男たちに続いて最後尾でホールを出た新一は、すぐに物陰に隠れて彼らから離れた。
 外に出たのは新一を含めて四人。
 この人数なら船内の捜索にばらけてあたっても不自然ではないはずだ。
 人の気配が遠のいたところで目出し帽を脱ぎ、新一は集音機に向かって囁いた。

「オメー、なにしやがった?」
『べっつにー。マジック用の火薬をちょっと使っただけだぜ?』

 けけ、と笑い声のオプションまでつけられ、新一は溜息を吐いた。
 快斗とはなにも打ち合わせていない。
 だというのに、こちらの行動を予想していた快斗はそんな仕掛けを用意し、集音機から聞こえていただろう蘭との会話とタイミングを合わせ、新一がホールを抜け出しやすい状況を仕立て上げたのだ。
 この程度のこと、彼にとっては危険でもなんでもないのだろうが、あまりに有能すぎて、新一としては少々不満だった。
 怪盗と手を組むのが不満なのではなく、こうも有能ぶりを見せつけられては、同じレベルの能力を他の者にまで求めてしまいそうだからだ。
 この船を下りれば、自分たちはただの怪盗と探偵の関係に戻らなければならないというのに。

「それで、爆弾の方はどうだ?」
『二つ見つけたぜ。ひとつは機関室、もうひとつは船底の貨物室で、船の腹のど真ん中だ。今は貨物室の方を解体してる。どう考えても、こいつを爆破されたら船が沈んじまうからな』
「分かった。機関室の方は俺に任せろ」

 止めていた足を動かし、機関室へと向かう新一の耳に、快斗の歯切れの悪い声が届いた。

『ひとつ、気になることがあるんだけど』
「なんだ?」
『ホールにいた奴らは誰もどこにも連絡してないって、蘭ちゃんが言ってただろ? てことは、少なくとも船の作業員たちはホールにはいないはずだろ』
「ああ。船内放送もかかってないし、個別に呼び出すにしたってなにかしらの通信機器を使わなきゃならないからな」
『そうだろ? だってのに……』

 この船、どこにも作業員がいねーんだ。
 その言葉に、新一は思わず足を止めた。

「作業員がいない、だと? ホールには客と従業員はいたけど、作業員は一人もいなかったぞ」

 この手の旅客船では、船を動かすための人材と客へのサービスに従事する人材とがきっぱり分かれている。
 前者が航海士や機関士であり、後者がコックやウエイトレスだ。
 これが通常の船旅なら客室を整えるための客室係や船内娯楽施設のスタッフなどが大勢乗り込んでいるのだが、今回は試運転ということで、利用できる施設もごく限られている。
 だからおそらく、現在ホールに集められている人質の中にいるコックやウエイトレスが、今回のクルーズで乗船した従業員の全てだろう。
 しかし、その中に作業員らしき者は一人もいなかった。

「……どこかに閉じ込められている可能性は?」
『俺も考えたけど、見た限りどこにも争った形跡はなかった。少なくとも突然襲撃を受けた、って感じはしなかったな』
「爆破された操舵室は見に行ったか?」
『ああ。敵の姿も死体もなかったが、機器は完全にお陀仏だった』

 つまり、最初の爆破時より操縦不可能となったこの船は、現在、この広い大海原を遭難していることになる。
 もともと片道二時間半のクルージングなので大して沖に出たわけではないが、十分に危険だ。
 それなのに、犯人たちはなぜ操舵室を破壊したのか。
 消えた作業員たちはどこへ行ったのか。

「……まさか……」
『たぶん、お前の考えてる通りだと思うぜ?』

 呟きに同意が返り、快斗もまた同じ可能性に思い至ったのだと、新一の表情が硬く強張った。
 そうだとすると非常にマズイ。
 爆弾もさっさと解体しなければならないが、犯人たちを野放しにしておくわけにもいかない。

「黒羽。爆弾に時限装置はついてるか?」
『いや、リモート式だが、タイマーはどこにもない』
「すぐに解体できそうか?」
『五分や十分じゃ無理だな。随分とご大層なもんを用意してくれてるぜ』

 解体作業が思うように進まないのか、快斗の口からは珍しく、怪盗紳士らしからぬ舌打ちが漏れた。

「なら、解体は後回しだ。とりあえずフェイクかまして、遠隔操作がきかないようにだけしたら、どこか別の場所に隠してくれ。機関室の方は俺がやる。そんで、一旦落ち合うぞ」

 快斗としても同じ意見らしく、了解、という短い返事を最後に通信は途絶えた。
 新一はともにホールを出た男たちに見つからないよう細心の注意を払いながら、機関室に向けて走り抜けた。
 未だどこにも知らされていないシージャック。
 営利目的か、或いはもっと別の目的があるのか――どちらにしろ、この事態を海上保安庁や警察に気づかれた時が最後だ、と思った。



 快斗の言葉を信用しないわけではないが、新一は自分でも船内の様子を確認しつつ機関室まで来た。
 結果、やはり誰もいなかった。
 船の最高責任者であると同時に乗客を接待するホストを務めなければならない船長は、シージャック犯が襲撃してきた時にはホールにいたのだろう、人質の中にその姿があった。
 しかしたとえ船長を除いても操舵室には副船長と航海士、操舵手、甲板員がいなければおかしいし、機関室には機関長を始め機関士や操機員がいなければおかしい。
 いくら短時間の航海で人数が少なかったとしても、彼らの姿がまるまるこの場から消えているということは、考えられる可能性はただひとつ。
 消えた彼らこそが、シージャック犯だということ。
 しかしそれがたった八人ということは、彼らは予め甲板部と機関部に数名ずつ仲間を潜ませ、他の作業員たちが油断しきっているところを襲い、抵抗する暇も与えずに動きを封じたのだろう。
 新一の推理が正しいなら、作業員たちはまだ生きてどこかに閉じ込められているはずだ。
 残念ながら彼らを悠長に捜している暇は、今の新一にはないけれど。

 人のいない、しんと静まり返った機関室で、新一はさっと周囲を見渡した。
 爆弾はすぐに見つかった。
 そもそも隠す気がないのだろう、堂々と置かれたそれにタイマーの表示はなく、貨物室に置かれていたものと同じタイプのものであることが窺える。
 新一は常に持ち歩いている工具を取り出した。
 自分の事件体質をよく理解していればこそ、必要に迫られて持ち歩くようになったものだ。
 快斗にはああ言った新一だが、同じような理由で快斗もいろんなものを携帯するようになったことは考えるまでもなかった。

 四隅のネジを外し、慎重に蓋を取り外す。
 不規則に揺れ動く船の中、振動で爆発するとは思えないが、それでもゆっくりと蓋を横に置いた。
 中ではいくつものコードが複雑に絡み合っている。
 それらには目もくれず、新一はリモート操作を無効にするためのコードを探した。

 その、作業に集中していたせいだろう。
 足音を忍ばせて機関室に入り込む人の気配に、すぐに気づくことができなかった。

 最後のコードを切ると同時に背後に迫る気配に気づいた新一は、ハッと振り返った。
 覆面を被った男が銃身を持って振りかぶっている。

「――っ!」

 咄嗟に左腕を差し出すが、そこに期待していたもの――腕時計型麻酔銃はない。
 新一は愕然とした。
 コナンから新一の姿に戻った時に外してしまったのだ。
 更に言うなら、客室で襲ってきた男をその針で眠らせたのだから、たとえ麻酔銃があったとしてももう使えない。
 爆弾の傍にいたために発砲されなかったのはせめてもの慰めか。
 衝撃に備え、新一は両目を瞑って両手を頭上で交差した。
 ――が。

「……っぶねー、あっぶねー」

 ふわりと、体が浮く感覚。
 それと同時に腰に回された、頼もしい腕の感触。
 気づいたら、銃を空振った男がわたわたと慌てている姿が眼下に見えた。
 新一は、いつの間にか現れた快斗に抱き上げられ、天井から伸びるワイヤーに二人して垂れ下がっていた。

「黒羽……」
「んっとに危なっかしいヤツだな、名探偵。無茶すんなって言っただろ?」

 軽口を交わす声を聞きつけた男が頭上を振り仰ぐが、快斗は慌てた様子もなく、新一の腰に回していた腕を外して改造銃を撃ち放つ。
 ずり落ちそうになった新一は慌てて快斗の首に抱き付いた。
 改造銃が放つのはいつものトランプで、続けざまに放たれたトランプが男の持っていた獲物を撃ち落とす。
 困惑した男が踏鞴を踏みながら尻餅をついた隙を逃さず、快斗はワイヤーを切り離すと、男の顔面めがけて膝をめり込ませた。
 その際、器用にも新一を横抱きにして着地するという芸当までやってみせた。
 屈辱にも姫抱きにされた新一だったが、文句を口にする余裕も、ましてや礼を言う余裕など全くない。

 前々から器用な男だとは思っていたが、そのあまりの鮮やかさに新一は改めて驚かされていた。
 気絶のさせ方が怪盗紳士にあるまじき力業なのは、キッドの衣装を着ていない今は大目に見るとして。
 横に飛び退く暇もなく殴られる覚悟をした新一を、あの一瞬の間にどうやって連れ出したのか。
 怪盗キッドはマジシャンだが、タネも仕掛けもなければただの人。
 それを、天井に伸びたワイヤーはギミックだとしても、犯人にも新一にも気づかれずに駆け寄り、攻撃を避け、人一人を抱えて飛び上がるなどという離れ業をやってのけた怪盗のアジリティーの高さに、新一はただただ驚くばかりだった。

「よっ……と」

 快斗は新一をふわりと床に下ろすと、先ほどの一撃で気絶してしまった男を手際よく拘束していった。
 最初の男より縛り方が心なしきつく感じるのは、新一を殴ろうとしたことへの報復だが、そんなことは新一が知る由もない。

「これでよし、と!」
「……悪ぃ、黒羽。助かった」
「怪我がねーならいいけどよ。お前、もうちょっと周りに注意しろよ」

 全く同じ理由で幼児化するはめになった新一には返す言葉もなかった。
 思えば、組織の連中と接触した先月の事件の折にも後頭部を殴打されているのだ。
 この調子で殴られ続ければ、その内脳細胞が死滅して馬鹿になりそう……と、こっそり戦慄く。

「爆弾のリモート解除は?」
「ああ、もう済んでる。オメーの方は?」
「とーぜん!」

 ニッ、と笑う怪盗の頼もしさに、新一もつられて笑う。

「それで? 爆弾の解体を後回しにするってことは、なにか理由があるんだろ、名探偵?」
「ああ。爆弾を見てお前も気づいただろうが、奴らはこの船を沈める気だ」
「だろうな。じゃなきゃ、あんなでっけー爆弾用意しねーよ」

 貨物室にあった爆弾が機関室のものと同じなら、船底にどでかい穴が空けられることだろう。
 粉々に吹き飛びこそしないが、この大きさの船なら一時間と保たずに沈んでしまう。

「でも、船を沈める気なら尚更爆弾を放置しとくのは拙いんじゃねーの?」
「それなんだが……」

 新一は考え込む時の癖で顎に指を添えた。
 蒼い双眸が深みを増す。

「お前なら、ジャックした船の舵をわざわざ壊すか?」
「いや。壊したら逃げらんねーじゃん」
「じゃあ、もし壊すとしたらどんな理由がある?」

 快斗に問いかけながらも、新一は答えを求めていなかった。
 それらはもう答えの出た問いだ。
 ただ快斗に説明するためと、自らの推理を確認するために声にする。

「犯人たちは、この船を逃走に使う気がない。だから舵を壊した。おそらく、別の逃走手段を用意してるんだろう。奴らの仲間が外にいて、ヘリやクルーザーを用意しているのかも知れない。
 だが、奴らの目的はなんだ? 未だに警察にも海上保安庁にも連絡を取っていないということは、外部になんの要求もしていない、ということだ。仮に今後連絡を取るつもりなら、操舵室を爆破したりしないだろう。黒羽の言うように、舵のきかない船では逃げられないからな。となれば、奴らの目的はこの船上にいる誰かということになるが、特定の個人に恨みがあっての犯行なら、夜陰に乗じて刺し殺し、海に投げ込んだ方がよっぽど効率的だ。それを、あえて無関係な人を巻き込んで、船ごと沈めようとするほどの動機とはなんだ? 爆弾を時限式にせず、わざわざ自分たちまで乗り込んだ目的は?」

 金持ちの関係者が多く乗船しているのだ、誰からも恨みを買っていないとは言い切れない。
 だが、それなら爆弾は時限式で構わないはずだ。
 わざわざ乗り込むなら、それこそ手ずから殺せば済む話である。
 けれど彼らはそうしなかった。

「つまり、奴らにはこの船に乗り込まなければならない理由があった。そして乗り込んだ奴らの行動は、操舵室を爆破し、人質をホールに集め、船の要所に爆弾を仕掛けることだった。操舵室を爆破したのは操作不能にするため、人質を集めたのは彼らの動きを封じるため、爆弾を仕掛けたのは船を沈めるためだ。
 仮に時限式の爆弾を設置したとしても、操舵室を破壊して船を沈めることはできる。だがその場合、乗客の動きだけは制御できない。すぐに海上保安庁に連絡して救助されるのを待つだろうし、もし通信できなくても、通りすがりの船に救助される可能性もなくはない。
 つまり、奴らが船に乗り込んだ理由は、乗客の動きを封じるためだった。言い換えるなら――誰もここから生きて帰さないため、だ」

 ある程度の予想をつけていたのだろう、新一の推理を聞く快斗の表情は厳しかったが、そこに驚きの色はなかった。
 彼は探偵でなく怪盗だが、いつだって新一とは違う方向から真実に辿り着いていた。

「……ちくしょう。そうじゃねーかと思ったんだ。作業員に扮して乗り込んだっつーことは、面が割れても構わねーってことだもんな。証人を消して、テメーらだけ生存者として堂々と救助されようって腹か」

 快斗は悔しそうに壁を打った。
 お人好しの怪盗には信じられない悪行なのだろう。
 いつかもこんな風に止められなかった悲劇を悔いていたなと、新一は真冬のペンションを思い出した。

「で、こんな最低なショーを演じようってヤツの心当たりはあるのか?」
「さあな。それはまだ分からないが……」

 動機の推理は新一の最も苦手とするところだ。
 理性では理解できても、感情が納得しない。
 新一が動機よりも証拠を優先した推理をするのはそのためだ。
 証拠で固めて初めて動機を推察する、それが新一のやり方だった。
 しかし、犯人を特定するような証拠のない今の段階では、この事件の黒幕を特定することはできず、動機を推し量ることもできない。
 動機が分からなければ、目的も分からない。
 だが、今はそんなことを悠長に考えている場合ではなかった。

「問題は、爆弾が人質や海上保安庁に対する抑止力としてではなく、船を沈めるために積み込まれた、ってことだ。人質は拘束されていなかった。おそらく催眠スプレーかなにかを用意してるんだろう。奴らが行動を起こせば終わりだ。残りの爆弾や犯人探しをしている間に船を沈められちまう」
「だからひとまず先に敵を叩こうって?」
「そうだ。残りの爆弾を爆破されたとしても、浸水はしても沈没はしないだろうしな。海上保安庁に連絡して救援を要請しておけば、全員脱出できるだろう」

 幸い、船の大きさに比べて乗客は少ない。
 蘭からの連絡もないところを見ると、彼らはひとまず船内の捜索を優先しているということだ。
 そしてここで男が伸びている以上、仲間が揃わないのだから、すぐには事を起こせまい。

「……さて。ホールに四人、船内に残り二人。まずは二人の方から片づけていくか」

 ニィ、と新一の口角が吊り上がる。
 犯人たちがどういうつもりでこの船を狙ったのかは知らないが、この自分の大事なものに手を出したのだ。
 決してただでは済ませまいと、蒼い双眸が獰猛に光った。





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