「あ。」

「あ。」



 運命なんて、案外そこらじゅうに落ちているのかも知れない。


 こんな町中でバッタリと遭遇してしまった怪盗に、探偵はただただ呆れるばかりだった。















夢幻恋夜















 ニコニコ笑いを顔中に張り付けて、チョコレートたっぷりのパフェを頬張っている怪盗。
 そんなものを見せられては、無制限溜息製造器と化してしまった新一に罪はないだろう。



「…なぁ。」

「ん?あに?」

「………なんでもない。」

「そ?」



 可愛らしく小首を傾げてから、再びパフェに意識を集中させている。
 新一は手元のコーヒーに集中して、出来るだけ目の前の理解しがたいモノを見ないように勤めた。










 警視庁からの呼び出しで、新一は隣町まで足を伸ばしていた。
 そこで起こった事件を見事解決させ、事情聴取に誘われたが丁重に断わって。
 パトカーで送ろうと言われたがそれも辞退して電車で帰ろうとしていた時。


 駅の構内でバッタリ遭ったのは、世間を騒がす大怪盗。
 …が変装しているとばかり思っていた少年。


 見覚えのあったその顔が、以前たまたま事件を共に解決させた怪盗のものであると気付いた。
 だから、新一が「あ。」と言ってしまったのだが。
 相手の少年もまた新一を見るなり「あ。」と返してきた。
 初対面の人間にあって驚く人間などまずいない。
 自分が有名人であることは棚上げしているが、まずない。


 一瞬にして、これが変装などではなく彼の素顔なのだと悟ってしまったのだった。


 顔に無表情を張り付けながらそこそこ動揺していた新一に、快斗は驚き顔を笑顔に変えると、



「お茶してく?」



 などとのたまったのだった。
 呆気にとられている新一の腕を強引に引っ張って、入ってきたのが喫茶店。
 店員は顔なじみらしく、「いつものちょーだいv」でオーダーを通して。
 またキッドが変装しているだけかも知れない…という推察はあっさり却下されてしまった。










 そしてふたりは現在に至る。


 「いつも」のパフェは特注らしく、普通のそれよりもチョコレートの量が多い。
 それをさも満足げに、さも美味しそうに、せっせとスプーンで掻き込んでいる、高校生のキッド。
 考えただけで胃にぎゅうぎゅうきそうなので、新一は考えるのを放棄した。


 連れ込んだってことは何か用がある訳で、用があるからには何か話してくるだろう。
 それまでは無心でコーヒーをひたすら飲んでやる…!


 と、目の前の怪盗が顔をしかめているのに気付いて、新一はなんだよ、と言った。



「名探偵、それってブラックでしょ?3杯も飲んで、胃、大丈夫か?」



 新一は思いっきり脱力した。
 その台詞をこの男に言われるとは思ってなかったのだ。
 超甘ったるいチョコレートまみれのパフェを食べてる、この男に。



「オメーのソレ見てるよりずっとマシだ。」

「甘いの苦手なんだ?」

「苦手じゃない。好きでもないだけ。」

「ふぅん。」



 まあいいや、と手を動かし出す。
 何を聞きたかったんだ、と思ってから、新一はついてくるんじゃなかった…と心底思った。


 きっと初めから大した話などないのだと直感でわかった。
 もともとこの怪盗の思考回路はわからないとばかり思ってたけど、なぜ捕まるかも知れない危険をおかしてまでお茶に誘ったりするのか。
 そこには深い意味など存在していないのだ、多分。
 おそらくパフェを食いに行きたかったけど連れがいなくて諦めようとしてたところに自分が現われたのだろう。


 多分とかおそらくとか、観測的にしか言い表せないが、新一には怪盗キッドという男がさっぱり理解出来ないのだった。



「…用がないなら帰るぞ。」



 4杯目のコーヒーを飲み終えて、新一が席を立ちかけた。
 が、漸くパフェを平らげた快斗がぽつりと呟き、新一の動きを止めた。



「もう一度手を組む気、ない?」



 ハッと振り向いた新一の目に、不適に微笑む少年の顔が映る。
 気配ひとつで、そこには急に夜の香りが立ち込めたような気がした。
 冷涼で凛として、何より孤独な…月のような。



「犯罪行為に手を貸すつもりはない。」



 きっぱりと言い放った新一に、快斗は微笑んだまま手で座るよう促した。
 少し躊躇った後、新一は大人しく席に腰掛ける。
 それを待って快斗が口を開いた。



「近々大きな取引がある。」



 新一が瞠目するのを、快斗は楽しそうに眺めた。
 空になったパフェのカップを端に追いやって、殊更ゆっくりとした動作で手を組んだ。
 それに合わせるように新一も顔つきを改め、話に集中しようと耳を峙てる。
 どうやら新一の興味を引けたらしい、と快斗は内心上機嫌で話に入った。



「ある組織が、情報会社の社員と取引を行うらしい。名探偵にはそいつらを捕まえて欲しいんだ。」

「…なぜ俺に?警察に通報すれば良いだろ?」

「警察には敏感な奴らでね。近くに居れば取引は中止されるだろう。だから名探偵に頼むんだよ。」



 それを依頼して、お前にどんなメリットがある…?


 顔には出さずに新一は自問した。
 怪盗キッドが逮捕を望むのは、組織の方か或いは社員の方か…
 どちらにしても“怪盗”には関係がないように思えた。
 が、以前も一度、キッドが取引現場をチェックしているというのは匂わされていたことだ。
 あの時は話したくないことなのだろうと聞かないでおいたが、今回はどうしたものか。
 自ら自分の領域に入ってこいと誘っているようなものだ。


 と、思考に沈みかけていた新一の意識を、快斗は無理矢理に浮上させる。



「そんなに深く考えんなよ。俺はまたお前とシゴトしたかっただけだし、たまたま名探偵が適役だったって訳だ。面倒だったら蹴ってくれても良いぜ?」



 ただ、名探偵も気になるんじゃない?
 …“組織”って言えば、さ。


 クス、という笑みをオプションにそんな呟きを聞かされ、新一は思わずムッとした。
 確かに組織っていう情報はおいしいし、少なからず好奇心は向けられてしまっている。
 けれど素直にそうと言ってしまうのも癪で、



「天の邪鬼だな。誘ってんだか誘ってないンだかわかんねー。」

「誘ってるんだよ。お前とやれたら楽しめるもん。な、新一v」



 怪盗に呼ばれるファーストネームなど持ち合わせていない新一は、更に眉間の皺を深くした。
 けれど、相変わらず楽しそうに眺めている快斗に何を言っても無駄だと悟り。
 自分の好奇心に素直に従うことにしたのだった。


 新一の了解を得てご機嫌のまま、新一は不機嫌だったが、ふたりは喫茶店で別れた。
 詳細は後日連絡するという形にして、本当は教えてもらうまでもない携帯の番号を聞いた。
 快斗的には“教えて貰う”というところが重要だったらしい。


 新一と別れた後の道のりを、鼻歌交じりにでもなりそうな雰囲気で歩く。



「天の邪鬼、ねぇ…名探偵に言われるとアレだけど、確かに当たってるな。」



 彼の名探偵もかなりの天の邪鬼ぶりだが、そこはそれ、例によって自覚がないらしい。
 まだ自覚している分、快斗の方がマシかも知れない。


 新一を危険に晒したい訳じゃないし、出来れば体ももっと大事にして欲しいと思う。
 けれど彼は護られるような男じゃないし、そんな男ならこんなに気に入ったりしないだろう。
 護りたいのではなく、一緒に闘いたいと思ってしまうのだ。
 大事にしたいけど、側にいたい。
 死なせたくないけど、死ぬなら一緒が良い。



「まるでガキだよなー…」



 男相手に全く俺らしくない、と快斗は満面の笑みで呟いた。






* * *






「あ。」



 ピーピー鳴った携帯を取り出すと、「非通知」と表示されたディスプレイ。
 思わずまわりに人が居る…もとい授業中なのも忘れて声が出ていたらしい。
 大半の生徒が寝ているため静かな教室に、新一のその声は良く響いていた。


 数学教師が視線を投げてくるのに申し訳なさそうに会釈して、新一は携帯に集中する。
 警察からのお呼び出しも珍しくないことなので、見逃してくれているのだが、今回はどう見ても警察ではない。
 非通知でかけてくるような奴は、今のところひとりしか心当たりはないのだが…
 無視するわけにもいかないので新一はそのまま教室を出た。



「授業中なんだけど。」

『やだなー、そんなの俺も一緒だっての。』

「ならかけてくんな、ばか」



 ただでさえ危うい出席日数を、なにゆえこの怪盗のために削らなければならないのか…。
 それでも律儀に電話に出てくれちゃったあたりで、既に新一の負けである。



「で、詳しい情報が入ったんだな?」



 そうでなければ、信じられなくても相手も高校生なのだから、こんな時間に電話をかけたりしない。
 そのへんの一般常識をふまえて尋ねた新一だったが、



『え?違うよー、暇だったからかけてみただけv』



 なんて答えが返ってきた。
 新一のこめかみあたりに青筋が浮いたかと思うと。



「ふざけんな、この野郎!!」



 今が授業中であり、ここが廊下であることもすっかり忘れて、新一の大音響が響き渡った。
 怒鳴ってから気付いてバッと口を押さえる新一。
 おずおずと振り向けば、何事かと教室からひょっこり顔を出している生徒が多数……


 新一は眩暈を感じながらも鉄の精神力で平静を取り戻すと。



「その程度のトリックはご自分の力で解いて下さい。僕は授業中なので、これで失礼します。では。」



 簡潔に冷静に言い放ってぶっつりと携帯を切った。
 やり場のない怒りとどうしようもない現状に頭を抱えながらも、お騒がせしてスミマセンと謝って早々と授業に戻る。
 またピーピー鳴るといけないのでマナーに設定した新一だったが、その心配は杞憂で終わった。
 どうやら本当にどうでも良い用事だったらしく、新一は一層腹を立てていた。






 一方、江古田高校の屋上、給水塔の上で。
 ばっちりサボリを決め込んでる快斗は、げらげらと笑い転げていた。



「あ、あはっ、名探偵…っ!楽しすぎ…っ」



 笑いすぎて腹筋がひーひー言っているけれど、だからと言ってそうそう止まるものではなかった。
 怒鳴るだろうと予測していた通り、聞こえてきた大音響。
 予め携帯を離しておいたから、快斗にはなんの問題もなかった。


 きっと今頃は帝丹で、何事だと生徒たちが顔を出しているだろう。
 そして不機嫌全開でもなんとかその場を繕ってる彼の姿を想像したら、笑わずには居られない。
 咄嗟の判断でトリックがどーのと言っていたけれど、快斗にしたらまるで説得力がなかった。


 ククク…とまだ低く笑っていると、不意に声をかけられる。
 いや、既に階段に差し掛かった時点で気配には気付いていたけれど。



「何をひとりで笑ってるんですか、黒羽君。」

「お前にゃ関係ねーよ、迷探偵。」



 にゅっと姿を現わしたのは、長身に整った顔の紳士……を気取った高校生探偵、白馬探。
 快斗は未だニヤニヤと笑っている。
 白馬は微妙なニュアンスの違いを聡く聞きつけて、反論した。



「君に言われると素直に喜べないですね。」

「別に誉めちゃいねーから喜ばなくて良いんじゃねーの?」



 相変わらず冷ややかなその態度に、白馬はムッとする。



「ところでこんなとこで何やってんだよ?まだ授業中だぜ。」

「君こそ。先にサボッてた人に言われたくありませんね。」



 案にどっか行け、と仄めかしたつもりの快斗の言葉はさらりと無視された。
 気付いていながら無視を決め込んだのだから質が悪い。
 せっかくの楽しい気分が害されて、快斗はつまらなさそうに白馬を睨み付けた。



(お前じゃ相手になんねーンだよ。)



 快斗の睨みをどう取ったのか、白馬は嫌味な笑いを浮かべると、勝手に隣に腰掛けてきた。



「僕には君の行動を監視しなければならない義務がありますから。」

「俺のプライバシーはどーなってんだよ。」

「泥棒にプライバシーも何もありませんよ。」

「だぁーから違うっつってんのにしつこいね、お前もっ」

「いいえ、絶対にキッドは君です。ですから、僕が証拠を捕まえてあげます。」



 迷惑以外の何物でもないな、と快斗は溜息をついた。
 こいつには何を言っても馬耳東風。
 無駄なことはやめよう、と会話を放棄した快斗だったが、白馬はまだ続ける気らしい。
 監視と言った通り、うざったい視線を投げかけながら言葉を続けた。



「ところでどちらに電話をかけてたんです?」

「…どこだった良いだろ。」

「いえ、気になりますので。君があれほどまでに馬鹿笑いをする相手というのが。」



 快斗はニヤ…と口端を持ち上げた。
 それを見て白馬の眼光が鋭くなる…が。



「俺の恋人v」



 予想外の返答に、白馬は思わず固まってしまった。
 快斗が再び面白そうに笑い出す。



「…僕は冗談を聞きたいわけではありません、黒羽君。」

「なんで冗談なわけ?健全な男子高校生に恋人が居るのは普通だろ?」

「中森さんはマジメに授業を受けてますよ。」

「たりめーじゃん、青子じゃねーもん。」

「ええ?!中森さんじゃ…」



 快斗は手に握ったままの携帯を持ち上げ、ディスプレイに軽く口付ける。
 にやりと笑った顔のまま白馬に片目を瞑って見せて、



「青子よりずっと綺麗で可愛くて格好いいヒトv」



 線が細く見えるが必要な筋肉はちゃんとついているし、凛とした立ち姿は女優譲りの美貌がある。
 面白いほど素直な反応に、思ったより型にはまっていない、無茶で飽きない行動。
 何より、探偵として存在する時の彼は、誰よりも強烈な光があって。



「俺、あいつに惚れ込んでるからねvまぁまだ付き合っちゃいねーけど。」

「…本当なんですね、その人というのは。」

「大マジだぜ。絶対いつかオトすしな♪」



 そう、今はただの怪盗でも良い。
 手を組むだけの共犯者でも良いし、腹の立つ同級生でも良い。
 あいつを取り囲むその他大勢からは抜け出した。
 どんな存在でも良いからあいつの中に“俺”を造って、俺が望む位置に辿り着くのはそれから。


 余程幸せそうな顔をしていたのだろう、白馬はその“恋人”と言う人に興味を持った。
 怪盗である快斗が惚れ込むほどの人物。
 てっきり幼馴染みの彼女だとばかり思っていたが。



「どんな人なんですか?」



 そう問いかけた白馬に快斗は怪訝そうな顔を向けた。
 その顔にはアリアリと、手ぇ出すんじゃねーだろーな!?と書かれている。



「純粋な興味ですよ。君にそこまで言わせる人へのね。」

「ふぅん…そーゆーことならまあ良いけど。」



 恋人の姿でも思い浮かべているのか、快斗の表情が急に柔らかくなった。
 今まで随分長いこと近くにいて追いかけて来たのに、それは初めて見た表情で。
 白馬は思わず息を呑んだ。


 快斗は白馬を無視して話し出す。
 顔が崩れているのはわかっているが、どうしようもないのだ、これだけは。
 一緒に居るだけ、見るだけ、話すだけでも……嬉しいから。



「あいつは…容姿も綺麗だけど、目が綺麗なんだ。いっつもキラキラしててさ、自分の趣味となったらそれこそ周りが見えてねーんだよな。危なっかしいけど、だから放っておけないって言うか。側に居たくなる。最初の印象は最悪だったんだぜ?格好ばっかりの嫌な奴だと思ってた。でもちょっと話してみてすぐわかった。こいつは…俺と同類だ、ってね。」

「同類って…まさか泥棒ですか?」

「ばぁーか、違うっつってんだろ?中身が似てるんだ。譲れないモンを持ってて…それのためなら、自分を犠牲にすることを厭わない。強いんだよ…同じぐらい脆いけどさ。」



 快斗はただ嬉しそうに、真っ青な空に浮かぶ雲を目で追いながら話している。
 白馬は話を聞きながら、ふとした疑問に行き着いた。



“譲れないモノのためなら、自分を犠牲にすることを厭わない”



 それは彼の思い人と、同時に彼自身も指している言葉。
 小さな棘を残しながらも、白馬は何も言おうとはしなかった。


 ただ、犯罪という行為に溺れた泥棒だとばかり思っていた彼が、今は違うように見える。
 彼の思い人のことを話す時の彼はとても落ち着いていて、とても幸せそうで。
 ただの泥棒だとばかり思っていた白馬に、少なからずのショックを与えていた。
 今問い返せば、おそらくこの笑顔をくもらせてしまうだろうから…


 白馬はしばらく、何も言わずに快斗の話に耳を澄ませていた。





TOP NEXT

何故かいきなり、夢幻続編。
いや、いつか書こうと思ってたんだけどね…。
恋夜なだけあって、らぶらぶ出来るといいな。
予定は未定。