そこは「夜」を知らない場所。
 ネオンは眩しく明かりを灯し、夜空に犇めく仄かな光など覆い隠してしまう。
 店先では綺麗に着飾り化粧を施した若い女の子が、日々の疲れを癒しに「温もり」を求める男たちを誘っている。
 帽子を目深にかぶった男は、適当に見繕った「客」に声をかけ、一瞬の愉楽と永遠の地獄を売りつけている。


 そんな下らない人間たちを一瞥して、快斗は行きつけのバーに向かっていた。
 彼には温もりを買う気も、愉楽や地獄を買う気も毛頭ない。
 ただ、必要な「情報」を集めるために、ここに来るだけ。
 ビッグジュエルや宝石の展示などの情報は家に居てもいくらでも手に入るが、組織の情報はそう上手くいかない。
 軽々しくネット上に姿を現すような連中なら、その存在はかなり大勢の者に知られているはずだ。


 繁華街の最も情報の集中しそうなバーが数件。
 そこに頻繁に顔を出し、すでに馴染みの客として認識されるようになった快斗。
 こっそり行われる裏取引など、どこからか漏れた情報をこうして手に入れていた。
 パンドラを組織の連中より先に見つけだし、粉々に砕いてしまうのは勿論だが、目的はそれだけではない。
 そんなふざけたことを目論む下らない組織を、金輪際活動できないほどに叩き潰してやることも、重要な目的のひとつだ。



「オニイサン、寄ってかない?」
「ごめんね、持ち合わせなくってさぁ。今度来たらぜひ寄らせて貰うよv」
「残念ね。じゃあ今度、絶対よ!」


 頬を少し赤らめた、どうみても高校生の女の子が嬉しそうに笑った。
 快斗もにっこりと笑うと、ウインクひとつ残してその場を去った。



 行き交う人々を巧みに避けて、声をかけてくる人々を巧みにかわして。
 しつこい奴には無言の圧力をかけて退散させる。
 この繁華街に点在するバーのうちのひとつに向かおうとして、快斗はふとその足を止めた。
 視線は一点に集中して逸らされることはない。
 その先には、二人の男が立っていた。















夢幻夜行















 日本警察の救世主こと工藤新一は、およそ警部が知ったら泣き出しそうな場所に立っていた。

 彼は間違いなく新一であるが新一ではない。
 前髪は全て灰色のニット帽の中に押し込められていて、蒼の双眸が普段よりよく見える。
 淵なしの細い楕円形のサングラスをひっかけ、ダボダボのトレーナーを羽織い、色褪せてヒゲの入った青緑色のジーンズをだらしなくはいている。
 そう、俗に言う“腰パン”というやつだ。
 履き潰されたスニーカーが余計に“遊んでる今時の若者”風を強調している。


 彼がこんな格好でこんな場所に立っている理由は、言うまでもなく“事件”のためである。
 警察にも誰にも知らせていない極秘捜査。







 数日前、工藤邸にひとりの壮年の男が訪れた。
 新一は彼を知らなかったが、誰であるかは直ぐに解った。
 彼の顔が似ていたから……五日前から欠席を続けていたクラスメートに。


 クラスメートである彼の名前は立川芳樹。
 友人からは、ゲーム好きであることから“ヨッシー”と呼ばれている。
 学校では、常に教師に目をつけられている生徒だった。
 つまり、問題児というやつで。
 けれど教師側からは問題児とされる彼だったが、彼の人間性まで問題視されるものかと言えばそうではない。
 人当たりの冷たいところのある新一にも臆することなく話しかけてくるし、一緒に馬鹿なことをした覚えもある、新一にとって大事な友人。
 髪の色こそ染めていても、ピアスこそしていても、授業中に寝てこそいても、彼は人に好かれる気質を持っている。
 教師に煩く言われても学校が大好きで、友人が大好きで、滅多に休むことなどない生徒だった。


 彼は、五日前から行方不明なのだと言う。
 それならどうして警察沙汰になっていないのか?
 理由は、彼の父親だという立川裕貴が警察に通報しなかったからだ。
 否、出来なかったから。


 五日前、裕貴が会社から帰宅すると、丁度その時芳樹は電話をしていた。
 父子家庭の芳樹は遊び癖こそついているが意外としっかりしていて、夕食の準備などは彼がすることが多く、食事も二人でとることが断然多い。
 しかし、酷く動揺した様子で電話をかけていた芳樹は、そのまま財布とバイクのキーをひっつかむと、食事もせずに慌ただしく出て行ってしまったのだ。
 出際に、



“もしかしたらしばらく還れないかも知れない。でも、警察には絶対言わないでくれ。絶対、そのことで騒いだりしないでくれ。”



 そう残して。
 さすがに心配になった裕貴は、警察に届けようかどうか非常に悩んだ。
 何の連絡もなく芳樹が家を空けることはまずない。
 その彼がこの五日全く音信不通で姿を眩ましているのだ、普通ではない。
 けれど、去り際に彼の残した言葉が気になり、もし浅はかに警察に連絡して表沙汰になってしまったら、息子の身が危険かも知れない。
 悩み抜いた挙げ句、息子が普段話していた“クラスメート”のことを思い出した。
 誰もが知る名探偵、工藤新一だ。
 新一は芳樹のお気に入りだったらしく、よく話題にのぼっていたらしい。
 クラスメートだと聞いて驚いていた裕貴だが、気が動転していたためになかなか思い出せなかったのだ。
 その話を聞いて、新一はすぐに行動に移った。
 新一自身、連絡では“風邪”と伝えられていたが、芳樹が五日も学校を休み続けていたことを不審に思っていたのだ。



 芳樹の友人関係をあたり、その日電話をかけてきた人物を捜しに掛かる。
 見目も性格も良い芳樹は友人幅が広く、手こずるだろうと思っていたが、意外なところから情報が入ったのだ。
 何人か彼の友人を当たっているうちに、「工藤新一がヨッシーを捜してる」という話を聞いた友人から接触があった。
 それは捜していた電話の相手ではなかったけれど、その相手を知っている人物。


 電話の相手は久保田章弘。
 彼は芳樹の失踪する数日前からひどく怯えた様子で、芳樹の失踪の時期と被ってこちらも行方不明になっていた。
 ただ、失踪当日、彼を目撃した人物が居たのだ。
 相変わらず怯えた様子でとある繁華街へと入っていく姿を最後に、今日まで誰も見ていないと言う。


 新一は、どこから情報が漏れるともわからないので警察には連絡せずに、自ら潜入捜査を行うことにした。
 裕貴には何か進展があれば連絡するからと言って、毎日二人の行方を追っている。
 日が沈むまではネットや彼の友人を中心に、日が沈んでからは潜入捜査を中心に。
 目暮からは「テストが近いから」ともともと要請は控えられているので動きやすい。







 今日もそれなりの装いをして繁華街へと足を運んだ新一は、初っ端から厄介な人物にひっかかっていた。
 ここ数日の間に、何度俗に言う“売人”からクスリを売りつけられそうになったか、何度警察を呼んでやりたいと思ったか知れない。
 が、ここで自ら正体をばらすのも馬鹿らしいのでなんとかかわしてきた。


 そしてその売人と同じぐらいの勢いで声をかけてくる連中が居る。
 開口一番、“いくら?”と聞いてくるその連中に、新一はいい加減うんざりしていた。
 まず第一に思うことは、彼らの目は節穴なのだろうか?ということだ。
 どう見たって自分は男にしか見えない変装をしているはずなのに、彼らには女に見えるのだろうか、と。
 その度に言葉巧みにかわしたり、無言で睨み付けたり、大きな騒動にならない程度に蹴飛ばしてきた。


 一度、記者だと名乗る男に声をかけられた時は、変装が見破られたのかと思ってヒヤヒヤしたが、なんのことはないただのスカウトだった。
 どこどこの者ですがモデルやりませんか?だの、ルポライターなんだが話を聞かせてくれ、だの。

 そして今も、初っ端から声をかけてきたのはそういう連中。


「…俺になんか用?」
「君、可愛いよね。最近よくここで見かけるけど、お金に困ってるの?」


 誰が可愛いって!?と内心怒り大爆発な新一だが、そんなことは少しもおくびに出さない。
 一見して何の問題もなさそうな、若手サラリーマン風の男。
 グレーのスーツをびしっと着こなした様は、こんな繁華街には少しも似合わないのに、堂々と闊歩しているあたり慣れているらしい。
 隙なく整えられた髪をわざとかき上げながら、妙に白い歯を輝かせて言う。


「もしそうなら僕がなんとかしてあげれると思うけどなぁ。」


 男が顎で新一の視線を誘導する。
 その先を見てみれば、眩いディープピンクで彩られた看板が目に痛い、俗に言う“ホテル”と言う場所で。
 眉間当たりの血管がピクピク言ってる新一だが、鉄の精神力で必死に堪える。


「あんたはどう見ても男にしか見えないんだけど。」
「勿論男だよ。ちょっとした会社の社長だがら、少しは援助出来ると思うんだけど…?」
「………俺、そういうのじゃナイんで。」


 援助したいならどこぞの女の子にでも声をかけてくれ!!

 内心の悲痛の叫びなど覆い隠して、新一はにっこり笑って追い払おうとする。
 けれど新一はその笑顔は逆効果であることを知らない。


「ホラ、そんな風に笑ったら悪いヒトに食べられちゃうよ?」
「…はぁ?」


 少しも自分の魅力というものに自覚のない新一は、心底嫌そうな顔をした。
 もうそろそろ我慢の限界らしい。
 工藤新一、案外気が短い。
 なにやら理解出来ないコトを未だほざいてる男を余所に、新一は黄金の右足に力を込めた。
 男を思いきり蹴り上げてやるために。


 が、新一の野望は、果たされる寸前に予想外の方向から思い切り引っ張られて、不発になってしまった。




「悪いね!コイツ、俺の連れなんだ。他の子当たってくれる?」


 頭の上、耳の後ろで聞こえた、おそらく同年代の少年の声。
 新一はバランスを崩したまま男の腕の中へとすっぽり収まっていた。
 男は「オテツキかぁ」と漏らすとひょいと肩を竦めて、さっさと人混みの中へと消えて行く。
 新一は思わずふぅ、と溜息をつきそうになって、慌てて腕の中から逃れると、多分窮地を救ってくれただろう少年を振り返った。


 おどけた仕草でパッと両手を広げて見せた彼は、面白そうに口元に笑みを刻んでいる。
 その表情が誰かを思い出させるが、新一はすぐに思い出すことが出来なかった。
 黒のトレーナーに青のジーンズと言ったとてもラフな格好をした彼は、鍔付帽の鍔を前にして被っているため、顔の造形ははっきりとしない。
 取り敢えず害はなさそうだと判断し、新一はサンキュ、と軽く礼を言った。
 少年はそれには答えず、間近でジロジロと新一を観察している。
 あまりに不躾な視線に新一は眉を寄せる。


「…なに?なんか用?」
「いやぁ…似合わないこともないんだけど意外でさぁ…」
「は?」


 またまた意味不明な発言を浴びせる少年に、新一の眉は更に寄った。


「なんでまた名探偵は、そんな格好でこんなところに居るわけ?」
「!?」


 唐突に、先ほど見せた彼の笑みが、白い影と重なった。
 あの、口角だけを吊り上げ、人を小馬鹿にしたようなシニカルな笑みは。
 怪盗キッドのものと同じだったのだ。
 驚きに目を見開いている新一に、快斗は満足そうに笑みを深くした。


「お前!キッドか!?」
「さすが、めーたんてーv」


 なんでこんな処に!と思わず荒げてしまいそうになった口を慌てて押さえる。
 こんな処で妙に目立って、変に印象を持たれてしまうのは困るのだ。
 まだ大した情報は入ってない。


「で、なんでこんな処に居るわけ?」
「…お前、それを俺に聞くのかよ。」
「うーん、愚問だね。他人に癒されたいタイプじゃないもんねぇ、名探偵は。」
「当たり前だ。それより、お前がここに居るのはなんでだ?」
「秘密vそれを見つけるのが探偵君のオシゴトでしょ。」


 はぁ、と思い切り脱力した新一を、キッドは面白そうにケラケラ笑った。


「まぁなんかの捜査なんだろうけどさ。それ、変装のつもり?」
「そうだよ、悪ぃか。さすがに“俺”が来る訳にはいかないからな。」
「悪くはないんだけど、その変装じゃあんまり意味ないと思うぜ?」
「なんで?工藤新一には見えないだろ?」
「見えないんだけどさぁ…」


 見えないなら問題ないじゃないか、と憮然とした様子で言った新一に、今度は快斗が脱力した。
 常々彼には自覚がないと思い続けていたけれど。ここまでとは。


「お前の本質が隠れてなきゃ意味ないんじゃねーの?」
「本質?」
「さっきみたいな奴に何度も声かけられてるんじゃない?」
「ああ、うざったいぐらいな。」
「…やっぱり。」


 いくら装いを変えてみたって、サングラスをかけてみたところで、自分自身の魅力を隠しきれてないんじゃ全く意味がない。
 ただでさえ彼はどこにいても目立つ存在なのだから。
 遠目に見ても、この蒼い双眸を見ただけで快斗は新一に気付いた。
 …まぁ、惚れた欲目もあるのだけれど。
 それを差し引いたとしても、とにかく新一は目立つ。
 細腰にダボのトレーナーを着て、吸い込まれるほど綺麗な瞳を全開にしていれば、ソッチの人間でなくてもクラクラきてしまうのも仕方ない。


「大体、変装するならマスクを被れば良いのに。」
「…今回はマスクが手に入らなかったんだよ。」


 提供元の灰原にも内緒で来ているのだから。
 心配性な彼女のこと、きっとこの潜入捜査を良しとはしないだろう。
 そうすれば嫌でも小言をくらうことになるし、出来ればそれは避けたい新一だった。


「ま、変装のことはおいといてだな。どうせだから名探偵、俺の行きつけのバー、一緒しない?」


 にっこり笑った怪盗のお誘いを新一は訝しがりつつも、行きつけのバー、というのに引かれた。
 怪盗キッドの行きつけのバー。
 きっと彼も遊びや憂さ晴らしでこんなところに来るような者ではないと思う。
 それならば、何かしらの情報源が有るかも知れない。
 キッドのニュースソースは不明だが、その情報量は半端ではないのだ。


 新一が素早く思考するのを、快斗は苦笑して眺めていた。
 きっとこの名探偵ならば、自分がここに来る理由も何もかも見通してしまうのだろう、と。
 ニュースソースを明かしてしまうのは危険だが、なにやらまたひとりで無茶をしている彼を放っておけなくて。
 手助けするつもりもないが、彼の欲しい情報がそこで得られるかも知れないからと、快斗は新一の返事を待った。



 新一の出した答えは、勿論“yes”だった。






* * *






 半地下になっているそのバーへは短く狭い階段が造られていた。
 赤褐色のタイル張りだが、随分古いのか人の出入りが激しいのか、至る所に汚れがこびりついている。
 ドアにはテープで店名が書かれていたが、破損や損傷が激しく、何て書いてあるのかほとんどわからない。
 そのドアを押し開けて中へと入り込めば、煙草の煙がむあっと押し寄せてきた。
 ほんの少しの解放で一気に新鮮な空気が入り込む。
 人の出入りは言うほど多くないようだ。



 快斗に続く形で店内に入った新一。
 そこにおさまっていた人の視線が、来客に自然と集まってくる。
 出入りこそ多くないが、ここには多分馴染み客なのだろう、ほどほどの人数が収まっていた。
 さほど広くもないがカウンターの他にも4つほどテーブルが儲けられている。
 カウンターの奧には色んな銘柄のアルコールの瓶が所狭しと飾られていた。


 新一は再びの不躾な視線に不快そうに僅かに目を細める。
 が、新一を見た後に快斗を見て、客は納得したように各々のグラスへと意識を戻していった。
 どうやら隣りに佇むキッドはやはり顔なじみらしいな、と納得する。


「マスター、取り敢えずいつもの頂戴!」
「…そっちは?」
「…こいつと一緒で良い。」


 それだけ告げると、快斗はさっさと最奧のテーブル席へと座り込んだ。
 新一も続いて向かいの椅子に腰掛ける。
 近くに柱が立っているために、何か密談するには最適な場所だった。
 快斗が軽く身を乗り出して来たので、新一も少し体を前にした。


「勤務中に飲んで良いの?名探偵。」
「…バーロ、ノンアルコール頼んだら不自然じゃねーかよ。」


 あんま目立つ訳にはいかないんだから、と呆れ声の新一。
 新一が忙しなく目だけで店内を伺っている隙に、快斗は新一に見えないように口角を持ち上げた。


(俺と一緒に此処に来てるってだけで、すでに注目されちゃってるんだけどね、名探偵。)


 快斗はここでは有名だ。
 というのも彼は、酒は勿論賭博にも喧嘩にも強く、その上絶対零度の無言のプレッシャーを与えるのが得意である。
 普通の人はわけもわからず嫌な予感を覚える程度だが、少しでも危険に近い場所に生きる者には嫌でも解ってしまう。
 この男がどれほど危険であるか、ということを。
 このバーのマスターも元々は売人崩れであったので、そういうことには目利きである。
 危険なこの男を、それとわかっていながら受け入れているのは彼の性格だ。
 好奇心の強い彼は、危うい笑みを浮かべながらも全く掴み所のない快斗を気に入っている。
 快斗がここの常連と化してから、彼に挑んでいった者は数多く居たが、未だに負けた姿を見たことのないマスターだ。


 ほどなくして盆を片手にマスターがカクテルを運んできた。
 よぉ快ちゃん、なんて話し込んでる姿からして、馴染みというには嘘はないようだと新一は思った。
 親しげに話す姿はまるで、怪盗キッドなんていう危険な仕事をしている男には見えない。
 なんたって目の前にいるのは自分と同年代の少年なのだから。
 素顔かどうかは別としても、こうもコロコロと気配から全てを切り替えることが出来るキッドという男に、ともすれば畏怖さえ抱いてしまいそうだ。


「で、こっちは快ちゃんのなんだい?」
「野暮だね、マスター!俺のコイビトだよv」
「はっ!?」


 マスターは楽しげに笑っただけで、驚いたのは新一だった。
 この性悪怪盗のコイビトだなんて!
 冗談にしても誤魔化しにしてももう少し違ったモノがあるんじゃないか、と真剣に考える新一。
 マスターは静かに声を落とした。


「ま、深いところは聞かねーよ…ただ、あんたもタダモンじゃないな…?」
「…どういう意味だ?」
「俺は目を見れば大体のことはわかっちまう。長年の勘って奴だな。あんたのそれは…今時の自暴自棄なガキにしちゃ良い目をしてる、そう思っただけだ。快ちゃんと同じで、しっかり腹括ってる感じだな。そういう目、割と好きなんだ。」


 手ぇ出さないでよ?という快斗にハハ、と笑うと、マスターはさっさとカウンターへと引き返す。
 新一は少し緊張していたために握っていた手を緩めた。
 ああいうのを慧眼というのだろうか?などと自分のことを棚上げにして考えたりして。




「良い味出してるだろ、あのマスター。俺のお気に入り。ああいう人だから、色んな情報が集まってくるんだぜ?」


 クスクス笑って運ばれてきた淡いブルーのカクテルを軽く呑み込む快斗。
 すっかり見抜かれていたらしい自分の目的に、新一もばつが悪そうにカクテルに手をつけた。
 二人とも、別段酒豪というわけではないが、仕事として気を張っている状況で酔うなどという真似は決してしない。


「どうやら名探偵もマスターの眼鏡に敵ったようだし、色々聞けると思うぜ?」
「……どうでも良いけど、ここで“名探偵”って呼ぶのはよせ。どこのチンピラ探偵だよ…」
「そう?だけど、工藤も新一も拙いでしょ?」


 名前まで考えてなかった新一は考え込む。
 向かいに座った快斗は楽しそうに、江戸川コナンってのはやめてね♪などと言っている。
 新一はまたもばつが悪そうに一睨みしただけだった。
 しばらく考えた後、やはりネーミングセンスなどないので、単純に“シン”で良い、と返した。


「シンねぇ…安直だなぁ。」
「るせぇ、俺は探偵なんだからネーミングセンスなんてなくたって困んねーよっ」
「確かにそうだけど、もう少しひねってくるかと思った。」
「……そういうお前はどーなんだよ。」


 まさか、キッドと呼ぶわけにもいかないだろう?

 口の動きだけでそう告げた新一に、快斗はなんとか苦笑をかみころした。
 別に俺の正体がここでバレても、お前が困る理由なんて何もないんだぜ?
 けれどどこかで、そうして自分の身を案じてくれている彼にこっそり喜んだりして。


「ここでは快斗で通ってるよ。快ちゃんって呼んでくれてもいーよっv」


 シンなら大歓迎vv


「バーロ、誰がそんな寒気のする呼び方すっかよ…」
「ひでーなぁ。」


 目の前の怪盗は楽しげに笑って、グラスに残ったカクテルをぐいと飲み干す。
 なんて勿体ない飲み方を…と意外に庶民的金銭感覚である新一は溜息をついた。
 出されたカクテルは意外に美味くて、これは結構な値段なんじゃないだろうか?と思う。
 金銭感覚こそ一般的でも、新一の舌は結構煩い。


 別段酔った様子もなく、軽快な声で「マスター、おかわり!」と追加の注文をする。
 すると、カランと扉につけられたベルが鳴って来客を知らせた。
 空いたグラスを片手にちらりと横目で見て、快斗は薄い笑みを口元に刻む。
 声を低くして新一に。


「今入ってきた奴。あいつとか結構良いと思うけど?」
「……お前、俺の知りたいことが何だかわかってんのかよ。」
「んー…シンがあの目暮サンの同意の元で動いてないのは明らかだろ?あの人が許すわけないもんなぁ。そしてお前がそんな格好でここ何日もここに通ってるってことは、潜入か囮か…。ま、囮ならじっとしてりゃ良いんだから、俺の誘いを受けた時点でボツでしょ。つまり、潜入ってこと。それに店内に入ってまず全員をチェックしたのに動かないってことは、誰かを捜してるってことだし。あいつらはどう見たって素人だからね。…玄人の危険な奴でも捜してるんだと思ったんだけど?」


 俺の推理、良い線いってる?


「…ふん。まぁ、大体そんなとこ。」
「あら?否定しないんだ。てっきり依頼内容は秘密厳守だとか言われるかと思った。」
「とっくにバレてることを隠すのも馬鹿らしいだろ。それに…」


 お前みたいな便利な奴、巻き込めたら楽かも知れないし?

 強烈に妖艶な笑みでにやりと笑った新一。
 ゾクリ、と背筋が粟立ちそうになったのを、快斗はポーカーフェイスで覆い隠す。
 わざとなのかわざとじゃないのか…。
 自覚してやられたらたまったものじゃないが、自覚なしでやられてもそれはそれで質が悪い。
 ところ構わずこんな笑顔を振りまいたりしたら、危険に飛び込む前に別の危険に飛びかかられそうだ。


「…ま、しばらくめぼしいジュエルも有りませんし?暇つぶし程度なら付き合ってやるよ。」
「勘違いすんじゃねーよ。誰もお前に助力を強請るつもりはない。ただ…時間が許さないなら……そうも言ってられないからな。」
「ふぅん?だいぶ切羽詰まってるんだ?」
「取り戻したいモンがある。信じて待ってる人もいる。だから時間は惜しい…。」
「……そういうことなら、キリキリ話を進めようか?」


 不適な笑みで彩られた紫紺の瞳が、ふいと男を指し示す。
 拒む理由は何もないので、新一は促されるままに席を立った。
 背後についてくる快斗を振り返らずに、新一はボソリと呟く。快斗にだけ聞こえるように。


「…サンキュ、快斗。」


 快斗は吃驚して数回瞬くと、ひどく嬉しそうに顔をくしゃりと歪めて笑った。

 お礼なんかいらない。
 手を貸すのだって、名探偵の捜してるそいつを心配したからって訳じゃないし。
 ただ頑張ってる名探偵を前に放っておけないだけ。
 自分の力なんか必要としてないのはわかるけど、プライドに邪魔されず人の命を尊重できるこの人がすごく好きだと思う。
 意地にしがみついて目的を遂げられないのは馬鹿のやることだ。
 その目的が大事であれば、どんなに足掻いたって格好悪くたって構っていられない。
 そんな、貪欲なまでに真実を求め続けるこの人に。
 真実の名前を呼ばれたらどれだけ嬉しいか。
 不可抗力だが、初めて彼の口から紡がれた自分の名前が、ひどく嬉しかった。





TOP NEXT

似非事件もの。
事件ものってどうにも書けないので、結局恋愛に走るvv
すみません、能なしで…クスン。