どういう原理で動くのか、石の扉は誰の手に触れられることもなく鈍い音を立てながら開いた。
 部屋の中は閑散としている。
 だだっ広い室内には乳白色の灯籠が灯され、回廊よりずっと明るかった。
 中にあるのは同じく石造りの台がひとつ。
 その台には丁寧に羊毛が敷かれ、その上で眠る人を覆うように何枚もの布が被されている。

 眠っているのは白い顔をした――新一。

 気を失う寸前に「寒い」と言っていた新一は意識を手放してからも小刻みに体を震わせていた。
 キッドは寒くないようにと室内で火を焚き、更に布で新一の体を覆った。
 一度は窮屈そうだからと軍服を着替えさせようとしたのだが、意識はないというのに軍服に手をかけるとひどく抵抗されるので、仕方なくそのままにしていた。

 キッドはもう何度目になるかわからない訪問で、相変わらず固く目を瞑ったきり目を覚まさない新一に小さく溜息をついた。
 一時は何かに耐えるように蹲っていたが、今はただ死んだように眠っているだけ。
 規則的に胸が上下していることから、新一はただ眠っているだけなのだとわかるのだけど。


『どうしたら、良いんでしょうかね…』


 焦りの滲んだ呟きが、ぽつりともらされた。





『貴方に話しておきたいことがあるわ』


 気配にはとうに気付いていたけれど、キッドは敢えてその存在を無視していた。
 扉に手をついて立っているのは、エリ。
 答える気のないキッドにエリは特に何を言うでもなく、静かに歩み寄った。
 そして眠っている新一を見下ろし、哀しげに眉を顰める。
 意識的に無視を決め込んでいたキッドは、そこで漸くエリを振り返った。


『話される気になったんですか』
『ええ。貴方には――コナン様をお守りする貴方には、きっと話しておかなければならなかったんだわ』


 とりあえず場所を移しましょうと言うエリに従い、二人はその部屋を後にした。
 静かに眠り続ける新一を残し、室内には誰もいなくなる。
 その顔が苦しげに歪められたことを、知る者はいなかった。



 二人が行き着いたのは妙にだだっ広い空間だった。
 装飾も物も何もない、ただ硬質な石ばかりに囲まれた部屋。
 けれど、パチンとエリが指を鳴らすと、部屋の中心から一筋の光が立ちのぼった。
 光はまっすぐに伸び、天井まで届くと八方に扇状に広がった。
 その中心に浮かび上がったのはふたつの人影。


『誰かわかるかしら』


 キッドは食い入るようにその人影を見つめる。
 金色に輝く巻き毛を惜しげもなく揺らし、慈しむような微笑を浮かべている美女。
 その隣にはすっきりと整った顔に穏やかな笑みをのせた、背の高い紳士。

 これは過去の映像だった。
 光の中に浮かび上がる者たちはその姿、その表情のまま動くことはない。
 見たことはなかった。
 ないが――なんとなく断言できるような気がした。


『光≠フ前王、ユキコ様ですか…?』
『そうよ』


 あっさり肯定され、やはり、とキッドは思う。
 だが問題はそこではない。
 問題は、彼女の腕に抱かれている小さな塊だ。
 同じような塊が男性の腕の中にもある、ということ。
 人形のようなそれの、意味することは。


『――光≠ェ、二人…』


 普通に考えればそういうことだ。
 あれほどまでに酷似した顔を持つ二人が、血縁者ではないと言う方が信じ難い。


『正確には光≠ヘ双子の王子。コナン様と、…シンイチ様』
『シンイチ…』


 彼の名前は確かに新一だ。
 自らそう名乗った。
 けれどどういうわけか自分が光≠セと言うことを知らないどころか、光≠ニ言う存在すら全く知らないようだった。
 本来ならモヴェールの王として敬われる立場である方が、なぜ人間の、それも軍人などになっているのか。
 その答えは、エリが知っていた。


『シンイチ様は死んだと思われていたのよ。シンイチ様の父君でありユキコ様の夫であった、優作様とともに』


 キッドはエリの話に、じっと耳を傾けた。










 もともとモヴェールと人間との間に違いはなかった。
 同じように暮らし、同じように生きる。
 現在のようにモヴェール≠ニ人間≠ネどとは隔たられることもなく、ひとつの共同体として生活していた。
 けれどひとつだけ、決定的に違うものがあった。
 それは――思想だった。

 全てのものには生命が宿っている。
 それは共通する思想だが、そこに己の存在をどのように位置づけるかが異なっていたのだ。
 自分たちはその生命を生かし、生かされながら存在すると主張する者。
 そして、全ての生命は自分たちを生かすために存在するのだと主張する者。
 両者はやがてふたつに別れ、確執が生じた。

 後者を唱える者たちは争いを厭わなかった。
 前者を唱える者たちは追われるように土地を移り、やがて生命に溢れた森の中で生活を始めた。
 それがモヴェールと人間の始まりだった。

 文明の中で育った彼らにとって自然の中で生きることは決して楽ではなかった。
 けれど、自分たちは生かし生かされている。
 泥や土にまみれながらもその想いを貫き続けた時、先導者だった者にある不思議な力が宿ったのだ。
 それは、誰よりも全ての生命を感じ、側にいたからだろうか。
 草木や花、動物から大気まで、あらゆる生命の恩恵を先導者はその身に受けた。
 ただ言えるのは、それは生まれ持ったものではなく与えられたものであったということだ。

 そして、代々モヴェールはその不思議な力を持つ者を王としてきた。
 その力を持つ者は光≠ニ呼ばれ、モヴェールにしかそうと見分けられない蒼い瞳をしていたと言う。

 当時モヴェールを統べていた光≠ヘ、まだ二十歳を少し過ぎたばかりの若い美女だった。
 彼女の名はユキコ。
 誰もが光≠ニ認める絶対の力を持ち、そしてそれゆえに――命を落とした。

 当時は人間とモヴェールの間にそれほど確執はなかった。
 思想の違いで小さな諍いを起こすことはあったが、住処の違いが助けとなって大きな問題となることもなかった。
 けれど、ユキコの出現で全ての均衡は崩れた。
 代々の光≠ニ違い強大な力を持った彼女は、人間にとって驚異的な存在だったのだ。
 彼女の力に恐怖した人間は自分たちを脅かすかも知れない存在を葬るために――大戦を引き起こした。

 今より十八年前に起きた、人間とモヴェールの大戦。
 その大戦は、モヴェールにとって最悪とも言える惨劇を引き起こした。
 数え切れぬほどの死者、そして光≠フ死と後継者の死……

 けれど実際は、光≠ヘ人間に殺されたわけではない。
 迫り来る人間たちの手からコナンを守るため、はぐれてしまった優作とシンイチの安否を気遣いながらも、ユキコは禁忌を犯したのだ。
 それは返還の氷≠ニ呼ばれる。
 もともと自ら受けた傷などを癒すための力であるそれは、決して他人には使ってはならないものだった。
 けれど、大戦の炎で肺を痛めた赤子のコナンが呼吸を止めた瞬間、ユキコは躊躇わずその力を使った。

 浅はか、だったかも知れない。
 民を統べる者としては、無責任だったかも知れない。
 けれど――母としては当然のことだった。
 そして禁忌を犯したユコキは、命を落としたのだった。










『あれから十八年…コナン様の存在を知っているのは私と貴方だけ、一切消息のわからなかった優作様とシンイチ様は大戦で亡くなられたと思ってたわ』


 光の中に浮かぶ家族は幸せそうな笑みを浮かべている。
 その幸せは長くは続かなかったけれど、とても、幸せだったのだろう。
 初めて見た光≠フ前王ユキコ、その夫であり長年自分が守ってきたコナンの父親である優作。
 そして優作の腕に抱かれた、今は別室で眠っている新一。

 キッドは思う。
 やはり、辛い事実を知ることになってしまった、と。

 それはキッドが新一をここへ連れてくると決めた時にわかっていたことだ。
 血縁者かも知れないコナンは氷の中、未だに目を覚まさないしいつ目覚めるのかもわからない。
 だが、ここまでの事情があるとは知らなかった。
 家族は四散し、母親は確実に死亡、その上双子の兄弟がこの状態では……


『…あんまりですね』


 キッドの紫紺の瞳は激しく燃えていた。
 何よりも人間の愚行の象徴でしかない、戦争。
 キッドはそれを激しく憎悪していた。
 エリがぽつりと呟く。


『貴方を騙すつもりはなかったの。ただ光≠ヘもうコナン様しかいないと思ったから、だから…守って欲しかった…』


 日に日にユキコに似ていくコナン。
 その様子を見守りながら、いつも思っていた。
 いつか自分の代りに、かつてのユキコのように王となってモヴェールたちを率いてくれるだろう、と。


『目覚めてくれると信じて、あの方を、守りたかった…』


 エリは両手で顔を覆ってしまうと、後は嗚咽のようなものをこぼすだけだった。
 キッドはふつふつと高まっていた感情を鎮めると、気配を和ませて言った。


『貴方を責めたりしません。私がここにいるのは…呼んだのは貴方ですが、自分の意志ですから』


 ありがとう、と。
 ごめんなさい、と。
 そう繰り返すエリにキッドはやわらかく微笑んで。


「責めるべきは、愚行を愚行と理解できない愚か者だ」


 紡がれたごく小さな声は誰にも届かなかったが、それは――

 流暢な人の言葉だった。










* * *


 昏く深い意識の底。
 そこは深淵のように暗く、ひどく曖昧な空気の中を漂っているような心地だった。
 その中で、目の前に佇む少年を睨みながら新一は言った。


「なら、お前と俺は双子ってことか」
『そういうこと』


 新一の意識下で接触を果たした新一とコナンも、キッドたちのように昔を遡っていた。

 はっきり言ってとても信じられない。
 目の前に広がる、争い血を流していく人々の映像。
 燃えさかる炎に焼ける肉の匂い、鼓動がとまる瞬間の悲鳴、地を揺らす争いの怒号……

 全てがリアルだった。
 始めて見た自分の母親という女性。
 その人に氷付けにされていく、目の前の少年と同一人物の赤子。
 全てがリアルで、グロテスクで、…哀しかった。
 争いで全てを解決させようとする心も、血で血を洗うような人々の戦いも、自分の命をなげうって大事な子を守ろうとした女も。
 何もかもが、哀しかった。

 赤子であったはずのコナンはその記憶を鮮明に覚えていて、それを力によって新一に映像として見せたのだった。


「…それで?なんだってお前は俺にちょっかい出して来るんだ?」


 自分とまるで同じ声なのに、まるで違った声。
 それはつまり双子であるという彼の声だったからだろう。
 新一の意識を乗っ取ろうとしたり体を使おうとしたのは、間違いなくこのコナンという少年だ。
 生き別れの兄弟だというのにこうして素直に喜べずにいるいるのは、なぜそんなことをしてくるのかがわからないからだった。

 と、意識体であるというコナンは一層眼差しをきつくすると、ぎりっと新一を睨み付けた。


『お前が、狡いからだ』


 そのあんまりな言い分に、新一は眉を寄せた。
 狡いと言うからにはそれなりの理由があるのだろうが、新一にはこの相手からそんなことを言われる覚えは全くなかった。


「俺が何したってんだ」
『何もしてない。何もしてないから…狡いんだ』


 新一の眉が一層寄る。
 何もしてないからだと言われてもさっぱりわからない。
 ただ狡い狡いと言い続ける様はまるで子供のようだ。
 けれどコナンは更に激昂しているようで、新一が何かを言う前に続けた。


『俺は氷り付けなんかになって動けないのに、起きたくても起きれないのにっ。お前は安穏と暮らしてる!』
「…お前に俺の何がわかる」
『わかるさ!わかるから言ってるんだ!ここに、氷付けになるのはお前だったら良かったんだ!』


 両手を固く握ってそう叫んだコナンに、新一はカッとなって掴みかかった。
 意識下だからか触れることもできるらしい。
 新一は容赦なくコナンの襟首を締め上げると、ぐいと引き寄せた。


「生意気言ってんじゃねーぞ。誰が、犠牲になった?命をかけて守ったのは誰だ?…お前の母親じゃねーのかよ!」
『誰も助けてくれなんて頼んでねーよ!お前にわかるか?十八年も、氷の中だ!』


 誰も居ない、誰とも話せない、誰にも触れられない。
 唯一触れられたのが双子である新一だけだったのに、その新一はコナンの存在など知りもせず、呼びかけても応えようともしない。
 ただ返される、拒絶。
 それがどれほどの苦しみか、そんなもの味わったことのある者にしかわからないのだ。


『ここにいるのがお前だったら良かったんだ…!』


 今にも泣き出しそうなコナンに、新一は心底腹を立てていた。
 確かに望んではいなかったかも知れないけど、それでも守られたのはコナンで守ってくれたのはユキコだ。
 氷付けでも何でも、こうしてまだこの世に命を灯していられるのはユキコのおかげなのだ。
 それなのに、大事な息子を命懸けで助けたと言うのに。
 当の息子にそれが伝わっていないだなんて――そんな哀しいことが、あるだろうか。

 けれど続いたコナンの言葉に、新一は困惑した。


『お前の力は俺なんかよりずっと強いんだぜ。それどころか母さんよりも強いんだ。だから、お前だったらとっくにこんな氷の中から出てるはずだった』


 返還の氷≠ヘ中の者の力を増幅し、そして修復していくもの。
 つまり力が強ければ強いほど回復も早い。
 コナンももちろん力を持っているが、新一や母親ほどではなかった。


「…俺が力を持ってるって?」
『そうだよ。それも、多分歴代で最も強い力をな!』


 一番だと言われていたユキコを越えるのだから、まさに最強だ。
 けれど新一は納得しない。
 と言うか、できるわけがなかった。


「ちょっと待て、俺は力なんて知らねーよ。大体アレだって、お前が勝手に人の意識乗っ取ったんじゃねーか」
『…なら言うけど。お前の封印された記憶≠ナのアレはなんだったんだよ』
「!」


 なぜ知っているんだという疑問と虚をつかれたような衝撃に、新一は目を瞠った。

 そうだ、忘れては行けない。
 あの記憶が正しければ――いや、正しいのだけど、もしそうならつまり。
 コナンの言ってることもまた正しいのだ。


『だから、お前は狡いんだ。都合の悪いことは全部忘れて、力を持っていながら封印して。俺のことも母さんのことも知らないフリだ』


 新一は言い返すことができなかった。
 記憶を封印していたのは事実。
 力があるというのも、おそらくは事実だ。
 そして、今まで聞こうとしなかった母親のこと――良かれと思って聞かなかったのだが、それが間違いだったのかも知れない。

 物心ついた時から、いるのは父親だけだった。
 暫くして幼馴染みのような家族のような志保ができたけれど、優作は後妻をもらうことなど考えてもいないようだった。
 子供ながらに、きっと自分の母親をとても好きだったからなのだろうと新一は思っていた。
 だから余計に母について聞くことは躊躇われた。
 新一は優しすぎたのだ。
 いつも明るく惜しみない愛を注いでくれる父親に哀しい顔はさせたくなかった。
 たとえば母親が死んでいたとしても、たとえば自分が本当の息子でなかったとしても。
 今のこの状況は変わらないのだから聞く必要はないのだと、あえて何も聞こうとはしなかった。
 そしてその状態を優作も良しとしているようだった。

 けれど、実際はそうしてはいけなかったのだ。
 少なくとも、影でこうして苦しんでいる者がいたというのは事実だから……


「…なぁ。なんとかその、お前をそっから出す方法はないのか?」


 だから、聞いた。
 自分の双子の兄弟だというこの少年をこれ以上苦しませたくなくて、本心でなくとも母親への罵倒なんて言わせたくなくて。
 突然そんなことを言い出した新一にコナンは驚いたように瞳を瞬き、不機嫌そうに唇を尖らせながら言った。


『…ンなのわかってたらとっくにしてるっつーの』
「でも出たいんだろ?」
『当たり前じゃん』
「なら、考えよーぜ。だって俺、もう忘れたりしたくねーもん」


 後悔も哀しみも憎しみも、全部、全部。
 今の自分を形成するために必要なものだったはずから、それを忘れることはもうしたくない。

 コナンは一瞬新一を凝視していたかと思うと、次の瞬間には泣きそうに顔を歪めてしまった。


「おい、泣くなって」
『バーロ、泣いてなんかねーよ!』
「嘘付け」


 このひどく我侭で、だけどどうしようもなく寂しがり屋の兄弟に、新一は漸く愛情を持てるような気がした。
 多分、今までのことは全て寂しさの裏返しなのだろう。
 そう思えば手の掛かる弟ができたようなものだった。


「その氷って、お前の力を増幅させるんだろ?ならもっと力を強めるとかできねーのか?」
『無茶言うなって!力ってのは生まれつきなの。一時的に力を分けてもらうことは可能だけど、動けねー俺にどこから補給しろってんだよ』


 そこで二人は同時に、あっ!と思いついたのだった。


「…俺、力強いんだよな」
『かなり』


 考えることは同じらしい。
 新一とコナンは向き合ってニッと笑った。


「俺の封印解くことってできるか?」
『もちろん。てゆーか、俺にしかできねーし』


 以前のアレは、新一の膨大な力のほんの一欠片を解放したに過ぎない。
 それを全開にしコナンに流し込めば、おそらく氷の溶ける速度もぐんと上がるはず。


『そうと決まればサクサク行こうぜ!ほら、そこ立って、動くなよ。この状態でやるのは初めてなんだから』


 新一はおう、と短く答えてコナンの正面に立った。
 コナンの細腕が新一に向かって振り翳される。
 ぴたりと腕を翳したまま、コナンが不意に苦笑して言った。


『起きたらさ。…ちゃんと双子になろうぜ、新一』
「…ああ」


 ふわりと風が吹いた。
 暖かいと感じたのも束の間、それは一瞬で激しい熱に変わる。
 風は強風に変わり、抗いようのない強烈な風に吹き飛ばされるようにして新一は目覚めた。


「てて…あいつ、乱暴だな…」


 目覚める瞬間、胸に打ち込まれた拳。


――約束!


 叫んだ声が耳にこだまして、新一は無意識に笑みをこぼす。
 だがゆっくりと起きあがって台を降りようと前に屈んだ新一は、さらりと流れてきた黒いものに思わず固まってしまった。


「…んだ、これぇっ?」


 ぼさぼさに伸びた自分の髪に、情けない声が響いた。






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前回悪者チックだったコナンさん。実はただの拗ね拗ね小僧だったんですねー!笑
快新なのに快斗が出なかった…苦。
なんだかあんまりキャラを活かせてなくてすんません;
えりもコナンももっとカッコイイのに…まぁこれはパラレルだから。(死)
次で第二章終わり(予定)です。