7月のデイリリー
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 すっかり暗くなった寮への道を辿りながら、快斗は先を歩く新一の背中を眺める。
 帰りの道々、探偵として活動してきたこの一年あまりのことを聞きながら歩いてきたため、快斗は新一がどれほど優れた探偵か、またどれほど名の知れた探偵かを知った。
 新一は普段探偵として行動する際に工藤の名で呼ばれることはない。
 長い付き合いのあの松岡組の連中でさえ、新一が探偵であることを知るのは松岡厳ただひとりだった。
 それ以外の連中はただ新一が警察に顔が利くだけだと思っている。
 そのため、探偵としての彼にはある別の名前があった。

 ――銀の弾丸。

 誰が言い出したのか、今となってはもう分からないが、俗語で「魔法の解決策」を意味するこの言葉は、どんなトリックもたちまち暴き、どんな事件も必ず解決する迷宮なしの名探偵を示す暗号のようなものだった。
 日本警察の最高にして最強の切り札、シルバー・ブレット。
 そしてその名は、今やネットやアングラでは当然の如く飛び交う名前でもあった。
 新一はこのたった一年でそれほどまでに認められた名探偵なのだ。
 けれど、その正体は誰も知らない。
 決して表に出ることのない無冠の探偵、それが、工藤新一。

「…ほんとに、それで満足なのか?」

 不意に声をかけられ、新一は「へ?」と振り返った。

「どんなに名前が広まっても、誰もそれが工藤だって知らないんだろ?それで、ほんとに工藤は満足なのか?」

 シルバー・ブレットと言えば、殺人事件や大がかりな組織絡みの事件ばかりを取り扱う、いつも危険と隣り合わせの探偵だ。
 新一がその探偵であることを知った今、快斗には思い当たることがある。
 二月から四月にかけての二ヶ月の入院。
 新一は骨折で入院していたのだと言ったけれど、その頃と言えば、フランスである麻薬密売組織が一斉検挙された時期だ。
 現地の報道では彼らの壊滅にはまだまだ時間がかかると言っていたのに、あまりに唐突なそれは日本でも多くのマスコミが取り上げる大事件となった。
 その不自然に重なった時期を偶然と言うならそれは随分と愚かなことだ。
 つまりその麻薬密売組織の一斉検挙には、少なからず新一が関わっているはずだった。
 そんな危険に飛び込んでかすり傷ひとつ負わなかったとはとても思えない。
 何より新一の性格を思えば、自分ひとりが安全な場所に立って警官たちに指示を出すだけだったとはとても思えないのだ。
 なのに、工藤新一の名前どころか「銀の弾丸」その名すら表には出てこない。
 世間はただ組織検挙を果たした警察を褒め称え、その影で奮闘したひとりの探偵のことなどまるで知りもしないのだ。
 これほどやるせないことが外にあるだろうか。

 けれど新一はそんな快斗を笑い飛ばすのだ。
 その笑いが馬鹿にしたものなら快斗も怒っただろうが、ただ可笑しそうに笑う新一はあまりに無邪気で、快斗はすっかり毒気を抜かれてしまった。
 やがて笑いのおさまった新一が目尻にたまった涙を拭いながら言った。

「なら、おまえはなんで、誰にも見せないくせにマジックをするんだ?」

 快斗は何も言えずに立ち止まった。
 前を歩いていた新一も立ち止まり、顔だけを向けて笑っている。

「おまえにとってマジックは大事なものなんだろう?でもそれは、絶対誰かに見せなきゃ駄目なものなのか?俺には、誰かを守りたいとかそんな大義名分があるわけじゃない。俺はただ真実を知りたいだけなんだ」

 そこに名誉は必要ない。
 そう言って再び背を向けた新一は、それでもほんの少し寂しそうに見えた。
 月明かりを弾く髪が頼りなさそうに風に揺れ、華奢な体は今にも飛ばされてしまいそうだ。
 何が彼をそうさせるのか。
 快斗はまだ、この男のことをたったひとつ知ったに過ぎなかった。

「おまえはいいマジシャンになれるよ。だっておまえのマジックには命がある。ちゃんと、人間が好きな印だ」

 不意にそう言った新一に、快斗は胸が熱くなるのが分かった。

 違うのだ。そうじゃないのだ。
 人間が好きだったわけじゃない。
 新一が、嫌いになれなかったのだ。
 あの時見ていたのが新一だったからこそ、快斗はその心を逸らせまいと必死にマジックを披露したのだ。

 外でもない新一だから。
 あの、めちゃくちゃで、意地っ張りで、口も足癖も悪くて、だけどいつだって快斗を見ていてくれた新一だから。
 だから――

「――なあ」

 腕を掴む。
 振り向いた肩を捕らえる。
 塀に縫い止めて動きを奪って、蒼い瞳をまっすぐ睨んだ。
 その手が微かに震えていたからだろうか、新一は吃驚したように見返すばかりで、快斗を蹴倒そうとはしなかった。

「俺も、…いつかマジシャンになろうと思う」

 それは、確かにずっと抱いてきた夢だった。
 けれど快斗はいつの間にか毎日マジックを練習するその意味さえ忘れていた。
 それを、新一が思い出させてくれた。
 マジックに命を吹き込むことを。マジックをすることの歓びを。
 「マジシャンは人を愛する者がなれるもの」、その言葉を、新一が思い出させてくれたのだ。

「…なれるよ」

 新一が笑う。

「俺、おまえのマジック、すげー好き。盗一さんのはただ凄いとしか言えなかったけど、おまえのマジックは、おまえがどれだけマジックが好きか見てるだけで分かるんだ。そんな風に思えるのって、それだけで凄いことだと思わないか?」

 ああ。
 彼のこの目は、自分の全てを分かってくれる。
 快斗はたまらなくなって、新一の肩に額を押し付けた。

 ――人前で泣くなんて、初めてだ。

 けれど、みっともないとは思わなかった。
 もっと早く、この人に出逢いたかった。
 もっと早く、気付けばよかった。
 誰かに理解してもらいたければ、その人を理解しなければならないのだということに。

 それは、望んでいたような優しい人ではないけれど、その不器用な優しさが知らない間に凍ったものを熔かしてくれたから。

(俺、…工藤がいい)

 ずっと望んでいたものがある。
 ずっと欲しかったものがある。
 化物だっていい。
 世界中の人間が自分を指さし「化物」と叫んだって構わない。
 ただひとり、この世で「唯一」の「特別」さえいてくれるなら。

 それが――この男であるなら。

 次に快斗が顔を上げた時、そこには不敵な笑みが浮かぶばかりだった。
 つい今し方泣いていた男とはとても思えない。
 その豹変振りに唖然とする新一に、快斗はなんとも不敵な笑みのまま言った。

「俺はあんたをオトすぜ、工藤」
「――はっ?」
「見てろよ。絶対、オトしてやるから」

 驚きすぎて声も出ないのか、それともまだ理解できていないのか。
 ぽかんとした新一の顔は、この上なく憎たらしくて、この上なく愛おしかった。

「覚悟はいいか、名探偵?」

 見つけたなら、捕まえる。
 捕まえたなら、離さない。

 そして最後はいつだって、あの偉大な魔術師のように、大胆不敵に微笑ってやるのだ。





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デイリリー:微笑
何さま俺さま新一さま、でも最後に笑うのは魔術師さまでしたv
このお話はシリーズとして書いていく予定です。
快斗がどうやって俺さま新一を落としていくのか楽しみ〜vv
お付き合い頂き、有り難う御座いました!