愛したのは、世界一嘘吐きな君。




















Liar , Liar...





















『もし俺が死にそうになったら……新一ならどうする?』


 ふと、雑誌に視線を落としたまま、快斗がそんなことを口にした。
 普段なら、何ばかなこと言ってんだと言ってしまうようなことだったけれど、その時ばかりは違った。
 実際、数日後には死ぬような目に遭うだろうから。
 ふたりは今、自ら危険の渦中に飛び込もうとしているのだ。
 新一は持っていたコーヒーをテーブルの上にことりと置くと、ソファに深く座っている快斗の隣へ腰を下ろした。


『お前、死ぬつもりなのかよ。』
『そんなわけないじゃん。』


 雑誌から顔を上げぬままに、快斗は即答する。
 新一はソファに深く体重を預けた。
 そうしてどう返答しようか思考していると、新一が何かを言うより先に、快斗が口を開く。


『俺、お前が死んじまったら生きてく自信ない。』


 新一は不機嫌そうにムッと眉を寄せた。
 勝手に人を殺すな、とか、まるで最初から負けが決まっているようなことを言うな、とか。
 けれどそのどれを口にするよりも先に、自然に出てきてしまった言葉は。


『俺だってそうだ。』


 言ってしまってから、吃驚する。
 無意識ほど怖いモノはない。
 そう、新一は絶対この戦いに勝って還るつもりだったが、本能では解っているのだ。
 生還出来る可能性の低さを。
 そうして快斗もまた、理解しているのだ。


『だからね、新一。』
『何だ。』
『もし、……死んじまうとしたらさ。』
『うん。』

『その時は………一緒が良いね。』


 俯いていた顔を上げた快斗は、満面の笑顔で。
 毎日見ても見飽きないと思う、新一の大好きな大好きな笑顔。

 だから。


『…そうだな。』


 死ぬなら、その時は、きっと一緒に死んでいこう。

 新一もまた快斗の大好きな、これ以上ないほど満面の笑みを浮かべて答えた。
 「約束」と囁いて、指を絡めて。
 猫みたいにじゃれながら、軽く吐息を交わした。



 それは、そう遠くもない記憶。










「……嘘吐き。」










 夜空に浮かぶ月が視界に入り、新一は煩わしげに眉を寄せた。
 嫌になるほど、綺麗に浮かぶ白。
 そんな白を見せつけられては、嫌でも思い出してしまう。
 嘘で塗り固められた、白い鳥を。


「嘘吐きが泥棒の始まりとは良く言ったもんだぜ。」


 そんなのは誰もが知っていることだ。
 だから……すでに泥棒だったあの男が、偽りだらけなのだとしても、おかしいことは何もない。

 魔術師と称された男の言葉は、今でも新一を戒め続けている。
 目の前から消えて尚、新一を意のままに操り続ける。
 誰よりも白く美しく、そして新一にだけ、いつでも酷い魔法使い。


「なら貴方も泥棒ってことかしら。」


 その声に、今この場に自分ひとりではなかったことを思い出し、新一は内心で舌打ちをした。
 普段なら決して口にしたりしない愚痴を、不本意にも聞かれてしまった。

 今、新一は哀に怪我の治療をしてもらっている。
 背中に負った傷なので、どうしても自分ひとりでは治療することが出来なかったのだ。
 別に新一は痛くもないし、怪我を負ったからといってどうとも思わない。
 それでもこうして治療を受けているのは……彼に言われた言葉を、まるで魔法にかかってしまったかのように、律儀に守っているから。


「嘘吐きが泥棒なら、貴方も泥棒ってことよね。」
「……俺が嘘吐きだって?」
「そうでしょ?無茶しないって言ったのはどこの誰かしら。」


 こんなのは無茶のうちに入らないと言おうとして、けれど哀の鋭い視線に先の言葉を奪われる。
 それから溜息を吐いて、小さくゴメンと呟いた。

 哀が心配してくれているのはわかっている。
 いつも危険に――それこそ、組織との戦いにすら関わらせなかったのだから。
 自分の知らないところで哀が危険なことをしていれば、新一だとて同じ態度を取るだろう。
 それでもそれを口に出して攻めたりしないのは哀の優しさだ。
 白い影を引きずり続けている、自分への。


「サンキュ、灰原。」


 治療を終えてガーゼや包帯を仕舞っている哀に、ぽつりと新一がこぼす。
 それは治療に対する言葉なのか、それとも。
 図りかねるそれには無言で答えて、ひとつ溜息を吐くと工藤邸を後にした。

 すぐ隣の家の玄関を押しながら、ついぽろりと文句が零れる。


「…全く。どこで何をやってるのかしらね。」


 あんな風になってしまった彼を放って、姿を消した怪盗キッド。
 哀はキッドが姿を消した時や、彼の最後の言葉を知らない。
 だから、今の新一の状態についても、想像することしか出来ないのだけれど。

 まるで、海のような人。
 海にたゆたう波のような人。
 砂を浚い行き来を繰り返す波のように、彼の心は不安定だ。

 普段通りの笑顔で微笑む彼。
 衝動的に無茶な行動をとる彼。
 穏やかに笑っていたかと思うと、次の瞬間には、まるで何の頓着もなく危険に飛び込む、彼。

 新一は哀には何も話さない。
 信用していないとかそういうことではなく、まるで自分だけの宝物のように、快斗との記憶は誰にも話そうとはしない。
 まるで、他人に触れられれば壊れてしまうかのように、大事にしている。
 そうして……彼のいる場所へとすぐにも飛んでいきたい心と、そう出来ない心が葛藤を繰り返す。

 何を聞いたわけでもなく、哀は悟っていた。
 白い怪盗は……おそらくもう、この世にいないことを。

 世間から怪盗は姿を消した。
 黒羽快斗も姿を消した。
 そしてその家族もまた、この町から綺麗に姿を消していた。


「お願いだから……無茶をしないでよね。」


 掴みたかった平穏は、こんなものではなかったはずなのに。

 哀は知らずと、唇をきつく噛みしめた。




















* * *


 体中、数えるのが馬鹿らしくなってしまうほど、傷だらけだった。
 至る所から赤い血が流れているし、ズキズキした痛みと、酷くすれば感覚すらなくなっているカ所すらある。
 そんな身体を叱咤して、新一は拳銃を片手に、ある場所を目指して駆け抜ける。

 途中に対峙することになった組織の構成員は次々と拳銃で地に沈めていく。
 それは博士特製の麻酔銃で、効力は以前使っていたモノより強力にしてあるから、彼らが再び起きあがる心配はない。

 やがて見えてきた約束の場所。
 そこには、同じように全身から血を流し、白いスーツを赤黒く染めた怪盗が壁によりかかるようにして佇んでいる。


「キッド!」


 酷い状態ではあったが、それでも生きていたことに安堵して駆け寄る。
 同じような新一の様子に苦笑しながら、キッドは凭れていた壁から身を起こした。


「名探偵。無事で何よりだね。」
「お互いひでー状態だけどな。」


 不適な笑みを浮かべた視線を交わして、ニッと笑い合った。

 状態こそ悲惨ではあったが、ふたりはこの作戦に勝利を確信しつつある。
 それを過信してしまえば隙となるのがわかっているから、お互い口にはしないが。

 その場で素早く互いの傷の応急処置を済ませると、新一は麻酔銃に新たな弾丸を詰め込む。
 まだ作戦は完遂された訳ではない。
 たったの半分しか完了していないのだ。
 これから後半戦に向けて、ふたりはもう一度走り出さなければならない。
 が、ここからは、前半のような危険はぐんと低くなる。


「俺はバグを、お前は要所に爆弾を。…いけるか?」
「誰に向かって言ってんのさ。」


 組織のメインコンピューターに植えつけるためのバグソフトを口に銜えながら、新一はキッドが仕掛けるための爆弾を手渡す。

 新一には、どうしてもやらなければならないことがあった。
 それは、自分を幼児化させた薬を、研究データを、全て破壊し葬り去ることだ。
 パソコンに書き込まれたデータはバグで、実験を行ってきた研究所は爆破して。
 跡形もなく粉々にして、“不老不死”などというものはただの夢へと戻さなければならないのだ。

 …それは、リスクもあったけれど。





『ほんとに良いの?』


 この作戦を快斗へと話したとき、快斗はしかめっ面でそう返した。
 理由はよくわかっている。


『良いんだよ。あんなもの、この世に残しておくわけにはいかない。』
『でも…、まだお前……』
『良いんだ。』


 強く言って先の言葉を遮ると、新一は意地悪げに笑って見せた。

 わかっている。
 哀の造った解毒剤が完璧なものではないことぐらい。
 一時的に身体を下の状態に戻すという、以前のように完成度の低いものではないにしても、まだこれから先どんな変化があるか計り知れない危険物に変わりはない。
 実際、特有の薬物しか受け付けない上に、以前より抵抗力が落ちている。
 けれど新一に言わせればその程度、だ。

 研究内容が、例え警察機構にだろうと漏れてしまえば……それは百害あって一理なしだ。
 “不老不死”などという馬鹿げた夢物語を好む酔狂な輩は、どこにでも転がっている。
 たとえそれに興味のない人だとて、いつその甘美な誘惑に負けるとも限らない。
 人間とは本来、誘惑に果てしなく弱い存在なのだから。

 だから。


『お前が“パンドラ”を葬り去ると決めたように、俺も“APTX4869”は葬ると、心に決めてたんだ。』


 決して外には持ち出さない。
 例え、完璧な解毒剤を造れなくとも。
 例え、永久に身体に爆弾を抱えて生きていくことになっても。

 新一の意志が変わらないと解ると、同じように“パンドラ”を狙う快斗は、諦めたように苦笑をしていた。





 最後の戦いに向けて全ての装備を調え、そこら中に血の滲んだ包帯を巻いたふたり。


「そんじゃそろそろ……最終局面、始めっか。」


 新一がひとつ深呼吸をして、感覚ですらコントロールして痛みを全て意識の外へと放り出す。
 同じようにキッドも呼吸を整えると、徐に新一の腰へと手を回し、ぐいと引き寄せる。
 少し驚いている新一に構わず、そっとキスを仕掛けた。

 深く、優しく。
 お互いにピンと張りつめた冷涼な気を心地よく感じながらの、ほんの数瞬。
 吐息を交わし、互いの熱を身体に刻み込む。


「……は…」


 唇を離した時にもれた熱く甘い吐息に、キッドは満足げな笑みを浮かべる。


「…ンだよ。」
「幸運をわけてもらったんだv」
「ばーろ、俺の運がなくなっちまうじゃねーか。」


 苦笑をもらす新一に、そうじゃないと首を振る。


「神サマなんて信じてないけどさ…俺の幸運の女神は、いつだって新一だから。」


 そう言って、キッドはもう一度だけ唇に軽く口付ける。
 新一はキッドの気障な物言いに、カァッと顔に血が上るのを感じた。
 そうして口をへの字に曲げ、照れ隠しに軽く睨みながら言う。


「……さっさと家に帰ろうぜっ」


 ふたりで家に帰って。
 思いっきり普通の日常を、過ごしたい。

 キッドは嬉しげに笑って、うんと頷いた。

 それからキッドはトランプ銃を、新一は麻酔銃を手に握り治す。
 途端に鋭くなる気配にどちらも気持ちを切り替えて、これからの戦いに備える。
 素早くさっと視線を交わして。


『 Good luck !! 』


 お互いに短くそれだけを口にすると、それぞれのステージへと駆け出す。

 どちらも、もう、振り返ったりはしない。
 先だけを見据えている。
 この先に待っている未来を、疑ってはいないから。
 危険の中に出逢い、色々な気持ちの紆余曲折を経て、不可能に近い願いを掴み取ってきた。

 だから。
 今度もきっと、勝利をこの手に。
 自分たちの、力で。

 遠ざかる足音を鼓膜に焼き付けながら、新一は最下部にあるメインコンピュータールームへと走る。










 それが、キッドを見た最後だった。










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一番最初の一文が書きたかったために書いた話…。
どう嘘吐きなのか、とかは次の話で。
早めにあげますですー。
中編ノベルですのですぐ終わりますが。