車のタイヤが唸りを挙げながら、豪勢なホテルの駐車場へと滑り込む。
 快斗は乱暴な、けれどかなり正確なハンドルさばきで、空いている場所へと駐車した。


 スーツ姿の男がふたり、慌ただしく車を降り、エレベーターを待つのも面倒だと階段を駆け上がる。
 彼らが向かっているのは、最上階に位置するバーだ。
 あと15分ほどすれば時刻は深夜0時である。


 取引はそのバーで、0時に行われる予定だった。















夢幻恋夜















「鳥山章悟、37歳。」



 車を運転しながら、唐突に快斗が切り出した。
 車は高速に乗り、ある程度のスピードを出している。


 ある特定のコードが見つからなければ解けないような暗号の中に隠されていた情報。
 おそらく両者間にのみ知られていたそのコードを、新一は見事に割り出して見せた。
 その暗号に書かれていた内容は、今夜0時、東都に建つ帝国ホテルの最上階に位置するバーで取引を行う、と言うことだった。


 取引の情報を得た新一だが、肝心のそれを行う者の情報を何も知らなかった。
 唐突にそう切り出しながら、快斗は一枚の写真を差し出す。
 相変わらず用意周到なその手腕に呆れながら、新一はその写真を受け取る。


 グレーのスーツをきっちり着こなした、神経質そうな男。
 中肉中背で、おそらく顔は端正な部類だろう。
 けれど彼の悲痛な心情がありありと顔に表れていて、あまり好印象は持てない。
 目の下には隈ができ、痩せた頬は骨張っている。



「顔、覚えておいて。ホテルに入ったら盗聴のおそれがあるから、それらしい会話は一切しない。」

「…わかった。」



 大袈裟な、とは思わない。
 新一の相手にしている組織だって、警察を相手に盗聴器を使用するような輩だ。
 キッドの敵対する組織も、おそらく同じような組織なのだろうから。



「それで?俺にどう動けって?」



 新一は当然、キッドの目的が彼を救出することにあるのではないと思っていた。
 増して、組織を逮捕しなくても良いと言うのだから、逮捕に意味があるわけでもない。
 何の用意もナシに彼らに手を出すことは自殺行為である。
 まだ時期ではないから、彼らを野放しにしておくということなのだろう。
 本来の目的は、おそらく……



(その情報員の持つ、情報。)



 この怪盗が自分に助力を頼んでくると言うことは、よっぽどのことなのだ。
 そして、組織との全面対決への、準備。


 全てを明かさないことへの不満はない。
 自分たちは仲間だと馴れ合うような間柄ではないのだから。
 本当に知りたいことなら、新一には意地でも自力で情報をもぎ取るだけの実力がある。
 だから今は、新一もただ出来ることをして……こちらにとっての有益な情報を、掴む。




 無言で写真を見つめる新一を横目でとらえ、快斗は思う。
 この慧眼で、こちらの目的など読まれているのだろう、と。


 けれど、だからと言って何も言ってこない新一だからこそ、快斗は協力者として選んだのだ。
 犯罪に対して絶対の正義感を持っているような白馬では、おそらく彼のようには出来ない。
 犯罪者の自分と協力体制になるような時点で異議を唱えるだろう。


 けれど新一は、あくまで探偵なのだ。
 今回の依頼主は快斗である。
 犯罪に対する気持ちは白馬と変わらないところもあるが、それに覆い隠されないだけの広い視野を持っている。



“悪魔のような狡猾さと、人の心を見透かす慧眼の持ち主”



 いつだったか、自らを赤魔女と名乗る女が言っていたことを思い出す。
 間違ってはいないのだろう。
 彼の慧眼を目の当たりにすれば、「悪魔」だと言いたくなる気持ちもわかる。
 …けれど。



(罪人には、悪魔がお似合いだね。)



 一を聞いて十を解する。
 だからこそ、悪魔よりも狡猾な奴らと、戦うことが出来るのだから。



「名探偵にはとにかく、彼の身柄を監視していて欲しい。無茶しかねないから、一挙一動を気にしててくれ。」

「お前は?」

「組織の奴らの方。彼があまり無茶なことをしたら、彼を殺されかねないからな。」



 殺されては拙いのだ。
 彼にはまだまだ使い道がある。



「……わかった。じゃあ、お互い死なないように、な。」



 そう言って、写真に向けていた視線をちらりと寄越す。
 その目には、死なない程度に無茶をやらかそう、と書いてある気がして、快斗は密かに苦笑した。






* * *






 あともう少しで深夜0時にさしかかろうというのに、バーにはまだ程良く人が居た。
 組織にとっても快斗たちにとっても、邪魔でしかないのだが。


 軽く正装をした熟年の男女が、カクテルを片手に談笑を交わしている。
 カウンターに並べられた酒の名前を見て、密かに眉をひそめる新一だ。


 当たり障りのない事業関係の会話を交わしながら、快斗と新一は目的の人物を探した。
 不審に思われることがないよう、ごく自然な動作である。
 一番見渡しの良さそうなカウンター席に並んで腰掛け、それぞれに注文をした。



「木村、見てみろよ。あの赤いドレスの婦人……峰山さんじゃないか?」



 誰が木村だ、誰だそれは、と思いながらも促されるままに赤いドレスの婦人を、新一は探す。
 右奧のテーブル席に腰掛けた婦人の少し手前に、彼は居た。
 鳥山章悟だ。



「何言ってるんですか、峰山さんじゃありませんよ。」

「そうか?」

「ええ、彼女は峰山さんより少し年上みたいですし。」



 確かに、と言って苦笑して、ふたりは再び前に向き直る。
 一瞬絡ませた視線に、お互い意味ありげな色を浮かべた。


 彼はまだひとりで座っている。
 組織の連中はまだ来ていないようだった。
 それではこれから入ってくる客に目を光らせておかなければと、当たり障りのない会話で場を繋ぎながら考える。


 
「そう言えば、部長って何色がお好きなんですか?」



 新一の質問に快斗は一瞬だけ瞳を眇める。
 何を聞きたいのか、わかっているのだろう。



「……黒、だったかなぁ?いつも黒のスーツだし。通夜じゃないんだからやめれば良いのにねぇ。」



 新一もまた瞳を眇める。
 どうしてこうも、ああいった連中は黒を好むのだろうか。


 …まぁ、闇に溶け込むなら普通は黒が常套色なのだろう、この怪盗は別にして。


 と、入ってきた客にふたりは意識を集中した。
 男と女である。
 女はかなり目立つゴールドカラーのドレスに、男は黒の動きにくそうなスーツだ。
 おそらく彼らとは関係がないだろうと思いながらも、細心の注意を向ける。


 鳥山とは正反対の位置に彼らが座したとき。
 新一は背筋に走った悪寒に思わず肩が揺れそうになった。


 快斗の手が新一の肩に置かれる、平静をなんとか保つ。
 見上げれば、にっ、といつものように口元を吊り上げて笑っていた。
 そこに冷涼な気配こそないが、怪盗のものである。
 …けれど、その瞳がかけらも笑っていないことに、新一は確信した。


 たった今入ってきた、黒尽くめ男たちがそうなのだ、と。


 ホテルのバーに不釣り合いな、黒のロングコートに山高帽。
 サングラスなどの付属品こそないが、目深に帽子を被り顔を顕わにしていない。
 明らかに異様な空気を纏ったふたりは、迷わず奧の席に座っている鳥山章悟のもとへと向かった。
 座席指定までされていたのだろう。


 ふたりの黒尽くめの男の登場に、バーに居る客の視線は自然と集まった。
 が、男の内のひとりが冷たい眼光で睨め付ければ、見ていた者は慌てて視線を外した。


 新一は背筋に走る寒気を必死に押さえながら、隣にいる快斗をのぞき見る。
 耳に取り付けている盗聴器でも聞いているのか、片耳に手を添えたままどこともなく一点を見つめている。
 先ほど見せた静かな怒りのような瞳の色も、今は消えてしまった。
 全くの無表情、見事なまでのポーカーフェイス。
 新一は改めて、この男がただ者ではないのだと実感した。


 邪魔しない方が良いのだろうと、カウンターに置かれたグラスに手を伸ばす。
 気を抜けば、表情が強張ってしまいそうだった。


 と、伸ばした新一の手が不意に掴まれた。
 快斗の手だ。
 なんだと思ってそちらを仰げば、にっこり笑っている快斗が居る。



(……余裕綽々かよ、ムカツク。)



 まるで安心しろとでも言うような快斗の表情に、新一はムッと唇を尖らせた。
 子供扱いされているようで気に入らない。
 新一が快斗の手を振りほどくと快斗は、おや、と肩をすくめてみせる。
 先ほどより気持ちの落ち着いた自分に気がついて、新一は更に腹を立てたのだった。




「ヤバイかも。」



 ぼそりと隣からもれた声。
 新一はぎょっとして快斗を見ると、快斗が眉間に皺を寄せて、新一を見つめていた。
 それだけで状況を理解する。
 危惧していた事態が起きようとしているのだ。


 カウンター席から快斗が徐に立ち上がる。
 それに倣って立とうとした新一を制して、彼らのもとへと近寄ろうとした。
 最悪、怪盗キッドに扮するつもりでいた。


 が、快斗が彼らのもとへ辿り着くよりも先に。



「いい加減にしてくれ、もうたくさんだ…!」



 ひどく興奮した様子の鳥山が、そう叫んだ。
 叫んだと同時に椅子を蹴立てて立ち上がり、黒尽くめの男との距離を取って後退る。
 周囲の視線を集めてしまったことに男たちは煩わしそうに眉を寄せる。
 尚も鳥山は騒ぎ立てた。



「僕は知ってる…知ってるんだ…!お前らが用済みの者をどうするのか、知ってるんだ!!」

「うるせぇぞ、鳥山。」

「今すぐその口を閉じないと、お前も用済みに加えるぞ。」



 お前の変わりぐらい、いくらでもいるんだ。


 必死の剣幕にも少しも動じない男たちに恐怖し、鳥山は口を閉じる。
 けれど彼には、少しも引くつもりはなかった。
 …おそらく、すでに消される対象にされてしまっていると悟ったのだろう。


 徐に胸元へ手を忍ばせた鳥山は、一丁の拳銃を取り出した。
 客の間にざわめきが広がる。
 鳥山は躊躇いなく天井に向けて一発の銃弾を撃ち込み、叫んだ。



「誰も動くな!動いたら撃つぞォ!!」



 あわよくば警察をこの場へと呼び寄せるための、苦肉の策なのだろう。
 けれど、彼らに拳銃では何一つ脅しになりはしない。


 誰もが恐怖して動けない中、快斗がそんなことを考えていると。
 不意に背後て人影が動き、それが新一だと気付いたときには新一は飛び出した後だった。


 頭を抱えてテーブル下や椅子の影などに隠れている客と、立ち尽くす快斗、悠々と椅子に腰掛ける黒尽くめの男。
 店の中央で銃を片手に持つ鳥山に飛びかかったのは、新一の扮する若い青年だった。
 勢い込んでふたりでその場に倒れ込む。


 何をするんだと言って暴れる鳥山と暫し格闘し、ごたごたとするうちに新一は鳥山とともに立ち上がる。
 新一の首には鳥山の片腕がまわされ、その腕を新一の手が上から押さえている。
 所在なさげ名鳥山のもう片方の手には拳銃が握られており、一見すると、取り押さえようと向かった青年が逆に犯人に捕まったような状態だった。


 呆気にとられていた快斗は、思わず頭を抱えたくなった。
 これが狙いで、新一は自ら飛びかかったのだろう、と。


 わけがわからず茫然とする鳥山に、新一はそ耳にだけ届くほどの微かな声で呟く。
 口元を動かさないよう、慎重に。

 

「このまま、俺を連れて逃げろ。」

「え?」

「俺を人質に、さっさとのこの場を離れろと言ってるんだ。」



 新一の行動の意味がわからないまでも、何をしたいのかを悟った鳥山は、すぐさま次の行動に出る。



「この男を殺されたくなかったら、誰も動くなよ!」



 叫んで、新一を引きずるようにしてバーを駆け出す。
 悔しげに歪む新一の顔を見て、快斗は思わず叫びたくなった。
 …この演技派め!!と。


 確かにあの場ではああ動くほかなかったかも知れない。
 うまく彼がこの場から逃げたとしても、確実組織の手が伸びるだろう。
 そうすれば彼ひとりでは逃げきるのは困難だ。
 新一や自分のような助言者が居なければ到底無理である。
 だから、新一が動いた。


 それはわかる、わかるが。



(危険に自ら首を突っ込むような真似しやがって…!)



 鳥山と共に行動すると言うことは、組織の連中の追跡を受けるということだ。
 だからこそ、快斗が動こうとしていたのに。


 快斗は仕方なく、この場に残った黒尽くめの男たちに意識を集中するのだった。






* * *






 外に出るなり、自分の車へと駆け出そうとした鳥山を新一は引き留めた。
 ここまで快斗とともに乗ってきた車へと向かう。
 口を開こうとし鳥山に、口元に人差し指を立てて見せて黙らせる。


 鍵は生憎と快斗が持っていたため、新一はピンを使って素早くこじ開ける。
 開いた車のダッシュボードから機械を取り出し、鳥山の体の至る所に翳していく。
 反応のあった二カ所から小さな機械を取り外すと、新一は躊躇いもなくそれを踏みしだいた。



「もう喋っても構いませんよ。」



 新一は鳥山を車の中へと引っ張り込む。



「貴方は、一体…?」

「質問は後です。とにかくこれを被って下さい。」



 新一は自分の後頭部に手を伸ばすと、被っていたマスクを取り外す。
 外気に触れた顔を軽く振って、素顔に戻った新一は、にっと笑って見せた。



「あ…!」



 あまりに見覚えの有りすぎるその顔に驚く鳥山に、新一はマスクを覆い被せる。
 鳥山は大人しくそれを被った。


「流石に僕が運転するわけにはいかないので、貴方に運転して頂きます。指示は僕が出しますから。」


 彼らから、逃げたいんでしょう…?


 無言で頷く鳥山に新一も頷いて、再び車を夜の東都へと走らせた。





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大変長らくお待たせしました;;
漸く3話目がかけました。ふぃー。
自ら進んで人質になる新一君。戸惑いながらも連れ去る犯人。微妙(笑)。
続きはもっと早めに書けたら良いなぁ…
色々と支離滅裂ですが、そのヘンは勘弁してやって下さい。