夕暮れ差迫る静かな工藤邸の静寂を壊したのは、突如として鳴り響いた携帯の着信音だった。
 彼の有名な名探偵の携帯番号は、極親しい人物にしか知られていない。
 学校の友人はもちろん、幼馴染みの蘭にすら教えていなかった。
 それは緊急時に音信不通になると困るからなのだが、教えて貰えない自称友人たちはもちろん抗議した。
 けれど簡単に受け入れてくれるほど甘い相手ではない。
 結局、彼の番号を知るものは警察関係者でも目暮警部と一部の上層部、両親、阿笠博士と主治医を兼ねている哀、そして西の高校生探偵服部平次のみである。
 そして彼らは組織壊滅の際に助力してくれた人たちでもある。
 新一にとってはこれ以上ないほど信頼を置いている者ばかりだった。

 そして現在、彼の携帯に電話をかけてきている人物は服部平次である。
 なかなか鳴りやまないコールが、メールではなく着信であることを知らせている。
 もとより、新一の携帯においてメール機能とはあってないようなもので、ほとんど使われることはなかった。

 放課後、顔見せ程度のつもりで出向いたサッカー部で半ば無理矢理練習に付き合わされた新一は、家に帰るなり汗を流そうとシャワーを浴びている最中だった。
 リビングに放置していたブレザーから響く微かなコール音を耳にして、慌ててバスルームから飛び出す。
 髪も体も水の滴るまま、バスローブをひっかけただけの姿で携帯に飛びついた。
 限られた人にしか教えていないからこそ、この携帯が鳴る時は緊急事態の場合が多い。
 しかし液晶画面に映った「服部平次」の名前にひとまず緊急ではないと安堵し、新一は何の用事だろうと思いながら電話に出た。

「どうした?」
『よぉ、工藤! 相変わらず無愛想なやっちゃな。元気しとったか?』

 開口一番、「久しぶり」の一言ももらえないことにも、平次は既に慣れていた。
 新一は人当たりも愛想も良いイメージを持たれがちだが、実際は無愛想で面倒くさがりだ。
 しかしそういった一面を見せられるのは限られた者だけで、それこそが信頼を置かれている証だと知っているため、今更文句を言う気も起きない。
 つまり、平次もそれだけ信頼されているということだ。
 諸々の事情を自覚している新一もただ苦笑で誤魔化す。
 要するに、そもそも電話というものが好きではないのだろう。

「で、急にどうしたんだよ?」
『実はなぁ、東京行く用事があんねんけど、俺って貧乏学生やん? 工藤ん家泊まらしてくれへんかなぁ、思てv』
「ぁあ? ホテルぐらい取れよ、大阪府警本部長の息子が」
『親父は関係あらへん。俺は俺や、あいつの権威を笠に着る気はあらへん!』
「へー、ご立派だな。それで俺ん家に転がりこんでりゃ世話ねーぜ」

 相変わらずの新一の毒舌ぶりに平次は電話越しに苦笑をこぼした。

『頼むて! 最近あった事件の話とか、なんぼでもしたるさかい』
「おまえな、俺を勝手に事件好きにしてんじゃねぇよ。ま、良いけどさ…」
『ほんま? おーきに、工藤クンv』

 語尾にハートをつけられても少しも可愛くない、と新一は携帯を片手に脱力する。
 大体にして、服部平次という男の行動はいつも唐突なのだ。
 先日も「明日東京見物連れてけ」だの「大阪見物に来い」だのと、この男に振り回された記憶はまだ真新しい。

「それでおまえいつ来るんだよ?」

 こいつのことだからまた急なんだろうなあと思いながら答えを待っていると、突然インターホンが鳴った。
 あまりのタイミングの良さに一瞬考えてしまった予想にまさかな…と思いつつ、嫌な予感に新一は眉を寄せる。

「おい…まさかとは思うけど…」
『ん? どないしたん、工藤v』

 ヤケにご機嫌な声に予想が当たったような気がして、新一は思わず顔をしかめる。
 恐る恐る…もとい、嫌々玄関に向かい扉を開けてみて、新一はその秀麗な眉を更に寄せると、思い切り扉を閉めてやった。

『あっ! 何すんねん、工藤ォ〜!』

 電話越しというより扉越しに聞こえる平次の声と、どんどん煩く鳴り響く扉の音に、新一は深い深い溜息をこぼした。















の欠片















「薄情なやっちゃな! 何も閉めることあらへんやろ!」
「煩い。来るって言った直後に来る奴があるか」
「そんなん、工藤も良いって言ったやん!」
「始めっから俺をアテにしてんじゃねーか」

 現在、尚も扉越しの攻防は続いてい
 いい加減平次の怒鳴り声と耳障りな扉を叩く音が近所迷惑かな、とは思うものの、なかなか素直に入れてやる気にはなれない新一だ。
 しかし、再び新一の携帯が鳴り出した。
 平次は未だ扉を叩き怒鳴り続けているので、彼からの電話ではなさそうだが…
 液晶画面を見た新一が凍り付いた。

(やべ…さっさと入れときゃ良かったぜ)

 そこに映し出された名前を見て、新一は背筋を冷たい汗が流れるのを感じた。
 電話の相手は――灰原哀。
 用件は聞くまでもないだろう。
 新一は、今度こそ恐る恐る通話ボタンを押した。

「………はい」
『研究の邪魔よ、なんとかして頂戴』
「………はい」

 それだけ言うと、相手の方からさっさと通話を切ってしまった。
 来週の健康診断の時が怖いな…と思いながら、新一はさっさとこの煩い関西人を家に入れてやることにした。
 そもそも突然電話がかかってきたものだから、風呂上がりにバスローブ一枚という格好だったため、いい加減寒いなぁと思っていたところなのだ。
 八つ当たりではないにしても、平次を恨めしく思いながら勢いよく扉を開けば、突然叩くものがなくなった平次は、前のめりで倒れ込むように工藤邸の玄関に滑り込んだ。
 危うく転けて顔面を打ちそうになりつつもなんとか体勢を整え、お世辞にも歓迎とは言えないが、やっと迎え入れてくれた家主に笑顔を向けるべく平次は顔を巡らし――凍り付く。

「工藤…おまえ、なんちゅー格好しとんねん」
「ん? 見りゃわかるだろ。バスローブ」
「いや、そらそーやねんけど…」
「おまえが風呂入ってる最中に来るからだろ」

 ふん、と鼻で息を吐いて軽いパンチを平次の頭にぶつけると、新一はそのままリビングへと入って行ってしまった。
 残された平次はと言うと、何とも心臓に悪いモノを見せられた所為で、硬直を解くのに数秒を要した。
 何せ彼を迎え入れたのは、白磁の肌によく映えるブルーのバスローブをひっかけただけと言う格好の新一だったのだから。
 乾ききっていない髪は未だに滴で光り、頼りなく頬や額に貼り付く様はなんとも艶めかしい。
 長くこの人の隣りにいるためにある程度の免疫はついたけれど、こういった見慣れない格好を前触れもなく見せられると堪ったものじゃない。
 心臓に悪いほどの美貌。
 ただの一介の高校生探偵というだけなら、マスコミがそれほど大々的に取り上げないことを、平次は知っている。
 平次も関西では有名な高校生探偵だが、新一ほどマスコミに取り上げられたことはない。
 平次も俗に言う二枚目の域で、本人に自覚はないものの大衆受けはかなりいいのだが、工藤新一は探偵としての能力はもちろんのこと、その中世的な美貌がマスコミや市民、そして警察までをも魅了しているのだ。
 アイドル顔負けの格好良さと美貌を兼ね揃えた探偵、それが工藤新一だ。
 だからテレビや新聞、雑誌などがこぞって彼に飛びつくのだろう。
 しかも本人に全く自覚がないと言うのだから余計に質が悪い。
 けれど、たとえ誰かがそれを本気で彼に説明したところで、蹴られた上に「ふざけるな」の一言で終わらせられることは目に見えている。

 数秒後、なんとか自力で硬直を解いた平次は、新一に続いて大人しくリビングへと入った。
 が、既にリビングにてくつろぎかけている新一に慌ててストップをかけた。
 こんな真っ昼間からそんな無防備な姿を見せ続けられると、流石の平次も疲れが溜まるというものだ。

「工藤! 風邪引くからさっさと髪乾かしてちゃんと服着ぃ!」
「なに蘭みたいなこと言ってんだよ」
「アホ、おまえただでさえ発作持ちやねんから言うこと聞かんかい!」

 新一はその言葉にぴくりと片眉を吊り上げると、不機嫌を露わに言い放った。

「薬なんて飲んでねーよ」
「薬飲まんかったかて、発作起こす奴が何ゆーてんねん」

 それに新一はぐっと言葉を詰まらせた。
 確かに平次の言う通り、新一が発作を起こすのは、なにも哀が精製した薬以外のものを投与した場合に限るわけではない。
 体に合わない薬を無理に投与すれば当然発作は起こるが、その他の場合にも、時々ではあるが発作を起こすことはあった。
 痛いところをつかれ、言い返す言葉もない新一は、別段抵抗する理由もないかと大人しく平次に従うことにした。
 すごすごと不満顔で自室に向かう新一の後ろ姿を見送り、平次は密かに溜息を零した。

(お願いやから、もーちょい自分の魅力っちゅーもんを自覚してくれ…)










* * *


 その晩の工藤邸のリビングには、服部平次の豪勢な手料理が所狭しと並べられていた。
 もちろん、ひとり暮らしの長い新一にも料理はできる。
 だが、わざわざ平次のために手料理を施してやろうなどという思考は、新一には一切なかった。
 面倒だから外食にしようと言う新一に、それならば自分が作ると平次が言いだしたのだ。
 今の時代、高校生だろうと男だろうと料理ができて当たり前。
 西の探偵も料理の腕前はそこそこよかった。

「…意外。おまえって料理うまいんだ」
「今時料理ぐらい常識やで。ってかな、工藤。おまえん家の冷蔵庫は空っぽ過ぎや」
「あー…普段は外食とかで済ましちまうからなぁ」

 どんな手料理をご馳走してやろうかと冷蔵庫をあけた瞬間、平次は盛大な溜息を吐いたものだ。
 懐も寂しい今時の高校生である平次は、できればあるもので作りたかったのだが、この家にはまるで何もなかったのだ。
 あるのは長持ちするバターやら缶詰やら栄養補助食品やら…とても料理できる代物ではない。
 よって、早急に最寄りのコンビニまで買い出しに向かわなければならかったのだ。
 自分だって料理ができるくせにこの面倒くさがりめ!と平次は新一を半眼で見遣った。

「なんだ?」
「別にぃ。おまえそんな生活しとるから、そんなひょろっこいんちゃうん?」
「なんだそれ」
「そない不健康な生活しとったら、あのちっこいねーちゃんが心配するんとちゃうか?」

 平次の言葉が真実なだけに、新一はただ「はは…」と乾いた笑いを零した。
 事実、もう幾度と無く食事のことについては――それ以外もだが――哀に厳しく言い渡されている。
 けれど長年の不摂生をそう簡単に改善できるはずもない。
 それを、ここに来て西の探偵からもとやかく言われるとは…

「ま、おまえがいる間は食事はきっちり摂れそうだ」
「そんなん、俺が帰ったらどないすんねん…」

 元通り。とニッコリ笑顔で言われては、作り笑顔だと分かっていても、この笑顔に弱い平次にはそれ以上突っ込むことはできなかった。

「しゃーない、俺がいる間はまかしとき!」
「おー。頼んだぜ服部くん」
「なんややる気ない言い方やのぉ」
「うるせー、料理が冷める」

 そう言ってひとりさっさと食事に戻る新一。
 平次は苦笑して、それでも新一が美味しそうに料理を食べてくれるものだから、同時に嬉しさも込み上げてきた。
 家では料理をするのは専ら母の仕事で、でも実は料理を作るのが…と言うより、誰かに自分の料理を食べて貰うことが好きな平次は、なんだかんだと言いながらもこうして自分の手料理を食べてくれる新一に素直に嬉しくなる。
 あまり素直じゃないこの探偵は「美味しい」とは言ってくれないけれど。
 平次も負けじと料理を口に運んだ。

「ところでおまえのこっちでの用事って何?」
「あ、もう済んだ。実はおかんの知り合いの見舞いやってんけど、あの人また足挫きおってなぁ。ほんで俺が行くことなってん」
「あそ。じゃ、明日には帰るんだな」
「んー、そうかも知れんし、そうやないかも知れん」

 曖昧な返事に新一がなんだそれはと柳眉を寄せる。

「だってそやろ? 保証なんかないやん。俺ら二人揃ったら大抵事件起こるし」
「嫌な言い方すんなよ…」
「事件の方が名探偵を呼び寄せんねんて」
「それじゃどこにも行かずに引き籠もり決定だな」

 どこかへ行けば事件が起こる…と言うのなら、どこにも行かなければいいのだ。
 とは言え、むしろ事件の方からこの名探偵のもとに舞い込んでくるのだから、所詮どこにいようと巻き込まれる時は巻き込まれてしまうのだが。





 夕食も平らげて、新一と平次は最近あった事件の話やら推理小説の話やらに花を咲かせていた。
 コーヒーを片手に平次の熱弁を聞き、新一はその優秀な頭脳で自分なりに推理を組み立てていく。
 そしてそれを平次の推理と照らし合わせ、自らの推理が正しいか否かを見極める。
 自宅にいながら頭脳的な遣り取りのできる平次とのこうした会話は、不謹慎だが、根っからの探偵である新一には飽きないことだった。

 一息ついて、今度は新一が話を進めようとした時、新一の携帯電話が突如として鳴り響いた。
 今日はいつも以上によく電話がかかってくる日だなぁと、嫌な予感を感じつつも携帯を取り出す。
 着信表示には「目暮警部」とあった。
 新一は気持ちを改め、素早く通話ボタンを押す。

「工藤です」
『警視庁の目暮だが、工藤君、ちょっと良いかね?』
「何か事件ですか?」
『少し君に頼みたいことがあるんだが…』

 落ち着いた目暮の口調から察するに、急を要する事件ではなさそうだ。
 自然、肩に入っていた力を抜いて、新一は目暮の話に耳を傾けた。

『実は、少々難解な暗号を送られてね…我々だけではどうにも解読できないんだ』
「というと、怪盗キッドですか?」
『それが違うんだ。奴ではないんだが、この暗号の差出人も怪盗を名乗っとる。怪盗キッドを真似た模倣犯かもしれないんだが…』
「暗号が気にかかる、ということですね。分かりました、ファックスで送ってくれますか? 解読でき次第にそちらに連絡します」
『すまんがそうしてくれるかね。頼んだよ、工藤君』

 はいと頷いて新一は携帯を切った。
 テーブルの向かいに座って今の会話を興味津々に聞いていた平次が目を輝かせている。

「なんや怪盗キッドやて? また奴から予告状でも来たんかいな! やっぱ俺らが揃うと事件の方から寄って来てまうみたいやなぁ♪」
「バーロ、喜んでんじゃねーよ。大体、今回の送り主はキッドじゃねーし」
「ちゃうんっ?」

 今そう言ってたやん!と詰め寄る平次は無視して、新一はファックスへと向かった。
 すぐに受信し、吐き出された紙を持ってテーブルに戻る。
 そこに書かれた文字の羅列を見て、新一は口の端を吊り上げた。
 その様子から、キッドからのものではないにしても、その暗号が新一の興味を引くだけのものであることを平次は悟った。
 平次はすぐさま椅子を立ち上がると、新一の座る椅子の後ろに回り込み、背もたれに腕を預けて紙を覗き込む。

「へぇ…差出人、書いてへんなぁ。怪盗≠セけっちゅーことはキッドやないし、あいつのあのふざけたマークもない」
「ああ。だが少なくともこの暗号を見る限り、ただモンじゃねーな」
「模倣犯にこない難解な暗号は作られへん。それとも暗号だけが目的か?」

 卓越した頭脳とずば抜けた身体能力。
 その両方を有する者となれば限られてくるが、そのどちらかとなれば可能性もある。
 単に自分の頭脳をひけらかしたい者の仕業だろうかと思った平次だが、新一は首を横に振った。

「いや、今の段階じゃまだ判断できない。大体、場所と時間どころか、ターゲットも分かんねぇ。キッドじゃないのだけは確かだな」
「ああ、奴はターゲットだけははっきり明記してくるからなぁ」

 一瞬にして、高校生から探偵へと豹変したふたり。
 彼らを端から見ることのできる者がいたら、余程歓喜の声をあげたことだろう。
 彼らが探偵の顔を被ったとき、それは普段とは比べようもないほどに、見る者に興奮と恍惚感を与えるのだから。










* * *


 二時間後、ふたりの驚異的頭脳を持った東西名探偵コンビによって暗号は解読された。
 既に時計の針は十時を回っていたけれど、早く伝えた方がいいかと、新一は目暮警部へと電話をかけた。
 あの難解な暗号をたった二時間という異例の速さで解読して見せた新一に目暮はひどく驚いていたが、すぐに落ち着きを取り戻すと、礼を言って捜査へと取りかかった。

 実に難しい幾つもの法則が組み込まれた暗号を解読するのにはひどく骨が折れた。
 新一と平次がふたり揃っていたからこそ、二時間という早さで解読できたのだ。
 ふたりがそれぞれに色んな角度から何度も何度も組み直してようやく答えが出た。
 だが、暗号の中に差出人のヒントが隠されていると考えていたふたりの予想を裏切って、そこには何も書かれていなかった。
 ただ、ふたりはこの犯行が確実に行われるだろうと確信した。
 なぜなら、暗号には、まるで怪盗キッドを挑発するような文句が入っていたからだ。

 今日から二日後、資産家である阿部智洋氏が先日手に入れたと言う宝石月下白≠フお披露目を目的とした、ちょっとした催しがある。
 ターゲットはその月下白=B
 指定日はもちろんその展示日であり、時間は指定されていなかった。
 つまりはその日一日、いつどこから来るかもわからないのだ。
 そして、怪盗キッドへの挑戦状。

 ――我、月光届かぬ闇より出でし闇の申し子。アルテミスの大粒の涙を懸けて、白き衣を纏いし子供と勝負せん。

 自らを闇の申し子と名乗る怪盗は、白き衣を纏いし子供――白装束に身を包むキッド≠ニ、アルテミスの大粒の涙“月下白”を懸けて勝負をしようと言ってきたのだ。
 それは、明らかな挑発行為。
 今までもキッドを名乗る模倣犯は大勢いたが、キッドと対決を望む者はいなかった。
 なぜなら、彼の鮮やかな犯行手口を知る者であれば勝敗など一目瞭然で、とても一般人に敵う相手ではないからだ。
 だが、今回はいつもとはわけが違う。
 ここまでキッドをストレートに挑発してきたと言うことは、相手も素人ではない可能性が高い。
 だからこそ、新一は早急に事の次第を目暮警部まで伝えたのだ。

 二時間ぶっ通しで白い紙と睨めっこをしていた平次は、疲れ目をこすりながらリビングでごろごろ転がっている。
 新一はと言うと、自室から持ってきたモバイルパソコンをソファに体を預けながら弄っていた。
 同じ時間暗号解読に没頭していたはずなのに、未だ行動を起こす余力のある探偵に平次は呆れを通り越して感心した。

「なにしてるん?」
「んー…調べもの。ちょっと月下白について調べようかと思って」
「なんか気になるん?」

 新一は会話をしながらも手を止めることなく動かし続ける。
 カシャカシャと機械音が広いリビングに響き渡る。
 集中しているだろう彼からの返事は期待していなかった平次だが、思いがけず新一から答えが返ってきた。

「怪盗キッドって言えば、狙う宝石は十中八九、ビッグジュエルだろ。もし月下白もビッグジュエルだとすれば、この闇の申し子さんがキッドと本気で勝負しようって考えてる確率が高くなる」
「確かになぁ…けど、ホンマのところ、あの怪盗に敵う奴なんかおるんやろか?」
「さあな…」

 盗みの腕で言えば彼の右に出る者はいないだろう。
 けれど、と新一は思う。
 闇の申し子≠ニいう言葉が気になって仕方ないのだ。
 闇の世界に生きる、常に自分と他人の命を懸けることに長けた奴らにしたら、自分も彼もまだまだ弱い存在だ。
 つい先日にそれは味わったばかりだ。
 アレスと言う凄腕の殺し屋の前で、自分も彼も、手も足も出なかった。

 月下白≠ニ打ち込むと、表のネットだけでもヒット件数は結構な数だった。
 案外知られている宝石なのか、何かで話題になった宝石なのか。
 その中から信憑性の高いものを新一は弾き出していく。
 いくつか見ているうちに、月下白≠ノついて詳細に書かれている文献を見つけだした。

「…やっぱり、ビッグジュエルだ」
「ほんま? じゃあ、相手さんも本気やっちゅーことかいな」
「断定はできないけど、確率は高いと思う」

 黙り込んだ新一を仰向けに寝転がったまま横目で眺め、平次は面白そうに口角を吊り上げた。

「なあ、工藤。おまえ、まだ推測の域や言うてるけど…ほんまはおまえの中でもう答え出てるんやろ?」
「…」
「ほんまは絶対来るって確信してるんちゃうか?」
「…まーな」

 なんで分かった?と視線で問う新一に平次は苦笑を返す。

「やって、おまえ今キラキラしとるもん」
「…はあ?」
「名探偵の顔しとるっちゅーこと。つまりそれだけ真剣ってことや。それに、そうやないとわざわざそんなん調べたりせーへんやろ?」
「確かにそうだけど…」

 なんかおまえに指摘されるとムカツク。
 新一はばつが悪そうに口を尖らせると、再びパソコンの画面へと意識を集中した。
 平次は彼のそういう表情が好きだった。
 同じ探偵として、彼の能力の高さは身に染みるほど感じている。
 自分も決して劣ってはいないと思うが、勝ることも決してないのだと平次はどこかで悟っている。
 本来なら負けず嫌いな平次のことだから、負けるものかと必死に競うところなのだが…新一の探偵≠ニしての表情を見ていると、不思議とそんな気は起きないのだ。
 彼のこの表情を見ることができるから、同じ探偵でいれることが嬉しいとさえ思う。
 平次は彼の探偵としての能力に素直に敬意を持っていた。

 新一は既に月下白の検索は終了していた。
 今探しているのは、闇の申し子。
 不用意に表のネットで探るのは憚られるため、軽くアングラに探りを入れる。
 けれど、どんなに潜ってもそんな名前の怪盗や泥棒はいなかった。
 噂にも流れないほど最近の人物なのか、それとも、噂にされないほど巧みに身を隠す術を心得た人物なのか。
 だが新一の第六感が叫んでいた。
 彼は素人などではない、玄人、それもかなりの手練れだ、と。
 だからこうして必死に探っているのだ。

(月下白がビッグジュエルだとすれば、あいつが狙わないはずないよな。俺より情報量豊富なあいつが)

 そう、偶然ではなく必然的に彼らの対決は免れない。
 たまたま怪盗キッドより闇の申し子とやらの犯行予告が早かっただけのことだ。
 きっと明日にでもなれば警視庁に予告状が届くに違いない。
 新一は、彼が決してビッグジュエルを諦めるはずがないことを知っていた。

「ほんで? 東の名探偵さんはどないすんの?」
「バーロ、ここまで関わっちまって放っておけるかよ。奴らの接触は免れない。それを見てるだけなんて、冗談じゃねえ」
「…せやな」

 新一の口から初めて出た、強い肯定の言葉。
 平次は面白そうにニヤリと笑うが、生憎パソコンに集中している新一は気付かなかった。
 常の彼ならこの微妙な空気の変化にも気付くのだが、信頼を置いている者の前ではかなり無防備になるのだ。

「ほんなら俺もついてくわ! 二日後やろ? おまえんとこ来たら何かと事件起きるから、長期休暇とってて良かったわ♪」
「なんだその長期休暇ってのは」
「学校の方には一週間ほど休み取ってあんねんv」

 こんな事態も予測済みや、と言う平次に、新一は盛大な溜息を吐いた。
 ひとり盛り上がる平次を余所に、新一の瞳が鋭い光を帯びて煌めく。

(知ってるかもしんねーけど、一応あいつと連絡とっておくか)

 再び、何かの危険の前兆であるような気がした。





TOP NEXT

またもや始まっちまった長編。
これ、多分結構長くなると思います…。
次に出てくるオリさんを派手派手しく出したいな、と思ったらこんな面倒くさい話に…。
いやもう私の拙い頭じゃたかが知れてるけどね。
でもオリさんは最後の最後に出てくる(死)。
友情出演の服部さん。大した役じゃないです、ごめんねv

03.04.05.