長時間に渡る飛行機による移動を経て、新一と白馬は、漸くフランスの地へと足をつけた。
「思ったより疲れませんでしたね。」
「ん?おめーも俺も移動し慣れてるからな。」
空港を出たところで、海外旅行にしては軽装過ぎる新一は、迎えの車を待ちながらぐっと体を伸ばす。
そんな新一に、確かにその通りだと白馬は苦笑を返した。
もともとイギリスで探偵として活躍していた白馬は、祖国日本との往復にはもうすっかり馴れてしまった。
更に言うならICPOの本部に顔を出しに来たりと、フランスにもよく足を伸ばしている。
特例ではあるが、ICPOに籍を置く者として、それなりに重要な任務を与えられたりもするのだ。
一方新一は、海外を点々と飛び回る道楽な両親のおかげで、海外旅行の楽しみというものには無縁な生活を送っていた。
今でこそ日本に腰を据えてはいるが、それまでは両親と共に海外を飛び回っていたのだから。
中でもハワイでは、あらゆる知識と体術を教え込まれたが。
「それより、お前の言ってた迎えってのはまだかよ?」
「ええ……そろそろ来ると思うんですが……」
こちらの到着時間は告げてあるし、時間は守る人だから、自分たちより先に着いててもおかしくないのに。
白馬の呟きに微かに瞳を眇めながら、新一は車が来るだろう方向を眺めた。
と、丁度そこへ一台の車……フレンチワゴンのルノーラグナが入ってくる。
シルバーカラーの車体が、仮にも警察機構に勤めている人間の運転かと疑いたくなるようなスピードを出している。
運転している人物の人柄を現わしているようで、新一は思わず頭を抱えたくなった。
キッ、とタイヤを軋ませながら、ふたりの目の前でラグナは急停車する。
ラフなスーツを着た青年は車の窓を開けると、サングラスを外しながら言った。
『久しぶりだな、探!ジタンが見つからなくて少し遅れた。』
フランスの高級車を乗り回していたのは……イタリア人だった。
◆◆◆ 蒼天使 ◆◆◆
『俺はレオナルド・ロッシ。あんたがシンイチ・クドウか?』
白馬のトランクを積み、助手席に白馬が、後部座席に新一が乗り込んだところで、車は発進した。
どうやら愛用らしいジタンを口に銜え、ジッポライターで火を付ける。
レオナルド・ロッシと名乗ったイタリア人は、バックミラーで新一を眺めながら、からかうような口調でそう言った。
日本人はもともと年齢より若く見られやすい。
白馬の場合、イギリス人の母と日本人の父とのハーフなのでまた違うのだが、新一は白馬よりも幼く見えるのだろう。
ついでに言うなら白馬のように背丈もない。
日本の高校生男児の平均よりやや下といったところだ。
生まれつきだが体つきも細く、加えてAPTXの後遺症のおかげで幾分頼りない印象を受ける。
実際は常人より遙かに優れた身体能力を持っているのだが、初対面の彼にそれがわかるはずもなかった。
『煙草はダメなんて固いこと言うなよ。“子供”じゃないだろ?』
アジアの小国のこんな子供に言葉が通じるのかと、わざと早口で問いかける。
レオナルドのそんな口調に、新一が気を悪くしないかと白馬は慌ててレオナルドをたしなめようとしたが、それよりも先に新一が口を開いた。
『ご心配なく、ミスター・ロッシ。17にもなれば煙草を知らない者の方が珍しいですよ。』
小綺麗な顔に不適な笑みを浮かべ、その口からは流暢なイタリア語が紡がれる。
日頃から口にしていなければ、日本人にとってイタリア語は発生しにくいはずなのに、それを全く感じさせない。
そのことにレオナルドは僅かに瞠目した。
『へぇ……探が推薦するだけのことはあるってワケか。』
レオナルドは煙草を銜えなおすと、楽しげに煙を口から吐き出した。
煙が籠もらないよう両サイドの窓を開け、灰皿に軽く押し当て灰を落とす。
『イタリア語はどこで?』
『独学です。』
『それにしちゃ見事なモンだ。』
『どうも。』
完璧な猫をかぶりながらにっこり微笑む新一に、白馬は苦笑をこぼす。
今ではもうこんな風に話しかけられることはないが、やはり愛想の良い新一よりも親しげに話しかけてくれる新一の方が彼らしいと感じるのだ。
『それよりレオ、彼のことはちゃんと伝わってますか?』
『ああ。探がぜひ研修生にって、ほとんど無理矢理推薦したんだろ?お前の突飛な行動は警部の頭痛の種だぞ、ほんとに。』
『すみません…』
申し訳なさそうに謝る白馬を横目で捉え、新一はクスリと笑みをこぼした。
窓の外を流れるフランスの景色に視線を流す。
新一は今、警察の捜査への協力はしているが、以前のようにマスメディアに姿を現わすことはなくなった。
名探偵工藤新一は未だに健在だが、そのことを知る者は限られている。
勿論、海外の警察機構まで情報が届くはずもない。
彼らにしてみれば、新一は過去の実績しか持たないただの高校生に過ぎないのだ。
そんな自分を研修生として連れて来るには、相当なわがままを言ったに違いないと、新一はこっそり白馬に感謝した。
新一をリヨンへと送った優作の真意は、おそらくこんなところだろう。
組織の残党であるスコッチを相手にした時、こちらが被った被害は大きかった。
新一は瀕死の重症を負い、新一も快斗も自分の力不足を痛感した一件だった。
より強くならなければ、この先も組織の残党に加え有名な殺し屋にまで狙われているのでは、生き抜くことは出来ないだろう。
だからこそ今、快斗は中国へ向かったのだ。
その間新一は新一で、ICPOで色々なことを学ぶ。
警察機構の拠点とも在れば警備はちゃんとしているし、何より相手も手が出しにくいハズ。
だからこそ、優作は新一をここに送ったのだろう。
遠く離れていながら、道楽な親を演じながら、それでも心を配ってくれている。
素直に感謝しがたいが、それでもどこか嬉しく思いながら、新一は白馬に向かって呟いた。
「白馬。俺、こっちでは大人しくしてるから、そのつもりでいてくれ。」
「え?」
「目立ったことはしない。」
それは、出掛けに交わした白牙との約束だ。
新一は自分の立場を決して軽く見てはいない。
白牙の言葉は当然のことだと思い、それを守るつもりでいる。
「俺はただの、“ICPOに興味のある引退気味の高校生探偵”だから。」
確かに、あまり目立った行動をとれば、事件体質な新一のことだからいつ何に巻き込まれるかわかったものではない。
白馬はわかりましたと答えると、それから不思議そうに尋ねた。
「なぜ“引退気味”なんです?」
それから新一は心得たように、ああ、と目を瞬いた。
「そっか、おめーは二課でフィールドが違うから知らねーのか。それにイギリスに帰ってたんだっけ。」
「?…どういうことですか?」
「俺、……療養から戻ってから、新聞には顔を出さないようにしてるんだ。」
「…療養、ですか……?」
更に困惑に眉を寄せる白馬に、新一はまたもああ、と目を瞬いた。
そう言えばそのあたりの“諸事情”を彼は知らないのだ。
イギリスにいたのなら、一時期行方不明だった一課の探偵のことなど知らなくて当然だろう。
まして、帰ってきた新一をマスコミが報道することなどなかったのだから。
「実は俺、高校二年の時から一年とちょっと、体を崩して療養してたんだ。」
「そうなんですか!?」
「そ。俺の薬に対する特異体質もそん時からだ。」
「ああ……例の発作ですね。」
「そ。漸く元気になったんだけど、相変わらず発作なんて抱えてるし、表に顔を出すには厄介な体になっちまったからな。」
発作を起こす度にニュースで流されたりなんかしたら、冗談じゃねぇ。
幸い、まだコナンから完全に戻れなかった頃、新一は何度か警部達の前に顔を出しているが、その都度に発作を起こして倒れたり起こしかけているところを見られている。
そのせいもあって新一のこの話はあっさり納得され、目暮による情報の露出の厳守が徹底に行われたのだ。
おかげで新一の発作のことを知ってるのは極限られた身内だけであるし、テレビに顔が流されることもなくなった。
「あとは自然消滅するのみだから“引退気味”ってワケだ。」
「そうだったんですか……てっきり僕は、探偵をやめて保護を受けるのかと……」
「ばーか、俺が探偵やめたら、それはもう俺じゃねーよ。」
そう言って笑う新一に白馬も笑った。
工藤新一が探偵でなくなるところなど、白馬にも想像すらつかない。
それは危険も伴うのだろうが、報道に規制をかけてもらえているのなら幾らか安心出来る。
後ろと隣から聞こえる笑い声に、運転していたレオナルドが抗議の声を挙げた。
『オイオイお二人さん、日本語じゃ何話してんのかサッパリだ。イタリア語か、せめてフランス語を話してくれよ。』
レオナルドはあまり日本語が得意じゃないため、リスニングは苦手だった。
イタリア人にしてフランスフェチだと言う彼のぼやきに、白馬と新一はそろって悪戯な笑みを浮かべるだけだった。
* * *
ICPO本部の外枠には、ズラリと加盟国の国旗が掲げられていた。
その策の奧に、本部の建物が腰を据えてる。
その外観を楽しむでもなく、慣れた足取りで中へと進んでいく白馬とレオナルドの後ろについて、新一は歩いていた。
三人とも革靴を履いているせいもあり、廊下にはカツカツと足音が刻まれている。
その音を心地よく耳に受けながら、これから会う人物について白馬から聞いていたことに思考を巡らせた。
国際犯罪に携わる刑事たちを束ねる警部、ジルベール・M・バントン。
年は優作よりやや上の42歳。
そろそろ警視へとの声も上がっているほど、優秀な刑事だ。
だからこそ、自分の本質を巧く隠しきらなければならないと、新一は気を引き締めた。
新一はここで学びながら、けれど“ボンクラ”で通すつもりでいた。
ちょっと頭が働くだけで、本物の刑事を前には歯が立たない“子供”として過ごす。
危険を避けるにはそれが最も良い手段だろうから。
『工藤君。ここが刑事課のデスクルームです。後でまた顔見せに寄りますから。』
『ああ。でも普段はあんまり揃ってないんだろ?』
『まぁそうですね…』
日本語の苦手なレオナルドのためにイタリア語で会話をすることにしたふたりの間に、レオナルドが割り込んだ。
『いや、今日は結構揃ってるぜ?』
『そうなんですか?』
『ああ。どっかのお坊ちゃんが随分と無茶な頼み方をしてくれたおかげで、みんな興味津々なんだよ。』
クスクス笑うレオナルドと対照的に、白馬は顔を赤くしながら決まりの悪そうな顔をする。
その様子を眺めて新一は、一体どんな頼み方をしたんだと頭を抱えたくなった。
一見紳士のようで実は天然だという白馬は、結構すごいことをやらかしてくれそうだ。
『ま、俺はコッチで待ってるからよ。早め目に警部んとこ行って戻って来いよ。』
『ええ、わかりました。』
『有り難う御座いました、ミスター・ロッシ。』
『レオナルドで良いよ、新一。また後でな。』
そう言って扉の奧に消えたレオナルドを見送ってから、ふたりは警部のもとへと歩き出した。
白馬が隣でクスクスと笑いをこぼしている。
それを不思議に思った新一は、どうしたんだ、と聞いた。
「いえ。どうやら君は彼に気に入られたようですね。」
「はあ?」
相好を崩した新一に、楽しそうに白馬が告げる。
「彼、イタリア人なのにかなりのフランス好きでしてね。愛車はラグナ、煙草はジタン、とくればもう解ってたでしょうけど。」
「ああ、それはな。それが何?」
「ですから、僕は初め、彼にすごく嫌われてたんですよ。」
イギリスかぶれの半人前がってね。
「悔しくて、それからイタリア語を猛勉強して、おかげで今ではすらすら喋れるようになりましたけど。」
「ふぅん……じゃあ俺がイタリア語を喋れたから気に入られたってか?」
「ええまぁ、それだけじゃないでしょうけど。」
「?」
不思議そうに首を傾げる新一に、白馬は苦笑だけを返した。
新一は全く自覚というものを持っていないが、彼はそこにいるだけで鮮烈なまでの存在感を持っているのだ。
それは例えるなら、まるで光のようなもの。
暗闇は勿論、光の中にあってなお眩しいほどの輝き。
そしてそれに惹かれる者は数多く存在するだろう。
或いは彼の事件体質も、犯罪という闇に囚われた者が無意識に光を求めて、彼のもとへと集まってしまうのかも知れない。
「とにかく、彼とは犬猿の仲だったんですけど、ある捜査を切っ掛けに話をするようになってみれば、これが案外馬が合いまして。」
新一は白馬の話に相づちを打ちながら、気が合うのは当然だろうと思っていた。
白馬は優秀な探偵だ。
けれど彼はどちらかと言うと刑事に近い思想を持つ探偵だ。
そしてレオナルドは、まだ知り合って一日と立っていないが、かなり優秀な刑事だろうと新一は思っていた。
そこに存在するだけで威圧感を与えるのだから、その手腕は相当なはずである。
「それからはすっかり、頼み事は全て彼にするようになったんです。」
「それで今日の迎えってワケか。」
「ええ。残念ながらジタンに負けてしまったようですが。」
ひょいと肩をすくめた白馬に新一は微笑を向けた。
やがて見えてきた「commissaire」の文字にふたりは足を止める。
入りますよ、と短く告げられそれに頷きを返すと、白馬が短く二回ノックを響かせた。
扉腰に聞こえた許可の声に、新一は白馬の後に続いて室内へと入り込む。
『久しぶりだな、白馬君。それからミスター・クドウ、初めまして。刑事課の警部、ジルベール・M・バントンだ。』
『初めまして、シンイチ・クドウです。』
『君の研修中は、私が実質の上司だ。宜しく。』
『宜しくお願いします。』
デスクに腰掛けていた警部に向かって、新一は深々と頭を下げた。
さすがに警部というだけあって、その表情には威厳がある。
貫禄も備えているような口調には、絶対の上司という印象を持った。
『白馬君の話では、君も日本では探偵をしていたと聞くが…?』
『はい、しています。』
警部は、目の前のこの細身の少年を探るようにじっと見つめた。
“工藤新一”と言えば、一時期日本の新聞紙上を大いに騒ぎ立たせた名探偵だ。
それは過去の記録を見れば一目でわかる。
“日本警察の救世主”だの“平成のシャーロック・ホームズ”だのと厳つい呼び名は多く存在するが、それらがまやかしではないことは記録からも明らかだった。
その彼が、ある一時期を境にメディアからぱったりと姿を消してしまった。
それ以後は密やかに復活はするものの、再びメディアに顔を出すことがなくなった探偵。
その探偵についての謎は多いが、とても目の前の少年が“救世主”などと呼ばれていたようには見えなかった。
確かにハッとするような華が彼にはある。
日本の有名女優を母に持っているのだから、母譲りの美貌を備えているせいもあるだろう。
けれど、言ってしまえばそれだけだ。
美しくはあるが、それほどの実力を保持するには、些か頼りない印象を受ける。
黙り込んだまま自分をじっと見つめてくる警部に、新一は内心で愉しげに笑っていた。
今自分は、この警部によって値踏みされているのだろう。
こんな得体の知れない子供を研修生として迎え入れようというのだから、事前に自分のことを調査されていないとは思わない。
そえすれば、過去に活躍していた“高校生探偵・工藤新一”の存在は勿論知っているはずだ。
けれど彼は今、混乱のまっただ中にいるのだろう。
新一は今、自分の気配は出来る限りに潜めている。
探偵として推理を披露するときは、新一はその気配を意識的に全開にしている。
それが相手にもたらす効果を新一はちゃんと理解していた。
それらは探偵にとって必要な要素である。
現場の空気を掴み、それを支配出来て初めて“探偵”と名乗ることが出来るだろう。
その気配を潜めてる今、警部には、目の前にいるのはただの頼りない子供にしか映らないのだから。
(……工藤君、愉しそうですね……。)
その様子を、ひとり訳を知っている白馬は複雑そうに眺めていた。
普段からバントン警部にはお世話になっているが、新一の安全がかかっている今は新一に加担する外ない。
知ってるからこそわかる新一の様子に、白馬はこっそりと苦笑をこぼした。
『警部、そろそろ課の方に顔を出して来たいんですが、良いですか?』
いつまでたっても答えのでないだろう謎にひっかかっている警部に、白馬が助け船を出す。
それに警部は憮然とした表情をしながらも頷いた。
『そうだな。では、課の方で刑事たちと顔合わせをして来なさい。研修中は、解らないことがあれば彼らに聞くと良い。』
最も、いつも居る者などはひとりとしていないだろうが。
そう括った警部に新一と白馬頭を下げると、早々に部屋を退室していった。
控えめにパタリとドアが閉められてから、警部は詰めていた息を吐く。
『さすがは、工藤優作の息子と言ったところか……』
バントン警部は、優作の知人でもあった。
昔、彼が偶然フランスに滞在していた頃、ある捜査で彼の力を借りたことがあったのだ。
それが切っ掛けで親しい付き合いをするようになったのだ。
そうでもなければ、まだ高校生の子供を、いくら警視総監の息子であり特例で籍を置く白馬の頼みであったとしても、バントンが認めるはずもない。
優作の息子、ということで渋々了承したようなものだった。
その息子は、父親に負けず不遜な性質のようだ、とバントンは思った。
自然、顔も苦虫をかみ潰したようなものになる。
優作は確かに友人としては悪くない人物だが、敵に回したくない人物でもあった。
何十年も刑事として過ごしてきた自分でも、なぜか絶対に敵わないような気になってしまう。
警察機構ですら未だ手に入れられない莫大な情報を保持していることもあるが、彼の性質に、やはり敵わないと思うのだ。
(おそらく、ミスター・シンイチも何か隠しているに違いない。)
空白の時期に何があったかは知らないが、それが関わっているにに違いないと、警部の長年の勘が言っていた。
そしてそれが正しいと知るのは、まだ少し先のことである。
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お待たせ致しましたー!
唐突にSeacret Keyが書きたくなったので、停滞解除。
更新は不定期ですが、出来るだけ頑張りますので!
今回はこの“蒼天使”を進めていく上での重要人物のひとり、レオナルド・ロッシ刑事の登場ですvv
彼はイタリア人ですね。管理人がイタリア人好きなので(笑)
もうひとりの重要人物については、次回に登場予定。
白馬君が何だか可愛くなってますね。
このお話での彼は、やるときは格好いいんですよ。
03.08.17.