花も嵐も踏み越えろ






chapter 04 - 2 : 自己満足

















『奴の動きはどうだ?』

 約束の時間ギリギリになって現れた上司に、気を張りつめていた捜査員たちは一様に安堵した。
 今回の作戦が組織の連中に気付かれていないか、単独で探りに出ていた上司の安否がずっと気になっていたのだ。
 しかも、下手に警戒されては元も子もないからと、発信器や無線機の類は一切携帯しなかった彼との連絡手段は皆無で。

『ご無事で何よりです』
『ああ。あえて深入りは避けた』
『それで、奴らの反応は…?』

 ジェームズは難しい表情で押し黙った。
 それだけで捜査員たちもあまり状況が思わしくないのだと悟る。

『筒抜け、ということはない。だが、我々が動いていることは感づいているだろうな』
『そう、ですか…』

 やはり一筋縄ではいかない相手だ。
 どこかから情報が洩れているらしい、その事実は分かっているのに、現時点ではまだその「どこか」が特定できていない。
 セキュリティに穴があるのか、…人材に穴があるのか。
 だからこそ今回の作戦は少数精鋭で行い、しかもその作戦内容は本部にすら極秘で行っていた。

『それで、奴の足取りは掴めたのか?』
『それが…思ったよりも手強いようで…』

 仮にも組織に属していた人間だ。身の隠し方も心得ていて当然。
 だが、それが同じ組織の人間相手に通用するとは限らない。
 そうなれば折角の「情報」が葬られることになるだろう。
 …組織の、手で。

『とにかく、奴らより先に彼女を確保するんだ』

 組織に恐れを成したのか、それとも目先の利益に目が眩んだのか。
 組織から何らかの「情報」を持ち出した彼女は組織から抜け出し、今もその「情報」を手に彼らとFBIから逃げ続けている。
 ジェームズは組織の連中よりも先に彼女に接触し、身柄を保護する代わりに情報を渡してくれるよう取引するつもりだった。
 しかし、現状はあまりうまくいってない。

 彼女が警察機関に保護を頼まないのは、おそらくその腕を信用していないからか、或いは組織の力が警察機関の力を上回ると思っているから。
 そして、もしもそのどちらかが理由だったとすれば、彼女にこちらを信用させることは難しいだろう。
 そうなれば、たとえ接触できたところで彼女が大人しくこちらの保護を受けてくれるとは限らない。

(…力が。彼女の信用を得るだけの確かな力が、足りない…!)

 優秀な、このプロジェクトのために集められた、捜査員たち。
 それでも、まだ、足りない。
 社会の闇に巣くう悪を滅ぼすためには、その闇を知り悪を知る者が必要なのだ。
 だが、そうした人材は尽く組織に奪われ、或いは葬られてしまった。
 いったい、どうすれば…!

『ボス、お疲れでしょう?五分や十分で進展するわけでもありませんから、コーヒーでも飲んで少し休まれては?』
『いやしかし…』
『何かあればすぐに知らせますから』

 下手をすれば組織と接触するかも知れないと言う危険な任務に出ていた上司に、せめてコーヒーブレイクぐらいは、という部下たちの申し出を断り切れず、一杯ぐらいならばとジェームズは仮眠室へと足を向けた。
 確かに体は疲れていた。
 だが、それを言うなら彼らだとて同じことだ。

(…序でだから、彼らにもコーヒーを入れていってやろう)

 そうして仮眠室の扉を開けたジェームズは、室内に充満する芳しいコーヒーの香りに目を瞠った。
 見れば、テーブルの上には既に入れられたコーヒーがある。
 部下の誰かが用意しておいてくれたのか、そう思いかけて。


『――お疲れさまです』


 優雅に、堂々と。
 仮眠室に設けられたソファに腰掛ける――口髭を生やした紳士。

『き、みは…っ!』

 ここへ来る途中、不注意でぶつかってしまった少女の父親。
 確か名前はルイス・バーナードと言ったか。
 その彼が、なぜここにいるのか。
 驚きで声も出せないジェームズに、ルイスはにこりと人当たりの良い笑みを浮かべた。

『ですから、ご一緒にコーヒーでも、と思いまして』

 まさか、と嫌な予感とともに背筋を冷や汗が伝う。
 ここはFBIの対組織チームの拠点だ。
 そう易々と一般人が入れるものではない。
 そして、そんな場所へ誰にも気付かれることなく侵入できる者が、一般人であるはずがなかった。
 まさか、既にFBIの拠点までもが組織に知られていたと言うのか。

 こちらの動揺を見て取ったルイスは、相変わらずの笑みのまま肩を竦めた。

『ご安心を、ミスター・ブラック。私は今貴方が思い浮かべている者たちではありません』
『!』
『とは言え――』

 全くの無関係とも、申し上げませんが。

 そう言った得体の知れない男の差し出したコーヒーを、ジェームズはとても受け取る気にはなれなかった。



* * *



 彼女にとって「そこ」は地獄だった。
 大好きな両親とたくさんの友人に囲まれた幸せな日々は、唐突に終わりを告げた。
 あの、獣のように獰猛で、氷のように冷たい目をした男が現れた瞬間に。
 人より優れた頭脳を持って生まれた彼女は、彼らの指定した大学へ通い、彼らの監視の元に積み上げられた紛い物の「平和な生活」を送る一方で、ある研究チームに携わっていた。
 そこで日夜行われる研究。
 初めは、それでも科学者のひとりだった彼女は研究に没頭した。
 けれど、ひとりまたひとりと研究員が消え、そして研究が進むに連れ、自分がどれ程恐ろしいことをしているのかに気が付いた。

 悪魔の業。
 それは、決して人の手にしていいものではなかった。
 そして、二十年以上もの長きに渡ってともに研究を続けてきた同僚の死をきっかけに、組織を抜けることを決意した。
 以来、ずっと機会を窺っていた。
 そして漸く組織の監視の目が緩んだ一瞬の隙をつき、これまでの研究データを一切合切持ち出してやったのだ。

 まだどこかにデータのコピーがあるかも知れない。
 そう時を置かずに他の科学者が研究を進めるかも知れない。
 けれど、ほんの少しでも時間が稼げたなら、組織の企みを引き延ばすことができる。
 そうすれば。
 親友の命を、そしてその娘の命さえも奪ったあの憎い毒薬の犠牲者を、少しでも減らすことができるのだ…!

『…エレーナ…』

 ぽつりと、思わず洩れた呟きに。

『――ミス・モニカ』

 声が返り、彼女は心臓が止まるほど驚いた。

『え……し、ほちゃん…?』

 目の前に佇む少女を、彼女――モニカは信じられないものでも見るように凝視した。
 それもそのはずだ。
 なぜなら少女は、死んだと思っていた親友の娘にそっくりだったのだ。
 その、十年ほど前の姿に。

『あなた、まさか…っ!』
 あの、薬を飲んだの!?

 驚愕するモニカには何も答えず、少女はそっと右手で自分の顎を掴んだ。
 そして、次の瞬間。
 そこにいたのは茶髪の少女ではなく、漆黒の髪に蒼い瞳をした小柄な少年だった。
 声も出せずに困惑するモニカへ、少年は静かに頭を下げた。

『驚かせてすみませんでした。ですが、どうしても確認≠オておきたかったんです』
『確、認…?確認って、何を…』

『貴方という、人を』

 その、見た目と釣り合わない大人びた言葉と眼差しに、モニカは理由もなく息を呑んだ。

『僕にとってもこれは賭けだったんです。でも、貴方が願った通りの方でよかった』
『そんなこと言われても…君は、いったい?』

 おそらく東洋人だろうと思わせる顔。
 けれど、その蒼い瞳はどこか欧州を思い起こさせる。
 そしてその口から紡がれるのは流暢なクイーンズイングリッシュだ。
 幼い頃からイギリスで育ってきた彼女が聞き間違えるはずがない。

 状況が掴めず戸惑うモニカに、少年はにっ、と笑った。
 悪戯を企む子供のそれとはとても思えない、狡猾な大人のような表情。

『僕が誰かは、貴方が決めて下さい』

 その目に、声に。釘付けになる。

『僕は貴方を助け導く者でもあり、貴方を危険に陥れる者でもある。
 それでもいいと、貴方が望まれるなら。
 ――組織から貴方を護るナイトにでもなりますよ』

 その言葉を無条件で信じたいと思わせるだけの力が、その子供にはあった。





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