ある日の警視庁。
 警視庁のアイドル佐藤美和子は、とある人物の後ろ姿を眺めながらぽつりと呟いた。

「工藤君って、恋人とかいないのかしら?」
「えっ!!?」

 その呟きを耳ざとく聞きつけて、高木刑事は目を大きく見開く。
 なぜそんなことを!?と言った様子である。
 密かな(バレバレではあるが)恋心を抱いている佐藤刑事が、日本警察の救世主とまで言われる高校生探偵の恋人を気にするなんて、それは、つまり…?

「だって顔良し頭良し性格良しの三拍子揃った美人でしょ?モテそうじゃない。」
「はぁ…確かにそうですけど…」

 高木はこっそり胸を撫で下ろした。
 どうやら救世主を恋敵にまわしたわけではないらしい。
 高木も、警察に送られて帰ろうとしている新一の後ろ姿を眺めた。

「そう言えば、そんな話、全然聞きませんね。」
「でしょ?」
「以前は蘭さんとそんな雰囲気かなぁ?と思ったんですけど…」
「なーんか彼女とは、恋人って言うより家族的よね?」
「そうですねぇ。」

 今日も今日とて現場に呼び出しをくらった件の名探偵。
 警察が頭を抱えていたはずの難事件も、彼にかかれば即・解決である。
 彼に言い当てられた犯人は素直に犯行を認め、謝りながら犯行を悔い……
 逆恨みの罵倒ぐらい吐いて行きそうなものだが、罵倒どころか礼を言って立ち去ったのだった。
 警視庁に戻り事情聴取を受け、一段落がついたところで漸く事件から解放された新一は、千葉刑事の運転する車に乗って帰っていった。

「……由美って、こういう話題好きそうよね。」
「は!?」

 その不穏な呟きに、情けない声を挙げた高木。
 佐藤はにっこりと微笑んで、高木の肩をがっしりと掴むと、

「面白そうじゃない、名探偵の恋人調査!!」

 こうして高木刑事は必然的に(というか惚れた弱みで)、名探偵恋人調査団の一員とされてしまったのだった。










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名探偵の恋愛事情 その1 高木渉の災難編
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 なぜか人の恋路に首を突っ込むのが大好きな、警視庁交通課の由美。
 彼女がこんなオイシイ話題に乗らないはずもなく。

「任せて、美和子!!」

 目の前でがっちりと交わされる握手に、高木刑事は引きつった笑みを浮かべた。
 何かと事件に忙しい一課では難しいと判断し、佐藤は名探偵恋人調査団の責任者(笑)として由美を抜選したのである。
 そんなわけで彼女と熱い握手を交わしたのだったが…

「それにしても、こんな捜査によく人数集めたわね、こんなにも。」

 まあ一種の遊び心だから構わないけれど。
 由美の手の中にある一枚の紙切れには、小さな文字でズラリと並んだ…名前。
 そこには顔見知りの警察官たちのものがたくさんあった。
 もちろん、佐藤と高木の名前もばっちり載っている。

「それがねぇ、別に無理に集めたわけじゃないんだけど、気付いたらこんな大人数になってて。最初は高木君と話してただけなんだけど、いつの間にか広まっちゃったのよ。」
「まあ工藤君って警視庁のアイドルだからv」

 皆さん、件の名探偵の恋人という者に興味があるらしい。
 もちろん警視庁のデータや機能を不正に使用したりはしない。
 あくまで内密に、こっそりと、恋人調査を行うのであった。
 いくらなんでも警察はそこまで暇ではない。

「まずは本人に誘導尋問かしら?」
「うーん…相手はあの工藤君よ、そう簡単にいくと思う?」
「そうね、下手に改まって聞くと警戒させちゃうかも。」
「さりげなく吐かせなくちゃ…」

 まるで、強盗犯に盗品をどこへやったのか尋問する、といった様子である。
 と、そこへ体よく現われたのは、一課の頼れる上司、目暮警部である。
 その場にいた者は一気に刑事の顔へと戻り……

「二丁目の角で事件発生だ!急を要する、我々だけでは時間がないかも知れんので工藤君を呼びだしてくれ!!」

 その台詞に瞳を輝かせ、佐藤ははい!と頷いた。
 くるりと高木へと向き直る。
 ……その顔は、先ほどの刑事の顔とはかけ離れていた(笑)。
 思わず顔を引きつらせた高木に遠慮なく。

「それじゃ高木君、工藤君を迎えに行ってちょうだい!」
「頼んだわね!」

 ナニを頼んでるんですか!と言う心の叫びは誰にも聞かれず、高木は情けない顔で車へと向かうのだった。





 無事工藤邸にて新一を捕まえることに成功した高木は、ホッとしたような残念なような…複雑な心境だった。
 捕まえることが出来なかったら色々と言い訳も出来るが、捕まえてしまったからには尋問しなくてはならない。
 けれど相手は稀代の名探偵、平静のシャーロック・ホームズである。
 一介の巡査部長が太刀打ちできる相手ではない。
 高木は妙に緊張しながら、取り敢えずは当たり障りのない台詞で会話を繋いだ。

「いつも悪いね、工藤君…その、昨日も来てもらったばかりだって言うのに。」
「構いませんよ。事件は待ってくれませんから。」

 何を考えているのか、新一の顔が困ったような苦笑になった。
 それからすぐに視線を下げて、携帯に何やら打ち込んでいるのがバックミラー越し見えた。
 それを見て、高木はピン、とあることに気付いた。
 新一は誰かにメールを打っている。
 着信が鳴ったわけではないから、こちらから送ると言うこと。
 この状況下でメールを送らなければならない相手とは……つまり……
 高木はおそるおそる口を開いた。

「も、もしかして誰かと予定でもあったんじゃないのかい?」
「あ……いえ、これはそんなじゃないですよ。」

 高木の発言が自分の携帯を見てだと気付いた新一は、照れくさそうに苦笑して携帯をポケットに仕舞ってしまう。
 その笑顔は普段自分たちに向けられるものとは違い、もっとずっとやわらかく……
 ……高木はなんとなく確信した。
 おそらく、恋人にメールを送っていたのだろう。
 そしておそらく、その恋人との約束があったのだろう、と。
 これ以上深く突っ込むのは、予定を潰してしまった所為もあって申し訳なくなり、その後は事件の話題で現場までの時間を潰した。





「警部、工藤君を連れてきました!」

 とある一戸建ての家の前、張られた黄色のテープを潜り、高木は警部のもとへと駆け足で向かった。
 その後を新一も駆け足でついてくる。

「ああ、すまんな、工藤君。」
「いえ、それはもう高木刑事から聞きましたから。」

 それよりも事件の方を……と、すでに推理モードに入りかけている新一を横目で見ていると、くいっと袖を引かれた。
 手の主は佐藤で、事件概要などを話している警部たちから少し距離をおく位置まで引かれるままに歩く。
 何を聞きたいのか分かり切っている高木は大人しく引かれながら、

「佐藤さん、拙いですよ…まだ捜査中ですし…」
「何言ってんの、高木君が工藤君を迎えに行ってる間に現場検証なんか済んじゃったわよ。今は結果待ちだし、私達は何もすることがないわ。」

 工藤君が何か新たな発見をしてくれるまでね。
 そう言って肩を竦めた佐藤に、高木はガックリと肩を落とす。
 由美のことをなんだかんだと言うけれど、この人もこういう話題は結構好きだよなぁ…と。

「で、何かわかった?」
「はぁ…恋人かどうかわかりませんけど、誰かと約束があったみたいですよ、工藤君。」
「本当!?」
「はい、気にしないでくれって言われましたけど。」

 恋人だろうなぁとは思ったが、高木は敢えてそこは言わなかった。
 …警察のために約束を放ってまで来てくれた名探偵に悪い気がして。
 佐藤は素早く携帯を取り出すと、素早くメールを打ち始める。
 誰にとは聞かなくてもわかる気がした。

「……由美さんですか?」
「そうよ、責任者には伝えておかないとね!」

 高木は再び引きつった笑みを浮かべたが、佐藤は構わずメールを送信する。
 と、何か進展があったらしい警部から声がかかった。
 一瞬にして刑事の顔に戻った佐藤は直ぐさま指示に従い動き出し、高木も遅れながらも捜査へとかかる。
 何か気になることがあるらしい新一によって関係者が集められ、警察の指示のもとにいくつか質問がされ始め。
 それをただ黙ってじっと聞いている新一を高木も佐藤もじっと眺めた。
 やがて犯人がわかったらしい新一の指示で、トリックの再現の準備に向かう。
 準備が終わったところで警察共々一室に集められ、名探偵と名高い工藤新一の推理が始まった。
 凛とした立ち姿でその場にいる者を圧倒する。
 警部や被疑者の間から上がる疑問の声にも流暢に答えていく。
 なかなか犯行を認めようとはしない犯人に、有無を言わさぬ証拠を突きつけ、見事犯人を挙げてしまった。
 その巧みな弁論術と、非の打ち所のない推理力に呑み込まれながら、こんな凄い人物の恋人とはどんな人だろうか、と考えた。
 以前は毛利蘭が恋人なのだとばかり思っていた。
 元警察官の探偵と弁護士の娘であり、顔良し性格良し、更には腕っ節まで見事である。
 新一が蘭を大事に大事にしているのは明らかだ。
 それは、彼が彼女に好意を寄せているからだと思っていたが。
 好意は好意でも、恋人に対するものというよりも、家族的なものが近いと知ったのは最近だ。
 一時期姿を眩ましていた彼は、帰ってきてから更に探偵としての能力に磨きがかけられていた。
 そして、人間としても更に奥の深い人になったような気がする。
 一言で言うなら、“変わった”のである。
 そしてそれは彼女に対しても同じであり、以前よりずっと優しい暖かい目で彼女を見守っている。
 まるで妹や娘に対する、兄や父親のように。
 幼馴染みであり、両親を除く誰より彼という人を理解していると思っていた蘭でさえなれなかった、恋人。
 どんなに事件で呼び出しても、警察が彼を頼ろうと、笑って構いませんよと答える人に。
 見たこともない、優しくやわらかな笑みを、させる人。

(……なんだかんだで、僕も気になるなぁ。)

 目暮と共に犯人は警視庁へと護送され、新一を自宅まで送るために高木はその場に残ることとなった。
 遠ざかるパトカーを新一に並びながら見送っていた高木に、佐藤の声が掛かる。

「ご苦労さま、高木君!」
「佐藤さん…佐藤さんの方こそ。」
「それから工藤君も、ご苦労様!」
「いえ、佐藤刑事たちの方がこの後も色々とありますし…」

 最後まで付き合えなくてすみません、と頭を下げた新一に、佐藤は慌てて手を振った。

「こっちこそ、約束あったらしいのに本当ごめんなさいね。」
「あぁ…大した約束じゃないから平気ですよ。」

 不意に、新一の携帯が鳴り出した。
 会話はそこで一旦途切れ、すいませんと言って新一が携帯に出る。
 佐藤と高木は、聞き耳を立てるでもなくその様子を見守っていた。

「もしもし。…ああ、終わったよ。大丈夫。……うん、送ってくれるらしいから。」

 そう言って新一は、お願いしますとばかりに高木にぺこりと頭を下げる。
 それにこくこくと頷いていると……

「……サンキュな。」

 ふわり、と。
 とても嬉しそうに、幸せそうに。
 携帯の向こうに居るだろう人を想って、微笑んだ。
 その、そんじょそこらの廃れた女子高生など足下にも及ばない、息を呑むほどの微笑みに。
 佐藤と高木は揃って瞠目し、次いで向き合って苦笑した。
 …電話の相手が恋人確定である。

「すみません、高木刑事……え?どうかしましたか?」

 電話を終えて向き直れば、何やら意味深な表情をしたふたり。
 小首を傾げて不思議がってる新一に、この人こんなに鈍かったっけ、とか思いながら。

「…なんでもないよ、それじゃ送って行こうか。」
「え?はぁ…お願いします。」
「お疲れさまぁ〜」
「佐藤刑事も、お疲れさまでした。」

 高木の車に乗り込んで、自宅へと向かう名探偵を眺めながら、佐藤はぽつりと呟いた。

「取り敢えず、恋人は居ることが判明したわね。」

 あんな笑顔、見たことないわよ。
 無意識にアテられてしまい、佐藤は愉しげに笑った。
 そして急いで携帯を取り出すと、名探偵恋人調査団の責任者へとメールを送るのだった。



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