花も嵐も踏み越えろ






 夜。
 小さな写真立てを握り締めながら、声を押し殺して泣く少女の背中。
 震える肩。
 零れる囁き。

「…しんいち…」

 今はただ、沈黙を守り続ける。















chapter 04 - 1 : 自己満足

















 関わってた事件が立て込んでて、暫く連絡できそうにない。
 そう、蘭に工藤新一の声で電話を掛けたのは、もう一月も前になる。
 今まではどんなに間が空いても一月も連絡を入れなかったことなどなかった。
 だから、ただでさえ心配性の彼女が、連絡のない探偵のことをひどく心配してくれているのは痛いほど分かる。
 それでも、コナンはたった一度の連絡さえ入れなかった。
 工藤新一に関わる全ての者から繋がりを断つ。
 それは、組織との戦いに必要不可欠な備えだった。

「俺、死んだら絶対地獄行きだな」

 頬に散ったそばかすも愛らしい金髪碧眼の少女から、不釣り合いな低い声が漏れる。
 その少女と手を繋いでいた口髭を生やした英国紳士は、けれどその声に驚くことなく、ただ少女の言葉に意外そうに目をくりくりとさせた。
 その口から漏れるのは流暢な日本語だ。
 変装したコナンとキッドは、現在アメリカに来ていた。

「名探偵が死後の世界を信じてるなんて意外だなぁ」
「いや、別に信じてねーけど」
「ふーん?」

 ふむ、とキッドが考え込むように右手を顎に添える。
 見た目が英国紳士なだけにそれは妙に様になっていた。
 そして。

「ま、その時は俺も一緒に地獄行きだな」

 ニヤリと口角を持ち上げた相棒に、コナンも似たような笑みを浮かべた。



 組織壊滅プロジェクト。
 その壮大な計画の駒のひとつとして、二人が選んだのはFBIだった。
 組織の存在に気付き奴らと何度も接触してきたFBIはとても有能だが、その計画はあまりに稚拙。
 二人の天才はそう判断した。
 そしてその有能なエージェントたちを手駒として使わない手はないだろうと、こうして遥々アメリカまでやって来たのだ。

 だが、こちらは見た目は小学生の子供と怪盗などという怪しげな面子だ。
 面と向かって彼らに協力を要請することはできない。
 もとい、そうするつもりは端からないのだが。

 FBIに結成された対組織チーム、そのトップであるジェームズ・ブラック。
 彼は現在、組織の関係者と思われる科学者を追い、アメリカに帰国していた。
 一時はベルモットを追って日本へ訪れていた彼らだが、日本での彼女の捕獲に失敗し、彼女の行方を見失ったため、その件を数人のエージェントに任せ、最近動き出した件の科学者を追って帰国したのだ。

 …そこで、彼との接触を図る。

 彼らの信用を勝ち取り、尚かつこちらの秘密は漏らさない。
 そんな魔法じみた方法があるのかと、協力者の少女は最後までこの作戦を渋っていたけれど、こちらには本物の魔術師がいるんだからと笑えば、最後には呆れながらも納得してくれた。
 今回、彼女はこちらに来ていない。
 彼女にはコナンの格好で毛利探偵事務所から学校に通ってもらっている。
 少しでも蘭を悲しませないために。
 そして灰原哀は、学会へ出席する阿笠博士とともに地方に旅行中ということになっていた。





『きゃあっ』
『お…っと、失礼』

 甲高い声を上げて転けた少女へ、集中するあまりについ前方不注意になってしまっていた男は慌てて手を差し出した。
 見事なブロンドに、こぼれ落ちそうな大きな青い瞳。
 頬のそばかすは少しも容貌を損ねることなく、むしろ少女をより愛らしく見せている。
 年頃になればさぞ異性の視線を集めるだろう、そう思わせる少女に、男――ジェームズ・ブラックは張りつめていた気配を幾分和らげ、痛みを堪えるように唇引き結んでいた少女を助け起こした。

『ありがとう』
『怪我はないかね、お嬢さん?』
『ええ、ちょっと転んだだけだもの!』

 平気よ、と言って微笑む少女に思わずジェームズの頬も緩む。

『こら、アイリーン。だから走ったら危ないと言っただろう?』
『パパ!』

 と、突然背後にぬっと影が差した。
 少女の顔にぱっと笑みが浮かぶ。
 どうやら彼女の父親らしい男性を振り返り、ジェームズは軽く頭を下げた。

『申し訳ない、こちらの不注意でお嬢さんに危うく怪我をさせるところでした』
『いえいえ、こちらこそ。どうにもお転婆な娘で』

 そう言って男は口髭の生えた口元に品のいい微笑を浮かべながらすっと右手を差し出した。

『私はルイス・バーナード。そして娘のアイリーンです』
『どうも。ジェームズ・ブラックです』
『娘がご迷惑をおかけしました。お詫びと申しては何ですが、宜しければコーヒーでもご一緒に如何ですか?』

 ルイスの有り難い申し出に、けれどジェームズは申し訳なさそうに首を振った。

『生憎、急ぎの用がありまして。ご厚意だけ有り難く頂戴しておきます』
『そうですか、それは残念ですね』

 父親のスーツの裾を掴んだ少女がつまらなさそうに口を曲げるのへ、ジェームズは申し訳なさそうに苦笑を向け、その場を後にした。

 今は大事な作戦の最中だ。
 あの科学者を確保できればかなりの情報をつかむことができるだろう。
 そうすれば、長年追い続けてきた奴らの尻尾をきっと掴むことができる。

 足早に目的地へと向かうジェームズは、だから気付かなかった。
 親子の口元が、ニィ、と歪んだことに。





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