midnight carnival















「なんだっ?」

 唐突に暗闇へと支配された空間に、アランの上擦った声が響く。
 停電か。
 まず脳裏を過ぎったその可能性は、けれど窓越しに広がるビバリーヒルズの夜景を見た瞬間にうち消された。
 光を失ったのはこの部屋、いや、このホテルだけだ。
 となると、何らかの理由によってブレーカーが落ちたのだろうか。
 だが、ここはセレブ御用達の有名ホテルだ。
 安価なモーテルなどとは違ってその辺りの管理は徹底しているはずだし、何より今このタイミングで照明が落ちたことが気になる。
 この――アシュフォード財団の会長や工藤優作を始めとする、各界の著名人が一堂に会する時を狙ったかのように起きた停電。
 そこから考えられることは、何者かが故意にホテルの照明を落とした、という可能性だ。
 暗闇の中でこそ事を為すに都合のいい目的を持った、何者かが。

 仕事柄、非常事態に対する心構えが人よりしっかりしているアランは、まずこの部屋にいる者の安全を確保しようと声を張り上げた。
 新一や快斗はともかく、女性や幼い子供もいるのだ。
 有希子やメイにもしものことがあれば優作に顔向けできない。

「皆さん、大丈夫ですか? おそらくブレーカーが落ちたんでしょう。僕が様子を見てきますので、皆さんはここでじっとしていて下さい。下手に動くと危険です」

 敢えて真実を伏せ、差し障りのない理由で彼らをこの場に留めようとしたアランだったが……

「――快斗」
「ああ、分かってる」

 動揺など微塵も感じさせない声で静かに名前を呼んだ新一に頷き、快斗は廊下へと続く扉ではなく、窓へと歩み寄った。
 白いタキシード姿の少年が暗闇の中、月明かりにぼんやりと浮かび上がる。
 突飛な行動に意表を突かれ、何をするのかと思わず見入ってしまったアランだったが、次の瞬間、驚きのあまり瞠目した。
 彼は徐に窓を開けたかと思うと――躊躇いもなく身を乗り出したのだ。

「な――っ! 何をしてるんだ、ここは五階だぞ!?」

 もし手を滑らせでもすれば、余程運がよくなければ間違いなく命を落とす高さだ。
 けれど慌てて引き留めようとするアランの声も虚しく、快斗の姿は窓の向こうへするりと呑み込まれてしまった。
 後にはただぽっかりと口を開けた窓と、そこから差し込む月明かりしかない。
 それを当然のことのように享受している新一にアランは厳しい表情で詰め寄った。

「新一! どうして止めなかったんだ! こんな危ない真似、小さな女の子も見てるのに…」
「あいつなら心配いらない。それに、メイも今更この程度で驚いたりしねーよ」

 暗闇の中に浮かぶ、透き通るような蒼い蒼玉。
 強い光を湛えた瞳が、自信に満ちた笑みに変わる。
 はっ、と振り返れば、有希子の腕の中に抱き上げられたメイはこの事態に怯えるどころか、冴え渡った双眸を鋭く煌めかせながら、とても子供とは思えない冷静な口調で答えた。

「白牙たちと合流した方が宜しいのではありませんか?」
「ああ、でも無防備に乗り込むのも危険だ。快斗が戻ってきたら状況を見て俺と快斗が乗り込む。母さんとメイはここで待機していてくれ」

 新一の指示に有希子は真剣な表情で、メイは幾分複雑な表情で頷く。

「…あまり、無茶はなさらないで」
「大丈夫。俺には、力強い味方がいるからな」

 祈るように両手を組んで目を瞑るメイに、新一は優しく笑いかけながら頭を撫でた。
 その様子を呆然と眺めていたアランは、何か言い様のない疎外感を感じていた。

 ――何が起こっているというのか。
 照明の落とされたホテル。その事態に動揺することなく、むしろ理由など分かっているとでもいうように冷静に対処する彼ら。
 窓の外に消えた少年はどこへ行ったのか。どこで何をしているのか。
 アランには何も分からない。
 自分は何をすればいいのか。
 彼らを問い質せばいいのか、それともここを飛び出して会場に駆けつければいいのか。
 それさえも分からない。

 けれど、混乱するアランの耳に悲鳴が届き、はっ、と顔を上げた。
 女も男も入り交じったいくつもの悲鳴が、どたどたと床を踏みならす足音や何か物が壊れる破壊音とともにひっきりなしに響いている。
 それはすぐ下――おそらく四階にあるパーティホールから聞こえてくるものだった。
 そこには父も、優作も、招待客たちもいる。
 そこで、何かが起きている。

 すぐに冷静な思考を取り戻したアランと、眉間に厳しく皺を寄せた新一の目が合った。
 彼の表情からも何か非常に拙い事態に陥っていることが窺い知れる。
 ――どうにかしなければ。
 そう思った瞬間、そしてそのまま会場へ向かおうと扉へ足を踏み出した瞬間、窓の外に人影が現れ、唯一の光源であった月光が遮られた。
 思わず立ち止まって振り返ったアランが見たものは――

 窓枠の上にしゃがみ込んだ、白いタキシードに身を包んだ人物。

 だがそれは、窓から飛び出した少年ではなかった。
 白いタキシードの背中に光と見紛う純白のマントを靡かせ、シルクハットを被った月下の魔術師。
 あの、怪盗キッドだった。

「下はどうだった?」
「黒尽くめの武装集団だ。どこの手の者かはまだ分からない。人数は見ただけでも三十人弱。武器は主に短機関銃とアサルトライフルで、おそらくドイツ製だな」
「被害状況は?」
「軽傷者はいるけど、被弾した人はいないみたいだった。恐ろしく手慣れた連中だよ。今は白牙と姐さんが応戦してるけど、このままここを戦場にしたら死者も出かねない」
「…分かった」

 突然現れた怪盗と当然のように言葉を交わす新一と、その話の内容に、アランは驚愕のあまり言葉もなく彼らを凝視することしかできなかった。
 武装集団? ドイツ製のアサルトライフル?
 何もかも、普通に暮らしていれば日常で耳にすることのない言葉ばかりだ。
 だが、新一はまるでそれが日常の有り触れた出来事ででもあるかのように平然と受け答えている。

 そこで、ふと気付いた。
 新一と言葉を交わす怪盗の声が聞き慣れたものであることに。
 今夜ずっと、一時たりとも新一の傍を離れることなく常に彼の隣にいた少年のものであることに。

「――!」

 気付いてしまった事実に動揺する。
 そんな場合でもないのに、目の前にいる怪盗の正体があの少年であるという事実に驚愕した。
 勿論、新一はその事実を知っているのだろう。
 知った上で彼とともに行動しているのだ。
 では、その理由は?
 探偵である新一が、犯罪者である怪盗とともにいる理由とは何なのか?
 怪盗だけではない。
 まるで彼を守るように彼とともに会場に現れた五人の男女、そう、ここにいるメイという少女もまた、何か特別な繋がりがあってこの場にいるのではないか?

 目まぐるしく旋回する思考の渦の中、鋼のように強靱な声が脳裏に割り込んだ。

「会場は俺たちが何とかするから、アランはここを動くな。下手に動けば怪我だけじゃ済まねーぞ」

 いつの間にか窓枠に立つ怪盗の傍へと近寄っていた新一が、怪盗の肩に腕を回し、自身も窓枠の上へと身を乗り出しながら言う。
 一〇センチにも満たない不安定な足場に立ちながら、まるでここが地上五階の崖っぷちであることなど忘れてしまったかのように、怪盗は窓枠に掛けた右腕一本で平然と二人分の体重を支えている。
 神出鬼没、確保不能の大怪盗なのだからそれぐらいは朝飯前なのかも知れない。
 まだ声が喉に貼り付いたまま何も喋れないアランに向かって、新一は苦笑を浮かべた。

「会いに来てくれてありがとな。ずっと俺を覚えててくれたのは嬉しいけど、できればもう俺には関わらない方がいい。……今度もまた、運良く助けられるとは限らねーからな」

 苦々しげにそんな呟きを零し、もう片方の腕も怪盗の首へと回したのを合図に、二人は窓の外へと消えてしまった。
 慌てて駆け寄り外を見下ろすが、不思議なことにあの目立つ白色は見当たらない。
 激しい寂寥感を覚えたのも束の間、アランは窓から飛び退くと、廊下へと続く扉から駆け出した。

 納得いかない。全然、納得いかない。
 折角会えたのに、また友人としてやっていけると思ったのに、再会が別れになるなんて絶対に納得できない。
 彼が何か自分など思いも寄らない大変なことに巻き込まれていることは分かった。
 だが、それが何だ。
 今度は助けられるか分からないだって?
 冗談じゃない。

「――今度は、僕が君を助けるんだ!」

 エレベーターを待つ余裕もなく、アランは非常階段を駆け下りていった。



 残された部屋で、有希子とメイは静かに椅子に腰かける。
 まるで階下の喧騒など聞こえていないかのように、ただ静かに時が経つのを待つ。
 やがて、小さな唇が震える声で囁いた。

「…間違いないわ。あの人が、守護者のひとりよ」

 俯いてしまったメイの肩を、有希子はそっと抱き締めた。















* * *

 断続的に撃ち放たれる短機関銃の轟音に合わせ、鉛玉を穿たれたテーブルや食器が音を立てて弾け飛ぶ。
 その音に混じり、あちこちから悲鳴が立ち上る。
 男も女も関係ない、ある者は地に平伏し、ある者は暗闇の中を無造作に逃げ回る。
 死体こそ転がっていないが、誰もがまるで地獄に突き落とされたような恐怖に心を支配されていた。

 その中を蠢く影がいくつか。
 闇に呑まれた瞬間こそ隙を突かれたが、暗闇に慣れた目で状況を理解すると、白牙とベルモットはすぐに行動を開始した。
 侵入者は一様に暗視スコープをつけている。
 二人は視線だけで合図を交わすと、ベルモットが仕込んでいた閃光弾をホールの中央へと放り、その光に気を取られている隙に白牙が優作と志保を確保した。
 もともと殺し屋家業に手を染めてきた二人だ。
 今更一般人の被害を出さないように、などと偽善を吐かすつもりはない。
 そうして優作と志保を真っ先に安全地帯へと誘導した白牙は、侵入者に対する敵の存在を察知した男たちの前に堂々と立ち塞がっていた。

 伏兵の存在にも大した動揺を見せず、リーダー各らしき男の指示で五つほどの銃口が白牙へと向けられる。
 それを飛び込みの要領で近くのテーブルの裏へと体を転がし、銃弾の直撃を避けた。
 生憎銃器は持っていないが、武器などいくらでもある。
 白牙は派手な音を響かせながら床に飛び散った銀器を掴むと、極端に視界を閉ざされた中、月明かりを微かに弾くスコープを標的にそれを――フォークを投げた。
 微かな呻き声を上げて男が三人、倒れる。
 急所は避けた。
 余程運が悪くなければ死ぬことはないだろう。
 尚も降り続く弾丸の雨を器用に避けながら、白牙は転がりざまに拾い上げていくフォークやナイフを次々と放っていった。

 一方、倒れた男からアサルトライフルを拝借したベルモットは、物陰に潜みながら男たちのスコープを狙撃していた。
 あれがなければ視界の悪さは五分だ。
 あとは武器さえ奪って肉弾戦に持ち込めば、撃ち殺すことなく相手を捕らえることも可能だろう。
 そう考えて、ベルモットは己の考えに思わず苦笑した。
 相手を殺さずに捕らえるなどという甘い考えは、以前の自分であれば思い付きもしなかっただろう。
 彼女にそんな考えを思い付かせたのは、他ならぬ新一が原因だ。
 あの心優しい天使は、たとえ相手が救いようのない悪魔のような人間でも、たとえ本物の悪魔であっても、命を奪うことで解決することを絶対に認めない。
 その甘さこそが彼を危険に曝している。
 なんと浅はかで、なんと危険な甘さだろう。
 でも、だからこそ、自分たちが守るのだ――その甘さを。

 銃弾の軌道から居場所を勘付かれたのだろう、こちらへと向けられた銃を一発、二発と撃ち落としながら、ベルモットは物陰の間をごろごろと転がった。
 その時、床に跳弾した弾丸のひとつがふくらはぎにめり込んだ。
 突き刺すような痛みが駆け抜けるが、唇を噛み締めることで痛みをやり過ごす。
 彼女の肉体は不滅だ。
 たとえこの瞬間は痛みに苛まれようとも、抉られた肉も失った血もすぐにまた再生する。
 その責め苦は、御子の魂が解放されるまで終わらない。
 かつてはそんな己の身体を憎んだこともあった。
 けれど今、そのおかげで大切なものを守れるのだから、この忌々しい身体にもちゃんと意味はあったのだ。

 足を負傷し動きの鈍くなったベルモットの眼前へとひとりの男が迫る。
 その手に持った銃の引き金が絞られる。
 ――撃つなら、撃てばいい。
 どんな痛みだろうと耐え抜いて、必ず新一を守り抜いてみせる。

(あの子は渡さない――!)

 そうして衝撃を覚悟したベルモットの耳に、一発の銃声が届いた。
 短機関銃でもアサルトライフルでもない、小型拳銃の音だ。
 ふと見遣れば、スタッフルームに押し込んだはずの志保がいつの間にか背後に立ち、手にしたワルサーPPKで男の右腕を打ち抜いていた。

「シェリー…」
「護身銃は基本でしょう? 特に、治安の悪いロスではね」

 にっ、と持ち上げられた口角は、闇の気配を纏った昏い笑みに彩られている。
 この国の治安の悪さなど、あの組織での日々に比べれば可愛いものだとその笑みが言っていた。
 視界の端、白牙が応戦している傍らには優作まで立っている。
 その手には同じく拳銃が握られており、しかも片手で銃身を支え、正確無比に撃ち放つ姿は流石としか思えない。
 新一の射撃のセンスは優作譲りということか。
 頼もしいことだと、ベルモットの口角も吊り上げられた。

「二人ともサポート向きかと思えば、充分即戦力ね」
「仮にも裏社会で生まれ育った女ですもの。このぐらいはね」
「ふふ。腕は鈍っていないようで安心したわ」
「当然よ。あの組織で叩き込まれた腕がそうそう鈍るはずないでしょう」
「それもそうね…」

 苦く呟きながら、ベルモットは傍にあったナイフを投げ付ける。
 いつの間にか再生していた足で立ち上がり、志保に背後を任せながら男たちを地に沈めてゆく。
 多少の血が流れるのはこの際仕方ない。
 とは言え、すっかり鉛が飛び交う戦場と化した会場内だが、一般客に目立った被害がないのは流石に相手もプロといったところだろうか。

 たった四人で男たちの半数近くを戦闘不能へと追い遣ったベルモットたちだが、そろそろ相手にもこちらの手の内を読まれ始めてきていた。
 こちらが決定的なダメージ――死に至らしめることを避けているのを逆手に取り、敢えて急所をさらけ出してくるため、やりにくい。
 いっそのこと殺し尽くしてやろうか。
 そんな物騒な思考に囚われかけた時、硝子が割れる甲高い音とともに、窓から何かが飛び込んできた。
 地上四階の高さにある、この会場へと。

 何、と思ったのも束の間、闇の中にも鮮やかに浮かび上がる純白の光に、その正体をすぐに理解した。
 夜に生き、月に愛された真白き咎人――怪盗キッド。
 その手の中に至上の宝玉を抱き、この混沌に支配された会場へと舞い降りる。
 その瞬間、血と銃弾が飛び交う戦場が一瞬にして魔術師のステージへと一変した。
 窓から降り注ぐ月明かりをスポットライトに、壊れたテーブルや砕けた食器、無残に散った花の中に怪盗は音もなく着地する。
 その隣、足が折れ蜂の巣となったテーブルの上へと、まるで穢れた地にその足をつけることを厭うように、腕の中に抱いていた人をそっと降ろした。
 それはまるで何かの舞台の一場面のようで、地に平伏した観客は固唾を呑んでその光景に見入っていた。

 そこに立つのは、今夜のパーティの主賓である工藤優作の息子、工藤新一だった。
 彼は銃を持った男たちに取り囲まれる中、怯むことなく彼らを睥睨している。
 死と隣り合わせと言っても過言ではないこの緊迫した空気の中、畏れるどころかその死を呑み込む強さを以てそこに立っている。
 その光景は、とてもただの高校生が、いや、とてもただのヒト≠ェ作り出せるものとは思えなかった。

「…おまえら」

 言葉もなく男たちを睨み付けていた新一が、重く閉ざされていた口を開く。
 いつの間にかその空気に呑まれかけていた男たちが咄嗟に身構えるその耳に、やけに低く囁いた。

「おまえら、てめえの事情に一般人を巻き込むなんて、いい度胸してるじゃねーか」

 新一は――怒っていた。
 他ならぬ自分のせいで起きた惨劇だ。
 死者が出ていないことがせめてもの救いだが、この場にいた人々を傷つけた事実は変わらない。
 体に、或いは心に、一生消えない傷として深く刻まれてしまったかも知れない。
 そうした男たちに激しい怒りを感じるのと同じくらい、そうさせてしまった自分にもどうしようもない怒りを感じる。
 そんな新一の思いを察したように、キッドが新一の手を掴んで一歩進み出た。

「今宵のこの美しき月夜を踏み荒らす、無粋なギャラリーの皆さん。貴方がたがお探しの宝は、ご覧の通り既に私の手の中です。いつまでもそうして遊ばれているというのであれば、この盗人が奪い去ってしまいますよ?」

 そう言うなり掴んでいた腕をぐいと引き寄せ、膝の裏に手を差し込んだかと思うと、キッドは新一を横抱きにして、先程自分が蹴破った窓へと飛び乗った。
 男たちが一斉に銃口を向けるが、既に遅い。
 完全に二人に気圧されている彼らの銃口が火を噴くより先に、新一を抱き上げた怪盗の姿は夜の闇の中へと消え去ってしまった。
 そのすぐ後を遅れることなく飛び出す、二つの影。
 既に前線を退いたはずの二人の元殺し屋は、ブランクなど微塵も感じさせない動きで窓の外へと身を躍らせた。

 疑っていたわけではないが、男たちの目的が新一であるのか確信を持てずにいた志保は、慌てて四人の後を追おうとする彼らの様子を見て確信する。
 彼らは間違いなく工藤新一を――月の御子を狙う輩なのだと。

 そう判断してからの志保の行動は、早かった。
 おそらく外壁を伝って降りるためのワイヤーでも仕込んでいたのだろう、腰のあたりを弄りながら次々と窓へ飛びつこうとする男たちに向かって、志保は装填した弾丸を撃ち尽くす勢いで銃を撃ち放つ。
 無防備に背中を晒していた男が二人、肩や足を撃たれて床に倒れる。
 それを見守る余裕もなく三人目を狙おうとした志保の耳に、切羽詰まった叫び声が届いた。

「危ない――っ!」

 鼓膜が震えるのと同時に体が突き飛ばされ、続いて轟音が鳴り響いた。
 短機関銃の容赦ない攻撃が、つい一秒前まで志保が立っていた場所に鉛の雨となって降り注いでいる。
 もともと威嚇だけのつもりだったのか、男は深追いすることなく攻撃の手を止めると、そのまま窓の向こうへ消えてしまった。

 あそこで助けが入らなければ自分は確実に死んでいた。
 底冷えした死の感触がゆっくりとした足取りで背筋を這い上がり過ぎ去った頃、志保ははっとなって自分を助けてくれただろう人を見遣った。
 仰向けになった志保に被さるように倒れているのは、明るい金色の髪を持った青年、アラン・アシュフォードだ。
 被弾したのか、左腕と左足のスーツは盛大に破れ、ところどころ血が流れている。
 しかし直撃は免れたようで、骨や神経に触れるような大きな怪我がないことに志保はひとまず安堵した。

「…貴方、」
「し、しんいち、は…?」

 大丈夫?、と確認しようとした志保の声を遮り、アランは痛みに顔を歪めながらも、姿の見えない友人の行方を尋ねる。
 迷ったのは一瞬で、志保は本当のことを告げた。
 目撃者は大勢いる。
 アランひとりを誤魔化したところで、真相を隠匿するにはベルモットの言霊でそれこそひとりひとりの記憶を抹消するしかない。
 その彼女が新一を追って飛び出してしまった今、志保にできることと言えば、この混乱に満ちた会場内を静めて後処理を行うことぐらいのものだろう。

「工藤君なら、侵入者を誘導するために外へ向かったわ」
「そんな…じゃあ新一と黒羽君は…」

 近くに落ちていたテーブルクロスを引き裂いて即席の包帯を作っていた志保の手がぴたりと止まる。
 アランの口から出た名前を、とても聞き流せなかったからだ。
 新一と――黒羽君。
 二人が会場を飛び出した現場を見ていない彼が、どうして二人の名を挙げるのか。
 もしかしなくても彼は、新一を連れ去ったのが怪盗キッドであり、黒羽快斗がキッドであることを知っている?
 静かにその意味を咀嚼しようと目を細める志保に、幼い少女の声が掛けられた。

「心配いらないわ、志保。快斗が自分でばらしたのよ」

 見上げれば、いつの間にか会場に戻ってきていた有希子に抱き上げられたメイが真剣な眼差しでこちらを見下ろしている。

「黒羽君が、自分で?」
「ええ。この状況で取り繕う余裕がなかった、とは言わないはずよ。きっとばれてもいいと思ったから隠そうとしなかったんだわ」

 その時の状況を知らない志保だが、彼はあの黒の組織との戦いの間も、組織の連中は勿論のこと、味方であるはずの警察関係者にさえその存在を隠し通した怪盗だ。
 パーティ会場が武装集団に占拠された程度の危機でぼろを出すとも思えない。
 それに、新一の古い友人であり、しかも見ず知らずの自分を助けるために銃弾の中に飛び込んでしまうような人が彼の敵に回るとはとても思えず、志保もそれ以上追求しなかった。

 けれど、当然納得いかないのはアランで。

「…貴方たちは何なんですか? さっきの男たちは、まさか新一を狙ってたんですか? 彼は、新一は、一体何に巻き込まれているんですか?」
「…悪いけど、関わらない方がいいわ。助けてくれたことにはお礼を言うけど、これ以上は貴方には関わりのないことよ」
「そんな…!」

 すげなく言い放つ志保にアランは必死に食らいつく。
 それに更なる拒絶の言葉を放とうとして、けれどその先をメイに奪われてしまった。

「――関係なら、あるわ」
「…え?」

 疑問の声を発したのは志保だった。
 いつの間にか、転がっていた男たちを縛り終えたらしい優作が背後に立っている。
 メイを腕に抱く有希子でさえも承知しているのか、その表情には微塵も動揺がない。
 現状を理解できずに混乱しているのは、志保とアランだけだった。

「アラン・アシュフォード」

 メイの静かな問い掛けに、知らずアランは息を呑む。

「あたしたちの仲間となって、一緒に彼を――月の御子を守る?」

 貴方には、その資格があるわ。
 アランは抗いがたい、何か大きな力に突き動かされるがままに、頷いていた。





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今回のアクション担当は、白牙とベル姐さんでしたー♪
「月の欠片」や「蒼天使」の頃の快斗や新一と比べると、
多勢に無勢で明らかに不利な条件ですが、やっぱりそこはアダルト組。さすが!
快斗と新一には次回、アクションを頑張って貰いますv
アラン君の秘密も次回で明らかになる予定。…あくまで、予定。
08.06.22.