「なぜ僕を助けるんだ…?」



 疑心暗鬼に満ちたやつれた瞳を向ける鳥山を、新一は無言で見返した。
 目の下にできたクマが、蒼白な顔色が、彼の今までの心痛をそのまま表しているようだ。
 組織を相手にたったひとりで立ち向かうことの辛さを新一は知っている。
 だが新一には信頼出来る仲間がいた。
 けれど彼には、仲間と呼べる人間のひとりもいなかったのだろう。
 一度極限まで追いつめられ、警戒心が厳重になってしまった人間のもつれた心を解きほぐすのは容易いことではない。
 今会ったばかりの自分が、彼の信頼を得られるとは思わなかった。



「…別に助けた訳じゃない。僕は――俺は、自分の目的のために貴方に手を貸しただけです。」

「目的…?」



 ニッ、と口端を持ち上げる。
 そう。
 これは初めからボランティアなどではない。
 何の見返りも求めない慈善活動などではなく、それぞれの目的を果たすためのギブアンドテイクだ。


 彼が欲しいものは自由、そして平穏。
 新一と快斗が欲しいものは、組織の情報。



「俺と、取り引きしませんか。」



 ただほど高いものもないでしょう?















夢幻恋夜















 鳥山が新一を人質にしてバーを飛び出したその後、新一の身が気掛かりではあった快斗だが……
 まず自分に出来ることをと、組織の男たちをマークすることにした。


 拳銃を持った男が青年を人質にして逃走した、と通報されたので、警察も直ぐに駆けつけてくるだろう。
 組織の男たちは慌ててホテルのバーを後にした。
 快斗は気配を断ち、気付かれないよう距離を取りながら男たちの後を追う。
 けれど彼らは警察から逃げるように外に飛び出したものの、鳥山を追おうとはしなかった。



(追わないのか…?)



 物陰に隠れながら男たちの動向を窺っていた快斗は怪訝そうに眉を寄せた。
 彼らにとってキレた鳥山は危険分子であり、そんな不必要なモノは早々に始末する必要があるはずだ。
 けれど彼らは悠長に携帯を取り出すと、何処とも知れない番号へ電話を掛け……



「…俺だ。鳥山のヤツ、裏切りやがったぞ。」



 男のひとりが、くぐもった低い声が呟くように話す。
 常人にならばこの距離でその会話を拾うことなど不可能だったろうが、生憎と、聞いているのは怪盗キッドである。
 快斗は静かに続きを待った。
 彼らのことだ、どうせろくなコトではない。


 そして、案の定。



「ああ、構うことねぇ。ヤツの妹を捕まえろ。」



 何の感慨もなく言われた言葉に、快斗は思わず舌打ちをしそうになった。
 が、気取られてはならないと、沸き起こりそうな怒りを必死に静める。


 彼らは、人が死ぬことを何とも思わないのだ。
 それは彼らに関係する者たちばかりでなく……無関係の者だろうと。
 鳥山が邪魔だというなら彼だけを狙えば良いものを、躊躇いもなく身内に手を出し、彼への戒めとする。
 最も卑怯であり、最も古びたやり方であり。
 最も効果的だ。


 快斗は頭脳を目まぐるしく働かせた。
 記憶の中にある、鳥山章悟の個人情報を数秒のうちに洗い出す。
 彼には両親は居ない。
 身内と呼べる人間は妹だけであり、彼女は鳥山と同居している訳ではない。
 だが隣町のごく近い場所に住んでいる。
 おそらく兄の裏の顔など、少しも知らずに暮らしていたのだろう。


 事前調査の際にちらりと見た彼女の自宅の住所を思い起こした後の快斗の行動は、早かった。






* * *






「取引とは…君は僕に何を望むんだ…?」



 あの後。
 新一と鳥山氏は快斗から拝借した車を降り、新一の手配した……阿笠博士のビートルに乗り換えていた。
 快斗の車には、怪盗キッドとしての秘密が載せられているかも知れない。
 よもやあの怪盗がそんな不始末をするとは思えなかったが、万にひとつでも組織に掴まった時や警察に掴まった時を思えば、そうしておいた方が良いと思ったのだ。


 …なぜ、そう思うのかまでは、気付かない新一だったが。



「…俺が欲しいのは、貴方の持ってる組織の情報ですよ。」

「組織の存在を…知ってるの、か…?」

「ええ。」



 新一の目が何かを思いだしたようにすぅっと細められたが、前を向いて運転していた鳥山には見えない。
 ただ、なぜこんな年端もいかない少年が、そんな社会の闇の部分を知っているのだろうかと不思議に思う。
 そうしてふと思い出す。
 以前、組織の構成員の下っ端連中が口にしていたことを。



『最近、あの探偵とか名乗ってるガキ、見かけねぇなぁ。』

『お前知らないのか?あのガキなら、“コード”持ち連中に殺られたらしいぞ。』



 “コード”とは酒のコードネームを持つ、組織において重要な任務を担う者たちのことである。
 組織の端末などはコードネームすら与えられない。
 事実、鳥山も自分のコードネームを持っていなかった。


 そして、あの会話の中に出ていた“探偵を名乗るガキ”とは、つまり彼のことではないのか、と。
 情報収集能力に長けている鳥山は、勿論新一のことを知っているし、新一が一時期行方不明だと新聞で書かれていたことも知っている。
 …その能力の高さゆえに、組織に引き込まれたのだが。



「君は――君は、組織を潰そうとでも言うのか?」

「…それは貴方の知らなくて良いことですが…
 そうですね。俺が欲しいのは、貴方が密かに手に入れた組織の情報です。」

「!」



 新一が、ニッ、と口端を持ち上げた。



「貴方がハッキングした奴らの情報。それをくれるなら、貴方を全力で守ります。」



 鳥山は思わず瞠目してしまうのを止められなかった。
 目の前のこの年端もいかない少年が、何を持って“全力で守る”などと言うのだろうか?
 新一の――今となっては鳥山も敵対する組織は、こんな子供が相手に出来るほど易い相手ではないのだ。


 だと、言うのに。
 鳥山は、なぜかこの瞳を目の前にすると、無条件で信じてしまいそうな自分がいることに驚愕する。



(大体にして、なぜ僕が組織の情報をハッキングしたことがバレてるんだ…?)



 確かに、鳥山は組織のソースに侵入し、いくつか情報をハッキングした。
 それは自らの身に危険を感じてきたからのことであり、誰にもバレないよう、至極慎重に行ってきたことだ。
 組織の連中にもバレていない自信がある。
 案の定、自分の身が危険であることを知った彼は、その情報を盾に組織を抜け出そうと思ったのだが……
 失敗した。


 その話を出すよりも前に、相手は自分を消すのだと仄めかした。
 何のことはない、危険な任務をひとつこなせ、というだけのことだったが、それが何を意味するのか鳥山は知っている。
 失敗すればこれ幸いとばかりに消され、成功しても、これで用なしとばかりに消されるのだ。
 今までにそんな連中をごまんと見てきた。


 だから、はっきり言って今の鳥山にとっては新一の申し出は非常に有り難かった。
 あの式を相手にひとりで敵対するのは無謀も良いところだ。
 共闘するなら頭数は多いに限る。
 けれど。



「…好意は有り難いけど、遠慮するよ。」



 そう言って鳥山は首を横に振るのだった。


 確かに命は惜しい。
 半ば強引に引き込まれた組織のせいで、彼の人生は滅茶苦茶になってしまった。
 出来ればこのまま組織を抜け出し、何の変哲もない“平凡”という名の幸せを味わってみたいと思う。


 けれど同時に、こんな子供を危険な組織に関わらせてまで自分が助かりたいとは思わないのだ。



「君は奴らの危険性をよく知らないからそんなことが言えるんだよ。君はまだ若い……奴らには関わらない方が身のためだ。」

「…それは、俺が子供だから信用出来ない、ということですか?」

「――確かに、それもあるけどね。何もわざわざ自分で自分の身を滅ぼす必要はないだろう。」



 君はこれ以上関わらない方が良い。


 それは鳥山の本心で、本音からの言葉だった。
 前方を見据えて運転をしながらそう拒絶を示した鳥山に、けれど新一は満足そうな笑みを浮かべる。



「――決めた。」

「…は?」



 ぼそ、と新一が呟く。
 狭い車内ではその呟きはもろに鳥山へと届き…



「アンタを助けることに決めた。」

「はぁ!?」



 君は、今の僕の話を聞いてなかったのか!?


 素っ頓狂な声を上げる鳥山に、けれど新一は笑みを深くするだけで。
 その笑みが嬉しげでさえあるように見えることに、鳥山は一層疑問を濃くする。



「アンタが自分の命欲しさに何でもするような奴なら、組織の連中と変わんねーけど。今の、どー考えても俺の身を案じてくれたってことだろ?
 …そういう奴、ほっとけねーんだよな。」



 だから、情報云々は後回し。
 とにかくアンタを匿ってやるよ、と笑って告げた子供に、鳥山は吃驚眼を更に見開くのだった。



「生憎、俺の周りは既に地雷だらけなんでね。」



 今更ソレがひとつ増えたところで、この道を歩んでいくのに躊躇いはない。






* * *






 暗闇をものともせずに、白い影が走り抜ける。
 既に時刻は深夜の1時をとうに過ぎ、あと15分もすれば2時をまわろうかという時、快斗は鳥山章悟の妹である理恵の自宅へと辿り着いた。
 彼女の自宅は閑静な場所にあり、深夜ということも手伝って周りには物音一つしない。
 ……否、快斗と同じく暗闇を蠢く連中が居たのだが、快斗には彼らの動きが手に取るようにわかった。



(…1…2……4人、か。ちょぉっと厳しいかな〜?)



 これが、ずぶの素人が相手であったなら何も問題はない。
 人より数倍長けた知能と運動能力で容易く片づけることが出来る。
 けれど、相手は巨大な犯罪組織だ。
 おそらくコードを持つ連中の手足となって動く下っ端ではあるだろうが、それでも一介の組織員ともなれば訓練の仕方が違う。
 一度に4人もとなれば、さすがの快斗も容易には手が出せなかった。



(さて、どうしますか。)



 のんびりとした思考とは裏腹に、視線厳しく相手の動向を窺いながら歩を進めていく。
 こちらがアレコレと考えている間にも相手は確実に彼女の自宅へと近づいているのだ。
 余裕をかましてはいられない。


 今ここで警察を呼ぶのは巧くない。
 下手に警察に介入されれば彼らは消されてしまうし、もっと悪くすれば鳥山の裏の顔ですら暴かれてしまうかも知れない。
 日本警察は優秀だし、取っ掛かりさえあればそれらが割れるのは時間の問題だ。
 つまり、結局は自らの力のみで闘うしかないのだろう。
 出来れば怪盗キッドの存在も伏せておきたいところだが、どちらにせよ組織を煩わす邪魔な存在としてマークされているのだ。
 今更何の危険が増えるわけでもない。
 それに、おそらく鳥山と共に彼らの追跡から巧く逃げているだろう探偵のもとへ早く駆けつけたかった。
 彼は優秀だが些か無茶をしでかすきらいがある。



(俺って健気だよなぁ。)



 愛する人のために危険を冒す。
 まるで昔の下手なラブストーリーの王道のようだ。
 けれど、これは快斗にとってはどこまでも危険な現実なのだ。



(知ってるか、名探偵?魔王とやらの予言に寄れば、光の魔神は、白き罪人を滅ぼすんだぜ。)



 ギリギリの闘いの中、大切なモノを作るまいと足掻いていた怪盗。
 その怪盗の唯一最大の宝石となってしまった探偵。


 それは、怪盗を弱くさせる危険なものだが――




 何より彼を奮い立たせる力でも、ある。





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…言い訳る言葉も御座いません(死)
めちゃくちゃ長い間放置しててスミマセンでした…!
このシリーズは当初“変装”をテーマに書き始めたというのに、いつのまにやら組織との対決がテーマになってしまい。
話がデカイだけになかなか手がつけられませんでした。

どーでも良いけど快斗が健気…(笑)