扉を開けると。

そこは。

白い世界だった。















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Students 1  by Ako
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もうもうと立ちこめる白い粉を浴びて、服部平次は立ちつくしていた。
教室のドアを開き、通り抜けようとした体勢のままで。

霞む視界の先に、自分と同じく硬直状態の男性が見える。
教壇の前に立っている所から察するに、彼がこのクラスの担任だろう。

頭の天辺から足の爪先まで白い粉にまみれたまま、服部は推測する。
それは、彼流の現実逃避でもあった。


と。
突然の笑い声に思考が途切れる。

視線を向けた先に、彼が追い求めた顔があった。


「だっせー!今時かかるか?そんなトラップに!!」


ゲラゲラと品のない笑い声をあげ、机を叩いてもがく。とても綺麗な顔の少年。


「…工藤、新一……?」


呟きは、誰の耳にも入ることなく宙に弾けた。





きゅ…

垂れ流しになっていた水を止め、服部は溜め息を溢す。
前髪から滴り落ちる水滴が煩わしかった。

白墨の粉は大半流れたが、多少の違和感が残るのは仕方がない。
制服の上着も、初日からクリーニングに出さねばならないようだ。

それらの雑事を思い、もう一度溜め息を溢す。

と。
目の前に丁寧に畳まれたままのタオルが差し出された。


「どうぞ。新品ではありませんが、洗濯はしてありますから。」


どうやら放置していた髪を拭くように諭されているのだと気付き、小さく礼を言って受け取る。


差し出し手は軽く肩をすくめて、服部が先程まで使っていた水道の縁に腰かけた。
仕草の端々に上品さを香らせる男。長身で、顔も平均以上。

いつもの癖で観察をしながらも、忠告通りに髪を拭く。
ふと、隣の男がもの言いたげに視線を向けてきた。


「彼をあまり悪く思わないでやってください。」


どうやら先ほど白墨の粉を自分に浴びせてくれた『彼』のことだと察しをつける。

同時に、なぜこの男が彼の釈明をするのか考えを巡らせた。
それは相手にも伝わったのか、視線を足元に移して言葉を続ける。


「何も考えていないようで、色々と考えてる人ですから。きっと悪気だけでやったんじゃないと思うんです。」
「楽しんでもいたやろけどな。」


そう笑って返せば、何か安心したように笑みを浮かべた。その様子を見つつ、先ほど浮かんだ疑問を投げ掛ける。


「ところで、お前さん誰や?」
「これは失礼。今日から君のクラスメートになりました、白馬探と言います。以後お見知り置きを、服部平次君?」


うっすらと浮かべられた笑みに、何か底知れなさを感じた。





「よぉ、服部。粉は落ちたかよ。」


教室に戻って早々にかけられた声の主に視線を向け、ニヤリと笑って見せる。


「お陰さんでな。男前に研きがかかったで。」


服部を粉マミレにした張本人は少し眉を潜め、フイと横を向いた。
そして廊下のガラス越しに何かを見付けたように、そちらに歩み寄る。


「青子。今日は先に帰っててくれって、あいつに伝えてくんねぇ?」


声を掛けられた少女は、急ぎの用があるのか早足のスピードを緩めることなく、頷きと可愛らしい返事だけを残して立ち去る。
新一の方も用は済んだとばかりにさっさと彼女に背を向け、服部に向き直った。


「服部、お前寮に入るんだろ?今日は一緒に帰ろうぜ。」


緊張したように頷いた服部の顔を見て、少年は楽しそうに笑った。



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その後は何事もなく過ぎ、放課後。

服部は白くなってしまった上着をクラスの女子がくれた紙袋に詰め込み、誘われるまま新一の後について行った。


「お前さ、関西では名の知れた探偵だろ。」


不意に振られた話題に焦ることなく頷き返す。知られていることは元より承知。
服部の転校には、目的があったのだから。


「オレは、工藤と勝負しよ思ってここまできたんや。」


服部のストレートな言葉に彼は一瞬息を詰め、次いで溜め息をついた。


「んなこったろうと思ったぜ。」
「オレと勝負しろや、工藤。」


真剣に睨みつける視線の先で、新一は不可解な笑みを浮かべた。


「いいんじゃねぇ?で、お前が負けたら何をしてくれるんだ?」


予想とは違う返答に、頭の隅で警鐘が鳴り響く。

初めに彼を見たときから微かに聞こえていたソレ。
これまで探偵として鍛えてきたその感覚を、その時、服部は初めて無視した。


「オレが負けたら…お前の言うことなんでも聞いたろやないか。」


挑むように睨みつけた先で、新一はニヤリと笑った。




服部にとって『工藤新一』とは、常に己とその力量を比べられる相手であり、ライバルと呼んでも差し支えのない程に意識している相手だった。

新聞でも雑誌でも酷評など受けたことがなく、その不気味なまでの完璧さだけが強調されている。

はっきり言って、目障りだった。
最初はただ、それだけだった。

どこかヒトを見下したような態度も。
お堅いイメージを崩そうとしない姿も。


だが、いつの間にか彼は変わった。

正確無比な推理。
迅速な判断力。

犯人の自白を聞くときの物憂げな表情に女性は魅了され、公正な態度が男性からの支持を得る。


父の影響で始めた探偵ゴッコから遊びの要素が抜けたのも、彼の変化を嗅ぎ取ってからだ。


もっと傍で、本当の工藤新一の顔を見たいと思った。
そしてその願い通り。今、工藤新一は服部の目の前にいる。



「さて、どうするかな。」

拍子抜けするほど簡単に勝負を受け入れた相手は、クルリと辺りを見回した。

と。
その時、彼の携帯が着信を告げた。流れた曲は『ルパン三世のテーマ』。
首を傾げる服部を無視して、新一は携帯を操作する。

「ふ〜ん。」

ホンの数秒で納得したように画面を閉じ、口を開いた。

「ここから歩いて数分のマンションで殺人事件があった。行ってみるか?」


指さした先。大通りの斜め前方に見える、赤ランプ。
1も2もなく頷いた服部を面白そうに眺める新一の目には、これから現場に行くとも思えない、イタズラっぽい光があった。





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