花も嵐も踏み越えろ
chapter 04 - 3 : 自己満足
『君は、彼らを知っているのか…?』
懐に持つ拳銃にこそ手は付けないものの、ジェームズは警戒するようにルイスと距離を置いていた。
ルイスもそれに気を悪くすることなく、受け取られなかったコーヒーに自ら口をつけた。
まさか薬の類でも仕込まれているのでは、と疑っていたジェームズだが、どうやらそうではないらしい。
とは言え、それで信用する浅慮は、FBIにはひとりもいないが。
ジェームズの問いかけに、ルイスはまるで世間話でもしているかのような軽さで頷いた。
『知ってますよ。それも、あなた方よりずっと詳しく、ね』
『!』
FBIよりも詳しく、だと…!?
ジェームズの表情が厳しくしかめられた。
長年組織を追い続けてきたFBIには、彼らに関わる資料がごまんとある。
逆に言えば、そのごまんとある資料を以てしても、彼らの逮捕に踏み出せずにいるのだが。
しかし、仮にその何十年という間に積み上げられてきた資料を上回る情報を、この男が持っているとするなら。
その情報は、いったいどこから手にしたものだと言うのか。
『…つまり、君は我々と取引に来たのかな?』
目の前で繰り広げられる「情報」を素早く整理し分析した結果、ジェームズが出した答えに、ルイスは満足そうに笑った。
『いえ。正確には、貴方と取引に来たのです』
『私と?』
『私たちは自分たちの存在を多くの方に知られることを好みません。たとえそれが、敵を同じくする同志だとしても』
『私たち、だと?じゃあ、まさか…っ!』
ルイスを見た時から気に掛かっていたことだ。
もし彼が組織と何らかの関わりを持った男だとして、では、昼間彼とともにいたあの幼い少女は誰なのか。
彼の娘と呼ばれていたあの少女は…
『――そう。僕もまた、奴らを潰すために日常を捨てた愚かな戦士ですよ』
はっ、と振り返れば、いつからそこにいたのか、金髪碧眼の少女アイリーンが立っていた。
…あの時とはまるで違う、幼さも愛らしさの欠片もない苛烈な双眸で。
『き、君は…女の子じゃないのか?』
その少し高めの声に反して、少女とは思えない、いやむしろ子供とは思えない強い口調。
すると少女は口角を持ち上げて凶悪に微笑んだ。
その表情に、ジェームズはふと既視感を感じた。
何かを企んでいるような、そしてその企みが成功して喜んでいるような。
『これは失礼しました。奴らの目を欺くためとは言え、貴方の前でいつまでもこの姿でいるわけにはいきませんね』
そうして少女が顎に手を掛け偽りの仮面を剥いだ時、ジェームズの目は驚愕に見開かれていた。
『君は、コナン君!?』
「お久しぶりです、ミスター・ジェームズ・ブラック」
それは、かつて日本で同じように行われていた極秘プロジェクトの際、FBIに多大な貢献をした少年――江戸川コナンだった。
その子供は、確かに組織と関わりを持っていた。
組織が狙っているらしい女性と瓜二つの少女の友人で、そして組織の女ベルモットにはクールガイ≠ニ呼ばれ、なぜか彼女に守られる存在。
毛利小五郎という有名な探偵の家に居候し、自らも探偵と名乗って。
子供とは思えない推理力で組織の企みを暴いてみせ、目を瞠る行動力で組織を追跡し、見事証人を保護してみせた。
確かに不思議な子供だった。
ただ者ではないとも思った。
それでも、彼を子供≠ニいう範疇から外して考えたことはなかった。
しかし…
クイーンズイングリッシュから日本語への鮮やかな切り替え。
コナンに合わせて日本語に切り替えたジェームズでも、これほど見事な言語の切り替えはできない。
そしておそらく、これほど鮮烈な気配を持ちながら、周囲を欺き隠し続けることもできないだろう。
今になって初めて、これまで見てきた彼が紛い物であったことに気付く。
ジェームズは初めて、彼を子供としてではなく江戸川コナン≠ニいう人間として見ていた。
「なぜ君がアメリカに?」
「貴方と同じ理由ですよ。組織を抜け出そうとしている科学者ジュリア・オーウェン、コードネームモニカ≠フ保護と、彼女の持つ情報を手に入れるためです」
「…その情報は、どこで?」
するとコナンはふっ、と笑った。
「ジェームズさん。ニュースソースを明かせないのはお互い様でしょう?僕らはまだ、お互いに信用を勝ち得ていない」
こつこつと靴音を響かせながらコナンはルイスの元へ歩み寄る。
そんな仕草ひとつも子供のものには見えなくて、ジェームズは目の前の奇妙な生き物を見定めるようにじっと見つめた。
「僕らの望みはただひとつ。組織壊滅。そのために、あなた方の力をお借りしたい」
そう言った子供のあまりに真剣な瞳に呑まれ、危うく従いたくなる本能を理性で必死に押さえつけたジェームズは、からからに乾いた喉に唾を嚥下した。
「なぜ君は彼らをそこまで…?そもそも、幼い君がなぜ組織なんかと関わることに…」
「…仕方ありませんね。まあ、何の情報もなしに手を組めるはずもありませんし、いいでしょう」
ですが、とコナンは一度目を閉じて。
「僕らに関することは一切明かせません」
「しかしっ」
「いずれ時期がくればお話しできるでしょう。ですが今はまだその時ではありません。僕らが抱える秘密は、僕らや貴方どころか、世界を滅ぼしかねない危険なものなんです」
「せ、世界を!?」
確かに組織は世界に蔓延る社会の膿だが、しかしそこまで言い切る秘密が何なのか、ジェームズには想像もつかなかった。
「僕らは、ひとつは情報≠ニいう力を持っています。この点では、あなた方が持つ力をかなり上回ると言っていいでしょう」
「…その情報がどういうものか、それさえ明かせないと?」
「そうですね。では、ひとつだけ…」
それは彼らが長年求め続けているもので、彼らの存在理由とも言うべきものである、ということだけ。
「な…っ」
それほどの情報を、いったいどこで…!
「そして今ひとつの力は――僕ら自身」
その目が、ギラリ、と煌めいた。
「ご存知の通り、僕は探偵です。捜し物は僕の得意分野なんですよ。そして彼は、人の目を欺くことにかけては天才的です」
それまで無言だったルイスが如何にも楽しそうに口元を歪めながら優雅に腰を折る。
どこか気障な仕草が、しかしこれ以上なく嵌っている。
「僕らは既にあなた方の捜し物を見つけ、隠しました」
ジェームズは絶句した。
捜し物――それは組織を抜け出した科学者、ジュリア・オーウェンに違いなかった。
まさか、彼女が既に保護されていたなど。
FBIはもちろん、今日まで探りに出ていた組織の連中でさえ気付いた素振りはなかったというのに。
「僕らと手を組むメリットは、ご理解頂けましたか?」
彼らに気付かれずに事を起こし、そしてそれを為し遂げる力。
それはまさしく、自分が求めていた力だった。
この社会の闇を知り、悪を知り。
そして滅ぼそうとする確かな意志。
「…君たちが有能なことは分かった。だが…」
肝心なことが抜けている。
彼らが組織の者ではないという絶対的確証と、信用に値する人物かどうかという確証。
それがなければ話にならなかった。
ジェームズは、FBIが組織に潜入捜査官を潜り込ませているように、彼らの仲間がこちらに潜り込まないよう常に警戒してきた。
まさか彼らがこれほどあからさまに怪しい子供を送り込むとは思えない。
しかし、絶対に敵ではありえないと言い切れる確証もない。
何より、そのコナンに当然のように従っているこのルイスという男は何なのか。
すると、ルイスはコナンの前へ一歩進み出た。
「ひとつ、教えて差し上げましょう」
こちらの口からも流暢な日本語が紡がれる。
コナンにしてもそうだが、もしコナンが変装していたようにこの青年も変装していたとしたら、正体どころか国籍さえ割り出すのは困難なのではないか、とジェームズは本気で背筋の凍る思いがした。
長年凶悪犯を追い続け、数多の犯罪者を暴いてきたこの自分が。
「私はphantom――この世に存在しないはずの幻影なのです」
「!」
この世に存在しないはずの、幻影。
それはつまり、かつて彼らに命を狙われ殺されかけた、と言うことか。
「そ、うか…漸く、納得できたよ」
組織に狙われ、平穏な生活を奪われた。
何とか死を逃れたとは言え、生きていると知られればまた命を狙われるのは必至。
普通の人なら、よくてFBIやICPOと言った警察機関に保護されるか、組織の影に怯えながら一生逃亡生活を送ることだろう。
だが、彼らには組織に噛み付くだけの鋭利な牙があった。
それならば、組織に私怨を抱くことにも頷ける。
「だが、コナン君。君には学校の友だちや毛利さんたちがいるだろう?その平穏な生活を擲ってまで、こんな危険なことに関わることはないんじゃないかね?」
「貴方が今言った人たちの平穏を守るためです」
「しかし…何も君のような子供が…」
コナンはくす、と苦笑を漏らした。
「いいんですよ。僕も彼も、誰かに感謝されたくてやってるわけじゃない。ただ失いたくないから、全力で守る」
所詮は自己満足です。
そう言ったコナンの顔はひどく大人びていて、ジェームズは胸がつきりと痛む思いがした。
まだこんなにも幼い子供なのに。
たとえどれ程大人びていようと、頭脳が優れていようと、まだ十にも満たない子供だと言うのに。
誰かを守ることの優しさと切なさを彼は知っているのだ。
なんて…哀しい子供だろう。
「…それは何とも、逞しいな」
不安がないと言えば嘘になる。
組織を潰したい、その思いに偽りはなくとも、もしかしたら彼らに利用されるだけかも知れない。
しかし、それ以上の期待と充足をジェームズは感じていた。
今までにない新たな戦う力≠手に入れた昂揚感。
組織に対抗し得る、確かな戦力。
そして何より、彼らという強い味方を得られたことが、自分でも可笑しいくらいに頼もしく思えた。
ならば、利用されてみるのもまた一興。
いいだろう、とジェームズは迷いの吹っ切れた眼差しでコナンを見た。
「君たちふたりを信じよう。そして改めて、こちらから協力をお願いしたい」
「ありがとうございます」
差し出した手を、コナンも迷いなく握った。
* * *
「phantom、ね…おまえ、ほんと口がうまいよな」
「別に嘘は言ってねーもん」
けけ、と笑う男をコナンは呆れたような目で、それでも頼もしそうに見遣った。
あの場でああ言えば、十中八九相手が勘違いすると分かっての発言だろうことはコナンも気付いていた。
けれど、あえて何も言わなかった。
彼がキッドを「組織に殺された人物」と勘違いしていてくれれば、下手に彼の正体を暴かれることもないだろう。
おかげで当初の予定通り、こちらの秘密はほぼ明かさずに駒≠手に入れることができた。
「世界を滅ぼす秘密、か…」
キッドの呟きにコナンはふと息を吐いた。
コナンの体を縮めた毒薬も、キッドの命を奪った宝石も。
人の見果てぬ夢が創り出した、決して手にしてはならない幻想だ。
それを手にした時、人はこの世に生きる生命であることを放棄することになるだろう。
それを世界の終わりと呼ばずして、なんと呼ぶのか。
「絶対、ぶっ壊してやろうぜ?」
「…ああ」
そうだな、と言って笑ってくれる、自分の半身のような男。
彼がいるなら、たとえ世界中の誰が分かってくれなくてもいい。
それが、俺たちが自分で選んだ道なのだから。
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