7月のデイリリー
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「バス・トイレは各部屋、食堂は一階。十時に寮長が点呼にまわるから、その時には必ず在室しているように。気を付けて欲しいのは大体そんなとこかなあ。後の詳しいことはこの寮則読んどいてね。なんかあったら二年寮長の俺んとこまでどうぞ」

 はい、と言ってB5サイズの薄いマニュアルを手渡したのは、随分背の低い小柄な少年だった。
 言われなければ高校二年生どころか中学生に間違ってしまいそうだ。
 おそらく百六十はないだろうという身長で、人当たりのよさそうな柔和な笑みを浮かべている姿は、とても寮生をまとめている寮長には見えない。

 けれどそんなことは少しも顔に出さず、快斗は出されたマニュアルを受け取って無言で頷いた。
 今日からここが快斗の家だ。
 寮にしては広い部屋には机がふたつ、ベッドがふたつだけ。
 見事なまでに閑散としている。
 それもそのはずで、この二人部屋には快斗しか入居しないのだ。
 その快斗の荷物も至ってシンプルで、適当に詰め込んだ衣類とMDなどの備品、そして最低限の生活必需品だけ。
 部屋を賑わせる置物なんかの類は一切ない。

「あ、ちなみに十時以降は外出禁止だから。外泊も俺が許可しない限り不可。ま、どーしても出たいって時は、俺と守衛さんと警察に見つからないようによろしくv」

 去り際にそんな台詞を残して、寮長は帰っていった。

(見つからないようによろしく、って…)

 見つからなければなにをしてもいいのか。
 寮長がそんなことでいいのだろうかと呆れかけた快斗だが、どうでもいいかと部屋を見渡して溜息を吐いた。

 なぜ、高校二年生というこんな半端な時期に全寮制の学校に転校することになったのか。
 それはひとえに快斗の母親の強引さと豪快さゆえだった。
 彼女曰く、

「どんな不良息子だって、二十四時間監視つきの寮に入れちゃえば、嫌でもマジメに学校行く気になるでしょ?」

 冗談じゃない、この俺がその程度で更生できるものかと、快斗は鼻を鳴らした。

 快斗の不登校と放浪癖、遊び癖は筋金入りだ。
 たとえ全寮制の高等学校に強制送還されたところで全く改める気などない。
 それどころか、一番気掛かりだった母親の監視から離れたことで、これからは気兼ねなく外泊できるのだと思ったくらいだ。

(唯一の救いは、寮が一人部屋だってことだな)

 先居者はいるらしいのだが、怪我だか病気だかで長期入院してるらしく、快斗は顔どころか名前も知らない。
 けれど、それでいいと思う。
 今まで通っていた学校のことを思い出し、快斗は眉間に皺を寄せた。

 同じ視線。同じ態度。
 話しかけてくる時は妙にオドオドしてるくせに、集団に戻ると影でコソコソと囁く連中。

 うんざりだった。
 もともと気が長い方ではないというのに、一年もよく我慢できたと思う。
 そんな連中と二十四時間一緒にいるくらいなら、顔も知らないルームメイトの方がよっぽどいい。

 転校は母親が強引に押し切ったことだったが、快斗にとっても救いではあったのだ。
 十七年間変わらなかった周囲の目はどうせここでも変わらないだろうけど、そんなことは今更どうでもいい。
 初めから期待しなければ裏切られることもなく、初めから期待しなければ自分が傷付くこともないのだからと、快斗はベッドにごろりと横になって目を閉じた。










「川嶋!どないや、転校生の様子は?」

 今週修理の予定が入っている業者の資料を眺めながら廊下を歩いていると、クラスメイトの服部平次に声を掛けられ、尚也は足を止めた。

「んー?なんかクセが有りそうなタイプだね。手懐けるのに時間かかりそう」
「おまえが?」
「あの手のタイプは厄介だよ。彼の調書、見る?」

 はい、と手渡されたファイルを、平次は感心したように肩を竦めてから受け取った。
 こんな調書を持っているのも、それを常時持ち歩いているのも、この二年寮長の川嶋尚也だけだろう。

 彼は父親の仕事の関係上彼自身もコンピュータに携わることが多く、情報収集と処理能力に非常に長けている。
 たとえ学校の転校生ひとりだろうと事前調査は怠らない。
 寮長たるもの寮生をうまくまとめていかなければならないのだからこれぐらいは当然である、とは尚也にしか言えない言葉だ。
 今では三年生や三年寮長すら彼に頭が上がらない。

 平次は尚也と並んで歩きながら、丁度見出しのついているページを捲った。
 氏名、黒羽快斗。
 江古田小学・江古田中学を卒業後、江古田高校に入学、転校。
 母親との二人暮らし、父親とは小学四年生時に死別。
 身長一七四センチ、体重五八キロ。視力は両目とも二.〇……

「…自分、いつか個人情報保護法違反で捕まんで」

 家族構成から出生地、果ては身体測定から体力測定の結果まで。
 いったいどこをどうすればこんな情報が手に入れられるというのか、平次はただ呆れるばかりだ。

「いいから、備考欄見てみなよ」
「備考欄?」

 言われてざっと目を通した平次は、驚きから僅かに瞠目した。

「たぶん、それが原因で転校したんだろうね。高校に入ってからの成績なんてガタガタで、登校日数は数えるほどだってさ。こりゃ、ウチでも苦労するだろうなー」

 緊張感のない声で、まるで他人事のように尚也が言う。
 苦労するなんてものではないと、平次の方が思わず渋面になってしまった。

 不登校は本人の責任だとしても寮生活は連帯責任だ。
 そして最終的にその責任を誰が被るかと言えば、必然的に寮長である尚也が被らなければならない。
 たとえば点呼の時間までに彼が部屋に帰ってこなかったり、無断外泊などをされれば、尚也は自分の自由時間や睡眠時間を返上してでも彼を捜しに行かなければならないのだ。
 それでは尚也の身が保たない。

「川嶋、あいつにちゃんと釘打っといた方がええんちゃう?」
「んー…ま、二、三日は様子を見てみるよ」
「せやけど、」
「それに多分心配ないよ」

 あまりに楽観的な尚也に言い募ろうとした平次は、にっこり笑った尚也に思わず顔を引きつらせる。

 この、人の良さそうな笑みに騙されてはいけない。
 彼がこういう表情をしている時は、大抵ろくでもないことを企んでいる時なのだ。
 とばっちりを受けるのだけは御免被りたいと固まる平次に、尚也は実に楽しそうに言った。

「アイツがそろそろ戻ってくるらしいからね♪」

 ――それはそれは、一波乱も二波乱も、それどころか大嵐でもやってきそうだ。
 顔を引きつらせる平次を残し、尚也は寮長の仕事をこなすべくエントランスへと降りて行った。





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オフラインで作った本、「7月のデイリリー」より。
やっちゃいました、学園モノ!
珍しくちょースレた快斗くんをご賞味あれ(笑)