「見ちゃった!見ちゃったのよ、高木君!!」
警視庁一課、刑事部。
そこでは怖い顔のオジさん達が顔をしかめモクモクと煙草を吸い……などという光景ではなく、容姿端麗な警視庁のアイドル佐藤美和子警部補にがっしりと肩を掴まれ、前後にガクガクと揺さぶられている哀れな高木渉巡査部長の姿があった。
彼女らしくない、主語をすっぱ抜いた説明だけでは高木に解るはずもない。
何がと問いたくても、今口を開けば当然のように舌を噛んでしまいそうでそれもままならなかった。
とにかく落ち着くのを待って……と思ってるうちに、あまりの振動に頭がクラクラしてきて……
そこで漸く彼女は高木の肩を解放した。
「さ、佐藤さん、どうしたんですか?」
「だからね、見ちゃったのよ!」
美和子は今、右手にぐっと拳を造り綺麗な目でギリギリと高木を睨んでいる。
実際はにこやかに笑っているのだが、時に美人の笑顔とは何よりも怖いモノである。
恐る恐ると言った体で額に冷や汗を掻きながら、一体何を見たのかと高木が尋ねると。
「そりゃあもちろん、工藤君の恋人よ!」
今日も警視庁は平和であった。
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名探偵の恋愛事情 その2 佐藤美和子の目撃証言編
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先日の現場にて、件の名探偵に無意識にアテられてしまった高木と佐藤。
携帯に掛かってきた電話に、それはそれは嬉しそうに対応していた彼の笑顔は強烈な印象だった。
まさに花も恥じらうなんとやらである。
とにかく、あれ以来すっかり“名探偵工藤新一には恋人が居る”と言う事実が浮き彫りにされたのだった。
「恋人を見たって…?」
「そーなのよ!昨日、事件の聞き込みで米花のデパートに行ってた時にね……」
まとも恐る恐ると口を開いた高木に、佐藤は嬉々として話し始めた。
その日佐藤は、先日から連続的に起こっているひったくり事件の聞き込みに出向いていた。
容疑者は一応確保されているが、証言の裏付けを取りに言っていたのだ。
午後も五時をまわった時間帯。
学校帰りの暇そうな学生で溢れかえっている。
同じ制服に同じ髪の色、髪型、靴に靴下にアクセサリー。
集団主義の日本では個性などないに等しく、皆一様に同じような恰好をしている。
そんな中、ハッと目を惹かれるような美少女がいた。
いや、少女と言うより女性と言った方が正しいかも知れない。
驚くほど整った顔立ちはどことなく異国風であり、とても落ち着いた物腰は、そんじょそこらの女子高生とはとても思えない。
ウェーブのかかった栗色の髪は光の加減で少し赤みがかって見えた。
白いカーディガンの上で靡くその髪の奧には、淡いグレーの知的な瞳がのぞいている。
スラリと伸びた手足には、一切不要な肉など付いていない。
着ているもののせいもあるのだろうが、とにかく佐藤にはとても大人びて見えた。
今時あんな美人がいるのねぇ、と思わず目で追ってしまった佐藤だったが。
次の瞬間、驚きで瞠目してしまったのだった。
「宮野!こっち、こっち。」
「ごめんなさい、待たせたかしら。」
見覚えの有りすぎるその顔は、佐藤も良く知る日本警察の救世主…工藤新一、その人である。
彼女に負けない美貌の名探偵が、親しげに名前を呼び、彼女を呼び寄せる。
(…まさ、か……彼女が……?)
人の心を見透かす慧眼の持ち主である、名探偵。
全く申し分のない美貌と雰囲気を持ちあわせている、宮野と呼ばれた謎の美女。
ふたりの関係は、まさか…?
「あら、そうでもないわね。」
「……ンだよ、悪ぃか。」
「いいえ。」
クスクスと愉しげに笑う美女。
その彼女の隣りに立って、新一もまたクスクスと笑う。
その笑顔は、あの、現場で見せた極上の微笑みだ。
佐藤は確信した。
彼女こそが、彼の名探偵の恋人なのだと…!
実際のところ新一は、手に持った携帯の画面を見て微笑んでいたのだが。
更にその携帯に届いたメールを見て微笑んだのだが。
そのあたりには気付かずに、お隣に住む科学者である宮野志保こそが新一の恋人なのだと、佐藤は思ったのだった。
「さすがは工藤君ね!あんな美人、どこで見つけたのかしら。」
佐藤は、志保が恋人なのだと信じて疑わない。
その話を聞かされた高木も当然、彼女が恋人なのだと信じている。
「そうですよね。工藤君が今時の荒廃した女子高生の彼女…ってちょっと想像出来ませんよね。」
うんうん、と高木は自分の言ったことに自分で頷いている。
佐藤は早速責任者にメールを送るべく、携帯を取りだしている。
…とりかく、警視庁は今日も平和なのだった。
* * *
「あ。」
工藤邸のお隣、阿笠邸。
工藤新一の恋人…もとい専属主治医化している宮野志保は、テーブルの上にちょこんと置かれている包みを見てそう呟いた。
その包みは今朝、お隣に居候…もとい同棲している新一の恋人が頼んでいったものだ。
彼には今日、どうしても抜けれない仕事があったのだ。
最近ではかなり頻繁に声がかかるようになったマジックショーの仕事である。
包みの中身は、軽い軽食。
快斗の手作りの調理パンで、栄養バランスまでばっちり考慮された逸品だ。
食べる前に暖める必要があるからと、こちらに預けられた。
謎が大好物だという奇特な名探偵が、昨夜新聞を見るなり言った、
「ちょっと気になる事件があっから、明日、警視庁に行って資料借りてくる。」
という一言のためだけに作られたパンである。
ただでさえ、事件となれば寝食を忘れるのが工藤新一だ。
かなりマメな恋人が彼のためにと作って、新一が出掛ける前に暖めて渡してくれと言われたのだ。
時刻は1時をだいぶ過ぎている。
新一はとっくに警視庁に出掛け、本来なら昼時であるはずの彼は当然のごとく昼を食べていないはず。
何より折角つくられたパンが、誰にも食べられずにここに置かれているのは忍びない。
志保はひとつ息を吐いて、警視庁へと向かった。
御飯をちゃんと摂らない新一のために行くのだから、代金はあとで新一に請求することにして、志保はタクシーに乗る(せこい)。
突然の美女の乗車に多少慌てふためく運転手を無視して、警視庁まで、と告げた。
やって来た警視庁。
休日の午後だからと言って、警察に休みがあるわけではない。
慌ただしく走り去る警官を横目で捉えて、志保はまだ灰原と名乗っていた頃に顔見知りとなった警官に声をかけた。
「すみません、ちょっと宜しいですか。」
「はぁい。」
前髪を後ろへと流した黒髪の婦警。
私服でなく制服を着込んでいるのは、彼女が刑事ではないからだ。
交通課の頼れるお姉さん。
……もとい、名探偵恋人調査団の責任者である(笑)。
由美は突然現われた美女に驚きながら、用件を聞こうと話を促した。
「どうかなさいました?」
「いいえ。今日、こちらに、工藤新一がお邪魔しているはずなんですけど。」
「!?」
由美の目が、大きく大きく見開かれる。
志保はポーカーフェイスの下で、怪訝そうに眉を寄せた。
由美は今、先日美和子からもらったメールの内容を思い出している。
それには恋人と思われる女性の特徴が、刑事の視点から見た事細かなことまで書かれていて。
髪の色、長さ、髪型、瞳の色、身長、顔の造形。
あとは当てにならないかも知れないがと彼女の印象…落ち着いた大人な雰囲気の女性、と書かれていて。
彼女の口から新一の名前が出され、ここまでメールの内容と一致する美女は、まず他にいないだろう。
由美は、彼女こそが噂の恋人なのだと確信した。
「えぇ、確かに工藤君なら資料を見に来てますが。」
「実は彼、お昼を持っていくの忘れてたので、届けに来たんです。」
「そうなんですか?それじゃ、ちょっと待って下さいね、案内しますから…」
由美は志保の返事も待たずに一度奧に引っ込んだ。
用事を相棒に頼むためだ。
それから慌ただしく志保のもとへ戻ってくると、新一のいる資料室へと案内を始めた。
* * *
資料室から引っ張り出された数冊のファイルを手に、新一は刑事たちの驚く顔も気にせずに調べていく。
何に驚いているかというと、そのスピードの速さだ。
ちゃんと見ているのかと思ってしまうのは、捲られたページが数秒と経たぬうちにまた捲られてしまうから。
それでも、一目見ただけでもその内容が頭の中に記されていくのかと思うと、驚きを通り越して尊敬してしまうのだった。
「やはり思った通りですね…」
やがてぽつりとこぼされた言葉に、その場にいた刑事達は身を乗り出して話に聞き入る。
「先日のこの事件、あれは12年前の同時期に起こった事件…ほら、この資料です。一見すると何も繋がりがないようですが、ある特殊な点に置いては全く同じです。」
新一の推理がつらつらと伸べられる。
刑事達は再び驚いていた。
その記憶力に、である。
12年前と言えば彼はまだ5、6歳の子供だと言うのに、一体どういう頭の造りをしているのか。
全くもって謎である。
とにかくこれで、誤った方向に進められようとしていた捜査にも進展が見られるだろう。
と、丁度その時、ノックの音が聞こえた。
扉の一番近くにいた佐藤が開く。
そこに居たのは、見慣れた交通課の由美の姿であった。
「由美。どうしたの?珍しいわね、こっちに来るなんて。」
「工藤君にお客さんが来てるのよ。」
愉しげに笑う由美の表情に引っかかりを覚えながらも、朝からずっと根を詰めて調査していた刑事達は、丁度良いとばかりに休憩することにした。
「由美さん、僕にお客とは?」
資料をテーブルの上に広げたまま、新一が由美の元へと駆けてくる。
その新一にくっつくようにして高木もついてきた。
由美は相変わらずにやりと意味深な笑みを浮かべたまま、すっと体を横にずらす。
と、スラリとした細身の人影が入ってきた。
「「あっ」」
美和子と新一の声が見事にかぶった。
名探偵の恋人と思しき彼女が、いきなり目の前に現われたのだ。
由美はその反応を愉しげに眺め、件の探偵を横目で見る。
その顔は幼く見えるほど驚きの色を浮かべていた。
「宮野、お前どーしたんだ?」
志保は警察が嫌いであるから、自分から寄りつこうとはしない。
そう言うニュアンスを含めて言ったのだが、志保は呆れたとばかりに大仰に溜息をついて見せてくれた。
「どこぞの探偵さんが、お昼なんてもちろん食べてないだろうから、わざわざ持ってきたのよ。」
感謝しなさいよ。
志保はカバンの中に入れてあった小さな包みを取り出し、新一へと手渡した。
ほんのり暖かいのは、マジックショーに出掛けている恋人と志保のおかげである。
こんなものを届けるためにわざわざ…と少々呆れ顔になる新一。
そんな彼に、志保は半眼で笑いながら言った。
「ちゃんと食べなさいよ。愛情たっぷり込められてるから。」
「え…?」
「今朝、貴方の恋人がせっせと作ってったお手製なんだから。」
「!…わかった、ちゃんと食う。」
包みを片手に、新一は苦笑で照れながら頬を掻いた。
その様がなんとも可愛らしく、志保は満足げに笑ったのだが……
由美と佐藤はそれどころではない。
ついでに高木はちょっと混乱している。
「……工藤君、こちらの女性は?」
恋人じゃないの?と聞きたいのをぐっと堪えて、佐藤が新一に問う。
その場にいた他の刑事たちも興味津々とばかりに聞き耳を立てていた。
…何を隠そう、ここにいるのは隠れ調査団のメンバーが大半だったりするのだ(笑)。
新一は、そう言えば言ってませんでしたね、と切り出す。
「この人は阿笠博士の養女の、宮野志保さんです。」
「どうも。」
「「あ、こ、こちらこそ…ッ」」
あまりに意外な事実にふたりが目を瞬いている。
志保はそれを愉しげに眺めた。
…第六感が恐ろしく良い女、宮野志保。
彼女はこのたった数分の会話だけで、なんとなく現状を理解していた。
おそらく自分を、彼の恋人だと勘違いしたのだろう、と。
冗談じゃない、と志保は思う。
この無鉄砲で純粋で、強くて脆い男の恋人なんて、全くもって冗談じゃない。
そんなものになる物好きはあの男だけで充分だ、と。
志保はクスリと笑って。
「じゃあ、事件に没頭するのも良いけどそこそこにしなさいよ。じゃないと、貴方の恋人が拗ねるわよ。」
痴話げんかの惚気まがいの愚痴をこぼされるのはごめんだわ。
「ンだよ、あいつだって俺のことほったらかしてんじゃん…」
唇を尖らせて、ぷいと顔を背ける仕草は、これがあの名探偵なのかと思うほど可愛らしかった。
そうさせてしまう恋人が凄いのかどうなのか…。
「仕事なんだから仕方ないでしょ。」
「…わぁってるよ。」
「なら、しっかり食べて愛情表現してあげなさい。」
それだけ言うと、志保はじゃあねとさっさと踵を返してしまった。
テーブルに座って嬉々として包みを広げる新一。
由美と美和子は顔を見合わせ……
同時になんとも言えない顔で苦笑した。
またしても、無意識の彼にアテられてしまったようである。
更に恋人調査も振り出しに戻ってしまったのだが。
彼の名探偵の珍しい表情を拝めてしまったので、なんだか気分は上々なのだった。
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