Pirates of the Caribbean















 ポートロイヤル港の海岸沿いから下町へと続く橋の下。
 朝の日差しが照りつける中、その影に隠れてあたりを窺う怪しい二人組がいる。
 快斗と新一である。
 脇腹に重症を負っているはずだというのに、新一は少しもそんな素振りは見せない。
 改めて海賊というものに感心してしまう快斗だった。

 まだ朝も明けたばかりだというのに、港には兵士たちが大勢出歩いている。
 いつもなら静かなこの時間が騒がしくなっているのは、昨夜襲ってきた海賊を追いかけるため、そして他でもない彼らのせいであった。

 時間が経てば牢屋の見張りの兵士たちの交代時間がくる。
 その時に眠らされている見張りがいれば、さらにその牢屋に捕えたはずの海賊の姿が見あたらなければ騒ぎになるのも当然と言えよう。
 その忙しなく駆け回る兵士から巧みに身を隠しながら快斗が尋ねた。


「これからどうする?」


 新一が顔だけを振り向かせ、口角を持ち上げて海を指さす。
 風の程良く吹き抜ける海面は波がさざめき、そこには船が数隻たゆたっている。
 中でも大きな船は二隻あり、新一はその二隻のうちのやや小型の船を指し示していた。
 このポートロイヤルでは最速を誇る“インターセプター号”である。


「あの船を盗るって?」
「バーロ、“盗る”んじゃねぇ。“頂戴する”んだ。」
「…どう違うわけ?」
「まぁ、やってることは変わらないけどな。業界用語だ、覚えとけ。」


 妙な拘りがあるらしく、強く念押しする新一に快斗は呆れながらも頷いた。


「でも、あの船には白馬が乗ってるぜ。ふたりで“頂戴”できるのか?」


 確かに、あの巨大な船には少なくとも三十人は乗組員がいるだろう。
 快斗も新一も規格外の強さではあるが狭い船の上で船に傷を付けずに奪うのは一苦労、しかも新一は平然としているが腹に傷を抱えた身だ。
 さすがの快斗もひとりで三十人を相手に楽勝する自信はなかった。

 これからの船旅にはしっかりとした船が必要だからあのインターセプター号を頂戴しようと思った新一だが、確かに快斗の言う通りだと、顎に指をかけると黙り込んでしまった。
 が、思いがけない第三者の登場でその壁も突破出来ることになる。


「あら、降りてもらえば良いんじゃない?」


 快斗と新一はその声に心臓が飛び跳ねるほどに驚き、そして振り返った。
 何事もなかったかのように背後に佇み悠然と微笑んでいるのは――総督のひとり娘、志保である。


「提督が邪魔なら降りてもらって、それから“頂戴”すれば良いのよ。」
「し、志保ちゃん…」
「なに?」
「…いつからいたんだ。」


 全く、全然、新一も快斗も気配を感じなかった。
 兵士達の走り回る中で警戒しているにも拘わらず、である。
 けれど志保はただ笑うだけで、ふたりは改めて彼女がただ者でないと悟ったのだった。


「とにかく、昨日は有り難う。ろくにお礼も言えなくてごめんなさい。」
「いや、礼を言われるようなことじゃない。別に助けたってわけでもないしさ。」


 きっちりと非礼を詫びる志保に、新一は曖昧に笑って返した。
 ジンに気を取られて彼女を助けたことすら忘れていた新一なのだ、礼を言われても困ってしまう。
 けれど志保は、たとえ不可抗力だとしても助けられたことに違いはないと話を進めた。


「貴方たち、あの船が欲しいんでしょ?」
「え?そりゃ、まぁ…。」
「だったら乗ってみる?私の案に。」


 そう言って微笑う志保に、快斗はなぜか嫌なものを感じた。
 長い付き合いで、こういう笑顔を浮かべる時の志保は大抵ろくなことを言い出さないと知っているからである。
 だが付き合いの浅い新一でさえ何か感じるところはあるようだった。
 顔をしかめて聞くに聞けない様子である。


「…どんな案?」


 快斗が仕方なく先を促すと……


「私を囮に使うのよ。」










* * *


 海賊船ブラックパール号に港を襲撃された翌日、白馬は逃げた海賊を追うため部下たちにインターセプター号とドーントレス号の準備を命じていた。
 白馬の乗るこのインターセプター号はポートロイヤルでは最速を誇る軍艦である。
 ブラックパール号を捕獲するにはこの船を置いて他にない。
 それと同時に、白馬は昨夜捕えた海賊の仲間と思しき男の捜索も行っていた。
 本来なら捕えられた海賊はその翌日には公開処刑に処されるのが通常である。
 だが港の襲われた今となってはそうも言ってられないし、しかも気付けばその男も脱獄していたのだ。
 この港の提督である白馬としては頭の痛い話である。
 そして男の捜索とブラックパール号の追跡の準備を同時進行させられるハメになった白馬だったが、


「て、提督、大変です!」


 という部下の台詞によってそれも中断されてしまった。


「どうしたんです。」


 見れば、単眼望遠鏡を覗いていた部下がだらしなくぽかんと口を開けている。
 確か彼には港に異常がないか注意していろと命じたはずで、白馬は怪訝に思いながらも彼の見つめている方角を見遣った。
 そこには準備中のドーントレス号が浮かんでいるだけで特に異常は見られない。
 そう思って部下を問いただそうとした白馬は、けれどドーントレス号の前に点在して浮かんでいる小舟に目を留めた。
 確か先ほどまではなかったはずである。
 目を懲らそうとする白馬に、開いた口の塞がらない部下は望遠鏡を差し出した。
 白馬は無言でそれを受け取って覗き込み……


「…中尉は何をやっているんだ?」


 波間にたゆたっていた小舟にはドーントレス号を任せていた中尉、そして部下たちが乗り込んでいた。
 まったく、急いでいるというのに何をやっているのか。
 白馬は呆れたような声を上げたが、レンズの向こうで中尉が必死にドーントレス号を指し示していることに気付いて望遠鏡をそちらへと向けた時、思わず驚愕し叫んでいた。


「あれは、志保さんと海賊!?それに、鍛治屋…!」


 そう、ドーントレス号に乗っていたのは脱獄した海賊と、その海賊に銃を突きつけられている志保、そして海賊の脱獄を助けた容疑で捜索中の鍛治屋だった。
 ドーントレス号の準備を行っていた中尉たちを志保を人質として下ろし、海賊が志保の見張りを、鍛治屋が出航準備をしている。

 夜明け前、警備の交代に来た警備兵が眠らされている警備兵を発見し、海賊が脱獄したことにはすぐに気付いた。
 ところがその警備兵を起こして事情を聞いたところ、誰かに突然眠らされて鍵を奪われたのだと言う。
 その時白馬はすぐに鍛治屋――快斗の仕業だと気付いた。
 海賊の存在を知り、尚かつ脱獄に手を貸す人物と言えば快斗しかいない。
 案の定店に行ってみれば容疑者どころかその養父ですら姿を消しており、白馬は海賊と同時に快斗の行方も捜索させていたのだが……

 銃を突きつけられても叫び声はおろか毅然とした表情を崩しもしない志保。
 その姿を見て、白馬は己の失態に激しく舌打ちした。


「急いでインターセプター号をドーントレス号の横につけなさい!総督のご令嬢が人質に取られています!」


 白馬は部下たちに素早く命じると、大急ぎでインターセプター号をドーントレス号へと近づけていった。





「すげぇ…ほんとに来やがった…」

 あいつら、馬鹿?


 そう言った新一の腕の中におさまりながら、志保は苦笑を噛み殺した。
 確かにこんな見るからに「罠です」と言っているようなところへ突っ込んでくるようでは、そう言われてもも否定できないだろう。


「良い?インターセプター号が横付けされるまで貴方は私を人質にして彼らを誘い込むの。」
「あぁ、判ってる。」
「黒羽君、舵は壊したわね?」
「もちろん。ついでにオールも全部折っといた♪」
「そう。それじゃ、後は船がついたら隠れて乗り移って、渡船用のロープを全部切り離せば良いわ。」


 志保のてきぱきとした指示にふたりはこくりと頷いた。
 なんとも大胆でなんとも巧妙で、なんとも常軌を逸した作戦。
 要は総督令嬢を人質に、準備万端整ったインターセプター号が救出に来たところでそれを奪い、しかも追跡されないようドーントレス号を壊して逃げようという算段だ。


「…総督令嬢って柄じゃねぇな。」


 令嬢が率先して海賊を逃がすなど、ばれれば彼女自身どうなることか。
 まさに犯罪すれすれの行為に嘆息する新一だったが、志保はほんの少し体を捩って新一を振り仰ぐと、にっこりと人の悪い笑みを浮かべながら言うのだ。


「もともと柄じゃないのよ。それにいい加減コルセットも窮屈だし。だから――私も一緒に行くわ。」
「「えっ」」


 驚愕するふたりに志保は譲らないとばかりに続ける。


「黒羽君、私は貴方に毎日のように海へ出たいと聞かされ続けたのよ。貴方の言う無限の世界に私が惹かれてもおかしくないでしょう。
 それに貴方の探していた海賊さんがこんな、無血海賊のクセに自分の血なら流れるのも構わないなんて無鉄砲な人だと……放っておけないでしょ?」


 志保はじわりと服にまで血が染みてきている新一の腹を一瞥する。
 確かにこの海賊は噂通り流血を嫌う、法や常識に縛られずに海を自由に渡り歩く男なのだと思う。
 だが敵対する者たちが必ずしもそうだとは限らない。
 海賊とは所詮血生臭い荒くれ者の代名詞のようなものなのだから、新一のような男の方が特殊なのだ。
 そうなれば無血の信念を貫こうとする新一は非常に不利となる。昨夜の件が良い例だ。
 この男は放っておけばいつか必ずあんな形で呆気なく死んでしまう。
 それは嫌だと、志保にしては珍しく父親と快斗以外の人間に執着を持っていた。

 対する新一は複雑そうな表情のまま押し黙っていたが、やがて世界の海を知る大物海賊らしい顔で笑うと。


「…確かにお前ら、はみ出し者だな。」


 まるでできの悪い妹にするみたいに志保の頭をぽんと叩いた。
 いつもの彼女なら冷ややかな一瞥くらい投げていそうなものだが、その手の予想外の暖かさに言葉をなくし、不機嫌そうに眉を寄せながらぷいとそっぽを向いてしまった。
 それが彼女の照れ隠しだと知る快斗だけが楽しそうに笑みを浮かべる。

 やがて迫ってきたインターセプター号に、それぞれの表情が引き締められた。





 白馬はインターセプター号を猛スピードでドーントレス号に横付けすると、一斉に乗り移るよう部下たちに指令を出した。
 船のマストに括り付けられたロープにしがみつき、剣を腰に差した兵士たちが次々とドーントレス号へと飛び込んでいく。
 指揮官である白馬も渡り板を出すと直ぐさま乗り込んだ。


「海賊、鍛治屋!ご令嬢をどこへやった!」


 士気も荒く船内を駆け回るが誰の姿も見あたらない。


「どこかに隠れているはずです!くまなく捜しなさい!」


 海賊の脱獄を見過ごしたばかりか総督令嬢まで人質に取られるとは。
 言い訳のしようもない失態と志保の安全確保に躍起になっていた白馬は、その時またもや犯していた己のミスに気付かなかった。
 インターセプター号には今や船員は誰も居ない。
 こっそりと、まるで猫のように静かにインターセプター号へと乗り移った三人の姿など、少しも目に入らなかった。
 数多くある船室のひとつひとつを探し回っていた白馬は、やがて甲板から聞こえてきた部下の叫び声に慌てて甲板へと上がった。

 どうしました、そう問う暇もなく現状に絶句してしまう。
 自分たちが乗ってきたはずのインターセプター号がどんどん遠ざかっていくではないか。


「な…っ」


 やっと声にできた声も虚しく、ぷらぷらと垂れ下がっているロープの切れ端が風に揺れていた。
 渡り板も海へと落とされゆらゆらと波に浮かんでいる。
 白馬は漸く理解した。
 彼らの目的は初めからこの重厚なドーントレス号ではなくあのインターセプター号だったのだと。
 この港で最速のインターセプター号で逃げられては追いつけるはずがない。


「…っすぐに追いかけなさい!」


 とは言え当然諦められるはずもなく白馬は部下に追跡命令を出すが、またも部下から呆けたような報告が入った。


「提督、舵がありません…」
「…何です?」
「ですから、舵が壊されていてないんです。」
「提督、船底のオールも全て折られています!」


 そこで初めて、白馬は追跡する手段すら奪われていることに気付いた。


「――なんてことだ!」


 船が遠ざかっていく。
 船上に佇む三人の姿はまだ肉眼ではっきりと見える近さだ。
 だと言うのに、白馬にはその彼らを追いかける手段がない。
 海に飛び込んでみたところで、加速していくインターセプター号に追いつけるはずもないのだ。
 しかも鍛治屋は憎たらしくも満足げな、それでいて悪戯な笑みを浮かべているではないか。
 白馬は激昂し、叫んでいた。


「――鍛治屋!貴様、この虚け者!これで貴様も反逆者だぞ!」
「反逆者?別に構わねぇよ。だって俺、海賊だもん!」
「海賊だと!?この…っ、総督に贔屓にして頂いたご恩も忘れ、ご令嬢に手を出すとは!」


 その顔には相変わらず怯む様子は少しも見られないが、志保は舵を取る海賊と鍛治屋の間に挟まれて佇んでいる。
 白馬は提督である以前に志保に求婚しているひとりの男だ。その相手が攫われたとあっては憎しみも人一倍である。
 志保を攫った鍛治屋を憎悪の瞳で睨み付けるが、ひょいと肩を竦める隣で志保が身を乗り出した。
 白馬は咄嗟に内心では怯えているかも知れない志保を安心させようと、声を張り上げるために息を吸い込むが……


「白馬提督。悪いけど、私も海賊になるの。」
「――はっ!?」


 そう言った志保が艶然と微笑んでいる。
 いつだったか初めて逢った催しで、提督である白馬を一瞬で虜にした微笑だ。
 だが今の白馬はそれに見惚れている余裕など少しもなかった。
 信じられない言葉を聞いた。もしかしたら幻聴かも知れない。
 だが同じように驚愕している船員たちを見て、白馬はそれが幻聴ではないと思い知る。


「毎日黒羽君と手合わせしていたから、腕も良いのよ。」


 志保は拘束されるどころか自由に船内を歩き回り、そうして自らその豪奢なドレスを脱ぎ捨てるのだ。
 鍛治屋が放った剣を軽々と掴み取り、煌びやかな装飾の施されたそれを切り裂く。
 ドレスの下に着ていたのだろうか、白のシャツにワインレッドのパンツ、腰には帯を、そしてブーツを履いていた。
 志保は無惨にも破られたドレスに楽しげな笑みを向け、赤茶のさらさらの髪を取り出したバンダナでくるりと覆い……


「着飾るだけのご令嬢なんてつまらないわ。お父様には御免なさいと伝えておいて。
 ――ご機嫌よう。」


 鍛治屋と志保が楽しげに笑いながら手を振っている。
 その奧で舵を取る海賊は終始背中を見せていたが、彼もまた悪戯な笑みを浮かべているのは言うまでもない。

 やがて肉眼で認識するのが難しくなっても、白馬はなかなか動くことができなかった。





BACK TOP NEXT

……何ヶ月ぶりの更新でしょうか?滝汗
なんとなく海賊気分が盛り上がったので(どんな気分だ)続きをアップ。
お待たせしました。
なんだか志保ちゃんが快斗と新一を追い抜いて格好いい人になってしまいました(笑)
「着飾るだけ云々」を言わせたかった…!
格好いい女はイイ。