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... 風の残り香 ...
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いち早く正気に戻ったのは、警部と呼ばれた人物だった。
「つ、捕まえろ――!!」
その声に、警官らがはっと正気づく。そして、香織を連行している者以外が殺到――しようと、した。
「やれやれ、無粋な輩には困ったものだ」
パチン、とキッドが指を鳴らすと、どこからか煙が噴出した。
「うわっ」
「なんだ、これは!」
「前が……見え、な……い……」
ばたばたと、警官が倒れる。それを見て――いや、キッドが右手を上げた瞬間から、コナンは動き出していた。
少年探偵団の全員を引き寄せ、叫ぶ。
「煙を吸うな! 布を……」
「心配はいりません、名探偵」
「! キッド……!」
「ここには、煙は届きませんから。――それより、久しぶりとも言ってくれないのですか?」
キッドの言葉通りに煙が届かないことを確かめ、コナンは探偵団を背に庇うようにして立ち、言い返した。
「会いたくなかったんだから、『久しぶり』なんて言わなくていいだろ」
「つれないですね、名探偵」
「ばーろー、つられてたまるか。で、何の用だよ? てっきり、煙に乗じて逃げるもんだと思ってたぜ?」
「コ、コナン君……キッドと、知り合いなの?」
歩美の言葉に、コナンは正気づいた。
マズい。
普通に素で話していた……しかも、キッドと……。
はぁ、と呆れたようなため息が聞こえた気がした(きっと気のせいじゃない)。
(だーっ!! どーせオレが悪かったよ! んな聞こえよがしなため息つくんじゃねぇ、灰原!)
どう言い訳したものか、とその頭脳を駆使している間に、キッドが歩美の片手を取って、貴族がするように口付けた。
「おいこら! 歩美に手ぇ出すな!」
ちなみに、これはコナンの声だ。彼と哀を除く三人は、固まっている。
キッドはかまわずに言った。
「こんばんは、レディ。それとも、女探偵とお呼びすべきかな?」
「え? えーっと……」
「私は怪盗キッド。名探偵とは、ちょっとした知り合いなんですよ」
「え? え!?」
「コナン君、キッドと知り合いだったんですか!?」
「親しいってわけじゃねーよ! ただ、事件で何回か会ったことがあるだけだっ!」
何故か必死に喚くコナンに、キッドは両肩を軽くすくめて見せた。キッと鋭いコナンの視線が彼を貫く。
しかし、キッドは動じなかった。
「さて、名探偵。何故、『伊織』が私だと?」
「……きっかけは、最初に会った時。お前の気配がしたような気がした」
「それに気づくのは名探偵くらいですよ。急いで消しましたから」
「次は、食事の時。周囲にそれとなく気を配っていた。箱入りといってもいいようなお嬢様に出来る芸当じゃねぇほど、さりげなくだ」
「よく気づきましたね」
「で、シャンデリア。あれを避けた時の身のこなしと、その後の数秒の緊迫した表情に、その時見せた気配。この時点で確信した」
「……よく、今まで黙っていましたね、名探偵」
言われて、コナンは少し顔を歪めた。
「……本当は、警察にそれとなく警戒してもらって、麻酔針で眠らせてやろうと思ってたんだよ」
「それはそれは……。でも、しなかった。何故です?」
「――灰原を助けたから」
「え?」
声を上げたのは、哀だった。
今まで、コナンの言うところの「気障な怪盗野郎」を見極めようと気を張っていたのだが、コナンの一言であっさりと気が散ってしまった。
そんな哀に気づかず、コナンは拗ねたように言った。
「灰原を助けてもらっておいて、不意打ちみたいな真似はしたくなかったんだよ。さっき、お前がキッドだって言ったのは――」
言いかけて、コナンは止めた。
恥ずかしい。恥ずかしすぎる。言ったら、自分はきっと憤死する。
――せっかく会ったのだから、せめて少しでも「キッド」と会話したかった、なんて。
キッドは不審を覚えたのか、軽く首を傾げて聞いてきた。
「名探偵?」
「なんでもねーよっ!」
心なしか赤くなった顔で喚き、彼は反論を封じた。哀の目に剣呑とも言える光が宿ったのに、彼は幸か不幸か気づかなかった。
「で! てめぇの用事はすんだのかよ!」
「? ええ。柳沼家で所持されていたビッグ・ジュエルを見に来たんですが――ハズレ、だったようだ」
「?」
キッドの顔に自嘲とも諦めとも取れる笑みが浮かび、しかしすぐに消えた。
「まぁ、名探偵に会えた、ということだけでも良しとしましょう」
「え?」
意表をつかれた表情をするコナンに、キッドは最上級の笑顔を見せた。
「―――!!」
コナンの頬に赤みがさすのを――誰が見逃そうとも、哀だけは見逃さなかった。彼女の機嫌が険悪な方向に、しかも猛スピードで向かっているのに、何故か誰も気づかなかった。
キッドは芝居がかった仕草で礼をする。
「それでは、名探偵、そして、ベイカーストリート・イレギュラーズ。また、お会いしましょう」
「会わなくていい!!」
「ええ、まったくね」
コナンの言葉に被せるように、哀は言った。コナンのは照れ隠しだが、哀のはもうばっちり本気だ。
おや、というようにキッドは哀を見て、ふっと笑った。
「!?」
哀の脳裏に、警戒信号が激しく点滅した。
いけない。このままでは、とにかくいけない。――そう思うのだが、ではどうすればいいのか。
その、一瞬の隙をつかれた。
「え?」
哀の脇を通り抜け、一瞬――わずか一瞬だが、ある種、永遠とも思える時間。
「な――!!」
「……え……?」
「コ、コナン……」
「と……キッド……」
今まで驚きに頭が固まっ(フリーズし)ていた少年探偵団の三人まで、驚きの声を上げた。
――ちなみに、平成のホームズの頭は固まっ(フリーズし)ている。
「――?」
「また会いましょう、名探偵。――今のが、約束の代わりです」
軽やかに、そして涼しげに言い放って――キッドは消えた。
煙も消える。
だが、しかし。
「…………歩美ちゃん、今、何か見えました?」
「…………光彦君、元太君…………今の、何?」
「…………何、って……なぁ……?」
彼は、爆弾を残していった。――いや、爆弾を爆発させてから消えたのか。
呆然とする四人に対し、少なくとも哀は、正確に状況を把握していた。
(ふっ…………やるわね、彼…………)
瞳に剣呑どころか、人を殺せそうなほどの光を宿して、彼女は心中でのみ呟いた。
彼らは、一人として気づかなかっただろう。
あの男――キッドは、最後、一瞬だけ哀を見て……笑ったのだ。
どうだ、というような。
絶対に負けはしない、というような。
何をしようが無駄だ、というような。
余裕を含めまくったような顔で。
――とにかく、哀の怒りを増幅させる笑顔だった。
「……コ、コナン………君………?」
歩美が声をかけるが、コナンはまだ呆然としていた。
さっき……何が、あった……?
落ち着け、落ち着くんだ、オレ。オレの目指すホームズはいつも冷静沈着。その卓越した頭脳と知識と観察力を持って、たとえ如何なる事態がおころうとも、常に冷静…………
(っで、いられるか――――ぁっ!!!)
ホームズがなんだ!? ホームズが、今の自分のようなことをされたことがあるとでも!!?
あったか!? いや、ない! 多分ない!! つーか、あったとしても、今は思い出せねえ!!!
ああ、シャーロック・ホームズ! それかコナン・ドイル! 教えてくれ、こういう時でもホームズは冷静でいられるのか!!?
いーや、絶対に冷静でなんていられないねっ!! オレがそうであるように!!!
ぶるぶる、と拳が震えた。
「あ………あっ………あんの………!!」
声を聞いて彼の怒りの深さを知った探偵団は、思わず後ずさった。
「あんのっっ!! 変態怪盗――――!!!!」
誰だ、あいつを「紳士」とか言ったのは!? ざけんな、紳士があんな真似すんのか! どうなんだ、おい!!
ぶるぶると拳を震わせつつ、コナンは宣言した。
「次に会ったら、絶対に! 何があっても! 捕まえてやるっっ!!!」
オレから逃げられると思うなよ!
高らかに宣言をする彼を前に、哀は思った。
先刻のキッドの行動は、自分への牽制(けんせい)であると同時に、彼が次の誘いを断らないようにするための布石だったのか、と。
やるわね、と彼女は敵に取り敢えずの賞賛を送った。
ここまでされれば、次にキッドの予告が出た時、彼はなんとしてでもキッドを捕まえに行くだろう。「泥棒は専門外だ」と言っていたにも関わらず。
そして、自分には止める術がない。キッドの予告なんて出た日には、TVでも新聞でも取り上げるのだ。彼の目から隠すことなど不可能。
(……次に予告が出たら、私も紛れ込もうかしら)
TVに映るかもしれないが、知ったことか。万一でも、二人きりになどさせられない。
――恋は人を変える、というのは真実のようだ。
「え、と……コナン君……」
「――歩美ちゃん……」
にっこり、と彼は笑った。――なんで、目が笑っていないのか。
「元太、光彦――」
「な、なんですか?」
「な、なんだ、コナン?」
怯えています。
しかし、コナンは構わなかった。
「オレたち、友達だよな?」
「お、おう……」
「友達ですよね……」
「う、うん、友達……」
三人の答えに満足したのか、ゆっくりと彼は頷いた。
「じゃぁさ。さっきのこと、黙っててくれる、よな?」
「「「!!!」」」
ああ、コナン君。君の後ろに黒いオーラが見えるのは――君の背後に悪魔だか邪神だかがいるような気がするのは、果たして幻覚ですか。気のせいですか?
あまりの恐怖に返事も出来ず、彼らはこくこくと頷いた。
そうか、と頷いて、彼は踵を返した。
向かう先は――
「お、おい、コナン。どこ行く――」
「洗面所!!!」
洗うんだよ!!
噛み付くように言い放って、彼はその場を立ち去った。
ふぅ、とため息をついてから、哀もその後を追う。
残された正真正銘の小学一年生たちは。
「……………どうして、キッドがコナン君にキスするの……?」
「さぁ…………」
「………世の中って、不思議ですよね……」
そう呟いていたという……。
バシャバシャと顔を、主に唇を洗う。
(ちっくしょ―――っ!!)
彼は、いたくプライドを傷つけられていた。
男相手にキスされて、しかもそれを友人らに見られて。姿はどうあれ、十六歳にもなって、それに抵抗一つできなくて。
(その上、なんっで不快感らしい不快感がねぇんだ―――!!?)
そう、一番の謎はそれだ。
あるのは羞恥と怒りであり、不快感ではない。
(なんでだ、ちくしょ――っ! わっかんね―――!!)
「彼が」
「うわっ! と、灰原……」
「彼が、あなたの言っていた『気障な怪盗野郎』?」
「…………『気障な変態野郎』、に変えておいてくれ」
「――まぁ、突然唇を奪っていくのは、確かに変態ね」
「だろ!?」
コナンは仲間を見つけた、というような顔をしたが。
哀の目は良くも悪くも鋭かった。
(……なんでそんな、どことなく嬉しそうなのかしら、工藤君……?)
彼自身気づかぬものを、彼女は読み取り――結果。
彼女の中のブラック・リストbPは、怪盗キッドに決定したのだった。 |
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