を特定するような特徴があったのだとすれば―――」

「赤い花―――まさしく彼というわけか」



 通称『B.L』。イタリアに現れた暗殺者。
 国籍、年齢、名前などは一切不明。唯一わかっているのは、190を超える長身の男であるということだけだ。
 そのやり方はひどく残酷だった。なぶるようにして獲物をじわじわと追いつめる。発見された死体はそのほとんどが恐怖に引きつっているのだという。
 相手が女であろうが幼子であろうが、躊躇いなどは感じさせない。心底人を殺すことを楽しんでいるように思わせる。
 だが腕はいいので依頼を持ちかける者は少なくはない。

 彼の特徴は左頬にある刺青。真っ赤に染まったユリの花。
 汚された、純潔の花。
 そのことから誰かが彼のことをこう呼び始めたのだ。

 ――――――『Bloody Lily』、と。



 すでに1度狙われた。1度標的にされれば、外されることはほとんどないだろう。
 ヤツの次の狙いは工藤新一。
 息の根を止めるまで、ヤツは何度でも襲い掛かってくるだろう。彼の白い肌が、頬に捺された烙印のユリのように真っ赤に染め上げられるまでは。
 2人はぐっすりと眠る新一を見た。

「殺させはしない…」

 無意識に呟かれた言葉に、くすりという笑い声がかかる。

「正直、なぜ君がそこまでしてくれるのかわからないね。親ばかな部分もあるが…息子は探偵として君にとっては厄介な敵であると思ったが?」

「……だからこそ、ですよ。彼がいなければつまらない。他のものに取られるなど、許せないのです」

 にっと笑って見せると、新一の手をとり口付けた。





to be continued......



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